とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」は果たして正しいのか?~「スラムダンク」と「ホイッスル!」と「ドラゴン桜」と「二月の勝者」

めちゃくちゃ長いタイトルになりました(笑)。

 

スラムダンクは、名言の宝庫ですよね。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

「俺はなぜあんな無駄な時間を…」

「左手は添えるだけ」

最後は違うか(笑

 

今回は、スラムダンク最高の名言とも名高い「諦めたらそこで試合終了ですよ」について考えてみたいと思います。

 

 

1)なぜ、安西先生は「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言ったのか

それは、三井寿くんが勝ちたがってたから」です。

もし本人が勝ちたいなら、本人が諦めたら終わり。

たしかにそれは至言です。

でもね。

それは、他人が強制しちゃダメなんだよ。

安西先生は強制してないからいいですけどね。

 

 

 

2)「ホイッスル!」はスラムダンクのパクリと言われたが

ホイッスル!」も名作ですよね。

 

 

でも、著者渾身の「諦めたらそこで終わる」という言葉がスラムダンクのパクリだという理不尽な叩きも受けていた記憶があります。

 

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

「諦めたらそこで終わる」

は、似ているようで全然違います!

 

前者は他人がいう言葉、後者は本人が言っている言葉なんです。

「諦めたくない」は、本人にしか言う資格はないです。

何を親が言ってんのかと。

繰り返しますが、三井くんが勝ちたがっていたからこその安西先生の名言なわけで、「もうリタイアしたい…」と思っている子にあのセリフ言ったら、まさにブラック企業ですからね?

ホイッスル!」の「諦めたらそこで終わる」は、主人公の風祭本人が言ってるからこそ意味があるんです。他人が強制したらあかん。 

 

話は逸れますが、「ホイッスル!」の作者である樋口大輔先生の「GO AHEAD」は、中受を控えた親御さんにぜひ読んでほしい名作です。「わが子を駆り立てる思い」の源泉を見る気がします。「なぜ俺はあの(フェンスの)向こうにいないんだ」は、至言だと思っています。

 

 

3)「ドラゴン桜」と「二月の勝者」の違い

ドラゴン桜は、やってることはスポ根ですが、「本人の意志最優先」で「去る者は追わず」です。桜木先生の挑発的な言葉が響いた子たちだけを対象にしています。「お前が本気で甲子園目指すならここまでやれ」となんら変わりないです。

 

「二月の勝者」は、「黒木先生が、実は陰で『燃え尽き症候群』の子の面倒を見ていた」とか「黒木先生が寺子屋作って『落ちこぼれ』たちの面倒を見ていた」とか、回収できるのかよくわからんエピソード挟んできているので、いまいち著者の考えはよくわかりませんけれども。でも、今のところ、いろいろ危ういなあと思って読んでいます。

 

それは、明らかに向いてない親子にも「引導」を渡さない点ですね。そこが「ドラゴン桜」と真逆なところです。

 

ドラゴン桜」は、本人のやる気重視、親はすっこんでろ、やめたくなったらやめればいい、そういうスタンスですよね。

 

「二月の勝者」の著者が、「黒木先生は実はいい人です」って設定にしたいのは嫌というほどわかる。でも、「黒黒木」とでも言ったらいいのかな(笑)、桜花ゼミナールにおいての黒木先生は、教育虐待を助長しているように見える。

 

そもそもさ、裏で寺子屋作ってまで「いい人」やってんのに桜花ゼミナールでああいう教育してるのって、桜花ゼミナールの子たちが知ったら「裏切り」と思うでしょ?ダメだよ、こと子供相手で信念に裏表作ったら。著者がどう畳む気か知らんけど、今のところ黒木先生の「本当にやりたい授業」は、裏寺子屋や、個人的に見ている昔つぶした生徒であって、桜花ゼミナールは「金を巻き上げる場」なんだよね。だとしたら、描き方は「カイジ」や「ナニワ金融道」みたいにしないと伝わらないと思う。

 

著者自身がお子さんを中学受験させているから中受を肯定したいんでしょうけどね。

 

「受験は課金ゲー」というのは明らかに間違っているし「黒黒木」が陰でどんな良いことやってようが、桜花ゼミナールの子には関係ないんで。親のプレッシャーからカンニングしている理衣沙なんて真っ先にフォローするべきなのに、その後音沙汰なしだし。

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もちろん、作品を読者がどう受け取ろうと作者の責任ではありません。

でも、「二月の勝者」がセンセーショナルにぶちあげた「中受は課金ゲー」「母親の狂気が中受の成功のもと」という概念が、あらたな教育虐待を生み出していることを、著者さんにはちょっと知ってもらいたいかな。

 

それを「実は黒木はいい人です、だって寺子屋やってるし、昔の教え子の面倒見てるから」でごまかさないでほしい。

 

正直、これだけ読んできても、よくわからないんですよ。著者さんが「黒木という人物」を描きたいのか、「中受にチャレンジする親子」を描きたいのか。黒木を描きたいなら桜花ゼミナールの細かすぎる描写は要りませんし、そうでないなら裏寺子屋だの昔つぶした生徒だののエピソードは要らない。それを描かなくても、黒木の人間性は描けます。たとえば「ドラゴン桜」の桜木があんなキツイことを言ってても実は熱いいい人なのは、過去エピソードとか裏エピソードとか書かなくても十分伝わりますよね。「ブラックジャック」でブラックジャックが「三千万持ってこい!」しか言ってなくても実はいい人だと伝わるのと一緒です。

漫画ですから好きに描けばいいと思いつつ、「二月の勝者」にシンクロしてしまう親御さんも実に多いので、ちょっとばかりは社会的責任考えて描いてほしいかも。