いささか挑発的なタイトルになっておりますが、誤解なきよう。
もちろん「お子さん=猫レベル」と言う話ではございません(笑)。
犬や猫、小鳥、ハムスター、はたまたハリネズミなどなど。
同居動物(造語です。ペットや愛玩動物と言う言葉が好きではないので)は、「もう、そこにいるだけでいい」という方が多いのではないでしょうか?
そういったワンコやニャンコに「受験」させる方はいないと思います(笑)。
それ以前に、まず「よその子と比べる気にならない」んじゃないでしょうか。
もっと美しかったらいいのに。
もっと賢かったらいいのに。
そういう想いを同居動物に抱く人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
「となりのレトリバーくんは、もう『お手』をマスターしたというのに!(怒)」なんて、想像するだけでおかしいですよね(^^)
もちろん、一緒に暮らす以上、「我が家のルール」は最低限しつける必要はあるでしょう。トイレやごはんや爪とぎなどなど。
それ以上は求めない。
それはなぜか。
それは、「ほかの犬猫と比べなくて良い」からじゃないのかな。
ほかの子と比べなくて済むなら、ただただ愛情を注げる。
「子供」は巣立っていくんだから、ずっと家の中で保護できる犬猫と一緒にするな。
というお叱りが聞こえてきそうです。
これはもちろんわかります。
でも、もし自分が育てている犬猫が「成長したら野に放つ」というルールだとしたら。
真っ先に身につけさせたいことは「生きるチカラ」だけなんじゃないでしょうか。
すなわち「自分で餌をとること」「わが身を守る知恵」。
「犬猫界の偏差値〇〇にしないと外に出せない!」ということは、ないと思うんです。
なんでなのかなあ。
やっぱり人間は、多くの生き物と違って「親子関係がずっと続く」からなのかなあ。
あるいは、血のつながり=遺伝子の繋がりがあるから「子供の評価=自分の評価」になっちゃうのかなあ。
私は、子供には「幸せを感じるチカラ」を身に着けてほしいと思う。
その能力がないと、どれだけお金があろうと出世しようと「不幸」なまま。
それは、人と比べて優位にいないと不幸に感じてしまうからだ。
まだ世の中を知らず、価値観が定まらないうちに「偏差値と言う尺度」を植え付けられてしまうことは、長い人生を考えるとすごく怖いことだと思う。
私が(行き過ぎた)中受に懐疑的で高受&大受推奨なのは、それが理由です。
15にもなれば、「なにがなんだかわからないうちに受験することになってる」という事態は少なくともありえない。人間が社会的動物である以上、そこには多かれ少なかれ制約はあるだろうけれども、その中で「自分の意志で」選んで受験できる。
大学の偏差値ですら誤差だと私は思っているけど、「自分で選び、挑戦する」という意味で高校受験や大学受験は最高の腕試し&試練だと思う。
たぶん、高校受験や大学受験こそ、「巣立ちの儀式」なんだと感じている。