この仕事、好きでやってますし、自分には一番合っている仕事だと思っています。
ですから、その仕事だけで食っていけるどころかキャンセル待ちが多いくらいの状態を日々ありがたく思っています。
それでも、心が折れそうになるときがあります。
それは、生徒がサボるといった生徒の要因ではありません。
親御さんが「わが子の特性を認めようとしない」ケースです。
ざっくり言うと、その生徒が「できない原因」は「性格」や「特性」にあり、まずそこを直さないと伸びないとわかっているのに、どんなに言葉を尽くして伝えても、親御さんが「聞こえないふり」をするケースです。
私は仕事の継続よりも本人の成長を最優先に考えていますので、こういうとき、本当に心が折れます。
「原因がそこにあることさえ受け入れていただければ、生徒が抱えている困難も楽になり『壁』を破れるのに」と口惜しく思うからです。
逆に言うと、たとえ耳が痛い話でも、親御さんが真摯に「原因」を共有してくださり、一緒にサポートしていけた場合には、それこそ「バクノビ」します。その経験が数多くあるだけに、「受け入れない親御さん」を残念に思うわけです。生徒の機会をみすみす潰しているのがわかるので。
今回は、「よくしゃべるのに国語ができない子」について書きます。
おしゃべり大好きなのに、国語がからっきしできない子。
親御さんの目から見たら、不思議かもしれませんね。
でも、これは不思議でもなんでもありません。
なぜなら、よくしゃべる子というのは、往々にして
アウトプット>>>>インプット
の子だから、です。
以前も書いたかもしれませんが、私は今流行りの「コミュ力」という言葉がはっきりいって苦手です。それは、コミュニケーションというものが誤解されているからです。
「コミュ充」と聞いて何を思い浮かべますか?
いつも冗談を言って集団を沸かせて「ウェーイ」してる若者ではないですか?
それは、コミュニケーションでもなんでもありません。
お笑い芸人の真似事です。
いや、そう言ったらお笑い芸人の方に失礼ですね。
お笑い芸人の方々ほど、「他人がいま何を考えているか」に敏感な方々はいないといっていいですから。
しゃべって、冗談を言って場を沸かす。
それが、その場にいる人の隅々まで気を配って理解したうえで、なら確かに相当のコミュニケーション強者です。でも、ほとんどの場合、そうではありませんね。
人は「しゃべっている」間は「聞け」ません。
自分がどう見られるかを過剰に気にする子は要注意です。
そういう子は、他人に対して「小芝居」が通用すると勘違いしています。
私は、大人でも子供でも、小芝居をする人が大変苦手です。
それは、他人を小芝居で騙せるという思い上がりが感じられるからです。
過剰にしゃべりたがりのお子さんと言うのは、基本的に人の話に興味がありません。
ですから、人の話から「語彙」を学ぶことができません。
たとえ知らない言葉が出てきても、聞いていないか、あるいは知ったふりをするか、はたまた独自の解釈をしています。
なにも、そういう若者を貶したいわけではないのです、むしろ逆です。
痛々しくて、かわいそうでならないのです。
承認欲求が過剰で、常に「他人からどう思われているか」が気になって仕方がない。
人の話をさえぎり、茶々を入れ、「自分が」注目されないと不安でしかたがない。
そういう若者を見ていると胸が痛み、少しでも心の安寧を得てほしいと願っている次第です。
だからこそ、本人にもそう伝えるし、親御さんにも「語彙が少ない原因は本人の自意識過剰と承認欲求過剰です」と、オブラートに三重くらい包んで伝えます。
が、ほとんどのケースで、真意は理解していただけませんね(苦笑)。
聞かなかったふりをされるのがほとんどです。
受験云々抜きにして、「人の話を聞かず自分の話ばかりする」クセを早いうちに直さないと、将来かなり苦労します。会社員時代にも、ほんっっとに多かったです、こういうタイプ(苦笑)。会議の途中で茶々を入れ目立ちたがる。そのくせ、人の話は聞いていない。周りはかなり辟易しているんだけど、本人は気づかない。人の話は聞いていないから、仕事の知識が増えない。思い込みで仕事をする。
全部、繋がっているんです。
そういう将来が見えてしまうし、目先の受験にもマイナスなので、ここは耳に痛くても受け入れていただきたいんですけどね。
どれほどお伝えしてもスルーされる場合は、こちらも心が折れますし、それ以上言っても無駄なのでもう言いません。
何度も書いてますが、語彙が極端に少ない場合は、本人が他人の話に興味がないか、あるいはご家庭で「会話」が非常に少ないせいです。それを言われるのは腹も立つでしょうし認めたくない気持ちはわかります。
でも、我が子の将来を考えたら、そこはグッとこらえて「真の原因」に向き合ったほうが子供のためになると思いますね。