とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「とりあえずサピ」は正しいのか~「降りられない悲劇」~

何度も書いていますが、私は「自分に合う塾がベストな塾」と考えています。

鶏口か牛後か、でも書きましたけど、「属する集団で自分が常に平均以下」ってかなりつらいですし、その「集団」って「中下位」は見てくれませんからね。

「集団の中下位をこそ伸ばそう」としてくれるのは、公立小中くらいのもんですよ。

 

最初の塾選びは、慎重にしたいところです。

 

よくあるケースが「とりあえずサピ、ついていけなくなったら転塾すればいい」という安易な選択で、これは非常に危険です。

なぜなら「入ってしまった以上、なかなか抜けられない」からです。

 

「合わなかったら抜ければいい」と言ってる親御さんほど、サピに傾倒していきます。

サピで万年中下位なら、あっさり転塾するか退塾して自己肯定感を高めたり、あるいは受験を冷静に考え直した方が精神的にも学力的にもよほど良いのですが…。

  

「いったん『集団』に属してしまう」と、頭ではわかっていてもなかなか抜けられないのが人の常ですよね。

 

サピで万年最下位でもやめられないケースは、2通りあります。

1)親御さんが夢を見続けているケース

2)子供が辞めたがらないケース

 

1)は、はっきり言って教育虐待ですね。過去記事でも書きましたが、サピでは中下位は伸びません。 

mikoto2020.hatenablog.com

 

問題は2)のケースです。

万年中下位で、親御さんが転塾をにおわせても子供が辞めたがらないケース。

これは、2通りあります。見極めなければいけません。

 

本人が、課題も基礎トレも頑張っており、テストにも前向きな場合。この場合は、子供はサピの教え方が好きで、なんとか頑張りたいと思っている。まあ、それも「サピしか知らない」がゆえのしがみつきとも言えますし、もう少し基礎からやってくれる塾や個人コーチの方が伸びるケースが多いですが、本人が「努力して」いるならまだ様子見で良いでしょう。

 

一方、基礎トレはおろか、授業前テストの見直しもしない、要は「サピで絶対必要とされている『自学』をやらない」のに、なぜかサピをやめたくないという子は問題です。

多くの親御さんが、そこに一抹の期待を抱いてしまって「それならサピ継続」とされていますが、それは判断を誤っていると言えるでしょう

 

サピについていく努力もしていないのに、サピを辞めたくないという子。

 

サピブランドを手放したくない子、結構多いですよ。いまや、小学校で「サピ生」ということが一種のブランド、他塾生を見下せる通行手形になっているようですからね。

 あるいは、集団から離れることの恐怖で「辞めたくない」と言っているか。

 このどちらかです。

 

子供が「サピブランドを手放したくないから」あるいは「集団を抜けるのが怖いから」という理由を言わずにただ「サピを辞めたくない」と言うと、親御さんはそれを自分の都合の良いように解釈してしまいます。「続ければ伸びるはず」と。

違います。

何度も言いますが、中下位ということは「塾の授業を半分も理解してきていない」ということなのです。それを家庭学習で埋めるならともかく、自学しないということは、お金と時間をドブに捨てているも同然です。

お金はいいです、問題は「時間」です。

時間はお金で買えませんからね。

ついていけない授業に週に十数時間以上費やし、かといって自学もしない。

だったら、「自分が伸びる授業」を受けたほうが100万倍いいのに。

 

子供が「サピを辞めたくない」と言っても、基礎トレすらしていないのなら、そこは親御さんが見極めましょう。

合う塾こそが、一番子供を伸ばします。

 

「塾ナシ」で伸びる子、向いている子とは

何度も書いてますが、私の生徒は6~7割が塾ナシです。

それで東大はじめ、第一志望の難関校受かってるんだから立派なものです。

彼らはまた、「私と勉強始める前より学力が超大幅アップ」しているのも特徴です。

 

自分を持ち上げたいわけではありません(まあ正直ちょっとそれもあるけど(笑))。
でも実際、私のところに来るまでは「とうてい無理」と言われた、偏差値にして10~20超の学校に受かっていってるからほんと尊敬します、彼らの力を。

 

彼らのことをつらつらと思い出してみると、共通点がありました。

 これらは「塾ナシで伸びる条件」「塾ナシの方が伸びるケース」と言えるでしょう。

 

第一志望に惚れ込んでいる

過去記事でも書きましたが、愛こそパワー(笑)。 

mikoto2020.hatenablog.com

 

塾・予備校ナシ受験は、周りからの刺激が少ないがゆえに停滞するリスクはありますが、逆に言うと本気で惚れ込んでいたら、周りからの刺激や競争意識などは不要です。

自分のことをわかっている

自分がこれまでどれだけサボっていたか、志望校までのギャップがどれくらいか、自分の得意不得意、今自分は何をしなければいけないか。

こうしたことをわかっている子は、塾・予備校ナシで頑張れます。

というか、そのほうが向いています。

なぜなら、集団塾というのは「最大公約数向け」の授業にならざるを得ず、こうした生徒のニーズにマッチしてはいないからです。 

教科ごとの凸凹が大きい

理数だけが苦手、はたまた国社だけが苦手。

こういう場合、その科目に絞って個人コーチつけたほうが伸びます。

 

誰にでも向き不向きはありますが、ある科目だけが極端に弱い場合、そこには何らかの原因があるからです。集団塾では、その「原因」はわかりません。だってそこまで一人一人のことは見ていませんから。

 

教科ごとの凸凹が大きくても、塾のクラス分けは総合点でなされますから「国語は楽勝だけど算数はさっぱりついていけない」ということが起きます。

予備校では、現役ならば「単科受講」ができますよね。

正直、中受塾もそうなるべきだと思っています。

 

スタートが遅かった

小6で、突然受験したくなった場合。

小6から集団塾に入ってぐんぐん伸びるケースももちろんあります。

でも、いまや中学受験塾は「小4~小6」少なくとも「小5~小6」でカリキュラム組んでます。ですから、「前年度教えたことはわかってて当然」という授業になります。

 

こういう場合は、ズバリ個別か家庭教師がベストです。

得意分野か不得意分野かを見極め、それぞれにベストな対応ができるからです。

他の子が3年かけてやるところを1年でやるなら、同じやり方は合わないのは考えるまでもありませんよね。

 

親が口を出さない

これまで塾・予備校ナシでバクノビし志望校合格していったケースでは、振り返ると親御さんが子供を信頼し、かつ講師を信頼し、全面的に任せてくださっていました。

 

そもそも、みんなが3年かけてやるところを1年でやろうとしているのです。

科目によっては4年生の基礎からやる必要がありますし、得意な科目はより難易度の高い課題を与えたり。そういった調整を、個人コーチはしています。

 

そこに「親塾」が入ってきちゃうと台無し。

基礎からやり直す必要がある科目で、勝手に難しい問題を解かせたりとか。

 

船頭多くして船山に登る。

 

子供が「やる」と言っているのだから信じて任せましょう。

 

塾ナシ個人コーチのみのメリット

本人が「真に本気」ならば、塾ナシはメリットだらけと言えましょう。

本気、かつ自制心のある生徒にとって組み分けテストなんてノイズでしかありません。

だって、大学受験の予備校で組み分けテストなんてありますか?(笑)。

 

なぜ中学受験塾で組み分けテストがあるかというと「子供は目先のことしか考えられないから、目先の組み分けテストに夢中にさせる」ためなんです。

 

これにはもちろん利点もあります。

小学生にとっては半年先ですら「遠い未来」ですからね。

数か月ごとの組み分けテストで緊張感を保つ、たしかに一定の合理性はあります。

でも、これが大きな問題をはらんでいます。

生徒本人のみならず、いやむしろ親が組み分けテストに血眼を上げることになる。

それって本末転倒。

最後に笑えばいいんです。

 

まあ、親に誘導されての「なんとなく受験」の生徒たちは、こうした目先の順位付けがないとユルんでしまうのはわかります。

でも、真に本気の生徒に、「塾内の順位」なんていう「ノイズ」は不要です。

全体の中での立ち位置は把握する必要がありますから、模試は受ける必要がありますけれどもね。

 

集団塾や予備校の危険性は、もう一つあります。

「行くだけで勉強したつもりになる」ことです。

塾によってさまざまですが、小6になると拘束時間が半端ないですよね。

12歳が、4時間ぶっ続けで集中保てるでしょうか?

でも、塾に行かせてる以上、「〇〇時間勉強した」と思ってしまいますよね。

親御さんも、本人も。

サピックス中下位についての記事でも書きましたが、その4時間は、「ついていけてない子」にとっては「薄い時間」なんです。

だったら、行き帰りの時間も含めて、「自分にとって濃い時間」にしたほうがよほど良いですよね。

 

「本人の志望が本気」で「周りとの競争がなくても頑張れる子」の場合は、塾ナシで十分どころかお釣りが来ます。

「常に競争に晒されていないとユルむ」場合や「自分の立ち位置を客観視できない子」の場合は、集団塾の組み分けを利用せざるを得ないでしょうね。ただ、「親だけが本気で子供はそれほどでもない」場合、集団塾の競争原理は逆効果です。これについては、後日書きます。

 

仏の顔も三度まで:「キレる子」は受験の前にやるべきことがあるだろ

年々増えてます、すぐキレる子。

私は基本的にどんな生徒でも、それぞれの原因に合った対処はできます。

できますが。

それでも内心「勘弁してほしい」と思うのがこの「キレる生徒」です。

 

キレやすい子は会った瞬間にわかります。

 

その子達のうち、たいていの子は授業を1~2度やると「この先生は違う」「面白い!」となって、まるで人が違ったように勉強し始めます。このタイプは、それまで親から点数だけで評価されて鬱憤が溜まっていただけで、正当に評価してあげればやる気を取り戻します。

 

一方、いつまで経ってもキレる生徒は存在します。

そうなると、こちらもとりあえず「地雷を踏まないように」が最優先になります。それって、本人にとって一番損だと思いますけどね。

でも、見過ごせないほどになったらシバキます(言葉で)。

「いつまで大人にご機嫌とってもらえると思ってんの?」と。

 

何かあるとすぐキレる子っていうのは、つまるところ幼児性が抜けていないんです。

問題が解けなくてキレる、そのときに「自分に対して」キレてるなら問題ありません。

その「キレ」が明らかに他人に向かう子っているんですよ。

自分がやるべきことをやってないだけなのに、他人にキレてどうする(苦笑)。

小6にもなって、他人に不貞腐れた顔を見せることが恥ずかしくないのか?

ましてや中高生をや。

ま、恥ずかしくないからキレるんでしょうけどね。

「他人にそういう顔を見せるのは恥ずかしい」という躾をされていないんでしょうね。

 

仏の顔も三度まで。

授業開始して3か月くらいまでは様子見ますけど、その後も感情をコントロールできずキレる子は、本来は受験どころの騒ぎじゃないと思います。躾けなおしをしていただきたいところですね。私ははっきり言っちゃうけど、多分、我慢してる個人講師のみなさん多いんじゃないですかね。ご愁傷様です。

 

でも、躾けなおしを望むのが無理かな。

何か月たってもキレる子っていうのは幼児性が強くて、思い通りにいかないときに人のせいにする子。

そういう子が講師に対してキレても、親が講師に謝れないんだもん、推して知るべし。

そういう親がどういう対処してるかっていうと、「勉強してもらえなくなると困るから」まさに虎の尾を踏まぬように接してますね。いや、逆だろう(苦笑)。

 

勉強より先にアンガーマネジメントを学んだほうがいいと思うので、親御さんにはそう伝えますけど、この手の子の親御さんに限って「成績さえ上がればいい」から聞く耳持ってくれないし。

 

たぶん、そうい親御さんって「金払ってる以上、講師側から切られることはないだろう」とタカをくくってるんでしょうけど、世の中そんな甘くないです。

 

キレる子のご機嫌取って勉強していただいても、加齢とともに唯我独尊が強化されるだけで将来はなかなか厳しいものがあると思っておりますが、いやはや。

幼児性が強い子は基本的に「伸びにくい」ですし、もし仮に「伸びてしまった」としたら、幼児的な攻撃性を宿したまま「学歴という武器」を手に入れてしまうわけです。

くわばらくわばら。

 

 

中学受験はもはや「競技」と化した

昔は良かった、などとノスタルジーに浸るつもりではないです。

実際、中高大どこも昔とは難易度が段違いだし。

 

ただ、今の受験は、なんていうんだろう…

「情報戦」の側面が高くなりすぎてないか?

「効率最優先」になりすぎてないか?

という懸念を強く持ってはいます。

 

昭和~平成初期の受験って「学力を上げれば受かる」という正攻法が通じていた記憶があるんですよね。併願戦略とかもほとんどなかったし。自分も、東大一択で赤本はそれしかやらなかったし、私大滑り止めはノー勉。周りもみんなそんな感じでした。今は10校くらい受けるのが当たり前と聞いて時代は変わったなあと感じています。

 

林修先生の「今の東大は下がすっからかん」には、頷ける部分もあります。

 

中学受験も、併願戦略や過去問研究が最重要。

一部の「どこでも受かるトップ層」を除くと、親が東奔西走して情報を集め戦略を練り、学校説明会に何度も足を運んで「ココだけの話」を収拾しなければならない。

 

これって何かに似てますよね。

そう、スポーツ競技にそっくりです。

一人のアスリートに「コーチ団」がついてライバルのデータを集め、練習メニューを決める。選手本人は、言われた通りトレーニングするだけ

 

それでいいのかなあ。

スポーツ選手は最後までコーチがついててくれますが、勉強は「独り立ちするためにやっているもの」だから、やっぱり違和感があるんですよね。

 

「課金ブースト」「親ターボ」は中学入学後は効きませんからねえ。

中高一貫校で中だるみしちゃう生徒はこのタイプが多いですけど仕方がないですね。

このタイプの子にとっては勉強は他人事であって、練習メニューはコーチまたは親が決めることですからね。

 

中高一貫校の文理選択が早すぎるのも「競技」っぽくて違和感ですね。

もちろん、本人の将来やりたいことがはっきりしている場合や、研究者を目指す場合は構わないと思いますけれど、高2で文理選択させる中高一貫校の多くのその目的は「大学合格実績アップのため」ですよね。

 

MARCH実績を売りにする某K高では、本人が理系を志望してもあの手この手で諭され文系にされていました。文系ならば、MARCHに押し込めるという計算なのでしょう。

でも、たとえMARCHより偏差値は低くとも、理系専門大学たとえば農大や電機大に本人が行きたかったとしたら? おかしいですよね。

 

学問とは、本来「好きだからやる」もの。

中高一貫校の「実績づくり」のために志望を変えさせられるなど本末転倒。

ある学問を「受験のためには不要」と切り捨てることも本末転倒。

理系志望だけど哲学も好き、なんていう人間もたくさんいます。

開成高校が文理分けしてないのはそういうことじゃないのかな。

 

こうした「効率最優先」は、スポーツ競技なら納得できますが、学問とは相いれないものだと思っています。

 

 

そもそも「合格」という言い方がおかしい~「入試」から「選抜」へ

大学入試および公立高校入試の名称が変わって本当に良かった。

私立中学も後に続いてほしいですね。

これはずっと言い続けてきたことなんですけど、「上から順に採るだけの試験」で「合格不合格」という言葉を使うこと自体が不遜だと思っています。

 

たかが言葉をいじっただけじゃないか、と言われるかもしれません。

でも、人がある単語に対して抱くイメージというのは強力です。

 

たとえば、これは多くの方が言われていることですが「いじめ」「虐待」という言葉が事件を軽く見えさせてしまう問題がありますね。

「いじめ」は集団による「恐喝」「暴行」「障害」ですし、

「虐待」は家庭における「暴行」「過失致死」ですよね?

 

「入試」から「選抜」に変わっても、まだ「合格」「不合格」という言葉は使われていますが、こちらも何か適切な単語に変更してもらいたいところです。

 

以前も書きましたが、英検や数検、各種資格試験は「合格」「不合格」でいいです。なぜなら「一定基準を満たしていれば合格」だからです。

でも、入試は「上から順」ですよね?

スポーツの順位争いと同じなんですよ。

たまたま同期にすごいヤツが多かったら表彰台には上がれない、それだけ。

入試で落ちるのは順位が低かったからだけであって、そこにまるで工場の品質検査のような合格不合格と言う言葉を用いるのは、きわめてよろしくないと感じます。

オリンピックで7位だったら「不合格」だと感じますか?感じませんよね。入賞できなかったというだけ。

「不合格」という言葉は、受験生に「落伍者」のようなイメージを持たせてしまいます。第一志望で「不合格」と言われた受験生や親御さんが、たとえ第二志望に受かってもズルズルと引きずってしまうのはそのせいもあるのではないでしょうか。

 

「入試」が「選抜」に変わったことで、多くの受験生が「そうか、上から順の、単なる競争なんだよな」と感じられれば、そこに救いがある気がします。実際、「合格点」というのも変な話で、その年の難易度や受験者層で大幅に上下するわけですからね。

 

「合格」に代わる言葉として「(選抜)通過」はどうですかね?

「不合格」は単語としては難しいですが「通過できませんでした」とか?

理想論で言えば、ボーダーライン上の合否は単なる運でしかありませんから、点数と順位開示が一番フェアでしょうね。

その志望校、「本人の」志望校ですか?

本気のチカラってものすごいです。

一番わかりやすい例は恋愛ですね。

誰かを本気で好きになったら、普段の自分では考えられないほどの努力や行動力が生まれてくるのは、誰しも経験があると思います。

 

私は、年度によって上下動はありますが、6~7割は塾や予備校なしの生徒です。

塾や予備校ナシの受験は、一般に思われているより成功率が高いです。

これまで、塾予備校なし&受験勉強期間1年でバクノビして難関校に受かった生徒たちの共通点は、みんな「志望校熱望」だったことです。

 

ここで、勘違いなきように。

 

中学受験のみならず、高校受験や大学受験でも、個人コーチ開始の顔合わせ時に志望校を尋ねると、たいていお母さんが先に答えてしまいますが、この場合「本人熱望」とは言えません(苦笑)。

 

人間、本気で惚れたら周りがなんと言おうと動くんです。

 

親が誘導したり、あるいは半ば強制して子供に「忖度させて」の「志望校」は、実は子供にとっては志望校でもなんでもありません。

生殺与奪を親に握られている未成年にとっては、親に話合わせておいたほうが楽だから話を合わせているだけです。そうやってやり過ごしておけば、受験には「時間切れ」がありますからね。

志望校を親が勝手に決めちゃって、子供がそこに対して本気にならないからといってイライラするのって、まるで「親が決めた見合いの相手を本気で好きになれ」と言ってるのと一緒でナンセンス。

 

逆に、本人がその学校にほれ込んでいるなら、塾や予備校なしでも十分戦えます。

むしろ、自学の方が有利な面も多いです。

・自分に必要な勉強だけをできる

・塾のクラス分けというノイズがない

・最適なテキストを選べる

などなど。

親御さんが不安になって塾や予備校に入れるのは「そうでもしないとウチの子は勉強しないから」だと思いますが、そのせいで自学時間がとれなかったら本末転倒ですし、そもそも「強制しないと勉強しない子」ってそこまでだと思うんですよね。

 

いつ本気になるか、は個人差あります。

でも、ほとんどの人間は、少なくとも18歳までにはどこかで本気出すタイミングが来ますから、待ってあげてもいいんじゃないですかね。

 

本気になってる子は、すごいですよ。

中学受験は小4からやらないと無理、が通説ですが、そんなことはありません。

 

「最後の1年間」だけで、受験算数の基礎(それこそ「速さとは」から)から始めて、6月くらいまでに基礎終了、そのあとガンガン追い上げていきます。

 

もちろん途中で壁もありますが、「なにがなんでも〇〇に行きたい」と思ってる子は、乗り越えちゃいます。「人に持たされた目標」だとこうはいきません。

 

いまの受験界隈では特殊例でしょうけれども、もし小5終わり間際になって突然子供が目覚めた場合は、腹をくくって塾ナシ個人コーチのみで挑むほうが良い結果になると個人的には感じています。

 

子供が本気の場合は、小6途中で塾辞めるのも全然あり。

 

過去、何度もそういう子は第一志望に受かってきています。

 

塾や予備校は「本気の子」「自分に何が足りないかわかってる子」にとっては、こう言ったらなんですが「無駄な時間」が多いのです。何度も例に出して申し訳ないですけど、サピックスは結局筑駒・開成がゴール。桜蔭志望ですら、必要ない問題やらされたりします。行き帰りの時間やクラス分けのストレス、などなど考えたら「本気なら」自学でいけます。

 

サピックス:プリント整理が親の仕事???

サピックスのテキストの管理、親御さんが全部やっているお家が多いですね。

でもそれ、おかしくないですか? 小学校高学年ですよ?

それくらい自分でやれなくてどうするんだろう。

 

今回は「テキストは子供に整理させたほうが学力にプラス」というお話です。

 

 

 

1)テキスト管理を親がするサピックスの違和感

 

サピで中下位の子を教えていると、共通の違和感があります。

それは「子供は座ってるだけ」という点。

すべてのお膳立てを(主に)母親がし、口を出し、子供は出された問題解くだけ。

トップアスリートに大人が何人もついてお世話してるのにそっくり。

 

サピックスが分冊タイプにした当時は、御三家オンリーの塾だったからそれでも良かったのかもしれません。御三家に行く実力のある子たちなら、プリント整理くらい自分でできたでしょうから。実際、担当の生徒のうち上位に行くにしたがってこれらを親任せにはしていません。

 

サピが拡大路線に転じ、中下位の学力の小学生たちを取り込み始めたときに、このやり方は変えるべきだったと思う。

 

その結果、中学受験はもはやオリンピック競技がごとくになってしまった。何度も書いてますが、オリンピックや芸術のトップ層でコーチが何人も着き、選手は言われたメニューをこなすだけ、なのはいいんです。それは「技そのもの」を競っている&「メダルを取ることがゴール」だから。

 

でも、「〇〇中学合格」って金メダルでもなんでもないですよ?きれいごとでもなんでもなく「入ってから」の方が100倍重要。乳母日傘&二人羽織で合格することの意味とは。この話は長くなるので別記事にします。

 

話を戻して。

プリント整理が親の仕事になっていることの弊害は以下の通り。

 

2)プリント整理もできない生徒は、内容を覚えていられない

こちらの記事にも書きましたが、上位の子になればなるほどプリント整理を親任せにしていません。 

mikoto2020.hatenablog.com

 

さすがに小学生ですから整理ボックス作りなどは親御さんが段取りしてあげているようですが、そのあとは自分でテキストを整理しています。だいたい授業で「消化」してきちゃうので後からテキスト引っ張り出すこともそう多くはないのですが、必要なときには自分で探せます。

 

テキスト整理を自分でしようともしない生徒は、整理能力がないか、あっぷあっぷでそこまで手が回らないかのどちらかですが、いずれにしてもそういう状態だと「見かけ上は一応こなしているけど、先週やったことも忘れてしまっている」ことが多い。

 

3)「段取り」をする力が身につかない

そもそも勉強は何のためにするのでしょうか。

勉強そのものが面白く、将来は研究者になりたいというケースでなければ、「社会で生きていく力」を身につけるためではないのでしょうか。

生きていくうえで「段取りする力」は必須です。

仕事のできる人=段取りがうまい人、と言っても支障はないでしょう。

親がプリントを管理し学習計画を立てる、というのをやりすぎると子供は「出されたものを食べるだけ」になりモノを考えなくなりますが、本末転倒ではないでしょうか。

 

4)俯瞰できない

過去記事にも書いたように、サピックスは「自分が必要な総量のうちどこまで進んでいるか」「今やっていることは全体のどの位置づけなのか」がわかりにくいシステムです。その目的は「目先のことだけに集中させるため」だと理解しています。

 

テキストの7~8割は授業で理解してこられる子だと、そのように断片的に教えられても、自分の中で「それらが繋がる」タイミングがあります。

 

一方、テキストの半分以上理解してこられない子は、「土台が断片的なまま」進んでいくことになります。自分に何が足りないのか、山の何合目を登っているのかもわからないまま山を登り続けていくのはしんどいことですし、なかなか達成感が得られないのではないでしょうか。

 

5)子供が「勉強してやってる」につながりがち

すべて親がお膳立てしているお宅に伺うと、子供が

・不機嫌さを露わにし、親に機嫌を取らせている

・「(テキストが)ない!」「水!」「ノート!」と、親に小間使いのごとく命令する

・親に「何やればいいの?」と(不貞腐れながら)尋ねる

などなど、信じられない光景を見ることが多いです。

自分がやりたいと言って始めたことなのに、なぜ「やってやってる」という態度になるのか、私にはまったく理解できません。

 

こういう子は、自分が受験をやめたら親が困るとわかっているので、まさにやりたい放題です。講師という他人がいても親にキレまくったり、不貞腐れた態度を取ったりしますが恥ずかしくないのかな。まあ、親が足元見られてるんですよね。だからますますご機嫌取るようになっちゃう。

 

こんな甘ったれた子供のご機嫌を取って「お勉強していただかなきゃ」ならない親の弱みは何に起因するんでしょうね。見栄?不安?

 

根本的に何か間違っている気がしてなりません。

 

蛇足ながら、サピのサポートとしての個別や家庭教師が「ご機嫌取り」をしてしまって子供の「勘違い」を増長させるケースも多々あります。再々言ってますが「仕事に困ってない講師を選べ」というのはこれが理由です。私はこういう子には「ご機嫌取りは私の仕事じゃないんで」とはっきり言っています。すると、途端に真剣になりますよ。要は、ご機嫌取りする親は子供から舐めきられているという事実。これを認めたほうがいいと思います。

 

6)親の不安が煽られがち

 あくまでも皮膚感覚的なものですが、サピックスが台頭してくるまで、中学受験ってもう少し「やる者はやる、やらない者はやらない」世界だった記憶があります。'80年代に家庭教師までつけるお宅は富裕層で教育熱心ではありましたが「細かい勉強の中身」には口出ししていませんでした。

 

昔の親御さんは、細かい内容は塾&家庭教師にお任せで、「大枠」つまり勉強に対する姿勢や、日々の生活の態度など、そういう点を厳しく躾けられていました。

 

それが、今や「親も塾のテキストに目を通し、あらかじめ解いておくこと」がアタリマエになってきています。当の子供は寝っ転がってスマホいじったりしてる横で、親だけが躍起になってテキストとにらめっこ。

 

これ、おかしくないですか(苦笑)。

サピは親にテキスト整理をさせますし、学習計画も立てさせるようですから、自然と親が中学受験勉強に「詳しくなっちゃう」んですよね。

 

これ、すごくまずいと思います。

 

超難関校はともかく、ぶっちゃけ上位校中堅校の入試問題なら、たいていの親は解けてしまうでしょう。すると、「こんな問題もわからないなんて」となるわけです。あるいは、その程度なら自分にもまだ解けますから、親が楽しくなっちゃうんです。そりゃあ、20歳下との競争なら勝てますよ(苦笑)。そんなに競争したいなら、自分が大人として資格試験や大学入試に再挑戦すればいいのにね。「勝てるゲーム」は楽しいよね、そりゃあ。

 

結果、どこもかしこも「二人羽織」の親子だらけになってしまう。

長い目で見ると、本当はそこで手を出さず成長を待つのが良いのですが、「よその子が二人羽織」なのを見ると「ウチの子だけ損させてたまるもんか」となっちゃうみたいですね。

個人の見解ですが、12歳になってまで乳母日傘&二人羽織がアタリマエで、親にあれこれ「命令」して自分は出された問題解くだけで「なんとか」志望校に滑り込んだ子が、自律&自立できるとは思えませんね。

 

7)テキスト整理は本人にさせるべし

 

学校の時間割を、まだ親がそろえてますか?

してませんよね?

だったら塾のテキストも同じですよ。

やる子はやってます。

嫌らしい言い方になりますが、テキストが分冊になってない塾、たとえば四谷大塚日能研の子たちは、当然のように自分でそろえてますよ?たしかに、四谷大塚日能研でも、幼い子は親に向かって「ねえ、あれ(テキスト)は?」とかふざけた口をきいてますが、親御さんが「自分で探しなさい!」で終わりです(笑)。

 

1)~5)に書いた弊害を防ぐだけでなく、テキストを自分で整理・管理することはプラスが大きいんですよ。

棚づくり、ボックスづくりという大枠だけ作って一度本人に整理させてみてください。

家の大掃除や断捨離を想像すれば、その効果をわかっていただけると思います。

人間は「捨てる」となると「一応中身を見ます」。

子供が「自分で」それをする間に、これまで学んできたことが俯瞰出来たり、再定着したり、はたまた「そういやこれ苦手だったよな」と自分の問題点を再認識したりするんです。

その程度の時間も余裕もないのだとしたら、今目指しているところがキャパオーバーということです。

 

「テキスト整理は子供自身にさせてください」と言って受け入れる中下位の親御さんはほとんどいらっしゃいませんが(苦笑)、やってみたご家庭では、成績・生活態度ともに、軒並み良い結果が出ていますよ。