最初に断っておきますが、これはあくまで経験談です。家庭教師が同時に担当できる上限は、15人前後じゃないでしょうか。一人が週に複数コマ取ると、さらに減る。そのため、私は現在11人。それ×年数がのべ人数になりますが、私の場合「小学校から大学受験まで」のようなケースも多いので、担当生徒の入れ替わりはもう少し少ないです。
成績も千差万別。偏差値28の子から、「家庭教師要らないのでは?」というトップオブザトップの子まで、さまざま会って、一緒に走ってきました。その経験の中で、生徒の伸びと親御さんのタイプにある程度相関関係があると感じたのでつらつらと書いてみようと思います。
タイトルはすぱっと短く書きましたけど、「伸ばす親」の行動がすべてにおいて素晴らしいわけでもないし、「つぶす親」がハタと気づいて「伸ばす親」になったケースも多々あります。ですから、あくまで「行動それぞれについての考察」とお考え下さい。
また、生徒の元の偏差値の高低とも関係ないです。
「伸ばす親」と私のタッグで偏差値30台→超難関大学、などのケースもたくさんありますし、一方で「つぶす親」がアドバイスを聞き入れず我が子を追い詰め、結果としてトップ校の子を文字通りつぶしてしまったケースもあります。
1)「子供の成功=自分の成功」になっていないか
「伸ばす親」は、「結局、子供は自分ではない」とわかっている
子離れができている、とも言えるでしょう。ですから、一見冷たく見えるかもしれません。もちろんそういうことではない。子供を愛することと、同一視して何も見えなくなってしまうこととは同じではないのではないでしょうか。共感しすぎて同じ目線に立ってしまっては「導く」ことなど難しいと思います。子供の受験に「夢中になりすぎない」タイプの親御さんのお子さんは、伸びが大きかったです。
「つぶす親」は、子供と一心同体
「わが事」と思ってしまうゆえの弊害は多すぎるくらい多いです。
・テストの結果で一喜一憂する
・「なんでこれができない?」と腹が立ち子供を追い詰める
・「相手は未熟な子供/青年」ということを忘れてしまう
・子供に合うか合わないかではなく「自分の希望で」志望校を選んでしまう
ざっと考えてこれくらいかな?
2)親塾に向く人、向かない人
親塾に向かない人
「子供を別人格だと思えない人」「子供への『共感』が高すぎる人」は、親塾には向いてないです。教える、って忍耐の連続です。手を変え品を変え何度教えても定着しなかったり。そもそもメモすらしてなかったり。小学生の場合は、やる気があるのかすら疑わしいケースもありますし、考えの甘さも目につきます。だから「他人」がやるのです。我々講師も、正直言えば、あまりに勉強への態度がひどいと内心イラっとすることはありますよ(笑)。「できない」ことにはまったく腹が立ちませんが「やらない」ことにはさすがに「むむむ」と感じます。それでも、大前提として生徒は「他人」ですから、そこは冷静に対処できるわけです。個別や家庭教師はたしかに高いですが、カッとなって親子共倒れになることを考えたら、その肩代わりとしては妥当な金額(むしろ安い)んじゃないかな。
親塾に向いている人
割合はかなり低いですが、成功したケースもあります。
・併願パターンを考え抜いている(親の見栄なし、子供最優先)
・結果で一喜一憂しない
・「できない」こと自体は叱らない
・教えるときは、親であることを忘れて他人として接する
これができていた親御さんの親塾は成功していました。今振り返ると、一番目の「志望校選択と併願パターン熟慮」が一番大きい。「子供の成功=自分の成功」と考える親は、ついつい併願も「特攻」になってしまいがちです。中高生なら、受験スケジュールに少々無理があっても吸収できる体力と精神力が育っていますが、小学生には無理。自分と子供を切り離して考えられる場合は、親塾もうまくいくと思います。
併願パターンについては、長くなるのでまた別記事で書きます。
3)「結果」を叱るかどうか
「伸ばす親」は、結果では叱らない
伸ばす親は、「それまでの経緯」をちゃんと見ています。原因が怠慢なら、釘を刺します。でも、頑張っていたのに結果が芳しくなかったのなら、冷静な分析こそが役に立ちます。「伸ばす親」は、バツばかり見ません。マルの中に子供の成長を見つけ、認めます。それで子供は自分の成長を信じられるのです。
また、伸ばす親は、解答だけではなく「問題用紙に残った格闘の跡」をちゃんと見ます。計算の跡、長文の線引き、メモ、などなど。
ドラゴン桜にもありましたけど、「経緯を認めてくれる」のは(私ども個人コーチ以外には)親しかいないんですよ!志望校も、社会も、結果しか見ません。親がそこを見てあげなくてどうするんですか、って感じです。
「つぶす親」は、結果で叱る
「つぶす親」の多くは、偏差値しか見ません(苦笑)。何を間違えたか、なぜ間違えたかなんて全く見ない。極端なことを言うと、偏差値は「下がらなければ努力している証拠」です。だって、周りもみんな頑張ってるんだから。つぶす親は偏差値、せいぜい点数しか見ていません。我が子の「成長」がたくさんあるというのに。はっきり言わせていただくと「ブラック企業の上司」です。
模試や月例週例テストは「本番」ではありません。「チェックシート」なんです。そこで穴を見つけ、次回に繋げるための。
家族間ですら結果がすべてだというのなら、子供の方こそ親御さんに言いたいことあると思うんですよね。「ママの料理はまずい、〇〇ちゃんのお母さんは美味しかった」「パパはなんでいつまで経っても部長になれないの?」「なんでうちにはお金がないの」とかね。子供を結果「だけ」で叱るのってそういうことだと思いますけども。
4)「説教」の長さ
「伸ばす親」は話が短い
子供は、1分以上の(一方的な)説教は聞いてないと思った方がいいです。対話なら1時間でもどうぞ。
伸びる子の親御さんの子供との会話の特徴は
・一度に指示はひとつ(それ以外は堪える)
・一方的な説教はしない
・指示/アドバイスが短い
・ついでに言うと、我々家庭教師を長々引き止めて愚痴を言わない(笑
というところです。
「つぶす親」は説教が長い
一つ注意して、子供が飲み込む前に「そういえば…」と次から次に説教する親御さん。残念ながら、相手は聞いていません。それは、ご自分の気が済んでいるだけです。自分がスッキリするために、逆効果だとは知らずに数十分~一時間超も「子供の時間を奪う」のって本末転倒じゃないですか?
「時間を奪う」で言うと、授業後の面談もそうです(苦笑)。時間の長い短いではありません。生徒のために必要だと感じたら、たとえ一時間でもノーギャラでご相談には乗ります。これまた別記事で書くつもりですが、「つぶす親」の授業後面談の特徴は以下の通りです。
・「相談」の形をとった、単なる愚痴
・それゆえに、こちらからアドバイスしても、絶対に聞きいれない
・つまり、「自分の希望を子供が実現すること」しか許せない
・あれもこれも同時に解決しようとする
・現時点では無理なことを望む
私は「生徒ファースト」ですから、自分がこれらの愚痴を聞くことで少しでも生徒への攻撃がおさまるならと思い、時間の許す限りお相手しますが、できれば授業後面談は建設的な話し合いにしたいところですね。
5)「〇〇に入れなかったら終わり」と考えるかどうか
「伸ばす親」は「受験は通過点」と考えている
伸ばす親は、「子供が望んでいるなら」そこに入れてあげたいと考えますが、一方で次の手を打ってます。「倍率」を考えると、逆にそう考えないのが不思議なくらいです。
中学受験の場合、人気校なら3~10倍が当たり前。10人に一人しか受からない試験で「受からなかったら終わり」と考えることがいかに間違っているかわかろうというもの。高校受験&大学受験は国公立か私立かでまったく違いますが、「実質足切り」のある都立高校受験や国立大学受験では2倍弱~3倍、私立は中受と同様だったかと思います。「10人で走って一位しか入学できないレース」で「落ちたら人生終わり」と考えるのはナンセンスの極みだと思いませんか?それも、若者である本人がそう思い込むならともかく、親がそう思うのは。
「つぶす親」は「〇〇に入れなかったら終わり」と考える
なんでそこまで思い詰めてしまうんだろう?といつも不思議です。本人ならまだわかるんですが。大人の役割って、そうやって近視眼的になってしまう若者を、もっと大所高所から励ましたり諭したりすることなんじゃないのかな。
前の記事でも書きましたが、「入ったら万事OK」じゃないですから。
「〇〇に入れないなんて」とまで言うなら、ご自分がそこを受験してみたらいいと思うのですが。大学だったらいくつになってもチャレンジできますよね。