とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

教育虐待 やめてみたら うまくいく

このところ、教育虐待関連の記事が多くなってきましたので、ここらで一度「なぜ私が教育虐待にこだわるのか」を整理しておこうと思います。

 

 

・教育虐待をやめると、かえって子供が伸びることを知ってほしいから

 

あくまでも経験上ですが、それなりに一般性はあると考えています。

 

そもそも、家庭教師は「最後の手段」な場合が多いんですよね。

私の場合は少々特殊で「古き良き英国のチューター」を望まれるご家庭から、受験のあるなしにかかわらず10年単位でお預かりすることが多いのですが、一方で「小6・中3・高3の駆け込み需要」もあります。

 

後者の場合、家庭教師にたどり着く前に、本人もご家庭もやれることはやりつくしているんですよ。この時点ですでに、教育虐待そのものや、一歩手前のご家庭が多いです。

もしそこで、私がそれ以上に単純に負荷をかけたら?

バーストするだけですよね。

 

ですから、私はまず親御さんに

・このまま詰め込みを続けても逆効果であること

・受験に何を望むのか、の再確認

・集団塾ならではの「無駄」を取捨選択し、その子に合った学習が必要

・いま「できていること」を認めよう

などなど、とことん話し合います。

そこで「空回り」に気づいていただけたら、問題の半分は解決したも同然。

家庭教師や個別を頼む時点で、子供の自信はゼロにまで落ち込み、親御さんは焦りの極致です。

いったん落ち着いて、「できることから」埋めなおしていくと、180度世界が変わります。子供は自信を取り戻し、勉強の面白さに気づきます。自然と、成績も伸びます。

 

ここで、親御さんが「すわ!あわよくば!」と欲をかいてしまうのは厳禁。

元の木阿弥です。

個人コーチをしていて一番腐心するのはここ、つまり「親対策」ですね。

ドラゴン桜」で桜木先生が言っていた通りです。

親は「待つのが仕事」です。

黙って見守る、って一番大変なんですよ。あれこれ口を出すのは自分が楽になりたいからだけ、恥ずかしいことだと思えばグッとこらえられるはず。

 

押してダメなら引いてみろ。

ぎゃんぎゃん追い詰めてダメだったんだから、いったん引いて「子供の自然治癒力」を信じて任せてみてはいかがでしょうか。

 

勝手にブログに書くのは失礼だと考えておりますから、かなりふわっとした形でしかケーススタディは書けませんが、「個人コーチに全面的に任せていただき、親御さんは銃後の守りに徹してかえってうまくいったケース」は多々あります。

 

・塾では万年最下位クラスで自信とやる気を失っていたAくん。基本をたしかめることと、「寄り道勉強(いわゆる雑学)」で勉強の面白さを思い出し、その後は自主的に勉強。塾から「無理」と止められた難関校にチャレンジ、無事合格。

 

ADHDゆえのミス多発で成績がふるわなかったBさん。親御さんは「練習量を増やせばミスが減るはず」とさらなる負荷をかけようとしてましたので、いったん全面的にそれをやめていただき、日常の習慣から見直しました。その後、目に見えてミスが減ると同時に本人にも自信と向上心が生まれ、難関大合格、研究の道を進んでいます。

 

・本人は理数が好きだったのに、それだと有名校に行けないと親からは「お前に理数は無理。文系」と決めつけられていたCくん。本人の「好き」を認め尊重することで、理数の才能が徐々に開花していきました。今は医学部目指して頑張っています。

 

これらはほんの一例です。

お断りしておきますが、難関校・難関大に受かったから成功だと考えているわけではありません。本人が勉強の面白さに気づき、自主的に勉強を始めたこと、生きることに能動的になったこと、自信が生まれたこと、それらを「成功」と考えています。偏差値アップはそれに付随する「結果」です。

 

親御さんに「黙って」いただき、勉強の面白さを再発見する授業をする。それだけで、どの子も表情がぐんと明るくなります。「やらされる勉強」から「楽しむ学問」に変わる瞬間ですね。これは、何度経験してもグッとくるものがあります。

最初は半信半疑だった親御さんも、子供が変わってくると信じてくださいますね。

そういうとき、本当にこの仕事やってて良かったと感じます。

偉そうな物言いになってしまいますが、私は「ご縁のあった子/若者を救う」思いでこの仕事をやってますし、実際、数多くの子供を救ってきたと自負しています。ご家庭からもそう言われますし、ずっとお付き合いのある生徒やご家庭も多いです。でも、自分が直接見られる生徒って非常に限られています。蟷螂之斧みたいなもんです。だからブログをはじめてみました。

 

あ、今更ですが「本人が世の中なめてる場合」は、この限りではありません(笑)。私の「急がば回れメソッド」が有効なのは、本人も親御さんも疲弊するほどやりつくしている場合です。「本人が世の中なめてる場合」は、別の対処方法があります。うってかわって「鬼コーチ」になりますよ、私も(笑)。

 

・単純に「見ていられない」から

中受命!の親御さんはよく言いますよね。

「どうせあの子たち(公立進学組)とは生きる世界が違うんだから」と。

いやいや、それは違うんじゃないかなあ。

将来に関係ないことはすべて無駄なんだったら、生きていることそのものが無駄です。

養老孟司先生も仰っていたじゃないですか。

「最高に効率的に生きようと思ったら今すぐ死ぬのが一番効率的」って。

 

たしかに私も小学校や中学校の同級生とは今は交流ありませんが、「当時その子たちと交流があったこと」自体は、私の中では消えることのない大事な時間であり経験です。「子供の時間の記憶」が社会に出てからの支えになっているのを感じます。

オタマジャクシ捕まえたり雲を追いかけて迷子になったり木登り失敗して数針縫う羽目になったり、部活や恋愛に夢中になったり、そういう「大いなる無駄な時間」を笑ってみていてくれた両親には今でも感謝しかないですね。

 

・幸せと学歴はあんまり関係ないから

飛行機や特急に乗ると「遠く」には行けますけど、身近なものを見過ごしてます。

「幸せを感じる」のは、どんな状況でも可能です。

今、生きているということ。空を見あげる心の余裕があること。見慣れた通学路や通勤路の風景を美しく感じられること。ごはんがおいしいこと。全部「幸せ感のもと」です。私は毎日「幸せだなあ」と思って生きていますが、それは東大出たからではないと断言できますね。

 

東大合格という嬉しさは、瞬間的なものです。継続的な幸せとはさほど関係ない。

お金は、たしかに極端に少ないとストレスですが、ある研究によると年収660万円を超えると幸福感と年収の相関関係はなくなるらしいです。

 

これをいったら元も子もありませんが、東大はじめ難関大出ても、日本の場合年収大差ないです、誤差です誤差。富裕層と呼ばれる方たちは、「年収が高い」んじゃなくて「代々受け継いだ資産がある」だけです。東京の一等地と呼ばれる場所に行ってみるといいです。とてもとても、難関大入って「エリート」になって一代で買えるような家はありませんから(苦笑)。

富裕層の子に生まれなかったけれども一発逆転セレブ入りを目指すなら(その価値観もどうかとは思うけど)、難関大→医者やサラリーマン、じゃ無理ですね。起業してそれが当たるとか、芸能界とか、作家漫画家スポーツマン、そういう別の世界線

 

逆に言うと

自分を不幸せにしているのは「人と比べる心」なんですよね。

人と比べている以上、どれだけ何かを手に入れても幸せは感じられないと思います。

 

・おまけ:佐〇ママの悪影響

昨今の中学受験の過熱の発端の一つ、佐〇ママ。

佐〇ママ、私はかなり苦手なんですが、それは子供の持って生まれた才能を無視して「全部私のおかげ!」と喧伝しているところですね。あれを見て「そうか、親がガムシャラにやればいいのか!」と勘違いした親御さんは少なくないんじゃないかな?

 

講師先でも、たいていのお母さんから「あれは本当ですか?」と聞かれます。

全然違いますから、安心してください(笑)。

あれはね、競馬で言えば「サラブレッドの才能を最大限に発揮させG1で優勝させるにはどうしたらいいか」という、別次元の話です。オリンピック選手に、コーチが何人もついてその競技だけに専念させ金メダル取らせる次元の話です。

元が良かったんです、それだけの話。まあ、調教師がダメだと「サラブレッドをつぶすこと」は可能ですから、全否定する気はありませんが。佐〇ママが「親が9割」「私のおかげ」というなら、よその子を預かって東大入れてみればいい。そうしたら世間も信じると思います。

 

たぶん、あの家の子たちは佐〇ママがいなくても東大入ってますよ。

 

あの手の自己顕示欲ママに騙されて、我が子の良さを見誤りつぶすことのないようにしたいものですね。