このブログをご覧のみなさまも、周囲に「強引な人」いるんじゃないでしょうか。
組織を辞めた今は強引な人に出くわす可能性は限りなく低くなってはいるのですが、たまに出会いますね。
強引にも「よい強引」と「わるい強引」があるなあと最近思います。
1)良い強引さ
相手が「どう見ても悪い境遇」にいるのだが、その境遇に慣れ切ってしまったor変化が怖くて自分では何もできない。そういうときに、周りの人間が強引にでもそこから引き出すのは悪いことだとは思いません。
DV被害から逃げる気力を失っている人。
汚部屋がとんでもないことになっている人。
病気なのに病院に行きたがらない人。
エトセトラ。
つまり、いろいろな不幸なきっかけが重なって、本人が正常な判断を下せていない&自分ではもうその状況をどうにもできないときには周りの多少強引な導きがプラスになることが多いように思います。
汚部屋については、つい先日「ゴミ屋敷パートナーズ」という会社の動画を見まして、うん、あそこまで行っちゃうと誰かが強引にでもなんとかしないとなんとかならないなと思った次第。
あるいは、グループで仕事をしているときに、誰も前に出ようとしないときには「強引なリーダー」が引っ張ることで組織が活性化します。「引っ張られないと動かない人」が割合としては多いわけですから。
多少強引なタイプがいないと集団が動かないという部分はありますから「組織を率いる立場」の人は少々強引なくらいでも良いと思ってはおります。
2)悪い強引さ
悪い強引さ。
それは、強引さが「我欲のために」発揮される場合です。
自分が〇〇に行きたい。
自分が〇〇とつきあいたい。
自分が〇〇が欲しい。
「悪い強引さ」を持っている人は、こういうとき「我欲が満たされること」をゴールとします。逆に言うと、それ以外認めない。
それゆえ、相手から「それは嫌だ」というサインが出ていてもことごとく無視します。
あるいは、自分の都合のよいように変換します。
成約だけをゴールとする営業マン。
(相手が嫌がっていても)無理やりお出かけに誘う人。
何度断っても告白してくる人。
エトセトラ。
こういう人は、どれだけ嫌だというサインを出しても気づいてくれません。
というか、無視します。
スルーするだけならいいけど、自分の都合のいいように「超解釈」したりする。
こういう強引な相手に対して断り切れる人のほうが少ないと思うので、結果「だけ」は「強引な人の要望通り」になります。
結果が要望通りだと「強引な人」は満足するんでしょう。
でも、「押し切られた人」がヘイトを溜めていることには気づいたほうがいいww
相手は決して喜んで要望を受け入れたわけではなく。
その分ヘイトが溜まりますし、それを忘れることもないです…。
これは、多くの中受でも言えますね。
「子供が(親の志望校を)志望すること」
「塾や家庭教師から『志望校、受かりますよ』と言われること」
が、彼らにとっては絶対命題なので、それ以外の情報をシャットダウン。
自分の強引さが「相手を無視したもの」になっていないかどうか、振り返ることも大切だなと感じる今日この頃です。