前々回の記事の補足のような記事です。
ちなみに前々回は、子供の「甘え」について書きました。
はっきり申し上げて、中学受験は、精神的にまだ幼さの残る子には向いていません。
5~6年前まではそうでもなかったんですけどね(^^;
中学受験をするにあたっては、まず何よりも越えなければいけない壁があります。
それは「子供時代との決別」です。
これを意識しないまま「中受道」に踏み込むと親子の壮絶なバトルが待っています。
いわゆる「子供らしい」時代。
重松清先生の描かれるような小学生像。
これは、大人の目から見ると「ザ・小学生」でけなげで愛おしい。
でも、こういう子は、まだ受験には向いていないです。
きわめて個人的な考えを言わせてもらえば、こういう「ザ・小学生」は公立中から高校受験でなんの問題もないと思っています。
ちょっと頑張ればできそうなことも「できない」と泣けば許される時代。
わがままを言えば最後は親が折れてくれた時代。
子供っぽくふるまうと「かわいい」と目を細めてもらえた時代。
そういう、誰しもが経験してきた甘やかな懐かしい「子供時代」に決別しないと、中学受験はとうてい乗り切れません。
つまり、精神的にはもう中学生、中長期的な損得を考えられる子が、中学受験では圧倒的に有利です。
幼児性を残したままの受験勉強は、親子の壮絶なバトルになります。
私は、基本的には褒めて伸ばすタイプですが(人を叱るのが苦手なので)、本人がどうにもこうにも幼児性が抜けていない場合、なおかつ本人が受験を志望している場合は、「厳しい」指導をします。
その厳しさとは、過剰な宿題を出すことではありません。
本人に、自分の甘さ=幼児性を自覚させる、ということです。
僭越ながら、この「厳しさ」を誤解されている親御さんは少なくありません。
大声で𠮟りつけてなんとか塾の宿題を泣きながらでもやらせる、これは厳しさでもなんでもありません。なぜなら、子供本人が「なぜ課題をしなければいけないのか理解しないまま」親が怒るから机に向かっているだけだからです。
中受に必要な成熟とは「何かを望むなら対価=努力を払わねばならない」ことの理解。
〇〇が欲しい!でも努力したくない!これは、幼児です。
よく「先生からも厳しく言ってやってください!」と言われ、こういう厳しさを教えると「厳しすぎる」「怖い」と言われて心外なこともたまにありますね。厳しく指導する、ってキーキー𠮟りつけることではないと思っていますけどね。
その意味で、中受道はまさに修羅の道です。
通常より2~3年早く「親離れ子離れ」をする必要があるからです。
子離れをし、極端に言えば「大人として扱う」ことも必要になってきます。前述の精神年齢の高い子たちは、すでに自分から親離れし、「自分の将来」を見つめています。
なお、現状維持あるいはちょいノビでOKな学校が志望校の場合は、この限りではありません。それでも、幼児性を残したままの中学受験突入は、親御さんのイライラがつのる一方ですので、個人的にはあまりお勧めしませんが…。