とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

五輪に学ぶ(3)~「子供の実力を見極めること」の大事さ

今日の女子10000メートルは、見ていて胸が痛くなりました。

なぜなら、「まさに受験レース」を具現していたからです。

競技参加者が全員精一杯やってきた場合、「下剋上」はありえません。

トップが敗退するという番狂わせ、はありますが、それを期待して闘うことは無謀ですよね?

勝ちに不思議の勝ちなし、というヤツです。

 

レースをメイクしようと先んじて飛び出した廣中選手は立派でした。

でも、結果は実力通りになりました。

受験で言うと、序盤飛び出しは、低学年で塾に入れる先取りコースですね。

最初はいいんですが、結局は王者に抜かれます。

(蛇足ながら、最後の最後までギデイにトップを走らせ利用し最後200メートルで抜いて金を取ったハッサンは、素人目にはずるい気がしましたが)

 

それはともかく。

今日のレース、あれがまさに受験レース。

でも、受験レースだと、ついつい終盤にキセキの追い上げがあるのでは、など期待して子供を追い詰めがちです。そんな親御さんには、ぜひ今日の10000メートルやマラソンを見てほしいですね。シビアですが、あれが現実です。

 

対戦競技は、相性も大きなファクターですから多少の番狂わせはありますが、それでも明らかに実力に劣ったチームが運で金をとることはありません。素人チームがごぼう抜きして優勝するのは水島新司先生の野球漫画の中だけです(笑)。

 

とはいえ、受験は五輪ほどシビアではありません。数百人という合格者集団の中に入れればOKなわけです。

問題は、今日の廣中選手のように、明らかにトップ集団からずり落ちた子供に、「まだごぼう抜きができる」と根性論で尻をたたき続けるケースです。

見極め、これが非常に大事です。

 

大学受験では、努力が才能を凌駕することが、ままあります。

なぜなら、高校の学問は才能だけでは突破できないからです。

 

一方、中学受験は、まだまだ才能が勝つレースです(もちろん努力は必要ですが)。だからこそ、才能だけで御三家入って深海魚になった子たちは、中堅校のトップにやすやすと抜かれていきます。


受験塾に4年から入れて最初はそこそこいい成績でも、ずるずる落ちて行ったときには奇跡の巻き返しを夢見るよりも、今日の廣中選手のように「自分の位置する集団の中でトップを狙っていく」ことが大事です。

 

受験の世界で下剋上がないわけではないのですが、それは「それまで塾に行っていなかった」「間違った勉強をしていた」「ウサギが寝ていた」ようなレアケースです。小4や、それ以前から通塾してそれなりに課題をこなしてきて中下位なら、視点を切り替えましょう。

小4から通塾して下位クラスでいまだに御三家や準御三家を夢見るのは、今日の新谷選手に「今からごぼう抜きして金を取れ」と言うのに等しいです。

 

学問の道は、長いマラソンです。そして、学者を目指すのではない限り、東大京大をはじめとする有名国立大学に入る必要はありません。オリンピックでは、金と銀銅さらに入賞との間には大きな溝があるように見えますが、それとてもマスコミが金ばかりもてはやすからです。レースを走りきること、レースの中で自分のポジションを冷静に判断し、実現可能な目標に手を伸ばし実現すること、それが大事です。

こんなことは、「トラックの外」「畳の外」に居る監督やコーチには十分わかるはずです。受験の場合、親が「トラックの中」に入って盲目になることが大問題だなと感じています。

どことは言いませんが大手塾は「親が競技場に入り一緒に狂うこと」を煽ってきますが、ここで煽られてはいけません。彼らは、親を狂気に陥らせないと課金させられないので煽るのです。不安商法に乗せられてはいけません。

選手=生徒と一心同体になってしまい狂気に陥っている親御さん、一度「競技場の外」に出てみてください。