とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。理系。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

母親はなぜ教育虐待に走ってしまうのか

AI絡みの記事の続きを書く前に、どうしても書かずにはいられないことがあるので書きます。今まではホンネと言いながらそれなりにマイルドにしてきましたが、もう我慢できない。というか、世の中の子供たちのために、我々教育関係者はもう我慢してはならない。

 

教育虐待は、れっきとした犯罪ですよ。

現在の法整備上罪に問われないだけで。

同じことを職場でやられたら、大人同士だとパワハラ認定して相手を罪に問えますよね(これまたいささかやり過ぎな側面も出てきていますが)。

子供はどこにも訴えられないですからね。

母親のやりたい放題です。

過去数百人の生徒を見てきた経験上、子供を潰すレベルの教育虐待している親は圧倒的に母親でした。なぜなのか考え続けてきて、答えが見つかった気がしています。根っこは単純な話で、性差。

 

こういうエントリを書くとすぐに「ヤバイ父親だっている!」「教育パパのほうがもっとヤバイ!」と噴きあがる人たちがいますが、「(絶対数としてかなり少ない)教育パパの指導がヤバイ」ことと「教育虐待の加害者のほとんどが母親」ということは両立しますからね。実子殺害の男女比と同じことです。

同様に、今から書く各論は「傾向」であってもちろん例外はあるでしょうが、例外があるから傾向も違うというのはちょっと論理をやっていればわかる話です。今回は「例外」については割愛しますので悪しからず。

 

注:私は「母親は全員教育虐待をしている」とは決して書いていませんからね。「教育虐待をしている親は母親が多い」と言っているだけです。数1の集合と命題や条件付き確率を理解できる方ならよもや勘違いはなさるまいと思いますが念のため。

 

 

1)配偶者や子供で「一発逆転」ができる性別だから

一番はこれですね。

言い換えれば、配偶者や子供でマウントが取れる性別だから、ということです。

男社会で「子供が〇〇生だ」ということでマウント取ろうとしている奴がいたらアホかと言われるだけです。男社会でのマウントの材料は「自分の」地位であり「自分の」実力です。

 

でも、女社会はまだまだそうではないですよね。フェミニストは真っ赤になって否定するでしょうが、現実として女性の上方婚志向は昭和とまったく変わっていませんし、夫の職業や年収は女性にとってはいまだに大きな問題です。自分自身がそういうことで勝った負けたと考えてしまうからこそ、相手からのマウントにも敏感になるという悪循環なんでしょうね。

子供の進学先も、同じこと。女性同士の立ち位置を子供の進学先で「一発逆転」できるからこそ必死になってしまうわけ。子供からしたらいい迷惑ですけどね。

 

2)「みんなと同じ」じゃないと耐えられないから

ブランド品に群がるのを見れば一目瞭然。子供のころから、女子は誰かが持っているものを持ちたがりますよね。誰かが可愛い文房具やヘアピンを学校に持ってきたらあっという間にクラス全員に広がる。

同調圧力は、圧倒的に女性間の方が強いです。

だから、中学受験が我が子にとって本当に必要かどうか、向いているのかどうかを考えずに「みんなやってるから私もやらないと」と焦ってやみくもに沼にはまっていく。途中で我が子の能力が足りないことや、性格的に向いていないことがわかっても「降りる」ことは「仲間から外れる」ことなので怖くてやめられない。

 

3)現実を客観視できないから

数年前にIQ60の子を〇〇中(偏差値50)に受からせろという御依頼があり、即お断りしました。これは極端な例としても、偏差値ギャップ20の学校を諦めきれずに最後まで「どうにかなりませんか」と言って来る母親は実に多いです。そういう御家庭の父親と話すこともあるのですが、父親は「まあ、あの子は〇〇くらいが妥当ですよね(だから無理させなくていいですよ)」とあっさりしていることがほとんどです。子供の能力や伸びしろを客観視できるからでしょうね。

 

面談も、男親は5分未満で終わるけれど母親はこちらから無理にでも切らない限り30分でも1時間でも続きます。なぜなら、「聞きたい答えが聞けるまで同じ質問を繰り返す」し、そもそもこちらの話をご理解されていない場合も多いからですね。男性は「〇〇さんは××が苦手ですから、そこは基礎からやりましょう」というとすぐ納得されますし、何度やってもどうしてもできないことは「そこはそれ」で受け入れてくれます。女性は、「でも先生」から始まって、講師側が「志望校、受かりますよ」と言うまで引かないです。子供の伸びしろが判断できないんでしょう。現実を受け入れたくないからと相手にウソを言わせようとするのは止めてくれ。何より、そんなことをしても子供のためにならん。

 

4)自他の境界があいまいだから

3)とも関係するんですが、父親がそこまで子供の進学先に躍起にならないのって、子供の人生は自分とは別とわかっているからだと感じますね。別の言い方をすれば、父親はそこまで子供に思い入れがないとも言えます。あるいは子供に共感=シンクロはしない、ともいえるでしょうか。この男性特有の性質(共感性の低さ)は、世の母親から非難の的ですが、私は以前も書いたように女性のいう「共感能力」なんて信じていません。彼女たちの言う「わかる~」はたいてい的外れですし、自分の話をしたいための相槌でしかないです。また、そもそも過剰に相手にシンクロすることは、決して相手のためにはなりません。自他の境界が曖昧だと「自分が嫌なことは子供も嫌なはず」と考えてしまいます。自分は他人からマウントをとられると嫌だから。自分は人と同じじゃないと嫌だから。自分は肉体労働なんて嫌だから。自分はお金がないと嫌だから。だから、子供に能力がなくても「私が満足する中学」に行かせないと「子供も不幸」だと思い込んでいる。自分が強欲だから、子供がガツガツしていないと不安になる。

 

父親がお受験や中受に「どこでもいいよ」というと母親が「もっと子供のことを真剣に考えてよ!」とキーッとなる、というのはリアルでもネット上でもよく見かける構図ですが、父親は子供に無関心だからどうでもよいのではなく、どこに行ったとしてもその子なりに幸せになる道はあると考えているのだと私は感じます。そして、実際そうです。

 

5)視野が狭いから

言い換えれば情報弱者。AIの回で相当書きましたけど、10年後は医者ですら生き残れるか怪しい。そういった大所高所からの助言や情報収集こそ、親の役目なんじゃないんですか? AI全盛の時代に最後まで残るのは「手作業の現場」だろうとか、そういう中長期的な見方をできずに「今流行りのもの」に右往左往するのは親としてどうなのかな。

 

東京で満足する生活が送れる、勝ち続ける人なんて一握り。家賃やローンに押されて可処分所得はむしろ地方都市より低い、まである。狭い家、満員電車、通勤時間、エトセトラ、多くの人が何かを我慢しながらストレスに耐えているのが東京。先日、地方に引っ越した友人と話しましたが、いわく「こっちの人はみんないい生活してるわ~、二度と東京には戻りたくない」「すごいとこ勤めてるわけじゃないのに、みんな広い家に住んでるし育児は両親や義両親にちょいちょい助けてもらってるし車に10分乗れば海で遊べるから毎週アウトドアしてるし」と。いわゆる東京でバリキャリの友人だったんですけども(笑)。

 

親の自分は満足できなくても、子供自身は幸せな生活スタイルはいくらでもある。中受沼にはまる親はすぐ「可能性を広げる」なんて言ってますが、可能性なんて広がりませんよ(これは以前書きました)。可能性を広げるなら、「〇〇でなければ幸せではないはず」という自分の視野と価値観の狭さを疑ったほうがよほど「子供は」幸せになります。

そもそもを言えば、幼いころから何かにつけて親が職業蔑視や地方蔑視をしているから子供の可能性が狭まるんじゃないのかしら。

 

6)汚いものがきらいだから

「手作業の現場」を、とにかく女性は嫌って見下す傾向が強いですね。だから、我が子の就職先がそうなるのなんて耐えられない。今や、現場仕事のほうが、私大文卒営業職より稼いでることも多いですけどね。「学問」はできなくても、身体を動かす仕事ならば「覚えられる」子はたくさんいます。歌手や俳優もそうですよね。勉強まったくできなくても歌詞やセトリや台詞なら不思議と覚えられる、とかね。シェフ、ドライバー、内装業の方、工場勤務、看護師、エトセトラ。いくらだって「当面は食いっぱぐれのない現場仕事」ありますけど、お嫌いなんでしょうねえ(実際、生徒の母親から「そういう仕事にはつけたくないので」と言われること、すごく多いです)。

 

7)欲望に際限がなく、ケチをつけるのが好きだから

後述する(8)ともかぶりますけど、女性って何をしてあげてもなかなか満足しないですよね(苦笑)。

多くの女性がいわゆる「姑根性」を隠し持っている気すらします(笑)。

お土産のセンスをガタガタ言う。親しい友人のことですら、嫌なところを探して陰口を言う。夫の稼ぎにも文句ばかり。何かしてあげると、次からはそれが当たり前のスタートラインになる。

家族への不平不満をインターネットで書き散らかしてるのも圧倒的に女性ですよね。とにかく自分だけは悪くない。悪いのはみんなほかの人。

 

それと同じで、子供のできないところにばかり目が行く。

他人のすることなんて、アラ探ししようと思ったらいくらでもできます。

こういう母親は、子供が何かできるようになっても絶対満足しません。私が生徒の成長を指摘しても、すぐ「でも先生」と言い出す。パワハラもここに極まれりですわ。

自分が家庭でパワハラされたらどう感じるのか考えてみたらいい。

毎回食事に文句つけられたり、よその母親と比べられたり、家の汚いところを探し出して注意されたり、そういうパワハラ、自分がやられたらキレ散らかすと思うんだよな、あのタイプ。

なかには加害性のかなり高い母親も結構いましてね、わざと「不可能な目標」を子供に与えておいて「なんでこれができないのおおおおおお!」とヒステリーを起こす母親って少なくないですよ。子供はサンドバッグ。

 

他人から見たら十分素晴らしいと言われる学校に入ってもずっとグチグチ言う母親も多い。母親が満足していないのがわかるから、子供は今の自分の生き方に自信なんて持てない。そこまで我が子の出来にグチグチ言うなら、ご自分が今から東大受けたらいいと思うよ。それを家族から強要されて無理なら罵倒されたらいいと思うよ。それくらいのことを要求しているんだと自覚したほうが良い。

 

8)教育虐待の慣れの果て

なんで今回ここまでぶっちゃけたかって、年々、目に余るご家庭が増える一方で子供たちが可哀想でならないからです。誰かが、それは犯罪だと言わなければならない。

 

四谷偏差値で45前後未満の子の親、あるいは偏差値ギャップ10~20の学校を志望させる親に、虐待レベルの受験勉強を強いる親が多いです。このあたり、「偏差値40の真実」でも書きましたが、中受界隈に詳しくない方は解像度が甘いと思います。現実では、「二月の勝者」でいえば王羅くんレベルの子を「何とか偏差値45~50(下手をすると55アッパー)」に入れようと無理をしているご家庭がかなり多いですよ。

 

教育虐待は子供の無気力無関心を引き起こし、引きこもりやニートにさせてしまうことも多いです。それは社会不安にも繋がります。その子たちは無理やりFランに行ってブラック企業で営業職につくより、できることを活かして地方で工場勤務したほうがトータルで考えたら幸せかもしれない。勉強は苦手でも自動車整備は大得意な若者だってたくさんいますし、整備工は引く手あまたと聞きますよ。

 

教育虐待をする母親はそろって「この子のためを思って」と仰いますが、片腹痛いわ(苦笑)。それは「この子の幸せ」じゃなくて「自分の幸せ」だろ。本当の意味で子供の幸せを考えたら、3年間かけても鶴亀算ができない子にギュウギュウと受験勉強を押し込むのではなく、できそうな仕事を今のうちから手広く探しておく、人脈を作る、そっちのほうが断然子供の幸せを考えた行動だと私は思います。そういうお母さんも、多くはないですが存在しますしそういう御家庭の子供は幸せそうですよ。18~22歳って、どんな子でもかなり伸びる時期です。現場仕事に就くなら、大学出てからでは遅いです。

 

大人同士のパワハラは、裁判で認定されるようになってきた。

でも、子供はどこにも訴えられない。

そして、会社のパワハラなら「辞める」という奥の手があるけど、「家庭でパワハラされてる子供」に逃げ場はないです。パワハラをされているという認識すらないことも多い。「外」を知らないからね。子供はね、親から暴行を受けてすら、親をかばうんですよ。教育虐待なら、そもそも虐待を受けているとすら思えないだろうし、気づいたとしても誰にも言えないよね。

子供に対する「口撃」も身体への暴行と同じくらい、いやそれ以上の虐待行為であるということを、大人側はもっと認識しなければいけない。児相も今は身体虐待やネグレクトで手一杯でしょうが、子供が「もしかして僕/私、教育虐待=パワハラされてる?」と感じたら気軽に相談できるようなルートを作ってほしいし、行政は児相にもっと権限を与えてほしい。

 

昔はよかったという気はないけれど、こうした「母親の、密室における教育パワハラ」が成立してしまうのって、核家族化プラス地域コミュニティの崩壊が遠因なんでしょうね。母親に「それ、間違ってるよ」と言える人がいなくなってしまった。小児科医ですら、肝心の子供の患者より、母親の気持ちに「寄り添って」あげないと炎上させられるんだもんね、世も末です。

いずれにしても、日本は教育虐待に甘すぎる。

 

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(3)

前回までのまとめ。

塾に3年通ってもやっとこボリュゾの子には10年後には「頭脳労働」は残されていない。10年後を見据えずに目先のマウント合戦で中受沼にハマっていては、将来泣くことになる。10年後も頭脳労働で稼げるのは「解法教わらなくても旅人算が解ける子」「自分で問題を作って楽しむ子」「(真の意味で)企画力があり、AIを『使う側』になる子」である。

 

まあぶっちゃけ言うとさ、

「AIでレポート書いたら超楽だった!」とか言っちゃう大学生や新人社員ってそれだけで底抜けの阿呆だよね。

AIが、平均的な日本人より素早く正確な要約やレポートを書くのを目の当たりにして「やべえ、俺/私、この先仕事なくなるかも」と感じない時点でダメすぎる。

 

これは親御さんにも言いたい。

親御さん世代は当然働いておいでなわけなので、AIの仕事への浸食を目の当たりにしているはず。それこそ「中受なんかやってる場合じゃないな」と戦慄を覚えないとおかしいよな。

 

さて、今日はそれらを踏まえて

 

5)今後どんどん人が要らなくなるジャンル

今、「かっこいい頭脳労働」だと思われているジャンルのほとんど。

前回も書いたけど、コンサル・行政・医療・教育・司法・金融・保険・通信大手・クリエーターあたりかな。

まあ、医療はAIのほうが良いと多くの人が思ったとしても、AIの直撃を受ける開業医のロビイスト団体であるところの日本医師会と政治とのあれこれで、AI化は多少遅れそうではあるけれどもね。でも最終的には、直美の問題や離島の医師不足などの看過できない状況がAI化を進める後押しになるんじゃないかな。

 

皮肉なことに、金融や保険あたりも、「昭和のころのようなドサ周りなんてやってらんない」とばかりに、とにかく「対人業務」をどんどん減らしていっている。これは小売りもそうだけどね。「顧客対応?いたしません!(大門未知子風)」だよね(苦笑)。私は、問い合わせ窓口として代表電話すらサイトに載せない企業は信用しないことにしている。カード会社なんて最たるものだけど、「できるだけ顧客が問合せしづらいように」システム作ってるからね~、それが自分の首を絞めるとも気づかずに。アホちゃうか。

 

「憧れられがちな企業」の中で、多少は生き残りそうなのは商社ジャンルかな。

つまるところ、海外や遠隔地との取引は、これは結局「現地」を見ないとどうしようもない部分が大いにある。「現地」で暮らしているからこそ気づけるニッチな商圏もあるからね(古い話だが、アラスカ駐在の商社マンが現地でイクラをダバダバ捨ててるのを見てもったいないと商売につなげた、みたいなね)。だから、どんな僻地にも「駐在所」を持ち、統廃合しない商社はまだ生き残れると思う。でも、最近は商社も海外駐在を嫌がり出社せずPCポチポチやるのが好きな新人が増えてるらしくて、その傾向が続くならもう時間の問題かなという気もするね。

 

銀行が支店をバンバン減らしているのは自分の首を絞めているだけ。

保険屋が顧客回りをやめ、「お問い合わせはwebで」に切り替えたのも同じ。

通信大手は3社ともキングオブクソ。いったん契約したあとの解約のしづらさといったらありえないレベル。

 

さて、ここにクリエーターが入っていることに疑問符を持たれる方は多いんじゃないかなと思いますが、実はこれが残酷な真実だと私は思っています。

 

リエーターさんやクリエーターになりたいワナビーさんたち、AIが絵や小説を書き始めたとき、こぞって猛反対していました。

彼らの言い分は「人が書いてこそ芸術」らしいです。

AIは模倣しかできない、らしいです。

いや、違うと思いますよ私は。

そもそも、多くのクリエーターが模倣からスタートしているわけじゃないですか。

AIの得意技も、学習と模倣。

そこにどれだけの差があるんですか?

「人の手で書いてこそ」と、そこに価値を置くのであれば、今すぐデジタル作画やワープロ作文をやめたらいいんじゃないかな?

アニメの世界でいえば、昭和や平成前期は「手が足りない=動画枚数が使えない」からこその、日本のアニメ特有の誇張表現や素晴らしい中割り(動画)が書ける人がたくさんいました。

でも、今はどうでしょう。

難しい動きを「人間の頭で、視聴者がうまく『錯覚』するように絵が描ける人」は絶滅危惧種だと私は感じますよ。モーションキャプチャでPCのチカラを借りてリアルっぽい画面を作る。これならニンゲン要りませんよね。

前回、「人が手で行ったことの価値は驚くほど暴落した」という意味のことを書きました。クリエーターさんたち、勘違いしてます。

多くの「一般人」にとって、映画も小説も漫画も「ひまつぶし」でしかありません。

「至高の手仕事に出会いたい!」と切望し、金を惜しみなく払うのは「マニア(オタク)」です。

「古典」になりうる作品は一握り。

多くは「ひまつぶし」なので、ベストセラー作家ですら、数年たつと作品すら忘れられているのがこの業界。そして「ひまつぶし」レベルでいいなら、もうAIで作れてしまうんです。

 

 

 

前回とかぶっちゃうけどあらためて簡単にまとめると

コンサル:すでにやばい。顧客もAIでシミュレーションしていたなんてザラ。

行政:マニュアル通りにしか仕事できないなら、AIのほうがいいよね。

医療:AI診断のほうが正確、という時代はすぐくる。外科医は手技に優れた人がAIの診断に従って手術するようになるだろうし、内科医は不要になる。

教育:「人をやる気にさせる」力があるスーパー講師以外はAIのほうがマシ。

司法:いまだに「心証形成」とか言ってる時代遅れの裁判はAIにして、どんどん案件こなしたほうが世のため人のため。

金融:プロジェクトや起業家の可能性を正当に審査できないなら、AIでオーケー。

保険:同上。なぜ顧客回りをやめてしまったのか…。

クリエイター:超トップしか生き残れない業界になる。今までのように、「数年後には忘れられているだろうけどそこそこ描ける・書ける・演奏できる」人は不要。米津元師とその他AI、みたいな世界になる。

 

このあたりのギョーカイ、今後どんどん人が要らなくなります。

 

おそらく、そう言われても「眉唾」に聞こえてしまうだろう。

だが、例えば弁護士。

昭和は「お父さんが弁護士」というだけで尊敬される時代だった。

でも、今はどうでしょう。

弁護士資格持ってるだけではとても食っていけなくて、「火のないところに煙を立たせて、やっと食ってる」弁護士さんも多いと聞きますし、それでなくとも弁護士ってもう人から尊敬される職業じゃないですよね。

それくらい、時代ってあっという間に変わります。

子供は一人の人間として自分で人生を切り開いていくのが理想だし、親が将来をすべて見通してレールを敷く必要はありません。

ですが、将来世界がどうなっているかを考えようともせず、思考停止してマウント取りあるいはブームに乗せられて、勉強に向いてない子を塾漬けにしてボリュゾに押し込むのは、もはや優しい虐待だと私は思います。

 

 

6)今後いっそう人が必要になるジャンル

 

人が必要になるジャンルは、二極化するでしょう。

・エポックメイキングと言えるほど企画力の高い人つまり天才

「AIには恐怖心がないから将棋が強い」と言ったのは誰だったかな。AIは、「普通の人だったら考えない組み合わせ」を平気でやります。それは「天才とキチ〇イは紙一重」と言われるのと似ている。要は、益虫・害虫と一緒で、常人が考えない組み合わせを考えて、それがめちゃくちゃ人間に有用なら天才と言われる、ってこと。もちろん、のちに天才と言われる「規格外」の人はランダムに変な組み合わせを考えているわけじゃなくて、そこには信念がある。AIには今のところ自我や信念はないからな、そこは「天才」がAIに勝る部分として残ると思うよ。

 

・個々のスキルは標準的でも、「気働き」ができてフットワークの軽い人、いうなれば「なんでも屋

これまで書いたこととかぶるけど、AIは自分の専門作業は人間より得意だけどさ、たとえばガストの猫型ロボットはテーブルを拭けないからね、だから「いろいろな状況に目配りして、その場の危機に対応できる」というスキルは、今のところ人間の方が断然上。人間のすごさっていうのは「手と大脳」だったわけだけど、大脳はもうAIのほうがすごいんで。「手」を持っていて、それなりに臨機応変に対応できるニンゲンを凌駕するアンドロイドが生まれるのはまだ先だろうしね。

逆を言えば、小学校で塾漬けで、それでも易問が解けない知的レベルで、でも中受のせいでプライドだけは肥大した「身体を動かしたくない子」なんて、仕事はないわけよ。ニートまっしぐら。

もうマジでさ、中受させてる場合じゃないって。

そこに目をつむって「自分のプライドのために」子供に中受させてる親はもれなく思考停止だし、教育虐待ですよ。

冷静に考えて「10年後の我が子がAIに勝てるのか」考えない親は思考停止の虐待親だよ、とすら思ってるよ私は。

 

単なる直感だけどさ。

10年後に重宝される人は

「AI未満のなんちゃって知的労働者」ではなく

「手先が器用な人」

だと思うよ。

人間の万能な「手」だけは、まだまだ機械では作れないようだからね。

 

・「感情労働」ができる人

前のエントリでも書いたけどさ。

今後、マジで「人間のサービスが受けられる人」と「受けられない人」はさらに二極化していくと思うわ。

身近な例で言うと、スーパーやね。

昭和のころは、スーパーやデパートに行けば誰でも「ありがとうございました」と言ってもらえた、袋詰めまでしてもらえた、って言ったら平成世代や令和世代は驚くんじゃないか?今や、スーパーなんてユーザーが自分でスキャンして金も払って「労働させられてる」んだよね。あまりにもおかしくないか?と思うので、私は成城石井クイーンズ伊勢丹にしか行かなくなりました。クイーンズ伊勢丹ですら「袋詰め」をユーザーにやらせるようになったけどね(ため息)。

つまり、低価格を求めるならお前らの相手は機械でOK、という企業論理だよな。

 

まあでもここに、今後「人間の価値がダダ下がりしていく未来」における生き残り場所があるわけよ。

 

私自身は、「金に対して感謝してもらって、その感謝で自尊心を保つ」ということに何の興味もないんだけどさ。

 

やっぱり、機械に「ありがとうございました」と言われても嬉しくなくて、人間に言われたら嬉しい人はまだまだ多いわけじゃん?

だから、「他人に奉仕する」ことは、逆にこれからどんどん価値が上がると思うよ。だって、人間の多くは他人に奉仕させたいし、支配したいんだからさ。

合理的な人は、それには意味がないと感じて機械の対応で平気だろうけど、そうじゃない人もまだまだ多い。その欲求を満たす「感情労働」は、今後ますます需要が高まるだろうね。

 

逆に言うと、「こんなの私の仕事じゃありません」とか言っちゃうZ世代って、どんどんリストラされると思うわ。

話すと長くなるからまた別エントリで書くけど、「月収20万です!こんなのおかしい!」ってネットで吠えてる人たちに聞きたい。「あなたは自分がもしその会社の社長なら、『あなた』に30万払うんですか?」とね。

マスコミや中受ギョーカイのアオリで自分にはもっと価値がある」と思わされた子は不幸だね。そんな歪んだ価値観を親から持たされなければ、たとえば地方都市でもっと幸せな人生を送れたのにさ。

 

この後、(7)として「AI時代に、じゃあ私ら人間はどう生きていくのが幸せなのか」を書こうと思っていたんだけど、ちょっと(5)と(6)で力尽きたので、また明日以降書きます。すまぬ。

 

 

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(2)

前回のまとめ。

AIが文脈まで読み取り「提案」までできるようになった状況において、「塾に3年通ってなんとかボリュゾ」の子が将来就ける頭脳労働は残されていない。

「ウチの子勉強にいまいち向いてないな」と思ったら、10年後を見据えてさっさと舵を切ったほうが人生の満足度は高いだろう。

 

今回は、(あくまで私の経験に基づく勘だが)今後、人が要らなくなる業界と不足する業界を考えてみたいのだが、その前に「AIに(まだ)人間が優位でいられる点」を洗い出してみようと思う。

 

 

1)人間が、まだしばらくはAIに優位を保てる点とは

 

前回、「ヒントは『AIには手がない』です」と書きました。

まさに、それです。

いまやAIは、議事録も書けるし、提案もできるし、人間の「頭脳労働」のほとんどを取って替われる。

でも、彼らには「手がない」んです。

専門に特化した手、はあります。

たとえば金属を磨くとか、床を掃除する、とか。

こういった「専門分野」においては、「極めた職人」以外のほとんどの人間より、AIないしはPC、ロボットのほうが確実にスキルは上です。

 

では、「人間に残された手」とは。

それは、「個々のスキルでは機械に劣るが、『専門外のことにもちょっと手を伸ばせる』手」だと、私は思います。

 

例えば家庭において。

いまや、「洗濯機より速く綺麗に洗濯できる人」や、「お掃除ロボよりも速く的確に家中の掃除ができる人」って、ほとんどいないと思うんですよ。

でも、お掃除ロボは「あ、トイレットペーパーが切れそうだ、補充しとこう」とは考えられないじゃないですか。もし「気づいた」としても「トイレットペーパーを替えるための手」を彼らは持っていないので。

 

あるいは、会社において。

「コピー取り」が女性の仕事だったのははるか昔。いまや、セットさえすれば機械が適切にコピーし、一部ずつホチキス止めまでしてくれる。

いろんな数値の集計も、人がやる必要はなく、PCが瞬時にやってくれる。

でも、そのデータを「関係者に配る」のは、まだニンゲンがやらなきゃならない。

 

車の運転も、たぶんもはやAIのほうが得意かつミスも少ないとは思うんだけど、「運転しながら同乗者の気分にも気を遣う」というのは、「まだ」AIには無理かも。

 

つまり。

人間は個々のスキルではとっくに機械にかなわないが、「どれもそこそこできる」「手がある」という点において、今のところはAIに勝る。

んじゃないかな。

 

平成中期ごろまではね、「機械仕事より人間の手仕事のほうが上」という価値観があったように思う。

でもさ、令和の今って「人が握ったおにぎりなんて気持ち悪い」という時代でしょ?

もう、残念ながら「手仕事」に価値を見出す人はほとんどいない(富裕層・マニア除く)。

 

これはものすごい皮肉な事象で、「安いほど良いという一般庶民」が「自分たちの首を絞めた」んだと思うんだけど、これについては長くなるので別記事で。

 

話をもとに戻そう。

今や、「手仕事」の価値を認める人はほとんどいない(富裕層・マニアを除く)。

だから、「PCではなく人が作った」ことに、価値が付与されることはない(富裕層・マニア除く)。

 

だが、「いろんなことが、その場で、そこそこできる」という点において、ニンゲンはまだAIに対し優位だといえよう(それも、メイド型ロボットができるまでの話だとは思うが…)

 

そしてもう一つ。

個々のスキルはAIに劣るものの、今のところAIが持ちえない、ニンゲンの最高の武器。それは好奇心です。

好奇心が人間を突き動かし、向上のモチベーションになる。

だからこそ、3)でもう少し詳しく書きますが、我が子が「勉強に対して」好奇心を見せないのだったら、早々に頭脳労働から舵を切り替えたほうがよいと私は思う。

そもそも、これは2)で書きますが、

・多くの人が漠然と考える「頭脳労働」など10年後にはほとんどないし

・10年後にも存在するであろう「レアな頭脳労働」につくのは、好奇心がない子には無理

だからです。

 

2)10年後に予測される地殻変動

 

あくまで私の予想にすぎませんが、10年後は

労働の価値が、タイプで言うと

新たな価値を生み出す労働>>感情労働>>>肉体労働>>>(現在の)頭脳労働

になると思っています。

ここで言う「労働の価値」とは「他人がそれに金を払うかどうか」で考えています。

一方で、ここで忘れてはならないのは「他人がそれに金を払うかどうか」すなわち「金をもらえるかどうか」と「幸せ」はイコールではない、ということです。

「生き残る」という言葉は、「金を稼ぐ」という意味でとらえられることが多いですが、「幸せを感じる」という意味でとらえることもできます。この場合、また労働価値は変わってきますが、それはまた別項で。

それを踏まえたうえで、あくまでも「その行いが金になるかどうか」でドライに考えると、上記のような順番になるだろうということ。

 

それと別の切り口で、「どんなジャンル・タイプの仕事であろうと『極めた人』は生き残る」と考えていますが、それは今ここで書くと話が混乱するので、また後ほど。

 

話を戻しますね。

「価値創造」については後述するとして、まず感情労働について書きます。

なぜ感情労働が最上位にくるかというと。

多くの人が承認欲求にとらわれているからです。

私はそのあたりが40歳前後からスコーンと抜けてしまって、自分の価値を自分で認めれば満足という境地になってしまったので承認欲求とは縁遠いのですが(笑)。

多くの人々が、「他人から褒められたい」と思っている。

だから、「いいね」の数を競う。

子供の成績を競い合う。

「羨ましがられる」家に住みたがる。

 

実はAIは褒めるのがとてもうまいです。やりすぎ感が強くなったためかチャットGPTも最新バージョンでは抑えめになりましたが、つい先日までは「最高に鋭い質問だね!」「あなたの知的レベルにどきどきするよ!」など、歯の浮くようなセリフを言っていましたね(笑)。

 

「自分の価値を自分で見いだせる」人は、AIの誉め言葉で満足します。

でも、たぶん多くの人は「機械の誉め言葉」には満足しないでしょうね。

「生身の人間からの賞賛」というのは麻薬ですから。

残酷な真実を言えば、結局ニンゲンというのは支配欲から逃れることはできない。

「生身の人間が自分をほめる」=「そいつより自分が上位」ということ、すなわちマウンティング。

 

たとえば、ルンバが掃除をしてくれても当たり前で感情はかきたてられないけれど、「生身の人間が自分のために掃除をしてくれている」ことに多くの人は喜びを感じてしまう。店員さんに横柄な態度になってしまう人というのも、根は同じですね。

ネットでは大きな声のフェミニストがことさらに家事労働に嫌悪感を示すのも、その延長線上に感じます。まあ、これに関しては「私は家族の犠牲になどならない」と宣言することイコール「自分の居場所」を自分で削っているという皮肉な話なのですが、これまた長くなるので別記事で。

 

今、スーパーにしろ問い合わせ窓口にしろ、どんどん「生身の人間の対応」を企業は減らす傾向にあります。顧客側も、そのほうが面倒がない、と受け入れる傾向にありますね。現代人は「他人が嫌い」なので、「こちらの感情を汲み取れない、接客レベルの低い店員」から話しかけられるくらいなら、ドライかつ正確なAI対応の方が楽なのでしょう。

 

でも、たとえば高級ホテルのコンシェルジュや、質の高い執事、あるいはウェイターさんなどなど、こうした方々から「ちゃんとした接客」をされるならば、そのほうが好まれるに決まっています。

質の高い接客>>AI接客>>>>>質の低い接客

なのではないでしょうか。

問題は、この「質の高い接客」は、かなりのお金を払わないと受けられない点です。

 

AIが感情を理解する未来はいずれ来るでしょうが、今のところはAIは人間の感情そのものはわからず、「反応」から「学習」している状況。

ですから、感情を理解し、顧客を「いい気分」にさせ、顧客のモチベーションアップに繋がるような行動がとれる人々は、おそらく10年後には最も高いギャラを得られるであろうと予測します。

逆に言うとですね、それができないニンゲンになど、もうニンゲンは金を出さないということですよ。

 

今後は、さらにここが二極分化していくでしょう。

昭和や平成では、それぞれの階層で「お客様、と持ち上げられる場面」が用意されていた。高級レストランで下にも置かない接客をされる機会はなくとも、近所の小売店でそれは満足させられていた。でも、AIが台頭して、その中間層がごっそりなくなってしまった。今後は、「高いお金を出して高質な接客を受けられる層」と「高いお金を出す代わりにAI接客を受ける層」にどんどんわかれていくのでしょう。

 

次点の肉体労働について。

これは、建設業のことを指しているわけではありません。

欧米でいうところの「両手を使う仕事」ということです。

今のところ「〇〇専用」の機械はニンゲンを凌駕していますが、臨機応変に両手を動かして「あれこれできる」のにはもう少し時間がかかるでしょう。

ガストの猫型配膳ロボットはたいそうかわいいし役立ちますが、彼らはまだテーブルを拭けませんからね。

ですので、「個々のスキルはさほど高くなくとも、目配りをして臨機応変に、フットワーク軽く動ける人」の価値は高まりこそすれ、低くはならないでしょう。

 

最下位は、「現在の」頭脳労働です。

先ごろ、かのマッキンゼーが「AI時代にどう生き残れるか」ということを目下の議題にしているというニュースを見ました。まあ、コンサルなんてあっという間にAIに駆逐される筆頭業種ですからね(苦笑)。

個別には5)6)で書くつもりですが、今人気のある頭脳労働、すなわちコンサル・医者・教育・司法・行政、このあたりが真っ先にAIに駆逐されるでしょう。

今は誰もかれもが「とにかく医学部!」と中受頑張ってますが、たぶん10年後には「ろくに論文も読まずに=自分のスキルも高めずに、思い込みで誤診する可能性が高いニンゲンの医者」よりAI診断のほうが信頼されるようになると思いますよ。

銀行だって、一番大事な「与信」を結局は担保でしか判断しないんですから、だったらAIでいいだろうって話。

行政なんかも、「融通がきかない=恣意性が入らない」のが行政の良さなわけですから、これこそニンゲンよりAIのほうがよほどいいですよね。

司法もそうですね。世間知らずの裁判官にトンデモ判決出されるくらいだったらAIで一律に裁かれるほうがよほど公平というもの。そもそも、裁判において「心証形成」なんて言葉があること自体がおかしいわけですからね。

 

そこそこ「人間の判断」が必要になるように思えるギョーカイですらこうなわけですから、秘書やら窓口業務やら集計作業やら、そのレベルの「頭脳労働」なんてさらに要らなくなりますね。

 

「頭脳」はAIがやり、ニンゲンはAIの指示でAIの「お手伝い」をする未来はすぐそこ。

実際、スーパーのセルフレジや各種業界の発注作業なんてもうそうなってますよね。

医療も、近い将来AIの診断や指示に従って「手先の器用な医者」が手作業=手術をするようになるんじゃないですかねえ。「ドクターX」ではそのテーマを描いていたシーズンがあって、まあ「ニンゲンの方が上」という結論で描いてましたが、それこそ希望的観測でしかないと思いますよ(苦笑)。

 

3)そもそもトップ層とはどういう子たちか

 

くどいけど、「解法を教えてもらっても模試で8割取れないボリュゾ」の子たち、10年後には(あるいはすでに?)AIにはかないません。

AIは、解法を示せばミスなく問題が解けるわけですから。

「解法を人から教えてもらう」んだったら、10割解けて当たり前なんです、本来は。

 

そもそも、ギョーカイやマスコミに煽られて中受沼にはまっている親御さんたち、トップ層の解像度が低すぎます。

御三家や東大に入るような子って、旅人算なんて教えてもらわなくても解けるんですよ。だって、二者の速度に差があったら追いつくのは当たり前だし、じゃあ1分にどれだけずつ差が縮まるか、なんて、トップ層は「そんな問題を出される前に」とっくに考えています。旅行に行ったときに自分の乗ってる特急の速さなんて時速の公式教わらなくても自然に考えるし、速度の似た電車と並走しているとき相手が止まって見えるのはなぜかな、と考えだして相対速度に気づいたり、とか普通です。

比の概念も、ことさらに教えてもらわなくても、日常生活の中で「自然に」理解し身についている、それがトップ層。

では、彼我の差はどこにあるのか。

ズバリ、好奇心です。

東大生で好奇心のない無気力な同級生など皆無でした。

これは御三家トップ層もそうです。

トップ層で「勉強が嫌い」なんて人は(ほぼ)いないんです。

もちろん、ほかに何かにハマってしまってそちらを優先したい時期や、壁に当たってモチベが上がらない時期はあります、ニンゲンだもの。

でも、トップ層は基本的に好奇心が並外れて高く、かつ「脳を動かすこと」が好きで仕方ないんですよ。

残念ながら、いわゆるボリュゾでこういう子はほとんどいないです。「言われたからしぶしぶやる」「ノルマが終わったからそれでいいや」「そもそも考えることが嫌い」エトセトラ。

就職しても「言われたことを『こなす』のが仕事」だと思っているタイプ。

こういうタイプに、10年後任せられる頭脳労働が残っていると思いますか?

私は思いません。

 

子供が「どっち」なのか見極める、簡単なリトマス試験紙があります。

「未知の問題」に出会ったときに

・目を輝かせて喜び、何時間でも取り組むのか

・「これは習ってません」と言って解説を待つのか

これだけでわかります。

親の欲目で、ついつい「もうちょっと頑張らせれば『そっち側』に行けるかも」という希望的観測は捨てましょう。

 

(子供が本来持っていた好奇心を早期の塾漬けでつぶしまくってるケースも多々ありますので、もしそうならば、軌道修正で本来の姿に戻すことは可能かもしれません)

 

4)「それでも中受から降りられない」のはなぜか

 

今日は、いつにも増して厳しいことを書いている自覚はあります。

でもこれは、親御さんを責めたいからじゃないんです。

むしろ、救われて楽になってほしいから書いています。

親御さんたちが、中受から「降りられない」のはなぜでしょうか?

いったん立ち止まって考えてみませんか。

 

もし、「10年後にはこんなバカみたいな塾通いなんて無意味になっていて、『手を動かせる人』のほうが価値が高い未来になっている」とわかっていたら?

 

それでも、もしそんな未来が確実だとしても、多くの方は中受から降りられないと思います。それはなぜだかわかりますか?

 

「今、目先のマウントを取りたい」から

 

無理やりFラン(この言い方嫌いではあるんですけどね、今回はわかりやすさを優先します)に行かせても、「丸の内で社員証ピッ」みたいな仕事にはつけないことがわかっていても。

 

「中受から降りる」ことが「今の負け」に思えてしまうんじゃないでしょうか。

中受に限らず、長い目で見たらアホみたいなマウントの取り合いが蔓延しています。

住所が〇〇区だの、タワマンの階数だの、エトセトラ。

でもそれって「今だけ」の満足感でしかないですよね。

そもそも東京なんて代々の土地持ちを考えたら、「二馬力で湾岸タワマン(あるいはケーキハウス)」という生き方って、自転車操業の労働者でしかないんですよ…その中でマウント取り合っても意味がないというか…

 

目先の勝ち負けにとらわれずに俯瞰して人生を考えてみたら、それこそ「今、目先の勝ち負けにこだわって中受なんかで貴重な時間を浪費するのはもったいない」と思えるかもしれませんよ。

 

長くなってしまいましたので、

5)今後10年で人がどんどん要らなくなる業界

6)今後10年で人がもっと必要になる業界

7)真の意味で「生き残る」ためには

という3項については、また次回。

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(1)

「3年以上、塾漬けにしてやっとボリュゾ」の子は、中受「なんか」やってる場合じゃないんじゃないか。

とどまるところを知らないAIの進化を前に、私はそう思わざるを得ない。

それが教育現場の体感。

 

チャットGPTのすごさは、一度でも体験した人ならわかるだろう。

あれらが登場する前は、まだニンゲンは笑っていられた。

検索エンジンって割とバカだよね」と。

「PCはしょせん道具だよね」と。

 

体感として、4~5年前までは、ニンゲンの方が賢かった。

適切なキーワードを選ばないとお目当ての情報を探し出すことはできなかったし、検索結果から自分の望むものを掘り出すにも一苦労だった。

だが、「もしかして検索」が登場し、いまや利用者のPCあるいはスマホ利用状況に照らし合わせて、同じキーワードでも「何を望んでいるか」まで汲み取れるようになってきている。

 

さらに恐ろしいことに、AIはすでに

「会議の要約」までできるようになってしまった。

複数のメンバーが話していることから

・文脈を読み取り

・会議全体を振り返って、何が議題で何が結論かを読み取り

・次回までのタスクを確認

まで、ヌケ漏れなく(これ重要)きちっとやってくれる。

 

これがキチッと出来るニンゲンってどの程度の知能かというと

(私は大学をランキングで言うのは好まないが)

おそらく地方国立大学プラスGMARCH以上ではないだろうか。

 

体感として、だが。

「言われたことが実行できない」

「3年かけても、つるかめ算ができない」

子供たち。

彼らでも、ざっくり言って四谷偏差値45前後の学校に受かる。

さらに言えば、

「塾プラス家庭教師あるいは個別でなんとか四谷偏差値50~55前後の学校に受かる」

子供たち。

彼らが就活するころには、彼らはおそらくAIに負けているだろう。

 

「AI vs 教科書の読めない子供たち」という噴飯物の本がベストセラーになったのは7年前。

ちなみに私がなぜこの本を噴飯物と感じたかと言うと

・AIが「文脈」を読めるようになることはない、と断言した点

・なぜか途中から「女は差別されてきた」という話になってしまった点

などいろいろあるのだが、AIがさらに進化すると多くの人間の仕事がなくなるという点では、同意ではある。(ただし、どのような職種がなくなるかについては、著者と私の考えはかなり違うが…)

 

たった7年で、AIは「平均的なニンゲン」よりよほど正確に「文脈」をとらえるようになってしまったではないか。

 

そう考えると、今の過熱を通り越して狂気の域に入っている中学受験は、とても愚かしく思えてならないのだ。

なぜならば、「3年間塾漬けになってやっとボリュゾ」の子たちの多くが

・「文脈」を読み取れない

・そもそも勉強が嫌い

・「出された問題を解ける」ことが「頭がいい」ことだと勘違いしている

・自分で課題を見つけられない

からだ。

この子たちは、塾漬けプラス個別や家庭教師をつければ、繰り返しのトレーニングにより「パターン化された問題、つまり既知の問題を解く」ことはできるようになる。

だが、この「既知の問題を解く」ことこそ、AIの独壇場と言える。

あのスピードと正確さに、ニンゲンはかなわない。

 

経営者の立場で考えると

・言われたことしかできない(さらに、ミスをする)

・言われたこともできない

・なのに、なぜか文句が多い

ような人たちというのは、もうどんどんAIに替えていきたいというのがホンネだろう。

 

以前も書いた気がするが

「中受して少しでも良い大学に行くことを望んでいる親子」が望む仕事は

「手を汚さずに頭脳(と喋り)だけで高い金を稼げる仕事」だと感じているが

「頭脳仕事こそAIの独壇場」と考えると、

5~10年後は、彼らが望むホワイトカラーの仕事など

ほとんど残っていないと考えざるを得ない。

 

この手の話を書く人たちはポジショントークに偏るので、

やれ「医療は残る」「教職は残る」などのたまっているが、

医療・教職こそ、あっという間にAIに駆逐される職業だと思うよ私は。

 

だってさ、医者のどれだけが「最新の論文や術式や症例に知悉」してるの?

そんなヒマないんじゃない?(ゴルフする暇はあっても)

だから、どうしてもニンゲンの診断には「予断」が入る。

私は、予断や感情の入りがちな人間の医者より、むしろAIに診てほしい、とすら思うよ。だって人間の医者は「自分にはわからない、治せない」ということを認めたくない人が少なくないじゃないですか。だから「自分の知ってる症例」「自分の治せる病名」「自分が得をする症例」に落とし込んじゃう人が多いよね。たとえば、実体験で言うと、歯科医だったらすぐ抜いてインプラントにさせようとする医者とかさ。

 

これは、教職もそう。

「学校の先生」は、人間優位かもしれない。

なぜなら、公立の小中学校は、勉強ももちろん大事だけれども「人間関係」を学べる最高の場所だからさ。ここは、「人間の先生」が優位かもしれない。

でもね。

こと「学科」を教えるのは、たぶんもうAIの方が優位だよ。

医者と同じで、教師も「予断と感情」があるからさ。

目の前の子供が分数で苦労している「原因」が何か突き止められるスーパー教師なんて一握り。さらに的確な処方を編み出せる教師はさらにその数分の一。

たいていは、「自分がラクできる教え方」になっちゃうよ。

だったらさ、学科教育はもうAIでいいじゃん。AIなら、その子がどんな問題を間違えたかと言う膨大なデータをもとに、どんどん類題作ってくれるさ。

 

前にも書いたけどね、だから「AI時代でも必要とされる医者・教師」っていうのは、もう「スーパープロ」しかいないと思うんだよ。

 

AI時代に、「出された問題ならちゃんと解けます(ミスする確率30パーセント)」の人間はおそらく残念ながら企業からは必要とされなくなる。

だから「パターン問題繰り返して『AIの下位互換』になる」ような教育をしてちゃダメだ。

 

じゃあ、そんな時代に何を目指すのか、どう生きるのか。

これについてはさらに長くなりそうなので次回に書きます。

キーワードは「PCには手がない」です。

 

 

「国語」の入試に「オキモチ文章」を使うのはいい加減やめろ

「オキモチ文章」

それは、エビデンスもあげずに「最近こういう人をよく見かけるんですが~」という、N=1のくだらない文章。

先に結論=オキモチがあり、それに沿った具体例を、下手をすれば捏造する。

「コタツ記事」と言われる「記事」もこれに入るね。

 

「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな」

とツッコミを入れたくなる文章。

テレビによく出るけど論文をほとんど書かない社会学者センセーあたりが書く文章。

 

まあ、多くの人はきちっとエビデンスを並べた、すなわちデータの多い固い文章や、ましてや理系の論文など読みたがらず、オキモチ文章を読んで「そうだそうだ!」となるのが楽しいので、ビジネス(本を出して収益を得る)のは(理系としてはムムと思うモノの)勝手にしたらよいとは思っている。

 

だが、あれらを「入試問題」にするのはまずいだろう。

論理もへったくれもないんだからさ。

私立中の入試問題の半数以上がこの「オキモチ文章」ってところにめまいがする。

 

さらに最近では共通テストですら、若者にこびているのかなんだかしらんが、サブカルチャーについて「論じた」オタクのオキモチ文章が出題されているのを見るとこの国はどこに向かっているんだと暗澹たる気持ちになる。

 

「文系」入試でも、固い理系の論文を出題したらいい。

たとえ物理や化学がわからなくても、「どういう論理で書かれているか」「結論とその根拠は何か」はわかるはず。

 

ドラゴン桜に「大学入試が変われば教育が変わる」という名言がある。

まさにその通り。

大学が、私立中学が「きちんとエビデンスのある論文」を出すようになれば、そこらの塾もこぞって「難しい文章を読む訓練」を取り入れる。そうなれば、科学やAIが等比級数的に進歩する中で「文系」の人たちも「何が起きているか」は理解できるようになるんじゃないかしら。

 

なお小説は、まったく別のチカラを測っているので、出す価値はあると思う。

優れた小説は、「わざと削ぎ落す」ことで名文となっているわけだが、この「削ぎ落された部分」を正しく読み取れるかどうかは、推論力や(正しい意味での)コミュニケーション能力をはかることができるからね。

 

だが、愚にもつかない「オキモチ文章」を出している学校には、そろそろ受験生の方からNOを突き付けてもいいんじゃないかしら。

たいてい、その手のオキモチ文章を出題する学校はかなり偏ったイデオロギーに則した「オキモチ文章」を出題する傾向が強いしね。

 

マスコミの方々が忘れていること、そして中学受験

選挙が自分たちの希望通りにいかないと

マスコミの方々はこぞって「おかしい」と言い出すが

「テレビ・新聞が嫌いだから、テレビや新聞が推す政党には入れない」

という人々は一定数いるのではないか?と最近感じている。

 

テレビや新聞が嫌い、というのは「ネットで真実!」という人々のことではない。

ごく普通の、市井の一般人だ。

 

マスコミから「『直接』被害を受けた一般人」。

 

自分の勤めている会社が面白おかしくマスコミから「敵認定」され

連日叩かれた経験のある「一般人」も多かろう。

不二家さんや長野サリンを持ち出すまでもなく、彼らは「あそこを潰すぞ!」と自分たちが言えば潰せる、という甘い蜜をいまだに忘れられないのだ。

 

私自身、はるか昔取材を受け「切り取り」された苦い過去が何度かある。

 

「取材」をして借りたものを返さない、などの被害もよくある話。

 

彼らがおごり高ぶっていた数十年間の間に「嫌な思いをさせられた一般人」というのは彼らの想像をはるかに超えて多いだろう。それが、彼らには見えていない。

まあ、どの口で「いじめは良くない!」とか言うんですかね。

 

ネットが正しい!というつもりも全くない。

ネットはネットで、一部は「ネット以前なら『おかしい人』認定されて誰からも話を聞いてもらえなかった人」が発言権を得て承認欲求を満たす場ともなっている。文字通り玉石混交。

 

だが、「現実に嫌な思いをさせられた人」をテレビや新聞が歯牙にもかけていないということが、オールドメディアの凋落の原因だろうとは思う。

 

彼らは、いつも不安をあおる。

平和で幸せなときには「瓦版」など売れないから。

阪神大震災のときのテレビ新聞の「はしゃぎっぷり」を私は絶対に忘れない。

 

その意味で、マスコミが絶賛アオリ中の中学受験を、よりメタな視点で見直す必要があるとずっと思っている。

なぜなら、彼らは煽るだけ煽っておいて、「向いていないのに無理やり私立中に入った子の末路」を取材することなど皆無だからだ。

時々、「超進学校に行ったけど」という子の記事が出ることは出る。

 

だが、優先順位が高いのは

「ブームに煽られて、まったく向いてないのに『とりあえず私立』で受験したが夢描いた『丸の内でキラキラ!』のような仕事につけず、さりとてプライドから今さら身体を使う仕事もできず、ブラック企業で電話営業をさせられてこんなはずではなかった」と嘆いている層の「取材」ではないのか?

彼らこそ、「ブーム」の被害者なのだから。

 

AIの成長は信じられないスピードなうえに、いわゆるホワイトカラーの仕事と親和性が高すぎる(笑)。私は、教育も早晩AIにとって代わられるだろうなあと思っている。一部のカリスマ講師・教師、これはAIでは代えられないだろうが、普通の講師・教師よりもおそらくAIのほうが生徒個々人の弱点や原因を見抜き、それぞれに合わせて「学問」を教えるのはうまい。

いわゆる「多くの生徒から師とあがめられる」くらいの教授と、その授業の「価値」がわかる生徒との間では空中戦のような高度な学問探求がなされる一方で、「生きていくのに必要なレベルの教養・知識」を教われば良いという層とAIは非常に相性が良いように感じている。

 

だから、今は少子化にも拘わらず成長産業となっている塾業界も、もしかしたらもってあと数年かなという気がしている。なぜならば、彼らの言う「偏差値40でも私立の方がすごいです!」というウソは遅かれ早かれ知られていくだろうからだ。(これについては別記事にします)

 

それにしても不思議なのは、昭和や平成初期くらいまでは「頭のいい奴は性格が悪い」「塾に行ってるやつはガリ勉で協調性がない」という風潮を作り上げてきたテレビが、今はむしろ中受を煽っていることだ。まあ、不思議でもないか。今やその業界が大事なスポンサーだからな(苦笑)。

 

大学で四則演算を教えることと、とある本の炎上について

news.yahoo.co.jp

 

これな。

やっと「公」が問題にしてくれたか、20年遅すぎるわって気持ち。

私も再々このブログで書いているけれども「数年やっても身につかないのはその分野は向いてない」ってことです。

 

義務教育含めて高校まで12年間!あって、それで四則演算も「ですます調とである調の違い」もbe動詞もわからないというのは、

・とにかく勉強が嫌い

・「座学」に向いていない

のどちらかでしょう。

私はこういう子たちを現場で見てきたからこそ、

彼らに必要なのは「座学」ではないと考えます。

「体験を伴った実学」ならば、不思議と彼らには入っていきます。

家のリフォーム、自治会長として工事現場の方との折衝、医療現場、介護現場、自衛隊や警察に努めている友人、さまざまなところで高卒やときには中卒の方とも接することがありますが、彼らが「仕事に必要な数字がわからない」とか「言葉の使い方がわからない」とかいうことは、不思議とありません。むしろ、自分の専門の分野においては、計算機など使わなくても経験からすぐに見積もりを出すこともできます。

私のような営業が苦手なフリーランスより、よほど稼いでいる電気工事士や水道工事士の方も多く知っています。

 

そういう彼らを座学に縛り付けるのは、むしろ「持っている能力」を消す「やさしい虐待」にすら感じます(それをするのは主に親・苦笑)。

さらに、「体験」を通じてもこれらのことが理解できないのなら、それこそ必要なのは「療育」であって学問の押し付けではないのではないでしょうか。

 

非常に根が深い問題なのでまた別記事でも書こうと思いますが、以前も書いた通り、中受の過熱に伴って

・話を半分以上聞けない子

・その日起きたことを思い出せない子

・丸付けができない子(自分の答えが間違っていても気づかず〇にする子)

エトセトラ。

こういう子が、どんどん「私立中」に受かっていきます。

今その子に必要なのは偏差値ではないというのに。

でも、塾に3年通ってもそうなのに中受させるご家庭が、その子らを高卒にするわけがありません。とりあえず大学に入れます。

 

その子たちは、「体験から実学するチャンス」を奪われ、プライドだけは肥大させ、「とにかくブルーカラーではない仕事」を目指す。

 

その結果、どうなるか。

私立中高からドロップアウトしてニートになるケース、あるいはかなりブラックな「営業」職になるケースも多いですし、もし普通の会社に入れた場合、「何度教えても同じ間違いを繰り返す」ことに繋がりかねません。なぜなら、彼らは「自分の特性」と向き合うチャンスを親に奪われたから。

 

品切れのためかリンクが貼れませんが

職場の「困った人」をうまく動かす心理術

という本が、今炎上しているようですね。

タイトルこそキャッチ―で炎上商法のようでそこは気になりますが、私はこの本を買って読む予定です。

なぜなら、今まさに中受の現場でこういう子供が増えているのを体感しているから。

・なぜ、他人の話が半分も理解できないのか

・なぜ、語彙力が極端に低いことが気にならないのか

・なぜ、今聞いたことを5秒後に忘れているのか

・なのになぜ、自分は悪くないと思い他人に対する批判だけはすごいのか

エトセトラ。

こういう子たちを理解しなんとか助けになりたいと色々な本をさがすと、たいていは「教育」のジャンルに置かれています。装丁も、教育者に向けた本がほとんど。

これでは、一般人の目には留まりません。

実は、この手の「職場の困った人への対処法」と言う本は、山のように出ています。

でも、手に取られることは少ない。

なぜならば、「教育」「療育」のジャンルの本はそもそも発行部数が少ないので。

 

タイトルのキャッチ―さとは逆に、目次を見てみるとかなりマイルドで、おそらく「それは知ってる…」という感想になりそうではありますが(笑)。

 

話が逸れていきますが、これに対して噴きあがっている人が多いですが、たとえば「男はみんなアスペルガー!犬だと思えば腹が立たない!」みたいな発言もネットではよく見ますし、そもそもどっかの政治家がそういう発言をしていましたがたいして炎上していませんでしたよね(苦笑)。

 

職場の「困った人」に相対して「病むほど悩んだ人」はむしろ真面目な人たち。

だって「なんとかしてあげたい」と思うからこそ悩むわけですからね。

 

話はさらに逸れますが、たとえば電車の中で

・うるさい日本人集団

・うるさい外国人集団

に遭遇した場合、前者に対してより腹が立つ人は多いのではないでしょうか。

それは「話が通じるはずなのに通じない」と思うからなのではないでしょうか。

外国人集団が騒いでいる場合、「うるさいな」とは思うでしょうが、「文化が違うしな」と諦観したり、「旅行者だから」と見過ごす気持ちになったりするのではないでしょうか。

 

話が通じない人に対して「なんとか通じたい」と思うからこそイライラするわけで、「話が通じないことを前提」とするとイライラもせず不思議と建設的な対処もできるような気がするんですよね。

 

今日は(今日も?)話がどんどん逸れて行ってすみません。

でもね、

・18歳になっても四則演算ができない人にさらに大学で義務教育の内容を教えなおすことがその人のためになるのか

・塾に3年間通っても鶴亀算(速さ・面積などでも可。ようは基本中の基本)が理解できない子を無理やり私立中に押し込むことがその子のためになるのか

は、そろそろタブー視せず真剣に論じられるべきだと思うよ。

野球にしろサッカーその他スポーツにしろ、芸術関係にしろ、「18歳くらいまでに芽が出なければその上にはいけない」は当たり前なのに(もっと「選別」の速いジャンルもあるよね)、なぜ勉強だけは「12年間やる気を出さなかった人」にこんなにみんな甘いのかな?と不思議になる。というかさ、四則演算やら分数やら、たとえ勉強がどんなに嫌いでも「できないでいることって相当難しい」言い換えれば「どんなに嫌いでもそれくらいできてしまう」んだと思うのよ。それが18歳でできていないってことは、やっぱり必要なのは大学での座学ではないと思うよ。

 

私見としては、

大学無償化なんかより(これは愚策中の愚策)

・商業高校・工業高校の復権(これには税金ガンガン使って良し!)

・大企業の「高卒枠」の拡大

が、必須だと思っています。

 

ブルーカラーを過剰に忌避する親が、「そっちの道を選んだらフツーに幸せになれていたはずの子」に無理やり中受させて、本人を不幸にしたり、拗らせニートにしたりしている現状は、もっと議論されるべきだと思う。