とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

中学受験はもはや「競技」と化した

昔は良かった、などとノスタルジーに浸るつもりではないです。

実際、中高大どこも昔とは難易度が段違いだし。

 

ただ、今の受験は、なんていうんだろう…

「情報戦」の側面が高くなりすぎてないか?

「効率最優先」になりすぎてないか?

という懸念を強く持ってはいます。

 

昭和~平成初期の受験って「学力を上げれば受かる」という正攻法が通じていた記憶があるんですよね。併願戦略とかもほとんどなかったし。自分も、東大一択で赤本はそれしかやらなかったし、私大滑り止めはノー勉。周りもみんなそんな感じでした。今は10校くらい受けるのが当たり前と聞いて時代は変わったなあと感じています。

 

林修先生の「今の東大は下がすっからかん」には、頷ける部分もあります。

 

中学受験も、併願戦略や過去問研究が最重要。

一部の「どこでも受かるトップ層」を除くと、親が東奔西走して情報を集め戦略を練り、学校説明会に何度も足を運んで「ココだけの話」を収拾しなければならない。

 

これって何かに似てますよね。

そう、スポーツ競技にそっくりです。

一人のアスリートに「コーチ団」がついてライバルのデータを集め、練習メニューを決める。選手本人は、言われた通りトレーニングするだけ

 

それでいいのかなあ。

スポーツ選手は最後までコーチがついててくれますが、勉強は「独り立ちするためにやっているもの」だから、やっぱり違和感があるんですよね。

 

「課金ブースト」「親ターボ」は中学入学後は効きませんからねえ。

中高一貫校で中だるみしちゃう生徒はこのタイプが多いですけど仕方がないですね。

このタイプの子にとっては勉強は他人事であって、練習メニューはコーチまたは親が決めることですからね。

 

中高一貫校の文理選択が早すぎるのも「競技」っぽくて違和感ですね。

もちろん、本人の将来やりたいことがはっきりしている場合や、研究者を目指す場合は構わないと思いますけれど、高2で文理選択させる中高一貫校の多くのその目的は「大学合格実績アップのため」ですよね。

 

MARCH実績を売りにする某K高では、本人が理系を志望してもあの手この手で諭され文系にされていました。文系ならば、MARCHに押し込めるという計算なのでしょう。

でも、たとえMARCHより偏差値は低くとも、理系専門大学たとえば農大や電機大に本人が行きたかったとしたら? おかしいですよね。

 

学問とは、本来「好きだからやる」もの。

中高一貫校の「実績づくり」のために志望を変えさせられるなど本末転倒。

ある学問を「受験のためには不要」と切り捨てることも本末転倒。

理系志望だけど哲学も好き、なんていう人間もたくさんいます。

開成高校が文理分けしてないのはそういうことじゃないのかな。

 

こうした「効率最優先」は、スポーツ競技なら納得できますが、学問とは相いれないものだと思っています。