流行りましたねえ、あの本(遠い目)。
個人的には苦手ですね。
知り合いの東大生はみな懐疑的ですね(かなりマイルドな表現に変えております)。
あのアホな本のせいで中受ゴリゴリになっているご家庭が増えている現実を憂いています。
- 中受時点では「遺伝」と「躾」が9割
- 12歳の子に、親から受け継いだDNAを凌駕するほど努力しろというのは酷
- 躾が出来てない子はそもそも中受する資格がない
- 「三つ子の魂百まで」は真実だが、それは早期教育のことではない
中受時点では「遺伝」と「躾」が9割
佐藤ママは「親のサポートが9割」と言いたいみたいですが、違いますね。
まあ、「親が9割」はある意味間違っちゃいないんだけど、
それは間違っても「親のサポート」ではないですね。
あくまで経験からの個人的な結論ですが
「遺伝」と「それまでの躾」が9割
だと感じています。
その意味では親が9割。
以前も書きましたが
中受は 才能が努力を凌駕する
高受・大受は 努力が才能を凌駕する
と思っています。
ある意味、ゲーム(RPG)にそっくりですよね。
ゲームされない方にはチンプンカンプンの話で申し訳ないですが(汗)、ゲームの「キャラ」って、初期設定が結構違うんですよ。いわゆる初期パラメータってやつ。
で、ですね。
ゲーム序盤は、初期パラメータが高いキャラが、もちろん有利です。サクサク敵を倒せます。でも、後半になってくると違うんですよね。「経験値」でどれだけ「キャラを育てたか」のファクターのほうが、よほど重要になります。
初期パラメータがどれだけ高くても、「鍛え」なければ強くならないまま。
初期パラメータが微妙でも、経験値を増やすことで強くなれる。
ゲームと一緒にしたらお叱りを受けるかもしれませんが、とても似ている気がします。
その意味で、「親ガチャ」を嘆く若者に「あきらめる必要はない」と強く言いたいですがこれまた長くなりそうなので別記事で。
とりあえず、中受時点ではまだまだ「初期パラメータ(すなわち持って生まれた才能)」が優位だということです。
12歳の子に、親から受け継いだDNAを凌駕するほど努力しろというのは酷
12歳では身体的成長が出そろっていません。
脳も「臓器」の一部ですから、この時点ではまだまだ「持って生まれたもの」が非常に大きなファクターとなります。
この記事でも書きましたが、
「わが子のダメなところ」を並べ立てる親御さんと話していると「親子そっくりだな…」と感じることが多々あります。
お子さんは、親御さんに似ているだけなんです(例外はあります、もちろん)。
「ウチの子は何を言っているかわからない」と小一時間話すお母さんの話し方は的を射ずひたすら冗長ですし、「ウチの子は忘れ物大魔王!」と憤るお母さんは連絡ミス多発。「ウチの子、全然言うことをきかなくて」というお母さんは、こちらからのアドバイスは聞かず必ず反論する(苦笑)。例を挙げたらキリがありません。
中高生になって親を客観的に見られるようになると、だいたいの子は親を反面教師にして自分を鍛え始めます。
そうなってからこそが真の「勝負」だと私は思っているので、高校受験に復権してもらいたいと真に願っていますし、公立高の中高一貫化には断固反対です。
数学にしろ現代文にしろ、大学受験でモノを言うのは、生まれ持ったセンスではなく学習量です。逆に言うと、脳が育ちきっておらず、かつ経験も少ない小学生は、ほぼ「親から受け継いだ『初期武器』で戦う」ことになります。
その意味では「親(からの遺伝)が9割」ですが、中受業界や「たまたま成功した親の自己アピール」に煽られて「親の手厚いサポート次第で御三家や準御三家入れる」と思われている現状には、蟷螂之斧ながら警鐘を鳴らしたいなあ。
そういえば、漫画「二月の勝者」に「課金で強い武器持たせたい」というセリフがありましたが、あれはまさに中受業界に煽られて勘違いした悲劇だと思います。
「課金」でメキメキ頭角を現す子というのは、ぶっちゃけもともと才能がある子です。
躾が出来てない子はそもそも中受する資格がない
この5~6年で、生徒の質がだいぶ変わってきたのを感じています。
長くなりそうなのでまた別途書きますが、端的に言うと
以前は「日常生活に支障はないけど、ちょっと勉強が苦手」な子がほとんどでした。
今は「小学校高学年なら『当たり前』のことが全然できない」子が過半数。
まあこれは、私がそういう子をバクノビさせるのが得意だからそういう仕事が回ってきているだけかもしれませんし、半径100メートルの経験を一般化するつもりはありませんが、それでも、正直「こういう子は昭和や平成中期までは中受しなかったな…」という子が増えているのは体感しますね。
・挨拶をする
・約束を守る(守ろうとする)
・人の話はしっかり聞く(聞こうとする)
・ウソをつかない
・授業中に奇声をあげない、暴れない
エトセトラ。
この辺りは、最低限の躾だと思うのですがいかがでしょうか。
これらのことができていないのに、テストの点だけ上げてどうするんだろう。
ていうか、何度も書いてますけど、当たり前のことが当たり前にできないのにテストの点だけ上がるってことはありえないですよ?
そして
個人コーチは保育士ではない、と声を大にして言いたい。
私がこういうお子さんをバクノビさせるのが得意なのは事実ですが、それは親御さんが放棄してきた躾を私がやり直すからです。ぶっちゃけ、そういう意味では、最低限のしつけができていない子についてはプラスアルファの「躾料金」いただかないとやってられないなと感じる今日この頃です。
(念のため補足しますと、金が欲しいわけではなく、そうでもしないと「親御さんがちゃんと躾をされてきた結果、当たり前のことが当たり前にできる子」と不公平だからです)
「三つ子の魂百まで」は真実だが、それは早期教育のことではない
幼児期が大事、と言うと「幼児期の早期教育が大事」と誤解されがちなのですが、それも違います。
何度も書いてますが、幼児期はカブトムシ捕まえたりセミの抜け殻探したり木登りしたり友達とドロケーやってればいい、いやむしろそっちの方が大事!
そして、何よりも大事なのが「親子の会話」。
最近激増しているのが、YouTube中毒の相談なんです。
受験期になっても、ちょっと目を離すとYouTube見ていて、そのたびにバトルになる、という相談です。
ちょっと待て(苦笑)。
私が昭和の人間だからかもしれませんが、正直、小学生が部屋でYouTube見放題とかおかしいですから!!ありえない。
これも前に書きましたが、スティーブジョブスは自分の子供にiPad持たせてない。
(詳しくはこちら↓)
受験期になってYouTube中毒の相談をしてくるご家庭って、もれなく「タブレット育児」してるんです。そりゃあ、幼児にタブレット与えておけば楽なのはわかります。好奇心の強い子ほど、幼児期は朝から晩まで「あれなに?」「なんで?」の連発ですからね。
でも、そのツケはいつか返ってきます。
一度麻薬を与えておいて、後から取り上げる?
無理でしょ。
「タブレット動画漬け」にしておいて、中受が迫ったら都合よく本人が自ら「卒業」するとかありえないですから。
正直、この手の相談を受けるたびに「なんでタブレット育児したんですか…」と、暗澹たる気持ちになります。無理です、いまさら。
さらに、タブレット育児の怖い点。
幼少期に「会話」をしていない子は、本当に国語が苦手です。
これまた長くなりそうなので別記事で書きますが、受験期のスマホ中毒に悩む親御さんの多くがタブレット育児されてますし、そして今でも(子供のYouTube中毒に悩んでいても!)ご自身がスマホやタブレットを手放せないんです。
「親が9割」の真実は、こういうところです。
「親が、あるべき姿を見せているか?」なんです。
子供は親の背中を見ていますよ。
親が我慢できないことを子供に我慢させようというのは無理。
親が今「勉強」していないのに子供にだけ勉強させようというのは無理。
「親ガチャ」という流行語に憤る前に、我が子の嫌なところは実は自分に似ているのではないか?と振り返ってみると、いろいろ見えてくるかもしれません。