以前、こんな記事を見ました。
「東大一辺倒の『ドラゴン桜』に比べて、『二月の勝者』は子供の数だけゴールがあるからいい」というものでした。
私は、残念ながらそれは違うと思います。
「二月の勝者」は結局、御三家、いえ開成&桜蔭をベストゴールとする序列の物語になってしまったと思います。
今日放映された回では、島津順くんメインの回だったので見過ごされた方も多いと思いますが、野球少年の伊達くんの父兄面接で、黒木は塾講師が越えてはいけない一線を越えたと感じました。
それは、伊達くんが熱望している野球強豪校から志望を変えさせたときの説得法です。
「強豪校に行っても万年補欠。それならこちらで楽しく野球をやれば~」というような説得でした。まあ、慰めのつもりなのでしょうけれども。
たしかに伊達くんは第一志望の熱望校には学力が足りない。だったら、率直に「今のままでは合格は厳しい」と言えばよいのです。それでも、伊達くんはその学校を受けたいかもしれない。受けたいなら受ければいい。次に伊達くんが上げた第二志望の野球強豪校は逆に偏差値が低すぎたので「もったいない」と上記の説得になったわけですが、「物差しが偏差値だけ」になってませんかね?
あのですね。
我々講師が口にしていいのは「学力にかかわることだけ」です。
我々は「勉強の専門家」だからです。
「お前は頑張っても所詮補欠だよ」と、塾講師が言う資格はありません。
過去記事でも書きましたが、「たとえ万年補欠でも、そこに入れるだけでいい」という人間はたくさんいるんです。何を勝手に黒木が決めているのか。
だったら花恋は桜蔭で「学力の万年補欠」になるんじゃないんですか?(苦笑)
非常に強い違和感を覚えました。
思い起こせば、初回に出てきた三浦くんもそうでしたね。
「お前はたいしたサッカー選手にはなれない、だから勉強しろ」
それを言っていいのは、親だけです。
選手になれなかったら、選手を目指すことは無駄ですか?
だったら、勉強だって東大に入れなかったら全員無駄じゃないんですか?
(東大がゴールだと仮定して、ですが)
たしかに、塾が志望校について私見を言うことはあります。
塾は、学力ある子に偏差値高い学校にシフトすることを強くお勧めするようですね。
でもその場合も、学力に絞ったお勧めしかしていないはずです。
「それだけの学力があったらもったいない」というヤツです。
個人講師の場合は人それぞれだと思いますが、私の場合は、ご家庭から相談されない限り基本的にアドバイスはしません。
「この子はもっと上狙えるな」と思っていても、塾とは違って自分の実績作りのために高めを受けさせることは絶対にしません。
唯一アドバイスをするのは、親の志望が高すぎて子供が潰れかけているときです。
子供が好きでやってることを「お前はそこでは大成できない、だから勉強しろ」なんていうのは言語道断です。「この子は〇〇では凡人だが、勉強なら東大入れる」なら「勉強も面白いよ!」とは言うでしょうが、人生で何をやりたいかなんていうのは本人が決めること。
いや、ほんと黒木はとっくに塾講師の踏み込んでいい閾値超えてますって(笑)。
「若い時に何かに本気で夢中になって、その道のプロを目指す」ことは、それだけでプライスレスな価値があります。何かを夢中で目指せない子供のほうが多いからです。私の教え子にも、俳優を目指している子、漫画家を目指している子、いろいろいます。その子達に向かって「プロは無理だから勉強しよう」と言う資格が誰にあるんでしょうか?
もしあるとすれば、それは「勉強のプロ」ではなくて、その習い事の師匠なんじゃないでしょうか。たとえば、バレエの先生が教え子を見て「この子はプロにはなれないな」と思ったら、それを早めに伝えてあげるのは愛情といえるかもしれません。それが許されるのは、その先生が「バレエの専門家だから」です。黒木は「勉強の専門家」でしかありません。本人が本気でやっていることを辞めさせる資格はありません。
それと、作中の三浦くんほかは、おそらく先で黒木を恨むと思いますよ(笑)。
若い時に本気で目指したことを、実際にプロテストに落ちたとか天才を間近で見て自分で限界を感じたとかそういう理由ではなく、「趣味をやめさせて勉強をさせたい大人」が「君には才能がない」と言って方向転換させることは、確実に禍根を残します。
そもそも、大人の黒木が11歳の子をリフティングで負かして「才能ない」と言い切るのもどうなんだろう。
「ゴールがたくさんある」のウソは、ほかにも多々あります。
武田くん。課金ゲーだと親を焚きつけて嫌がる子供を合宿に行かせた武田くん、結局志望校「下げて」ますよね。ゴールポスト動かしましたよね。
「集団のトップでこそ輝く」なら、花恋の行くべき学校は桜蔭ではない。
今スピリッツで連載中の「前受け受験校」についてはなおさらです。
(ここからゆるくネタバレ入りますので、単行本派の方はブラウザバック推奨です)
埼玉・千葉受験を「前受け」と言い切るのは、あまりにも「東京在住者の視点でしかない」のではないでしょうか。桜花の子たちは、浦和明の星・渋幕・栄東・開智・大宮開成に受かっても行く気はゼロでしょう。作中での扱いも「お試し」「模試」「受験慣れ」という扱いです。
たしかに、それは現実として存在します。
でも、埼玉や千葉の子たちにとっては違います。
あれを無意識に描いてしまっているのだとしたら、私は周りに誰も止める人がいなかったのかとちょっと怖くなります。
「全国誌で埼玉・千葉受験は東京の『前受け』と言い切ることのマズさ」が頭に浮かばなかったというのは、関係者全員東京在住だからだと感じます。
順くんの、愛知・海陽特待生受験も、いろいろまずい。
まあ、「特待生」であって「奨学生」ではないのでセーフなのかなあ。
でも、やたら感動話になってましたが「順は『二月の勝者』を目指していたのよね」というのもモヤりポイント。二月受験、すなわち東京の覇者が真の勝者という価値観が透けて見えます。
今日のドラマでは、「一番になりたい!だから開成!」と言ってましたが、灘と筑駒忘れてるのかなあ(苦笑)。
ついでに言うと、順くんって開成に「行きたい」とはたしか一度も言ってない。
腕試しに「受けたい」だけなんだよね。
いかんいかん、つい熱くなってしまいました。
「二月の勝者」自体を云々言いたいわけではないのです(汗)。
作家さんがどういう価値観で描こうとそれは作家さんの自由ですから。
でも、タイトルに書いた通り「『二月の勝者』はゴールが子供の数だけあるからいい」というのは真っ赤なウソであり、そういう風にあの作品をバイブル視することは危険だと思っています。
なぜなら、あの作品の中で「多様なゴール」に見えているのは「学力が足りなくてゴールが変わっただけ」だからです。埼玉・千葉を練習台として描いているのも、三浦くんを「サッカーでは凡人」と言い受験に引き込んだのも、伊達くんに強豪校を諦めさせたのも、武田くんが結局日大附属諦めたのも、結局エトセトラ、描かれているのは「偏差値による中学校の序列化」です。偏差値あったらみんな開成桜蔭目指すでしょう。
「ドラゴン桜はゴールが東大ひとつなのが視野狭窄、価値観が古い」というのは誤解もいいところです。むしろ逆です。桜木が「東大しかダメだ!」というのは、何も早稲田や慶應、他の大学を蔑視しているからではありません(桜木は東大出ていませんし)。
これまた過去記事でも書きましたが、あの漫画の中での「東大」=「甲子園優勝」なんですよ。「ドラゴン桜」はスポ根なんです。
だからこそ、たしか20巻で桜木以外の専科の先生方が「早稲田なら受かりそうだから路線変更しては」と言い出したとき「それは生徒の信頼を裏切ることだ」と桜木は認めなかったわけです。
「二月の勝者」は無意識のヒエラルキーの物語です。
ゴールは複数はありません、ただ一つ「偏差値」です。
面白い漫画だとは思いますが、タイトルに「東京の」とつけて欲しい(笑)。