一か月以上空いてしまった…。
実生活でいろいろあったわけですが、毎日何かしら思うところはあるわけで、そういうのを気軽に書けるようになりたいとも思う。
自分の場合、まだブログ慣れしていないのか(笑)、ある程度考えがまとまってから書くべきなんではないかとか思い込んでいて、モヤモヤの段階では書けないクセがあるわけです、はい。
そんなことは置いておいて。
久しぶりに書くブログのネタがこれでいいのかと言う気もするけど逆にこれでなければならないというか、この一か月モヤモヤとずっと感じていたことなわけで、なので書きます。
漫画「二月の勝者」のネタバレ入りますので、ネタバレ嫌な方はブラウザバックお願いします。念のため行間空けますね。
「二月の勝者」、ようやく受験本番になって合否も出てきました。
その中で、私が強烈に違和感を覚えたのが
のエピソードです。
・武田勇人の場合
1日の結果は不合格。
勇人号泣→母、反省→黒木、「お母さまは自分を責めないで」発言。
うん、それが間違ってる。
勇人の場合は、子供自身が全然本気にならないのに、母親が自分の人生を重ねて「自分の人生のリベンジ」のために勇人を中受に駆り立てていたんです。
もうね、この時点で大間違いでしょ!?
勇人のママ、全然本人と向き合ってないよね。
勇人が何が好きか、どうなりたいのか。
そういったこと、全然本人と話し合ってない。
ていうか、子供本人を見ていない。
ただ、自分が今職場で不幸せなのは高卒のせいだと思い込み、勇人に高ヘンサチを望んでいるだけ。まあぶっちゃけ母親失格ですよね。
あの母親に必要なのは、夫に対して「課金ゲー上等!」と啖呵を切ることではなくて、子供と話し合うことだったと思いますね。
もうね、中受やってるとこういう親が多すぎて…(溜息)。
子供はね、別に自分が本気で望んでいないことでも、「『お前は不合格だ』と言われて」「周りの雰囲気につられて」泣きますよ、そりゃあ。
以前書いた、「翼の翼」と全く同じなんです(レベルは違うけど)。
子供本人が望んでいない競争をさせて、そこでお前はダメだと烙印を押されて、それで子供が傷ついたらそれは競争をさせた人間の責任以外の何物でもないでしょう?
こういうとき、「中受ギョーカイ」は「お母さまは悪くない」と必ず言います。
それは、スポンサーだから(苦笑)。
勇人が「12歳で」そんな号泣をする羽目になったのは、間違いなく受験が「課金ゲー」だと勘違いした大バカ者の母親のせいです。なんでそれをかばうのか。
「翼の翼」でもおおいに感じたことですけど、
大人たちが子供を競争に駆り立て
子供がそれで傷つき
そのとき、大人たちが「私たちは悪くないよね」と言い合っている
非常に気持ち悪い構図なんです、これは。
誤解のないように念を押しておきますが、子供が泣いたから悪いと言っているわけではないのです。花恋や順のように、本人が競争を望んでいる場合は、オリンピックを目指すアスリートとなんら変わりないですから。泣いて、笑って、チカラを伸ばしていけばいい。
でも、勇人タイプの場合は違います。
あのタイプは、中受レースに身を投じなくても「(自分が)それなりに幸せだ」と感じられる人生は歩める。
母親が自分の劣等感から中受に駆り立て、さりとて学習のサポートひとつできず、勉強を「課金ゲー」だと考えた罪は非常に大きい。
ここは、大人としてまず反省しないといけないわけです。
何を「お母さまは悪くない」とか傷をなめあっているんだか。
・加藤匠の場合
加藤匠が1日を「落とした」ことで、黒木は彼をなんと22時すぎに塾に呼び出します。
その目的は「悔しがって泣かせること」。
はあ???
加藤匠くんは、ジャイアントキリング的に伸びてきた子ではありますが、本人も親も「そこそこでいい」と考えているタイプ。つまり、「幸せ」の尺度が黒木とは違う。
人が幸せを感じる状況は、人それぞれ。
黒木は(つまり作者は)、そこまで踏み込んでいる。
三浦くんにサッカーを諦めさせたように。
そこに、私は違和感どころか軽い憤りを感じますね。
そして、黒木の語る「中受は第一志望合格が三割の『からくり』」とやらも、正直私は大嫌いです。
本当の第一志望に受かるために、さらに偏差値の高い志望校を「第一志望」にするって、どう考えてもおかしくないですか?
入試問題は、学校によって傾向がまったく違います。
偏差値だけでは絶対に語れない。
大学受験では、そんなアホな話にはなりません。
たとえば「明治切望だけど、それだと甘くなるから第一志望を慶應にしよう」っていうのは(受験年度後半になったら)アホの極みです。
たしかに、ベースの力を溜める時期には目標は高いほうがいいのは事実。
でも、受験間際になったら「熱望校」の研究が最優先ですよ。
黒木の考える中受のスタイルが「無理めな『第一志望』を目指させ、『着地』は本来の第一志望」だとしたら、それは違うと声を大にしていいたい。
なぜならば、「不合格」というのはたとえそれが「かりそめの第一志望」だったとしても、本人にものすごいショックを与えるからです。
ましてや、相手は12歳の子供。
本来であれば、「熱望校」を目指して勉強して合格するのが一番ハッピーですよね?
実際、私の担当生徒もそのケースがほとんどです。
「熱望校に合格するため」に、よりヘンサチの高い学校を目指させ受けさせるというのは、私は当の本人にトラウマを与えるだけで無駄だと思っていますのでさせません。それでみんな「本来の第一志望」に受かってます。「より高いヘンサチの学校を目指させないと緩んで落ちる」なんていうのは、2流3流の講師の言うことですね。
私は、黒木が「そのあとの責任もとれないくせに」小学生の「人生の進路変更」を強いているのが気持ち悪いのです。
たしかに、私もそういうことを生徒に言うことはあります。
「このまま生きていくと、将来Twitterとかで『私が不幸せなのは〇〇のせいだ』と言って生きる人生になるよ」
というようなことです。
ただそれは、「ヘンサチが高い学校を目指させるため」ではなく「今のままのナメた態度では、将来こうなるよと知らせるため」だけであって、それで生徒の人生への態度が変わっても変わらなくても、別にいいです。大人として、「そのままだとこうなるよ」というのを「知らせない」のは大人の罪だと思うので知らせているだけ。
つまり、どうするかは本人が選べばいい。
黒木は違います。
高校受験はクソだと言い放ち、中受をする方向に子供を誘導する。
中受をするなら、偏差値の高い方に誘導する。
これ、黒木が以前フェニックスでやらかして後悔して桜花に転職する前にやってたこととまったく同じですよね。だったらなぜ桜花に転職したんだろう?
加藤くんを夜中に呼び出して泣かせることが、加藤くんの幸せにつながるんですかね。
「鋼の錬金術師」のパクリの「何かを手にするには何かを手放さなければいけない」とかドヤ顔で言ってましたが、それはたかが塾講師が踏み込んでいい部分ではないと私は言いたい。
以前、私も書きました。
中受は修羅の道で、「甘やかな少年時代」に決別しないと勝てない、と。
でもそれは、本人が望んでこそだと私は思うんですよ。
加藤くんのように、ふんわりと中学生になって鉄オタが続けられればいいと思っていた子供に、「そんな甘いことを言うな」と言えるのは親だけだと思います。
あるいは、講師の立場で言うとすれば
・ポリシーをはっきり打ち出している個人塾
・同様の個人講師
なら言ってもいいでしょう。
・黒木と桜木の違い
なんどか書いておりますが、私は「ドラゴン桜」が好きです。
たしかに、桜木も相当無茶なことを言っています。
でも、一番の違いがあります。
それは、「桜木は『東大に行け!』と言った自分についてき生徒にしか無茶を言わないという点です。
「12歳の子供が泣く」ことを喜ぶのは、私にはやはりきついですね。
なぜなら、彼ら(12歳の子供たち)は、自分で望んでそのレースに参加したわけではないからです。
以前も書きましたが、「二月の勝者」で言えば花恋や順などのように本人が上を目指してやっている受験じゃない限り、中受は「競馬」と同じです。競馬馬自身には、「次のレースで〇〇に勝ちたい」などという意志はない。それを、馬主と厩舎が走らせる。
大人がレースに参加させ、泣かせ、本気になったと喜ぶ。
グロテスクだと感じるのは私だけでしょうか。