とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「勉強すれば可能性が広がる」のウソ

中受をやっていると、よく親御さんから言われます。

「中学受験をして(少しでも良い学校に行ければ)可能性が広がるので」と。

ま、ほとんどは本音を隠してるだけだと感じていますが。

本音は「少しでも偏差値の良い学校に行ってほしい」。

でも、それを子供に言うのはなんだか嫌だ。

「可能性が広がる」というと聞こえがいい。

だから子供にもそう言って中学受験をさせる。

経験上、そういう親御さんがほとんどでした。

 

でも、歳をとったからこそわかることがあります。

中学受験して私立に行ったからって、可能性は「広がり」はしません。「シフトする」だけ。

 

1)勉強=可能性に繋がる条件

勉強することで可能性が広がる子も、たしかにいます。

それには条件があります

「勉強って面白い」と気づく子

です。好奇心が強い子が学びによって「視野」が広がれば、たしかに可能性は広がるでしょう。

 

一方、勉強が嫌いでいつも親とバトル、こういう子はやらせればやらせるほど勉強が嫌いになっていきます。こういう子にとって勉強は「テクニックの暗記」「作業」でしかないので、どれだけやっても視野は広がるどころか狭まり、かつ偏ります。

 

2)ハードルが上がることで「可能性」は狭まる

 

そもそも「可能性」ってなんですかね。

偏差値の高い中学に行って偏差値の高い大学に行けば「可能性」って広がるんですか?

私はそうは思わないです。

むしろ、狭まります。

偏差値の高い大学に行けば行くほど、「こんな仕事は俺/私のする仕事じゃない」と思うようになります。

仕事だけではありません。

住むところ、乗る車、果ては結婚相手にしても「自分にふさわしいもの」以外は認められなくなっていく。

 

世間で一流と言われる会社に入ると、ますます選択肢は狭まります。

私は新卒でそういう会社に入りましたが、社員のみなさんの価値観がものすごく偏っていたのを覚えています。

住むなら東京都心(港区とか)23区西部(杉並、世田谷など)。

車は少なくとも〇〇クラス以上(カローラとかありえない)。

などなど。

 

そういう価値観の彼らには、東京を捨てて近県や地方で「子供が土を触れる生活」を選べない。都心に家を建て、あるいはマンションを買い、子供に「家の中で走っちゃダメ!」と言う生活を選ぶ。

どちらが良いという意味ではないです念のため。

選んだ方向に選択肢がシフトするだけで、可能性が広がるわけではない、ということを言いたいだけです。

 

3)「もったいない」の気持ちが生む悲劇

お子さんに「勉強したら可能性が広がるよ」とキレイゴトを言っている親御さんに聞いてみたい。

本気で「広がる」と思ってますか?

もし仮に、勉強してそこそこの偏差値の学校に行った子が「俺は大工になりたい」「私は漫画家になりたい」と言いだしたら喜んで認めてあげられますか?

違いますよね(苦笑

中受するからには、大学に行くからには。

「そこまで行ったのにもったいない」という気持ちが働きますよね。

 

親御さんだけじゃないです。

一番の悲劇は、本人が「〇〇まで行ったのに、こんな仕事にはつけない」つまり「俺が/私がもったいない」と思ってしまうことです。

残念ながら、中受をさせる親御さんが望むようなホワイトカラーの枠は、そこまで多くはありません。そこで仕事と志望のミスマッチが起きます。社会問題になっているニートに関しては、この「ミスマッチ」が一番大きな原因だと思っています。

 

不登校からニートになる子たちの背景はひとくくりにはできませんが、発達障害的な要素を偏差値で埋めようとして中受にエネルギー全振りし、結果的にそこそこの私立中に行ったもののそこで「電池切れ」からの不登校になり、でも本人には「中受したプライド」があるため「カッコいい仕事」「手を汚さない仕事」以外は受け付けずニート、というケースを多々見てきました。

発達障害的な要素を高偏差値の学校に行くことで埋めようとするリスクに関しては過去記事に書きました。

mikoto2020.hatenablog.com

 

 

4)生き方が狭まる悲劇

 

前項とかぶりますが。

私には山登りやスキーなどの趣味があります。

そこで知り合った方の中には、勉強が苦手or嫌いで高卒で看護師になられた方や警察官や消防士になられた方、あるいは自営の方もたくさんいます。

山やスキーって、そこそこ、いや結構お金かかります。

でも、彼らは悠々と趣味を楽しんでいます。

生活にもキツキツ感はない。

 

「一流企業に雇われないと生活が苦しい」というわけではない。

なぜなら、一流と言われる会社に入れば入るほど、前述したように家や車にシバリが出て、結局自由に使えるお金は変わらなかったりするからです。

俗に言う「2馬力」「パワーカップル」でも、意外と日々の生活がキツキツでいつもお金のことばかり考えている家庭が多いのも「固定費」が高いからだと思います。

 

AIの台頭により、いわゆる「事務職」「営業」などのホワイトカラーはどんどん需要が減っています。企業側も、昭和や平成初期と違って大学名より学部を重視しています。

「何学部でもGMARCH日東駒専の名前がついてればなんとかなる」時代ではない。

 

高校卒業後は専門学校で資格を取り、しっかりとした道を歩む人生もある。

でも、結構なお金をかけて私立中高一貫に入れた親御さんも、「私立」に入ったことで妙なプライドを持ってしまった子供自身も、よもや高卒で消防士になるとか専門学校に進んで資格を取るとか、そういう人生は選択肢から外れると思います。

そっちのほうが堅実で精神的に豊かな人生である場合も多いわけですが、そういう「選択肢」が考えられなくなってしまうのは、本人にとっては悲劇なケースも多いと感じています。

 

 

5)「ステータス全振り」の落とし穴

遊びながら御三家や東大に受かるタイプ。

これ、一定の割合で存在します。

そういう子は、ガンガンに勉強して開成や桜蔭目指せばよいでしょう。

かけっこが速い子がオリンピック目指すのと同じですから。

 

でも、そうではない場合。

小学生という二度と返ってこない「貴重な時間」を、受験勉強、しかも「わかってないけどとりあえず塾で習った解法当てはめて解くトレーニング」に全部ぶっこむことになります。

 

中受算数を教えていてよく感じるのは

「正答できているけど『わかっているわけではない』」

子が多いってことですね。

何十回も塾で叩き込まれれば、なんとなくできるようになるし「うっかり」答えがあってしまったりする。

彼らは、遅かれ早かれ中学高校で数学につまづきます。

これはなぜなんだ、とずっと考えていたんですが、最近ようやくわかった気がします。

中受算数は「本質をわかっていなくても解けてしまう」部分があるんです。

超難関や上位校はもちろんその限りではないですが。

なんとなく数字をいじっていると答えらしき数字が出る。

不愉快に感じられるであろう例えになりますが、ぶっちゃけワンコに芸を教えているのと同じです。

「割合の問題で、どちらで割るかわからなくなる子」は、本質の理解ができていない可能性が高いです。「割合」「速さ」「食塩水」はその子が本質を理解しているかどうかのリトマス試験紙になります。

 

小学校高学年の時間や生活を受験勉強に全振りするのは、ゲームで言えば「ステータス全振り」というやつです。

「その時期にしか学べないこと」があります。

このブログでは何度も書いていることですが、受験塾に2年通ってもテキストの内容が半分以上わからない場合、「中学受験には」向いていないんだと思っています。

ステ全振りしてもわからないということですから。

 

おそらく親御さんの多くは、そうなるとさらに焦ってしまわれるのでしょう。

「この子はなんとかして詰め込んで私立中に押し込まないと、もっと落ちていく」と。

そんなことはありません。

中学生になってキャパが増えると、自然とできることは増えます。

小学生の少ないキャパを中受に全振りして偏らせてしまわなくても、大丈夫です。

 

中受(=塾での机上の勉強)にステータス全振りしてしまって

・日々の生活から学ぶ力

・他人を見て学ぶ力

を失ってしまった子をたくさん見てきました。

そういう力は「中学に受かった後でとりかえし」はつきません。

それが「ステ全振り」の落とし穴です。