とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

私立中は「解禁」せよ:中学受験を無駄にしないために

 

1)中受問題のはらむ「気持ち悪さ」

 

最近の中学受験の入試問題には明らかに中学・高校の範囲が出ています。

国語は、もはや漢字さえ小学校の範囲を逸脱していなければいいとばかりに、大学受験生が読むような文章が出るのは当たり前。

理科は、注釈付きながら「硫酸銅五水和物」「浸透圧」などが出るのは当たり前。

社会は、すみません専門外なので省略(汗)。

そして、算数。

明らかに方程式で解いた方が楽でスマートな問題を、無理やりアクロバティックに代数を使わず解く問題ばかり。

中学受験生を指導しながら「はたしてこれでいいのか?」と疑問に思い始めています。

一種の気持ち悪さ。

高校現代文・高校化学・高校物理・高校数学レベルを出しておきながら「いえいえ、小学生でも解けるはず、なぜなら(一応)文科省の学習指導要領は逸脱していませんよ」というアリバイ作りを見ているような気がする。

私は、いま、切に願っています。

どこかの私立中学が「私立なんですから、何を出そうと自由。うちは『方程式』『ルート』『高校化学・物理』を出しますよ」と、腹をくくって出題してほしい、と。

 

2)本来、先取りは自由(本人が自主的にやる限りにおいて)

学習指導要綱というのは、「〇年までにはここまで理解しましょう」という下限です。だから、本人が興味の赴くままにどれだけ先取りしようと自由なはず。

小学生で相対性理論を理解する子もいるでしょうし、(テクニックではなく本質的な意味で)微分積分を理解できる子もいるでしょう。

ですが、公教育では、その手法を使うことが許されません。

「習っていない漢字」は使ってはいけない。

「習っていない方法」で解いてはいけない。

「原子・分子」は、知っていても知らないことにする。

枚挙にいとまがありませんが、公教育はそういうものです。

どうも、公立小学校の先生は、「教えていない方法を生徒が使ったら、それは塾で習ったに違いない」という思い込みがあるようで、そこは腹立たしいですね(苦笑)。

たとえば、これは家庭科なのですが、ボタン付けのときに糸が余ってしまったので「あ、これを巻き付けたら丈夫になるかも」と、くるくると巻き付け、要は「ボタンの足」を自分で思いついてやったら「これ、誰に習ったの!?(怒)」と叱られたことがあります。理不尽極まりない(苦笑)。

その子が自分で思いつくことなんていくらだってあります。それを「どこかで習った」と決めつけることもおかしいですし、よしんば習ったとしても、習って何が悪いんですかね? 学校で「自分が習いたいレベル」を教えてくれないならよそで習うしかないと思うんですが。

私は、基本的には、自分の子ができないのをなんでもかんでも小学校のせいにする昨今の風潮は大嫌いですが、一方で、公教育が「浮きこぼれ」を認めない、出た杭の足をひっぱる点は好きではないですね。

話が逸れました。

言いたいのは、「公教育で『わかっていてもわからないふりをする』ことを強要されていた子たちの受け皿が私立ではないのか?」ということです。

 

3)(ほとんどの)私立中は「塾ありき」の入試問題を出すのに、なぜ文科省に遠慮する?

毎年、教師陣が全力でオリジナル問題を作っている学校は、残念ながら少ないように感じます。

あくまで個人的な感想ですが、難関校ほど、塾で「やり方」を教わっていなくても賢い子なら自力で解けるような問題を出しているように感じます。

もちろん、中堅校にもそういう気概を感じる学校はあります。

でも、おしなべて見てみると、多くの中学校では「塾でやり方を習っていれば解ける問題」を出しています。

つまり、多くの私立中は「塾ナシで自学では無理だよね、この問題」とわかりながら出題しているわけです。

それなのに、一応は指導要綱を逸脱しないという変な不文律があるようで、そのせいで、とりわけ中受算数は変なことになっている気がします。これは長くなりますので別項で書きます。

 

4)「中受算数」は特殊すぎる

中受算数は、たしかに「面白い」です。

これは、「代数を知っている大人だから」面白く感じるのです。

代数を使えばたちどころに解ける問題を、代数を禁じ手にして解くから面白く感じるのです。食塩水・平均算・過不足算・年齢算・ニュートン算・etc. どれも、代数使っていいんだったら速攻で解けます。

もちろん、これの良い面もあります。

中受を経験していない中学生は、なんでもxyで解こうとします。面積図で瞬殺できる問題もすぐ立式しますし、それは問題が「見えていない」ことだとは感じます。ですから、私は中学生にも高校生にも、グラフや面積図・線分図で「見える化」をやらせます。

ただ、これって「適材適所」の問題だと思うのです。

中受算数を「大人が」面白いと感じるのは、ゲームで言えば「しばりプレイ」だからなんですよ。

方程式使えば瞬殺の問題を、あえて面積図や線分図、あるいは天秤で解くという面白さ。それは、解き方をいろいろ考える、思考停止しない、という思考実験としてはたしかに面白いです。

でもね、ここに素敵なツール(代数)があるのにそれを教えず、あえてアクロバティックな方法で解かせることしかしないのは、どうなのかと思うわけです。

両方教えて、「ああ、食塩水の簡単な問題はxy使うより天秤のほうがいいね」と本人が判断すればいい。

たしかに、なんでもxyで解く子は、イメージがつかめていないことは多いです。だから食塩水の濃度が150パーセントになっても平気(苦笑)。だから中受算数は素晴らしいと思っていた時期が、私にもありました。

でも、xy使わないで面積図で解く子が「イメージをつかめている」わけではないと最近気づきました。面積図を使って解いていれば、5パーセントと10パーセントの食塩水を混ぜて20パーセントになるはずがないのはわかるはず。でも、多くの小学生が、そういう間違いをして平気です。

つまり、「どのツールを使うか」は、「イメージ化」にそれほど影響ないのだとわかって、ちょっとショックを受けているところです(苦笑)。

またまた話が逸れました。

つまり、中受算数というのは、ドラゴンクエストで言えば「ロトの剣」を使えば瞬殺できるものを、ロトの剣の存在を教えないで「ひのきの棒」で戦わせるゲーム、と言える部分があるのではないでしょうか。

「ひのきの棒」しか使わせないことで、本人に新しい発見があるのなら、それもまたよしなのですが。結局は「ひのきの棒での戦い方」を塾で習ってそのまま使っているだけ。そこには、あえてxy(すなわちロトの剣)を封印する効果はありません。

 

繰り返します。どの問題も、最適ツールがあります。

たしかに、面積図やダイヤグラムで瞬殺できる問題にxyで立式するのは、ハエをたたくのにバズーカ砲を持ち出すようなものでしょう。

でも、明らかに連立方程式の範疇である「倍数変化算」や「ニュートン算」を、代数ナシで解かせるのは、これはもはや「しばりプレイ」です。

小学校4~6年というのは、非常に伸びる時期です。

この時期に、もし中受をしなければ、自由に「数学」を学べるわけです。

中受「算数」の面白さも十分わかったうえで、それでも私は「これがこの年齢で解ける子に、小学校4~6年の間『中受のためだけの特殊算』をやらせる」ことは、才能の無駄遣いじゃないかと思っています。

 

5)「特殊算」をやらせない私立中学が出てきてほしい

上述しましたが、もはや「算数」以外は中学高校の内容が出題されています。

なぜ、算数だけ変なシバリがあるんですか?

「中受算数」が無意味だとは申しません。

上述したように、「見える化」するという能力は鍛えられますから。

でも、バランスの問題なのです。

中学入学後、高校数学ではほとんど使わない「中受算数」に、現実的には中学受験生の時間のほとんどが費やされている。その時間、もっと別のことにつかえますよね?「数学」の世界に入ってもいい。読解力を伸ばすのに使ってもいい。その時間があれば、理科の実験にも使えるでしょう。科目問わず、もっとたくさんの本を読む時間に使えます。

ほとんどの私立中学が、中学入学後は当たり前のように先取りで「数学」を教えます。xyを使うようになったら、ほとんどの生徒が線分図や面積図のことなど思い出しもしません(苦笑)。

中学入試のため「だけ」に、小学校4~6年の貴重な時間の多くを特殊な「中受算数」に費やさせていいのでしょうか?

中受のない私立小学校の生徒には、この「特殊算しばり」がないために、本人の学力次第ではありますが、非常にスムーズに小学校時代から代数を教えられています。本来、(どの教科もそうですが)年齢のシバリなどありません。理解できればどんどん先に行っていいはずです。そのための私立中学なはずなのに、なぜかわが国では中学側が勝手に忖度してなのか、「先に行ける子」に遠回りをさせている気がしてなりません。

「私立」なのですから「うちは全部xyで解いてOK、ただし数学的に正しく証明してね」というような、いわば「飛び級」のような判断をする私立中学が出てきてほしい、切に願っています。

 

6)中受が「ブレーキ」になってはいないか?

最近の中受問題を見ていると、

・国語はやりすぎ

・算数と理科は、変な回り道をさせている

と感じます(社会は専門外なので割愛)。

小学生で「原子・分子」をわかっている子もいるでしょう。

代数を理解できる子もいるでしょう。

振り子の「2乗に比例」なんて、もはや中学数学ですよ(笑)。

でも、中学受験と言う大きな壁があるために、

中学受験をする子は

「中高で習うことを先取りするチャンスを奪われ」

「あえて難しいやり方で解けるようになるために時間を費やす」

ことになっている気がしています。

これはもはや、中受がブレーキになっている状況です。

たしかに、中受をクリアできる子たちは、その能力をもって中学数学・理科や高校数学・理科を難なくこなしていけるでしょう。

でも、もし中受算数と言う「特殊な壁」がなければ、もっと先に行けていたかもしれません。中受の問題が特殊なせいで、その子たちの時間が浪費されているのではないかという危惧を持っています。

 

7)「中受算数」は大学受験には関係ない

 

まったく、というと語弊があるかな、ほとんど関係がないです。

活かせる場面があるとすれば、「比で解くクセ」「図で解くクセ」ですが、これは高校からでも十分伸ばせます。というか、前述しましたが、中受をしているからといって非中学受験者より図を描くクセがあるということはありません。

「俯瞰化」「見える化」は、中受をしたしないに関係なく、中高での学び方や本人の資質次第です。

中受をしていていも設問がイメージ化できない子はいくらでもいますし、逆に公立中→公立高で作図でバンバン解く子もいくらでもいます。

「東大合格者は私立中出身のほうが多い!」という意見も聞きますが、それは、できる子が公立中ではなく私立中を選択するようになった「結果」であって、私立中に行ったから東大行けたってことじゃないと思いますね。

 

8)私立中は「解禁」してほしい

すでに、国語では大学入試レベルの問題を出しているわけです。

これは、漢字はさておき、「読解力」に関しては「どのレベルを要求しているかが明文化しにくい」ためですね。ですから、国語の入試問題は年々どの学校も難化しています。

また、理科も「但し書き付き」ではありますが、内容は完全に高校化学・物理問題を出しています。

なぜ「算数」だけが、変な不文律を守っているのか?

良くも悪くも、東京に限っては「できる子」の多くは私立を目指します。

それは、公立中では「足踏み」をさせられるからです。

では、その受け皿となる私立中は?

「足踏みをさせない」存在であるべきではないのでしょうか?

小学生で二次方程式が理解できる子を受け入れるべきではないのでしょうか?

ルートや二次関数が理解できる子に、なぜ特殊算をやらせるのでしょうか?

ロトの剣が使える子にそれを封印させてシバリプレイをさせるのが、私立のやるべきことなんでしょうか?

その間に、時間はどんどん浪費されていきます。

国語や理科で、明らかに中学高校レベルの問題を出しているのです。

「算数」ではなく「数学」を出す、気概のある私立中学が出てきてほしいと、心から願います。