読みました、話題の「翼の翼」。
非常にリアルでしたね。
でも、私はこれに「感動」したくはない。
ネタバレしない程度にご紹介しますと、「わが子が頭がいいと思い込んだ親が子供を潰しかける話」ですね。
いや、潰してますね。
人間として一度潰してますけど、死なせるまでには至らなかった、という程度ですね。
毎年こういう親には会いますし、そのたびに忸怩たる思いになります。
中受が「自分のゲーム」になってしまい、泥沼にはまる父母。
自分は御三家の問題ひとつ解けないのにね。
この本は、話題の「二月の勝者」より、よほど狂気がリアルでヤバいくらいで、そこはすごいなあと感心しましたが、ひとつ疑問が残ります。
ゆるくネタバレしますので、間を空けますね。
ゆるくともネタバレ嫌!な方はブラウザバック推奨です。
さて、私がこの本に感じた違和感。
それは、結局「母の愛の肯定」で終わっているところです。
子供が完全につぶれてしまっているのに、「それに気づけた母GOOD!!」で終わってしまっています。
あのさあ。
最初は母親が潰したんだろ。
父親がさらに潰したから守りに入ってるけど、最初は自分だろ。
親が、親の見栄で受験させて子供潰しかけたなら、まずは子供本人に謝れよ。
子供は、親の見栄で潰されかけたとわかっていても、最後まで親をかばうんだよ。
DV被害の子供が親かばうのと同じなんだよ。
教育虐待は、DVなんだよ。
過去記事でも書きましたが、この手の小説やドラマや漫画って、「親も反省している」で手打ちにしすぎてません?
親も人間です、未熟です、成長しました。
うん、それはいいと思うよ、成長したんだね。
でもさ。
未熟なときに傷つけた相手には謝りなよ。
これが、親→子供ではなく、いじめっ子→いじめられっ子、なら、謝るシーンって出てきません?普通。
いじめっ子が「内心で」反省して、当時いじめられてた子は許せますかね?
直接土下座して謝られないと許せないんじゃないですか?
私が、何度か書きましたけど、もう中受指導はやめようと思っているのはこれこそが理由なんです。
本人が〇〇校切望、なら話は別ですが(これは少数派)ほとんどは、親がこの小説の翼の母みたいに夢見ちゃってゴリゴリ勉強させて、小4~5くらいで「あれ?ウチの子、そこまでできなくない?」ってうっすら気づいても諦めきれなくて、子供が奇声発したり髪の毛抜いたりしても許さなくて、そういう親が諦める「ゲームオーバー」までの時間切れを待つゲームになってるんですよ。
周りはみんなわかってます。
親だけが、諦めきれない。
子供自身だってわかってます。
親が諦めるためだけに2月1日まで頑張らせるって、それでいいんですかね。
まあ、この手の小説を買うのは「親」ですからね。
親も頑張ってる、親もつらい、そうしたほうが絶対売れるでしょうね。
「二月の勝者」もそうですわ。
だって、こういう小説や漫画買うのは子供本人じゃなくて親だもんね。
もう、ほんとこういうの嫌。
私たち講師は、親の見栄のためにどれだけ子供が潰されているか目の当たりにしてる。
でも、このジャンルでは「親の立場」ばかり書いてるんだよねどの作品も。
こういう親がいかに愚かかを描き切った名作は「下流の宴」だと思います。
話を「翼の翼」に戻しますと、小説は良いところで終わってましたが、後日談としては翼がいずれ引きこもりになったり両親に暴力ふるうようになったりする未来が想像できてしまいますね。
思春期の子供を潰しておいて、「私たちも反省したし」「私たちも考え直したし」で済むと思ったら大間違いだと思います。それは、いじめっ子の論理です。