とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「前にも教えたよね?」は禁句ではない

以前、「看護師の指導法十か条」のようなものを目にして驚きました。

どれもこれもが「今はここまで新人に優しくしないと訴えられるのか」とゾッとしましたが、とりわけ「『何度教えたと思ってるの?』はNG」という教えに驚愕です。

 

時代に逆行するようですが、一定の条件下において「前にも教えましたが」ということは言わなければいけないと考えています。

 

『何度教えたと思ってるの?』

『何度も教えたよね?』

たしかに、親や先生や先輩が、自分の鬱憤を晴らすためだけにこの言葉を使うのはいけません。効果ゼロなうえに、それは嫌がらせだからです。

 

でも、これは本人のために絶対に指摘しなければいけない点なのです。

 

何度教えても「入らない」生徒や新人というのはだいたい3つのタイプです。

それぞれに対処法は違いますが、いずれにしても「あなたは、何度も教わったことを覚えていない」ということを自覚させるのが不可欠です。

なぜなら、そこに気が付かない限り、「そうか、自分はそこを改善しないといけないんだ」と気づけないからです。毎回まるで初めて教えるかのように優しく教える、これは幼児への対応です。

 

まずは、その相手が「聞いたことを忘れている」ことを自覚させたうえで、一緒に原因を探る。原因によって、対処法は以下のように変わります。

 

1)情報が多すぎてキャパオーバーしている

本人が真面目で、かつ原因がこれだけの場合は、どこまでわかったかを復唱させ、一度に教える情報量を減らすことで、きちっと改善していきます。

会社には、いろんな新人が入ってきます。「普通できるよね?」と思ってることが覚えられない子もいます、本人は真面目なのに。そういう場合にギリギリと締め付けるのはいけません、追い詰めてしまうことになるので。そういう場合は、スモールステップで教えていけば、歩みは遅くても、いつかきちっと仕事ができるようになります。

でもこれは、本人が精いっぱいやっている場合です。本人が世の中なめている場合はこの限りではありません。2)と3)に書きますね。

 

受験生でいえば、多くの親御さんは「少しでも上のクラスに」と塾のクラス分けにこだわりますが、下手にギリギリ上のクラスに行ってしまうとかえって授業がわからなくなるのは、これが原因です。「頑張れば消化しきれる情報量」が適切な情報量です。

 

2)顔だけは頷いているが、聞いていない

多いんですよね、こういう新人くんや生徒。

ガミガミ&キーキー言われるのには慣れっこで、だからこそ「聞かない」という対処法を間違って身に着けてしまったんでしょう。

こういう相手にこそ「何度も教えたのにさっぱり覚えていないよね、覚える気がないよね」ということをズバリ言う必要があります。それが恥ずかしいことだと理解させる必要があるのです。

こういう新人くんや子供に「何度教えたと思ってるのっ!?(怒)」という言い方はまったく意味がありません。「なんか怒ってるな~」ということは伝わりますが、肝心の中身を聞いていないからです(苦笑)。

 

こういう相手には、穏やかに

「いままでに〇度教えましたね」

「それを覚えていないのはなぜかな?」

「聞いていなかったんじゃないかな?」

と段階を追って自覚させると良いです。

キーキー怒っても、相手は嵐が過ぎるのを待ってるだけなので、「自分のこと」にさせ、自分を振り返させるのです。

 

3)頭が良いぶん、自分を過信しメモを取らなくても覚えられるとタカをくくっている

ある意味、一番対処に困るタイプです。

こういうタイプは、一度聞けば「理解」はしてしまう。

理解することと覚えることは全然違うんですけど、このタイプは「わかってるのに、なんで叱られるの?」と素で思っています。

理解する能力が記憶力よりも良い能力だと思っているので、「忘れたらまた聞けばいい」と素で思っています。

だからこそ、「何度教えたと思ってるんだ!」と言わなければいけないんです。

それをビシッと言わない限り、このタイプは他人を「辞書替わり」に使います。

ビシッと言った瞬間は、たしかに相手に恥をかかせることになります。でも、後で感謝されます。

ソースは私です(笑)。

実は、東大生はそれほど記憶力は良くないです。

記憶力を問う設問を、東大が出さないからです。

東大は、「初見の問題をどこまで自分で創意工夫して解けるか」という問題を出してきます。ですから、東大生は世間のイメージとは真逆に「その場で工夫するチカラ」がかなり高いです。「見たことないんでわかりません」という東大生を見たことがありません。彼らは、それを恥だと思ってますから、見たことなくても意地で取り組みます。

しかし、これはルーティーンの軽視につながる一面もあるわけです。

世の中すべてトレードオフです。

 

「ミコトさんって、メモとらないですよね。わかってるからいいと思ってんですよね。でも、それだと僕が困るんです。覚えようとしてください」

以前サラリーマンだったとき、そう言ってくれた後輩くんがいて、今でも私は彼に感謝しています。当時、私は部署移動で後輩くんから仕事を習っていまして、自分で言うのもなんですが理解は滅茶苦茶早いので、ほかの人たちが半年かかって覚える仕事を1か月でこなしていました。でも、細かいところは覚えきれず、そのたびに指導係の後輩君を辞書替わりに聞いていたところ、あるときキレられたわけです。当たり前ですね。

恥ずかしながら、ビシッと言ってもらったおかげで、「何度も同じことを人に尋ねる恥ずかしさ」に気づけまして、その後はメモ魔になりました。

 

思考力の高い子は、ルーティーンや暗記を軽視します。

ぶっちゃけ言うと、「丸暗記はバカのすること」と思ってるんです(^^;

こういう子には「暗記を軽視して何度も人に聞くのは恥ずかしいこと」だということを気づかせなければいけません。

 

昨今は、なんでもパワハラと言いすぎな側面があるなあと危惧しています。