とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「しゃべらない子」が一番教えにくい。原因は親のことが多い

コーチングについてちょっと原稿を頼まれて書いている間に、またもや時間が空いてしまいました。でも、「話してみる」「書いてみる」ってやっぱりいいですね!担当編集的な立場の方とディスカッションしている間に、フワフワとしていた考えがどんどん言語化されロジックが立ち上がっていくのは毎度驚きますし、楽しいです。

 

そう、私が「ディスカッション型授業」「大学のゼミ型授業」をする理由も、ここにあります。

コーチ側が一方的に「教える」のではなく、生徒に喋らせる。

そうすると、生徒の中で自然と自分の疑問点が明確になっていきます。

 

私のように意識してディスカッション型授業をするコーチの方でなくとも、やはり「生徒からの発信」があるのとないのとでは、教えやすさが段違いなのは同業者の方ならわかっていただけると思います。

 

逆に言うと、「話さない生徒」が一番教えにくい。

たとえて言えば、「コーチから尋ねられても答えない生徒」というのは、「体調不良で医者に行っても問診票に何も書かない、医者の問いかけにも答えない患者」と同じですからね。

 

この「自分からは発信しない子」は、タイプがわかれます。

大きくわけて

「集団の中では自己主張できないが、1対1なら話せる子」

「相手を信頼し、安心しないと話せない子」

「他人が『忖度する』のを待っている子」

の3タイプですね。

上2タイプについては、個別指導が吉と出ることが多いです。

1つめの、集団では自己主張できない子は1対1ならOKですし、2つめの、信頼するまで話せない子については、信頼関係を築くことでコミュニケーションに問題はなくなります。

 

厄介なのが、3つめの「他人が『忖度する』のを待っている子」です。

このタイプは、イエスノーすら答えない。

「ここまでの説明、わかった?」と聞いても答えない。

「大人が察する」のを待つのが当たり前になってしまっている。

 

個人コーチが必要になる場合、こうした自分から発信できない子のケースが多いです。

いささか気になるのは、親御さんが「人見知りなのでしゃべらない」という間違った判断をしているケースが多い点です。

「人見知り」ならば、コーチと信頼関係が芽生えればコミュニケーションはとれるはず。何か月経って、信頼関係があると判断できる状況でも自分の考えを言えない場合は、原因は別にあると考えます。

 

ズバリ、こういう子は「他人が面倒を見てくれることに慣れすぎている」んです。

 

自分が何も言わなくても大人が察してくれるはず。

だから、イエスノーで答えられる質問にも答えない。

こういうお子さんは、授業がひたすら「受け身」です。

 

こういう「しゃべらない子」「受け身な子」は、「解説をすれば授業をしたことになる」と考えるコーチや、あるいは集団塾にとっては「楽な子」でしょう。

逆に、私のように「その子の学力を引き上げたい」と真に考えるタイプのコーチにとっては、正直一番教えづらい相手です。

 

こういう子を思い返してみると、経験上、ある法則に思い当たります。

「しゃべらない子」の親御さんは

もれなく「先に手出し&口出しをするタイプ」でした。

子供が自分で試行錯誤するまえに「正解のやり方」を教えてしまう。

子供が靴紐を結ぼうと四苦八苦しているときに、さっと手を出して靴紐結んじゃう。

 

「どうせ『正しいやり方』とやらを言われるなら黙ってやってもらった方が楽」

「自分でやるのは損」

ととらえる子もいるでしょうし

「あとから叱られるのが怖い。正解を言われるまで黙っておこう」

ととらえる子もいるでしょう。

 

手取り足取り、先取りで口出し手出しをする親御さんは、オンライン授業でも横にベタ付で子供に「指導」されます。ささやき女将かよ(笑)。

 

子供や若者は、「試行錯誤したい生き物」なんです、本来は。

試行錯誤の中で、本当の力を身に着けていきます。

試行錯誤する力こそ、本当の学力であり、ひいてはこの世を生き抜く力です。

 

「ウチの子、しゃべらないんですよ~」という親御さんは、これまでを振り返って

「自分が我が子の『発信する力』を奪ってこなかったか?」を考えてみていただきたいと思います。

 

なお、私は「しゃべらない生徒」に『忖度』すなわちその子の気持ちを過剰に代弁し、あれこれと必要以上に世話を焼く授業はしません。(信頼を築くまでの数週間は別です。大人を信用できなくて喋れない子には、まず心をほどくことが大事だからです。でも、その時期を超えても「他人だけに喋らせる」子に、いつまでも忖度授業をすることはしない、という意味です)

答えやすい質問にするなどの工夫はいたしますが、「生徒が答えないのに授業を進める」ことはいたしません。それは、単に「授業をしたというアリバイ作り」になってしまうと考えるからです。そっちのほうが楽なのはわかっていますが(笑)、それは生徒のためにはなりませんので。