とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「親」は「親」をかばうんだなという感想~「翼の翼」

昨日の続きです。

「翼の翼」、親が狂気に取り込まれていく過程や、親同士のマウントの取り合い、私立に行かない子を過剰に見下げる描写など、非常にリアルだっただけに、ラストに納得いかない思いがくすぶっています。

読後、思い出されたのが「次男を投げ落として殺害した母への減刑嘆願署名」でした。

以下、ゆるバレ含みますので改行します。

 

 

 

 

 

 

昨日も書きましたが、我が子と言えど「他人」。

他人を「追い込んだ」人間は、なんらかの報いを得ないと読者は納得しない。

あれだけ追い詰められて潰された翼が父親の母校を選んでしまうというのは、まだ呪縛から自由になっていないという証。

翼くんは救われてほしかったが、父母は報いを受けるべき。

例えば、見栄っ張りの円佳にしてみたら、我が家の実情が近所やママ友にバレるのも報いの一つでしょう。父親もしかり。会社にバレるとか、あるいは息子が荒れてパトカー騒ぎになるとか、そういうのがあの家には必要。

翼くんは、父親の母校に背を向けて函館ラサールとかに入って両親と訣別するべきだった。あの子には、親との決別が不可欠。

でも結局、翼くんが全部背負いこんで終わってしまった。

 

どうして親が報いを受けないんだろう、とレビューをググってみたら真っ先に目に入ったのが著者のインタビューでした。

www.bookbang.jp

なーんだ、結局著者の朝比奈さんが中受親だったから、あの結末になったのね。

あそこまで潰しておいて「明るい未来があると思ってる」ってそりゃないだろ。

もし翼くんが「明るい未来」に行くとしたら、それは翼くんが全部飲み込んで自分で頑張った結果だよ。でも、ここで親ときっちりカタつけないと、見た目は良い大学に行ったり良い会社に行ったりしても、心の中にくすぶって後を引くけどね。

なんであの両親が恥をかくとかいう展開にできなかったのかね。

まあでもそりゃそうか、自分のやってきたことを「断罪」はできないもんね。そういうのは湊かなえさんにしか期待できないのかな。

 

作中のコンコルド効果、については高校の教科書に載ってますね。

私は、著者の朝比奈さんがあの結末にしたことこそ「コンコルド効果」だと思います。

自分が壮絶な中受をやってきてしまった、でもそれを悪いことだとは思いたくない。

無駄だとは思いたくない。

だから、「父親と言う新たな悪役」を出し、「母親は悪くない」という流れにもっていき、そして、翼が中受を続けると言った(言わせたんでしょう?)ことで「中受自体は悪くない」という結末にしてしまった。

「二月」もそうなんだけど、「当事者」が描くとやっぱりそっち寄りになっちゃうからね、「当事者」は十年は書かないほうがいいんじゃないかなあ。

 

コンコルド効果で言うと、これはここでも何度も書いているんですが、中受した方の「公立中高憎し」ってすごいですね(笑)。そりゃそうか、小4~6まで塾だけで300万、私らみたいな個人講師頼んだら青天井、中学入学までに手付金含めてすでに500~1000万使っちゃったりしてるもんね。それはそれで個人の選択だから別にいい。でもさ、「翼の翼」の中にもそういうママが出てきてたけど、だからって公立をボロクソに言うのは間違ってるよね。だって公立中の実態知らないじゃん。いまや公立中って「普通」ですよ。金八の時代とは違いますし、金八時代でも、割と子供同士はお互い「住み分け」しててうまくいってた。私立を選ぶのは個人の選択だけど、知りもしない公立をボロクソに言うのは「コンコルド効果」だなあと思っています。

 

さて、この本を読んでなぜか思い出されたのが、ある母親が三人兄弟の中で育てにくいと感じた次男を投げ落として殺してしまった事件。知人でもなんでもないので、犯人に深く言及する気はないけれども、その後起こった「母親たちによる減刑嘆願署名」には腰を抜かした。

「お母さんがどれだけ大変だったかわかる、だから執行猶予にしてあげて」って、すみません意味がわかりません。犯人の「お母さん」の心を思いやれる方たちが、殺された子供の心、恐怖、痛みを一切思いやれていない。ひとつの命が親の手でなくなったことに心を痛めない方々が親の減刑を嘆願する、それを美談だと自分たちで考えているのがうすら寒かったです。

 

「翼の翼」や「二月の勝者」は、親向けの物語。

肝心の子供は置いてきぼり。

実際の受験の現場では、親同士が競い合っているのに、いざ子供が親の被害者になると「親の気持ちがわかる」と言い合うのは、あれですかね、共犯者意識なんですかね。