とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「親の欲目」の逆パターン

個人コーチやってると、よくいて困るのは「ウチの子はもっとできるはず!」と、子供が発達障害でも認めようとしなかったり、子供の潜在能力の限界を無視する親御さんなんですが、ときどき逆パターンもあります。

 

「親の欲目」の逆パターンとでも言えばいいんでしょうか。

生徒の良いところを伝えても「でも〇〇ができないので」という方と、それが極端になると「ウチの子は発達障害だと思うんです」という方がいますね。

パターン別に分析してみたいと思います。

1)子供の良いところを認めようとしない親

「以前できなかった〇〇ができるようになった」「この記述は素晴らしい」といった成績に直結することはもちろん、キャラ的に後伸びを感じさせる部分を褒めても、絶対に認めない親が結構多く存在します。

講師が褒めれば褒めるほど、「あの子にはこんな悪いところがある!」と訴えてくる。

まあ、気持ちはわからないではありません。

子供というのは基本的に「外面がいい」ですからね。

でも「実は家ではこんななんです!」と訴えられたところで、それは親子の関係ですのでこちらにはどうしようもないですね。

あれに似てますね、夫婦の愚痴。

旦那さん、あるいは奥さんを褒めると、相方がキレて「そんなことないです!家では〇〇ですから!」みたいな。

子供が褒められても喜ばず、悪いところを講師に言い募るお母さんって、自分一人が苦労していると思い込んでいて、誰かにそれをわかってほしいと願っているんだろうなというのはわかります。でも、その「自分一人が苦労している」という思い込みは止めたほうがいいと思います。家族もたぶんそんなお母さんに対して「我慢」していると思いますよ。

 

 ついでに言うと、この手のお母さんは、こちらが根負けして「たしかにお子さんはこういうところはダメですね」と言うと途端に「そんなことはない!」と反撃してきます。夫婦の愚痴を聞かされるときと酷似していますね。さんざん夫/妻の愚痴を聞かされて「そうだね、あの人はダメだね」と言うと「彼/彼女はこんないいところがある!」と言い出すパターン。うん、勘弁してくれ(苦笑)。

 

2)ウチの子は発達障害だ!と言う親(第三者から見てそうだとは思えないケース)

専門家ではないので断定はできないものの、成績が伸びない理由が「なんらかの発達障害」だなと思う生徒は、毎年多いです。そういったケースでは、オブラートにくるみまくって示唆しても、絶対に親御さんは認めません。そこを認識したうえで勉強に向かった方が絶対にプラスになるのに…と、臍を噛むことも多いです。

 

それほどまでに、親御さんにとって「わが子が発達障害」というのは受容できかねることなのでしょうが、逆に、どうみても定型の子を発達障害に違いないと言い募る親御さんもいらっしゃいますね。

経験上、2つのパターンがあるなと感じております。

 

・男子っぽい女児に対する母親の嫉妬のケース

理数系の女児は「男子っぽい」です。

プリントがランドセルの中でジャバラになるのは当たり前、「忘れ物の女王」とか学校で言われたりする。

でも、それ、「女子の物差し」で見てるからなんですよね。

私立の女子小ってそういうの許しませんから、ちょっと忘れ物が多いだけで「忘れ物の女王」とか先生が言っちゃう。

でも、個人コーチの目から見て全然許容範囲。

男子なら「あるある」で済まされる範囲。

こういう、理数が得意だけどどっか「抜けてる」女子に、母親が手厳しすぎるケースを多々見ております。

おそらく、あの母親たちも子供が男子なら「ダンスィあるある」と言って許しているはず。でも、この手のお母さんは「ウチの娘は絶対ADHD!」と言われるので困ります。

「自分を(学業的には)抜くのがわかっている女子」に、母親が嫉妬してダメの烙印を押したがっているように見えてなりません。

・「できない」理由を発達障害に求めるケース

「できない」理由はさまざまです。

12歳の時点では、親が望むほどには「成熟」していないケース。

持って生まれた能力が、親の望むレベルと乖離しているケース。

本人がやるべきことをやっていないケース。

人間にはみな向き不向きがありますし、健常/定型の子でも勉強は一定以上にはいけないケースももちろんあります。

 

何をもって発達障害と言うかは非常に難しいところではありますが、日常生活で本人が他者とのコミュニケーションに困難を抱えていない、かつ、公立小中の勉強が全然わからないという状況ではないのであれば、健常/定型の範疇かと思います。

 

最近多いのが「小学校のテストはほぼ満点だが、塾のテストでついていけない」子を「発達障害だからだ!」と言う親御さんですね。

 

何かと批判されがちですが、日本の義務教育はよくできていると思いますよ。

 

公立中学までの内容が理解できれば、生きていくのに困らない頭脳だと言えると個人的には感じています。

「うちの子は発達障害だ!」と親御さんが言う子も、それは「中受する層」の中で比べているからのこと。むしろ小学校では「できる子」です。

十分「できる子」を、勝手にハードル上げてそれに満たないからと我が子を発達障害認定するのは、「(現時点では)我が子の能力はここまで」を認めたくないから原因を障害に求めているように、私には思えます。


中学受験が過熱しすぎている弊害だと感じますね。