とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

子供の「やる気」の持たせ方

昨今、「やる気」はポジティブな動機でなければいけない、という呪縛がある気がします。実際、我々家庭教師もセンターから「このままだと志望校厳しいよ」という言葉は禁句とされています。

私も、長年「褒めて伸ばす」「夢を語る」で生徒を引っ張ってきました。

でも、最近「それでいいのか?」と思い始めています。

なぜかというと「夢に憧れない生徒」が増えてきたからです。


逆のモチベーションとして「ああはなりたくない」って、人間として当たり前の動機付けだと思うんですけど、なんで子供にはそれを禁じ手にしなきゃいけないんですかね?
というわけで、考えてみました。

 

1)やる子はとっくにやっている

 

きづきあきらさんの漫画「ヨイコノミライ」に「本気出す奴はとっくに本気出してる年だ」という名セリフがあります。
私ね、これだと思うんですよ。
大人は、勉強を強制する悪役になりたくないのか、「勉強したら~~な良い未来があるよ!」と言いますよね。
うん、そう思ってる子は、とっくに自分からやってます。
自分に「どうしても欲しいもの」がある子は、小学生だろうととっくに本気出してる。
それがないってことは、「本気でほしいもの」がないってこと。
つまり、「今」ほしいものがない子にどれだけ理想論で「勉強するとほしいものが手に入るよ」と言ったところで無駄ってことです。

2)恵まれすぎて「ほしいもの」がない

考えてみたら、塾に通える子や家庭教師を頼める家庭のお子さんは、相当に裕福なはず。その裕福さは、先祖代々世襲のものの場合もあるでしょうが、ほとんどは「両親が頑張ったから」なんじゃないかな。


でも、子供にしてみればそれは「当たり前にあるもの」であって「自分がいま勉強しなければなくなるもの」だとは思えないはず。彼らは、自分が勉強しなくても今の生活水準が保たれると思ってる。それでも「向上心」や「闘争心」が強い子はみずから勉強するでしょうけど、それは一握りなんじゃないかな。
つまり、恵まれている子には「ほしいもの」がないってことです。

いま自分が頑張らなきゃ目の前のものがなくなる」ってことがわかってないってことです。


3)勉強するのは夢のため、は正しいか?

1)の「やる子はとっくにやっている」とかぶりますが。。。
情熱がある子は、年齢にかかわらずとっくにやってます
特に夢もない、いまの生活が続けばいい、スマホいじる時間があればいい、くらいの子にいくら夢を説いたところで無駄なんじゃないかって気がしてきました、最近。だって、夢って「人に持たされるもの」じゃないですよね???


いや、もちろん、私は自分の生徒にはポジティブなことを語りますよ。
私は精一杯頑張って東大行って、行ってよかったって本当に思うし、そのおかげで好きなことができている。
その話を聞いて憧れて、それを「夢」にしてくれた教え子もたくさんいます。

できることなら、その教育方針でずっとやっていきたかった。


でも、そういう子ばかりじゃない、ってことが最近わかってきました。
「別にそこまで望んでない」っていうタイプです。
こういう子には、「夢を持て、その夢のために頑張れ」っていうのは効かないですね、はっきり言って。

私自身は、好奇心と向上心で勉強してきましたから、できれば子供たちにもそうであってほしいけれど。
そういうことがまったくモチベーションにならない子、言い換えれば「好奇心や向上心がない子」が一定数いる、ということから、親や教育者は目を背けてはいけないと思っています。


4)「ああなっちゃダメだよ」の何が悪い?

「道徳的」なお話で嫌というほど見ました。
たとえばホームレスを指さして「ああなりたくないでしょ?」という親を断罪する、お話。まあ、ホームレスの方というのは、努力しなかったからそうなったというのは別の要因が大きい気がしますので、たしかに例としては適切ではないかもしれませんけど。
でも、みなさんだって、実は「ああはなりたくない」という人、身近にたくさんいるんじゃないですか?


私の「ああはなりたくない」は、金持ってるとか職業とか関係ないです。
自分が若い時に努力しなかったことを棚に上げて、今自分がこうなのは「社会のせい」「政治のせい」「上司のせい」「夫or妻のせい」って言い続けてる人たちです。
そういう人にはなりたくない。
だったら、いまできることをやるしかない。
「醜い大人」になっちゃダメだよ、の何が悪いのかわからない

なぜかというと。
繰り返しますが、「ポジティブな夢」があって、それに向かってる子はとっくにやってるんです。
それがない子には、「ああなりたいの?」が一番効くと思うんですけどね。
だって、生き物ってそうじゃないですか。
生き物は、「死なないように」選択するわけじゃないですか。
リスクを子供に提示することを禁じ手にする理由がわからない。

5)「反ネガティブ」というモチベーションは悪なのか?

いま、教育業界は、「リスク」を教えることを禁じられています。
家庭教師も「このままだと志望校危ないよ」と言ってはいけない、と明記されています契約書に
学校でも、一昔前は不良を「悪い見本」としていましたが、「『腐ったミカン』は差別だ!」という声に、いまや犯罪行為をする生徒を「不良」と言うことすらできないらしいですね。

 

でもね。
2)でも書きましたけど。
年間100万近く払って塾に行かせて、さらに家庭教師頼んで。
その「すごさ」がわからない子って、親がずっと生きてると思ってるんですよ。
自分が本気出さなくても今の生活が続くと思ってるんですよ。
代々の素封家でもない限り、「自分が」頑張らなければ今の家も相続時には売らなきゃ行けなくなる、一日1000~2000円で生きていかなきゃいけなくなる、ってことがわかってない。

10代で「〇〇になりたい」「〇〇がどうしても欲しい」がない子には、「いまのままじゃ、親が死んだら路頭に迷う」っていうことに気づかせるしかない気がする。なんでそれに目をつむって、世の中キレイゴトばかり言ってるの???

 

親御さんも、はっきり言ったらいいんじゃないかなあ。

「私たちは先に死ぬ、お前は今頑張らない限り相続税払った後はネットカフェで暮らすことになる」って。

 

6)「いい生活がしたい」の何が悪い?

職業に貴賤はないだとかなんだとか、そういうキレイゴトが横行するから、子供が「公務員になりたい」「金持ちになりたい」というと、大人はすぐ「嘆かわしい」とか言い出す。
でも、その大人たちは、本心では少しでもいい生活がしたいと思っているでしょ?
なんで子供がそう思うと嘆くんですかね?
そういう「現実」をモチベーションにしてはいけない、子供は「夢」を持たなければいけない、というほうがむしろ呪縛なんじゃないですかね?
キレイゴト言う親より、子供自身のほうが、よほど自分の限界をわかっていると思います。
自分は羽生くんにはなれない。
自分は山中教授にはなれない。
それは「後ろ向き」な考えではない。
なら、その中で「それなりにいい生活がしたい」と願って何が悪いんだろう。
いたずらに、手に入らない夢を追いかけさせ、20歳前後で挫折させるほうがよほどメンタルに悪影響だと思います。