とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

間違いから学ぶ生徒・学ばない生徒~「バツの分析」こそが実力を伸ばす

問題を解けなかったとき。

あるいは、解いたけど間違えたとき。

「それにどう向き合うか=的確にバツを分析できているかどうか」

でその後の伸びが決まると言っても過言ではありません。

伸びる子はこれができていますし、あるいは指導によってバツの分析ができるようになると飛躍的に伸びていきます。

ぶっちゃけた話、これが自分でできるようになったら個人講師は不要(笑)。

私は常々担当生徒に「早く『もうミコト要らんわ』と卒業してね(笑)」と言いつつバツの分析の仕方を教えています。

段階的に言うと次のような感じでしょうか。

 

1)丸付け

ザ・基本。

基本中の基本ですが、意外にこれを自分でやらない生徒が多くて驚きます(^^;

理由は、以前にも書きましたが「丸付けは親/先生がやるのが当たり前」のまま育ってきてしまったのかなと考えています。

テストなら採点者がほかにいるのが当然ですが、自学はテストとは違います。まず自分で〇×をつけ、「バツから逃げない」習慣をつけたいところですね。

そもそも「丸付けをしなくても気にならない」ことそれ自体が根の深い問題だと思うのですが、これは語りだすと長い話になりますのでまた今度。

 

2)直し

これも基本の範疇かと思いますが、やらない生徒は1)以上に多い。

直しの際に、「白紙の状態に戻って解きなおす」のは良いことですが、そこまでやったなら是非とも「最初はどこを間違えたのか?」を自分でチェックしてほしいです。

というか、できる子はこれを言われなくてもやります。

「なぜ間違えたか」が気になってしかたないからです。

バツから学ぶ、ということはそういうことです。

「なぜ間違えたか」の原因を調べない限り、また同じ間違いをするからです。

 

この「なぜ間違えたかが気にならない」のは、大人から見るともどかしくて仕方ないところですが、その原因は年齢による場合と性格による場合があると感じています。

人間というものは、若いほど「ふりかえるより先に進みたい」のが当たり前と言えば当たり前で、それは生き物として理にかなっている気がします。私は小学生時代から7~8年継続して指導を依頼されることが多いのですが、小学生時代には「振り返り」が出来なかった子が中高生になって、私に言われなくても「どこを間違えたか気になるので、ちょっと待っててください」と言うようになると感無量です。ですから、ある程度はしかたない、小学生だから当たりまえ、と考えることもできます。でも違う見方をすれば、そもそも「小6で中受レベルの問題を解く」こと自体が「当たり前」ではないわけです。その苛酷な道を選んだ以上、そこで勝ちたければ、振り返りができるようになる努力も必要と言えます。

 

一方、性格的に間違えが気にならない、振り返ることが嫌いな子もいます。こういうタイプの場合、勉強時間を増やしても効果が(期待ほどには)上がらないことが多く、周りがヤキモキすることになります。こればかりは、今のところ私は特効薬がわかりません。指導経験上は、反発心を買うのを覚悟で真剣に説諭することで好転したことも多いですが、クビを覚悟でそこまでやる講師もそうはいないでしょうし、ある程度は(良い意味で)あきらめたほうが精神衛生上よいかもしれません。

 

3)分析&対策の考案

2)で書いた「なぜ間違えたか」と似ていますが、これはさらに上位の次元です。

これができれば、まさに塾&予備校いらず(笑)。

点数上は同じ「バツ」でも、「わからない」のか「ミス」なのかで対策は違います。

わかっていない場合は、自分がどこでつまづいているのかを分析して、あとはそこまで戻ってやり直せばいい。

例えば二次方程式の解の配置問題ができない場合。

二次方程式と二次関数のグラフの関係がわかっていない

・それはわかっているが、グラフがどうなると良いのかわからない

・それもわかっているが、条件を立式できない

・(別解としては)解と係数の関係がわかっていない

・それはわかっているが、積>0の形にする理由がわからない(式の処理)

などなど。

漠然と「わからない」というフワッとした分析だと、「解説してもらうとできるけど、一人になるとまたできない」のループになります。これについては指導側も大いに自戒しないといけない部分。高校数学ともなるとこなさなければならないタスクが大量になるため、いきおい「一通り解説する」で講師と生徒の双方が「やったつもり」になってしまうリスクが大きいです。集団授業では、一通りザーっと解説するしかない。マンツーマン講師としては、一段階ずつ生徒に問いかけ、どこでわからなくなっているかを見極めるよう心がけています。

 

問題は「ミス」の場合。

「ミス」あるいは「一見ミスに見えるバツ」を「ミス」として片づけない人は一流。

以前も書きましたが、割合の問題で割る数と割られる数を取り違えるのは「ミス」ではありません。理解していれば100パーセント間違えません。もちろん人間「うっかり」はありますが、そういう頻度ではなく「できたりできなかったり」の場合は「わかっていない」と判断するべき。

特に中受の場合は「理解していなくても正答が出てしまうケースも多いので、マルが多いからと安心せず、図示化させる・その場で類題を出し口頭で答えさせる、などのチェックが大事ですね。

 

私自身ずっとやっていて今も続けている勉強法ですが、ミスをしたときに「なぜミスをしたのか」「どうしたら防げていたか」をその場でガシガシと自分の答えの横に書きます。ちょこっとした顔文字を添えるとなお効果的(笑)。

つまり「セルフ突っ込み(笑)」

誰に見せるわけでもない自学のノートでも、やっぱりミスると悔しいんですよね(笑)。「グラフを描いていれば気づいたはず!」とか「文字式でチカラ技で解こうとしないで、まずは書き出してみようよ!」とか、よく自学ノートに書いています。

 

バツと真剣に向き合い分析していると、もちろん解く問題数は減ります。

でも、間違えた一問としっかり向き合うことは、なんとなくわかった気になったまま類題を10題解くより効果的だと思っています。