とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「正しい予習」の仕方

以前書いた記事にご質問をいただき、あらためて読み直してみました。

mikoto2020.hatenablog.com

いささか舌足らずだったような気がしますので、自分の考えを整理するために再度掘り下げてみたいと思います。

 

1)小学生の場合「解法予習(先取り)」は逆効果。するなら「概念予習」を。

 

私が小学生に「解法予習」「机の上での予習」は不要、と考える理由。

それは、学ぶ喜び・考える楽しさを奪うからです。

 

幼児が何にでも興味を示し、触ったり口に入れたりして「世界を知る」のと同様、まだまだ小学生のうちは見るもの聞くものすべてが新しく、それらをひとつひとつ自分の五感を使って頭をフル稼働して「わかっていく」ことが楽しいわけです。

 

この段階をすっ飛ばして「解法」を教え込んでしまうと、「答え」はすぐ出せるようになる子はたしかに少なくありません。ここに罠があります。一見「時短」に見えますが、「正答が出せる子」が本当に「理解」しているわけではありません。くもんで代数を先取りしていたはずの子が中高数学で詰んでしまうケースがこれにあたります。

 

蛇足ながら。

「ウチの子、割合の問題でよく割る数と割られる数を間違えちゃうんですよ~」という御相談をしばしば受けます。多くのご家庭でそれを「ミス」と考えていらっしゃるようですが、厳しいことを言わせてもらっていいですか?それは、「公式の『意味』がわかってない」んです。時々間違えるだけだからミスだと思っちゃうんでしょうが、「割合とは何か」「速さとは何か」「濃度とは何か」が理解できていれば間違えるはずがありません。公式丸暗記して(おそらく「はじき」)当てはめていれば答えは出て「しまい」ます。多くの親御さんが、マルがついていると安心してそれ以上追究しませんが、マルかバツかではなく、原理がわかっているかどうかに注目してあげて欲しいと思います。

 

一番怖いのは「未知のものに出会ったとき、まずは自分でなんとかしようとする姿勢」が身につかないことです。

塾で解法暗記ばかりやらされている生徒は、新しい問題を「教わってません」「見たことありません」と考えようともしないというのは以前書いた通りです。

逆に小学校低学年で「自分であれこれやって解く喜び」を知ると、それは一生の財産になるといっても過言ではないでしょう。

 

解法を丸暗記させる行為は、ゲームに例えていえば子供自身があれこれ工夫してなんとか前に進めようとしているときに、攻略本を見せてその通りにやらせようとすることです。子供は途端にやる気をなくしますよ。攻略本読みながらやるゲームほど無意味なものはない(笑

 

2)「概念の予習」は生活の中で!

 

小学校で新しく目にする「概念」としては、数の概念や四則計算と言った基礎を除けば以下のようなものでしょうか。

・「〇桁」の意味

・分数、小数

・容積、体積

・時間

・角度

・速さ、濃度、密度などの「単位が組み合わさった量」

・比、割合

 

ほかにもあるかとは思いますが、小学生がつまづきやすいものを上げてみました。

上5つ(角度まで)がスッと入らない場合は親御さんはかなり焦ると思いますが、そこでドリルを増やしたりするのは禁物。なぜなら、桁の意味や容積体積、時間などは日常生活からこそ学ぶべきものだからです。

「1リットルは1000ミリリットルだって何度教えたらわかるの!?」と叱りつけても意味がないどころか逆効果です。

ではどうしたらいいか。

一番いいのは台所のお手伝いですね。

何度も書いていますが、台所は算数・理科の宝庫です。

このレベルの単位などがスッと入らない子にドリルを何枚やらせても嫌々やるだけでますます勉強を嫌いにさせます。

一緒に料理して、材料の計量などさせる方がよほど身につくと思います。

人間、頭で覚えたものはすぐ忘れますが身体で覚えたものは忘れません。

 

下二つは、それまで算数に問題を感じなかった子が壁に当たる分野ですね。

なぜなら、「ひとつのモノサシで計れない=目に見えない量」だからですね。

km/hのように、2つの単位が組み合わさった概念は子供にはかなり難しいようです。

だからといって、すぐに公式暗記に走るのは禁物。

これまで、徒歩の時速を150キロと答えて平気な子供をたくさん見てきました。

チーターか(苦笑

「速さ」については多くの塾でいきなり「距離を時間で割ったものが速さです」と教えているようですが、ここには時間をかけてほしいなあ。

いろんな乗り物や生き物のどれが一番速いか考えさせて、「なぜ?」と問うような。

小学校での教え方ですね。

 

比・割合は速さ以上に多くの子がつまづきます。

私は自分の個人塾では、「比べるということ」について考えさせるたくさんの手書きプリントを作り、「比で比べたほうが良いケースに子供が自分で気づく」ことを心がけてきました。「『〇〇は』を『〇〇の』で割ればいいから!」と塾で何度教わっても間違える子は、初めのうちは割合の問題を死んだ魚のような目をして解いていましたが、「意味」がわかると俄然いきいきし始め、その後は間違えなくなりましたね。

これをご家庭でやる場合は、やっぱり料理が一番わかりやすいのではないでしょうか。

プリンのレシピを渡して、「レシピにはタマゴ1個と書いてあるけど、今日は3つ使っちゃおう!牛乳を用意してくれる?」というような。

そこで子供が分量間違えても、そのまま作ってしまいましょう。味がヘン…となったら、子供も自分で次はどうしたらいいか考えるのではないでしょうか。その中で、だんだんと比や割合を理解していくはずです。

実生活の中で「間違える」ことこそが、学びに繋がります。間違えを悪とし、間違えてはいけないと刷り込むと、「やり方を教わるまで自分からは動かない」子になってしまいます。

 

3)サピで「概念の予習」が必要な理由

 

サピだけではないんですが、授業のスピードやテキストの「不親切さ」においてサピが一番顕著なので例に出させていただきました。

小学校や実生活の中で「概念」を知り理解する前に進学塾でその単元になってしまうと、「食塩を食塩水で割ると濃度になります」というような、超乱暴かつ本末転倒な教え方をされます。しかも、その説明はほんの数分、すぐに問題を解かされます。

さらに乱暴な塾になると、いきなり「はじき」の図を書かせ、数字を入れれば答えが出るから!と教えているところも多いと聞いています。子供をカシオ計算機にする気ですか!?(怒

 

そういう教え方をされてしまう前に、「濃いとか薄いとかってどういうことだろう」「どうやって比べたらいいんだろう」ということを、じっくり時間をかけて「理解」してほしいんです。それができるのは、いまや家庭(あるいはウチのような私塾)しかありません。小学校はこういう教え方をしてくれますが、残念ながら学校でじっくり体験する以前に塾で「教わって」しまいますから。

 

この「概念予習」では、いわゆる問題を解けるようにする必要はありません。

たとえば、

「100グラムの水と20グラムの塩」

「200グラムの水と30グラムの塩」

を用意し、「どっちがしょっぱくなるかな?」という実験などはいかがでしょうか。

ざっくり半分くらいの小学生は、塩が多いほうがしょっぱいと予想するでしょう。

予想と違うと、疑問がわきます。

「そうか、同じ条件にしないと比べられないんだ!」と気づけばグッドですね。

これだけで1時間くらいはかかってしまうでしょう。

でも、新しい概念というのはこれくらい時間をかけて良い、いやむしろかけるべきだ、と私は考えています。

 

4)家庭での「概念予習」の参考になるのは「教科書」!

 

実生活の中で「概念予習」「実体験」が必要なのはよくわかった、でもどうやったら…と悩まれる方にお勧めなのが「小中学校の教科書」です。

灯台下暗し。

小学校の算数や理科の教科書を見てみてください。

新しい単元に入るときに、いきなり公式や解法など書いてありません。

たとえば「啓林館 未来へひろがる数学」の「文字と式」の導入では、

「画用紙をマグネットで貼るようにいわれたけいたくんは、必要な個数がわかりませんでしたが、先輩がさっと用意してくれました。先輩はなぜすぐにわかったのでしょう」という「エピソード」が描かれています。

こういう、一見無駄に見える「導入」が大切だと私は考えます。

高校の教科書になると、さすがにドラマ仕立てのエピソードは減りますが、「身近な例を挙げて、さあこの単元ではこういうことを学びますよ」と冒頭に書いているのは共通しています。

市販の多くの参考書や問題集との一番の違いはここですね。

教科書というのは、「まず興味を持とうよ!」「今から学ぶことは身の回りのことに関係があるよ!」というところから始まるわけです。

市販の参考書や問題集よりも、さらに「解法一直線」なのが塾のテキストです(汗

サピのテキストにもね、一応申し訳程度にさぴおくんたちが会話してたりしますが、当日配られてあそこ読む余裕ないですよね…

話を戻しまして。

 

良くも悪くも、受験塾では数年先のことを教えられてしまうわけですから、それ以前にご家庭で「実体験に基づいた導入」をするとすれば、数年先の教科書を買ってみて単元ごとの導入をご参考にするのはなかなか効果があると思いますがいかがでしょうか。

私も、家に書庫を一部屋作らなければいけないほど教材を買い集めてきましたが、最近は「一番いいのはやっぱり教科書だな」と感じております。

 

余談ながら、過去記事にも書きましたが、進学塾の中で「概念の理解」を大切にしていると感じるのは日能研です。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

「栄冠への道」は素晴らしいと思います。公式を学んだあとにも、「なぜそういう公式になるのかもう一度考えてみよう」というページが必ずあります。日能研さんは、栄冠への道を市販したらいい、いやするべきです。

この良さを、日能研に通塾しない限り知ることができないのはもったいない(回し者ではありません念のため(笑)

 

5)高校生はバンバン予習しよう

 

言を翻すようですが、高校生はバンバン予習するべき

その理由はいくつかあります。

 

まず、中高で初めて触れる概念はさらに高次元に抽象化しており、「テキストで先に学ぶことが興味関心を阻害する」「机上の学びと実生活が乖離する」恐れが少ないこと。

小学生が過剰な先取り学習をすると「実体験から学ぶという脳の回路」が遮断されがちで机上の計算と実体験が結びつかない、だから食塩水の濃度を平気で230パーセントとか答えるわけですし、かつ「わかったつもり」になって身の回りの現象に興味がなくなるわけですが、中高生は脳のキャパも増大していますから「抽象的な事象からも知的好奇心を刺激され得る」ようになっています。

 

次に、中高とくに高校生で学ぶ内容はすさまじく多く、まっさらな状態で授業に臨むと板書を写すので精一杯になります。すると、「学校の授業はつまらない」となります。この「つまらない」は「興味がもてない」ではなく「わからない」なんですが、若いうちはここを混同しがちです。

かといって完璧に予習、ましてや過剰な先取りをする必要はありません。

ざっと教科書を読んで「次の授業ではどんなことをやるのかな」と頭に入れるだけで授業の理解度が変わります。すると、どんどん学校の授業が楽しくなります。

いわば「ドラマやアニメの『予告編』を見ておく」感じですね。

 

巷では、公立小中学校の授業は遅すぎる、だから高校2年までに詰め込んで高3はフルで演習ばかりやるのが良いなどとまことしやかに言われておりますが、私はそれには懐疑的です(灘や開成除く)。

そういうことを言う人は、高校生の脳がまだまだ成長過程であることを忘れているんだと思います。

多くの自称進学校で高1にセンター数1Aやセンター化学や私立大物理を解かせ、平均点が低いことを教師が嘆いてますが、私に言わせてもらえば噴飯物です(怒。

高1と高3では、脳の処理速度が違うんです。

数1Aを履修したから大学入試レベルの数1Aが解けるだろうというのは、その部分の認識が欠落しています。自称進学校では教師が定期テストを自分で作らず入試問題を切り貼りして出すこともあるようですが、あり得ないですね。「入試の数1A」は、高3で解ければいいんです。

灘高校が高3は演習だけ、というのは「灘だからOK」なんです。

単純思考でその真似をすることは非常に危険だと考えています。

 

受験ギョーカイの人は何かというと公教育や学習指導要領を鼻で笑いますが、よくよく見ると、教科書や指導要領は「子供の脳の成長」に合わせているという点で非常によくできていると思いますよ。

これに関しては話すと長くなるのでまた別の機会に(すでに長いですが(笑))

ともかく、文句を言っても始まりません。多くの高校で無理な先取りが行われている以上、予習なしではとうていついていけません。予習なしで特急スピードの授業を受けるのは、いわば授業のたびに「借金」作ってるようなもんです。借金には利息がつきます(笑)。復習だけで返すのはしんどいです。予習して、授業を復習として利用するのがよいと考える理由はそれです。年単位の先取りは不要ですが、授業の予習はするのが吉。

 

思い起こすと、私の頃の公立高校は学習指導要領通りでした。

まあ一応3年の12月までにはギリギリ終わってましたが、のんびり教えてもらったからこそ脳がバグを起こさず、受験勉強が高校3年の1年間のみで東大に入れたんだなあと母校に感謝しています。