ギャンブルがなぜ人を引き付けるか。
それは「勝ちが100パーセントじゃないから」だそうです。
ご存じの方も多いかとは思いますが、ネズミやサルに「レバーを押すとおやつが出てくる」装置を与えると、驚くべき結果が出たそうです。
レバーを押すと必ずおやつが出てくる設定→食べたいときだけ押す
レバーを押してもおやつが出てくるとは限らない設定→数倍も押すようになる
レバーを押してもおやつが出てこない設定にする→それでも押し続ける
「可能性」って、残酷な言葉だと思います。
「いま〇〇じゃない」以上、「〇〇になる可能性」は残されている。
それがたとえゼロに近くても。
それを巧みに煽って「沼」にはまらせるのが昨今の受験ギョーカイじゃないかなという気すらしてきた。
「今ここで止めたら損しますよ」
「もう少しつぎ込めば『一発逆転』できるかもしれませんよ」
ギョーカイは、そう囁く。
「夢に時間とお金を注ぎ込む」こと自体は悪いことではない。
「これが無駄になってもいいや、夢が買えたんだから」と自分で思えるなら、それは個人の自由だろうし、文字通り夢に終わっても、努力した時間こそが人生の糧になるだろう。
でも、それは本人が望んだ場合ならば、だ。
実際に最後にバクノビする子もいる。問題は「講師が見たらバクノビしないとわかっていても可能性を囁き課金させる」ケースが後を絶たないということだ。
第一志望に受からずとも、若者の修復力は割とたいしたもので、そこでまた目標を見つけたりする。でも、親だけがずっと、「子供の中学受験失敗(精一杯やった以上、それは「失敗」ではないのだが)」を引きずるケースをたくさん見てきた。
中卒or高卒で早々に「学歴」に見切りをつけて社会人となり、いまや私より稼いでいる友人も多いんだけどね(ちょっと羨ましい・笑)。
ギョーカイに「引導を渡す」人はほとんどいない。
私は引導渡すけどね、それが生徒のためだと思えば。
証券会社の営業は、顧客の負けがこんでも「そろそろやめといたほうがいいですよ」とは言わない。たくさん売買してくれれば手数料が入るから。
甘い言葉に騙されて、失うのがお金だけならいくらでも取り返しがつくけど、子供の健康と「その時間」は戻ってこないから、くれぐれも冷静に。
蛇足ながら「夢を食うギョーカイ」って、たいていそうなんですよ。〇〇養成所みたいなやつ。「お前には無理だ」って引導渡してあげる方が誠実だと思うけど、月謝払ってくれる限り「可能性はある」って言い続ける。その意味で、年齢制限がある将棋奨励会は素晴らしいなって思ってる。
と、ここまで書いてハタと気が付いた。
「受験沼」にはまって不幸になるのはなにもギョーカイのせいばかりじゃないな。
親だ。親が「本当のことは聞きたくない」んだな。
「つぶす親」って、いい話しか聞きたがらない。
可能性という言葉にすがって課金しまくって子供に無理させまくる。
彼らには、どんなアドバイスも届かない。
親自身が受験ギャンブルにはまってるんだな。