とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

丸善「中受フェア」に行ってきた。

先日、丸善お茶の水店「中受フェア」に行って「その棚の本、全部くださる?」をやってきました(笑)。

 

そして「スマホ脳」の影響で「スクリーンタイム」が極端に減った分、積ン読になっていた本を一気に読めました。ジャンルもバラバラですが備忘録として感想など。

 

 

スマホ、特にSNSは麻薬であり一般人は手を出さないほうがいい

・「タダほど高いものはない」=時間を盗まれ換金されているだけ

などは、私も常々生徒に言ってきたことなので、自分の考えが独りよがりではなかったのかなとホッとしました。

嫌というほどエビデンスも満載で、さらに「スティーブジョブスは子供にiPadを厳しく制限していた」という事実など、自分や我が子のスマホ中毒をどうにかしたいと考えている人の背中を押してくれる良本だと思います。

 

 2021年の中受でよく出ていたので買ってみました。

これまた私も常々生徒に言っていることとシンクロし、ホッとしました。

「みんな仲良く」なんてする必要はない。

「誰かを嫌いでもいい、でも衝突は避ける」というほうが、よほど「いじめ」を失くせるのではないかと感じています。好き嫌いは人に強制されて変わったりしない、強制するべきではない。相手を「嫌う」ことと「言い分を認める」ことはまったく次元が違うわけですが、小学校では「嫌うな」が強制されている気がしています。その結果、鬱憤がいじめとなって発現してしまうのでは?まあ「うちの子をみんなが(心の中で)嫌うのも差別!」というモンペが増えてますからしょうがないのかもしれませんが。

友人は良いものですが、それが唯一無二の「基準」になるとしんどいですよね。

そういう世の中でがんじがらめになっている子供たちに「幻想を捨てて楽になっていいんだよ」と語りかけている良本でした。ロングセラーなのもうなずけます。

 

 Y偏差値40~45、S偏差値40くらいの「読解がまるでダメな段階の子」にとっては、かなりわかりやすい本かもしれませんね。

選択肢をスラッシュで区切る、選択肢を見る前に記述解答を考える、などなど、私もずっと生徒に教えてきたことなので、読んで心強い思いがしました。

 

一方で、実際の中堅~難関校の「選択肢」は、ここで例に挙げられたものとは次元の違う難しさです。センター試験なみに複雑で誤読を誘う難関校の選択肢問題対策、あるいは「読解はそこそこ取れるが『あと1割』で苦慮している層の対策本としては、期待しないほうが良いでしょう。

関係ありませんが、例文が全部「ドラえもん」だったのが気になって気になって、むしろ読解の邪魔になりました(笑)。絵が描いてないから著作権を侵害していないというのはちょっと違うのでは…小学館に許可とったのかな…とか、そんなことばかり気になりまして(笑)。「引用」でもないし「ドラえもん研究本」でもないので、「自説を主張するために万人が知っている『キャラ性』を利用する」のは、ちょっとお行儀悪いんじゃないかな、と思います。

 

これも、丸善お茶の水店の「私立中フェア」で買ってきた本です。

非常に巧みで胸を打つ内容ながら、私は、「小学生がこれを『中学受験で』読まされるのはおかしい」と感じました。なぜなら、「地の文が大人の感覚で書かれている」からです。これはかなり長くなりそうな話なので別記事であらためて書こうと思いますが、主人公が小中学生だからと言って小中学生向けだとは限りません。現代文学は、おそらく漫画文法の逆輸入と言うべき「主人公視点と神視点がないまぜ」な描き方の本が多いですね。特にこの本はそれが顕著です。発達障害の陽太が主人公の「いつか、ドラゴン」を読むとそれがよくわかります。自閉症の陽太にとっては、周りの子の気持ちは理解できないはずですし、自分の心を抽象的に分析することも難しいはず。なのに、地の文で「もちろん、母さんだって、身分証明書くらい持っているだろう。(略)陽太は母さんに図書館まで付き合わせたくなかった。そんな時間があったら、一分でも多く家で寝てほしい」「母さんは怒ってもいないし悲しんでもいなかった。当惑した顔だった」のような形で、かなり大人びた分析が入ってきます。この「モノローグと地の文のごちゃまぜ」は、おそらく著者の朝比奈あすかさんは無意識にやっている気がします。「大人の読者」向けにはそれで構いません。読解力がある程度ある大人なら「ここは本人の気持ちだな」「ここは神視点での描写だな」とわかりますので。でも、正直それは12歳には難しいんじゃないですかね。うまくいえないんですけど、「モノローグを地の文で読まされている居心地の悪さ」があるんですよね。

 

「主人公は小中学生だけど、対象年齢は大人」の本ってたくさんあります。大人たちが、それを読んで懐かしく感じたり、自分の黒歴史を思い出したり(笑)、そういう楽しみ方をする本ですね。この「君たちは今が世界」は、まさにその手の本だと思います。エピローグが、大人からの視点で描かれているのもその表れな気がいたします。

 

想定読者が小中学生そのものの本は、こういう書き方はしません。森絵都さんや重松清さんは、第三者視点とモノローグを混ぜません。重松清さんにいたっては、「小中学生が読んでほしい」という思いからでしょうか、基本的に一人称で書かれています。一人称で書く以上、「子供が思いつかないような表現」は使えません。それでいて、深いものを表現しないとならない。森絵都さんや重松清さん、はたまたあさのあつこさんの手法は、非常に高度で難易度の高い表現方法だと思います。

 

朝比奈あすかさんが下手だとかまずいとか言いたいわけではないです、念のため。ただ、これを絶賛し、12歳向けの入学試験に出した学校の国語の先生は、この「大人向けの書き方」「モノローグと地の文の境界があいまいな、漫画的文章」を、そうだと理解したうえで出題されているのでしょうか?単に「大人が読んで面白い」から出していないでしょうか?

 

「大人と同程度の読解力が欲しい」ならば、いっそ大人向けの小説を出してはいかがでしょうか。今年の渋谷幕張で「豊饒の海」が出たのは驚きましたが、まあ超難関校は対象年齢が高校生以上のものも平気で出しますから、それはそれでいいです。「キャラは小中学生だけど、完全に大人向けの本」を、小中学生向けだと勘違いして出題するのはいかがなものかなと危惧します。

 

 一転して、エンタメミステリ。「ミステリ擦れ」してたいがいのミステリには騙されない私も、してやられました(笑)。オビのアオリ文や表3のあらすじから「この子を殺したのは『社会』なんだ」みたいな青臭い話かと思いきや。ミステリなのでこれ以上は避けますが、湊かなえさんが好きな方なら面白く感じると思います。ストーリーはまるで違いますが、湊かなえさんの「少女」を思い出しました。