とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

来期から中受指導を辞めようと思う(2)

前回の続きです。

今すぐは難しいけど、辞めると決めたら物凄く気が楽になった。

昔やっていたように、中学生高校生の指導に戻りたいが、都心だと難しそうだなあ。

都心はもはや中受一色と言っても過言ではないので。

家買い換えたばかりだけど、郊外に引っ越そうかな。

 

前回も、いやこれまでも散々書いた通り、もう、中受の親御さんの相手が私には限界なんだなと思う。

もちろん、良い方も大勢いらっしゃる。

我が子の実力を見極め、助言に耳を傾けてくださる方。

でも、本当に年々減っている、そういう方は。

 

6+4÷2=5、と答える小6生。

授業中1分とじっとしていられない小6生。

そういう子を御三家準御三家に、という親御さんは、「聞きたい話」しか聞いてくれない。前回も書いたように、こういうご家庭を「カモ」ととらえる中受関係者は多い。そういう「ギョーカイの闇」も、そろそろ嫌になってきた。

 

都心で中受がここまで過熱してしまったのは、「自我がはっきりする前なら、親の力でなんとかなる」という間違った認識が原因だと思う。

 

よく、「中受する母集団自体が小学生全体の上層だから、偏差値40~50でも十分優秀」というまことしやかなことが言われているけれど、私はこれも眉唾だと思っている。

中受塾に行かず、いきなり統一テストなどを受けて偏差値50なら大したものだと思う。

でも、中受塾に小4、下手したら低学年から通っても、例えば「四科のまとめ」の白ナンバーが解けないのは、少なくとも現時点では「全国の小学生と比べて優秀」ではない。なぜなら、くり返しくり返し塾でそれを教えているからだ。それでも数年間それが理解できないということはどういうことなのか、考えてみてもよいのではないだろうか。

 

もう一つの理由は、ずば抜けた層を除けば、進学塾で「机上の論」だけを学びそこそこの偏差値を出せる生徒たちが、申し訳ないけれど「賢い」とは全く思えないからだ。

これは、最近の私立中の選抜試験に悪問が増えてきたのが遠因だろう。中受塾がどんどん「テクニック」を開発するから、それ以上に難しくしようとして、安易に高校レベルの問題を出している学校続出。もう、イタチごっこ。では、そういう問題が解ける子が、中高生以上に「原理」をわかっているのかと言えば、ずば抜けた小学生を除けば、そうとは言えない。

月の公転周期を暗記し満ち欠けは満点取れても、自宅の東西南北がわからない子、太陽がどちらから上るかわからない子、浮力計算はできても水に浮かんだ氷の図が描けない子。速さのダイヤグラムは解けても、「Aさんの歩く速さは時速40キロ」と答えて平気な子。エトセトラ、エトセトラ。いったい、どうなっているんだろうと思う。

 

親だけの問題ではない。

年間200万以上の塾代をドブに捨てる勢いで勉強嫌いな子、たくさんいる。

何度も書いているけれど、どれだけ低偏差値だろうが、本人が真剣なら、私はそのお金は絶対に無駄ではないと思う。

一方、小4~6で600万前後塾代を親に払わせ、宿題すらせず、さらに個別や家庭教師をつけさせ、その「重課金」すら無駄にし、不貞腐れる子供。正直、なんでこういう子に重課金するのか私にはわからない。こういう子は、もれなく「勉強してやっている」という態度。下手をすれば家庭教師に対しても同様です。そういう小学生の「ご機嫌を取る」のは私の仕事ではありませんが、これまた年々増えているんだよなあ、不機嫌を武器にして大人を支配しようとする子供。「センセイはウチの親から金もらってるんだから、立場弱いでしょ」と思ってるんだよねえ。私はそういう子に教える気は一切ありませんし、仕事に困ってないのでガンガン躾けますけれど。

前回も書いたけれど、ほんと小学校の先生、大変ですね…同情します。

 

話を戻しましょう。

「中受なら親がゴリ押せばなんとかなる」の弊害は、いずれやってきます。

中高でドロップアウトし、フリースクールに通う生徒たち。彼らの不登校からの退学は、人間関係が理由のことも多いが、意外なほど多いのが「中受で無理をしたこと」が原因であるケース。

我が子の実力と成長期を見誤り、自分の見栄から中受塾で疲弊させ、結果的に自己肯定感をゼロにした上に勉強嫌いにさせた親は、心底反省して子供に詫びていただきたい。

 

まさしく蟷螂之斧ではあるが、一人でも教育虐待から救い、学問に目覚めさせてあげたいと思ってやってきたのだけれど。

 

これも、時代の流れなんだろう。

 

10年くらい前は、分数の割り算ができない子に、じっくり時間をかけて教えていても、親は任せてくれていた。「無茶な成果」は求めなかった。

だからこそじっくり教えることができ、そういう子があるとき「目覚め」て、ぐいぐい成績が伸びることも多々あった。

中学でずっと数学が1か2だった子が、高校3年間、中学数学のいイロハからやり直したらメキメキ伸びてきて、MARCHの理系に進んだことさえある。「先生、俺、なんか数学好きみたい。理系に行きたい」と言い出したとき、どれほど嬉しかったことか。

 

高1で「卒倒」が読めず意味も分からなかった子が「先生、哲学面白いです!」と言い出し、センター現代文や早慶現代文で満点連発になったとき、どれほど嬉しかったか。

 

「できない子」だから教えたくないんじゃない。

私は、「時間」が欲しいんだ。

 

発達障害の診断が下りていて、「比」の概念すらなかった中学生が、何度も何度も根気よく教えることで、二次方程式をクラスメイトに教えるようにまでなったとき、嬉しかったなあ。

残念ながら、中受において、そういう「成長」を親は「成長」だと認めてくれない。

偏差値20以上ギャップがある難関校に受かることだけが彼らの「成功」だから。

おそらく、この傾向は過熱することはあっても逆戻りすることはないだろう。

 

思えば、もともと私は中高生メインの私塾をやっていたんだったな(^^;

原点に戻って「本人こそが、自分をなんとかしたいと願っている」「親はそんな子供を信じて見守っている」ケースで、生徒たちに、時間をかけて「学問の面白さ」を伝えていきたい。

そのためには、ただ願うだけじゃなくて、きちんと筋道を考えなきゃだな。

そんなこんなで、しばらくまたここでああでもないこうでもないと言い続けるかもしれませんが、ご容赦のほど。