とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「サピックスでは伸びない子」とは

「信者」がもっとも多いサピックスに関してこの記事を書くのは少々覚悟がいりますが、だからこそ書かなければとも思います。

 

以前も書きましたが、私は「塾ナシ」の生徒さんと「塾と併用」の生徒さんをお預かりしていますが、「塾と併用」の生徒さんの塾の多くがサピックスです。

それこそアルファから最下位のAクラスまで幅広く伴走してきました。

その中で確信したこと。

それはサピックスだけでは中下位は伸びない」ということ。

三者的に見て明らかにオーバーワーク、転塾が望ましいなと思っても、中下位の親御さんは「でもサピについていけばそれなりにいいとこに入れますから」と言います。

宗教に近いものを感じます。

サピックスでは中下位は伸びないと確信する理由について書いてみます。

 

 

1)テキストに俯瞰性がない

いわゆる辞書的に見返せるテキストがありません。

毎回新しいテキストをもらえるのは、新しもの好きの小学生に合っている面ももちろん理解しています。

でも、「毎回新しいこと」をこなして力がつくのはどんな生徒でしょうか?

それは「その場で理解して『腑落ち』できる子」です。

アルファやベット上位の子は、授業内でほぼ完結しています。

 

そういう生徒さんが私と何を勉強しているかというと

 

・さらに高度な問題へのチャレンジ

・さらに発展した「教養」の蓄積

です。サピの授業内でわからない問題の質問は、あったとしても1~2個です。

また、この子たちはテキストの管理は自分でできます。

 

 

一方、サピの授業時間内に『腑落ち』できない子は、どんどん「借金」が膨らみます。

その場でわからないわけですから、個人コーチで穴埋めしたとしても、覚えていられません。サピはスパイラル方式が売りですが、次のスパイラルが来た頃には、そのレベルの生徒はすっかり忘れています。

 

算数はまだしも、理科社会のテキストに俯瞰性がないのは非常にまずい。

「わからないときに前に戻って確かめる」ことができないわけですからね。

紙の辞書vs電子辞書の論争にも通じる部分がありますね。

これは一長一短ですが、紙の辞書の素晴らしい点は「一覧性」です。「目当てのものを探す間にちらちらと目に入ったもの」を人間は驚くほど記憶していますし、そういった関連付け記憶が長期記憶になりやすいのも各種研究でわかっています。

 

言い換えると、サピのテキストや授業カリキュラムは「授業内で完結できる子」に向けて作られています。一度で腑落ちできない子にはちょっと厳しいですね。

 

2)解説がない、あっても非常に簡素

 

一般的な教科書や参考書は「例題」+「練習問題」の仕立てです。

「わからなかったら例題に戻る」がしやすいようになっているわけです。

サピックスのテキストは「解答しか載ってない」ケースが多いですよね?

あれで自学ができるのでしょうか?

「伸び悩んでいる子」は、そもそも「メモができない子」が非常に多いです。

たとえ授業内で完璧な解説を講師がしていたとしても、それをパーフェクトに書き写してきていない限り、家で復習などできません。

つまり、授業内で理解できない子やメモができない子は、そもそもサピのターゲットではないのです。

 

サピの中下位クラスになると、扱う問題も大胆にカットされます。それはまあある意味合理的なんですけど、たとえ中下位の生徒でも「この科目・単元だけは得意」ということもありますよね。でも、クラス分けでそこは考慮されませんから、「国語が苦手でアルファに入れないと算数の発展問題の解説を聞けない」ことが起こります。そうなると、その子は算数の発展問題の自学が難しくなってきます。自学できるほどの解説が渡されないわけですからね。

 

サピの授業が「ためになっているかなっていないか」の目安は、「テキストの6~7割を理解して帰ってきているかどうか」だと考えます。

 

3)「低偏差値」による自己肯定感の低下

 

それでもサピを諦めない親御さんの決まり文句が「でもサピにいれば最低でも〇〇に行けるから」です。

あまりにも「子供の感情」を無視した言葉だと感じます。

生徒自身も、そういう意識なら構いません(もっとも、親の誘導が大きいですから話半分ですが)。

でも

・塾に行くたびに「わからないこと=借金が増える」

・「自分は平均以下だ」という意識が染みつく

・偏差値40の悪影響

・入学校を誇れない

ってキツくないですか?

 

以前「鶏口か牛後か」でも書きましたが、本人が本当に「自分にはとても追いつけないトップ層の後塵を拝しても、彼らに憧れる気持ちがプラスになる」と思えるなら、たしかに優秀層の集団で最下位でもプラスな側面はあるでしょう。かなり例外だとは思いますけれどね。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

 

「褒めて伸ばす教育」は諸刃の剣の側面もありますが、なんだかんだ言って人間は褒められると嬉しくなるし、できれば楽しくなってモチベーションが上がるんですよ。

 

サピックスの中下位の子が褒められる場面ってありますか?

 

親御さんも、クラス分けが気になって我が子の「良い面」が見えなくなってませんか?

上位の子と比べて小言ばかり言っていませんか?

人間形成にとって非常に大事な10~12歳で「常に」自分は劣っていると思い込まされるのって危険だと思いますがいかがでしょうか。

 

さらに、「サピにしがみついていれば~」の親御さんは、ぶっちゃけ内心では「下剋上」を狙ってますよね?上位層に引っ張ってもらってS45に入れればいいと本気では思っていませんよね?どこかで「覚醒して御三家準御三家」を夢見ている。

その場合、どうなるか。

11~1月で、とうとう観念して志望校を「下げた」場合、もはや子供本人にとっても親御さんにとってもそれは「第二志望」でしかないわけです。本命にはフラれそうだから二番手三番手で手を打つか、という、なんかまるで結婚みたいですね(苦笑)。
そういう後ろ向きな気持ちで受験に立ち向かうのって楽しくなくないですか?

それで受かって、心から喜んで「二番手三番手」に通えますかね?

4)サピは難関校以外の研究をしていない

強がりやポーズではなく、本気で「うちは御三家とか準御三家とか目指してない、S45~50が本気の志望校」とお考えならば。

それこそ、サピは一番合っていない塾です。

 

なぜなら、サピは中堅の、(あくまで私の経験上ですが)ズバリS55以下の学校はまともに研究していないです。
学校ごとに驚くほど違う出題傾向も把握していなければ、過去問研究もしていない。

中学受験に限りませんが、偏差値=合格可能性ではないんです。

たしかに、ベースとなる学力はあった方が「どこでも受かる可能性」は高くなります。

 

スポーツで例えれば、偏差値=身体能力値、です。

そして、学校(過去問)との相性=競技との相性。

身体能力の高い人は、たしかにどの競技をやってもそこそこ出来るでしょう。

でも、短距離走に特化した選手が、対策(練習)なしにマラソンで勝てますか?

で、ですね。

サピックスが本気で研究しているのはおそらくS57~58以上。

冠コースの設定見れば一目瞭然じゃないですか。

ある意味、S55以下ほど、「志望校対策」が大事なんですけどね。

 

問題は、中堅校だけにとどまりません。

サピックスがなんとしても欲しいのは「開成・桜蔭の合格者数」。

本人が別の学校を本気で志望していても、この2校を受けるように誘導されます。

過去、麻布や武蔵はたまた準御三家熱望の生徒さんを何人も担当しましたが、もれなくサピから「開成が合ってるよ」と誘導されていました。麻布武蔵と開成って全然校風違うのに何をもって「合ってる」と言ってんのかなと鼻白みました。

 

5)まとめ

もちろん、サピックスを否定したいわけではないです。

御三家を本気で目指していて、その可能性を手ごたえとして感じているなら、良い意味でのライバルが多い場所はたしかにプラスになるでしょう。

相性の問題です。

「合ったところ」で人は一番伸びます。

 

・S55以下が本命

・サピの授業は4割くらい理解できずに帰ってくる

・中下位クラスだが志望が「大学付属」ではない(すなわち中高一貫進学校

場合、プラスとマイナスを秤にかけたらマイナスのほうが大きいと思います。

なお、3つめの余事象「中下位クラスだが志望が大学付属」の場合は、「ベット下位からでも大学付属には受かる」という意味であって、サピックスが大学付属向けの授業をしてくれるという意味ではありません。