AI絡みの記事の続きを書く前に、どうしても書かずにはいられないことがあるので書きます。今まではホンネと言いながらそれなりにマイルドにしてきましたが、もう我慢できない。というか、世の中の子供たちのために、我々教育関係者はもう我慢してはならない。
教育虐待は、れっきとした犯罪ですよ。
現在の法整備上罪に問われないだけで。
同じことを職場でやられたら、大人同士だとパワハラ認定して相手を罪に問えますよね(これまたいささかやり過ぎな側面も出てきていますが)。
子供はどこにも訴えられないですからね。
母親のやりたい放題です。
過去数百人の生徒を見てきた経験上、子供を潰すレベルの教育虐待している親は圧倒的に母親でした。なぜなのか考え続けてきて、答えが見つかった気がしています。根っこは単純な話で、性差。
こういうエントリを書くとすぐに「ヤバイ父親だっている!」「教育パパのほうがもっとヤバイ!」と噴きあがる人たちがいますが、「(絶対数としてかなり少ない)教育パパの指導がヤバイ」ことと「教育虐待の加害者のほとんどが母親」ということは両立しますからね。実子殺害の男女比と同じことです。
同様に、今から書く各論は「傾向」であってもちろん例外はあるでしょうが、例外があるから傾向も違うというのはちょっと論理をやっていればわかる話です。今回は「例外」については割愛しますので悪しからず。
注:私は「母親は全員教育虐待をしている」とは決して書いていませんからね。「教育虐待をしている親は母親が多い」と言っているだけです。数1の集合と命題や条件付き確率を理解できる方ならよもや勘違いはなさるまいと思いますが念のため。
- 1)配偶者や子供で「一発逆転」ができる性別だから
- 2)「みんなと同じ」じゃないと耐えられないから
- 3)現実を客観視できないから
- 4)自他の境界があいまいだから
- 5)視野が狭いから
- 6)汚いものがきらいだから
- 7)欲望に際限がなく、ケチをつけるのが好きだから
- 8)教育虐待の慣れの果て
1)配偶者や子供で「一発逆転」ができる性別だから
一番はこれですね。
言い換えれば、配偶者や子供でマウントが取れる性別だから、ということです。
男社会で「子供が〇〇生だ」ということでマウント取ろうとしている奴がいたらアホかと言われるだけです。男社会でのマウントの材料は「自分の」地位であり「自分の」実力です。
でも、女社会はまだまだそうではないですよね。フェミニストは真っ赤になって否定するでしょうが、現実として女性の上方婚志向は昭和とまったく変わっていませんし、夫の職業や年収は女性にとってはいまだに大きな問題です。自分自身がそういうことで勝った負けたと考えてしまうからこそ、相手からのマウントにも敏感になるという悪循環なんでしょうね。
子供の進学先も、同じこと。女性同士の立ち位置を子供の進学先で「一発逆転」できるからこそ必死になってしまうわけ。子供からしたらいい迷惑ですけどね。
2)「みんなと同じ」じゃないと耐えられないから
ブランド品に群がるのを見れば一目瞭然。子供のころから、女子は誰かが持っているものを持ちたがりますよね。誰かが可愛い文房具やヘアピンを学校に持ってきたらあっという間にクラス全員に広がる。
同調圧力は、圧倒的に女性間の方が強いです。
だから、中学受験が我が子にとって本当に必要かどうか、向いているのかどうかを考えずに「みんなやってるから私もやらないと」と焦ってやみくもに沼にはまっていく。途中で我が子の能力が足りないことや、性格的に向いていないことがわかっても「降りる」ことは「仲間から外れる」ことなので怖くてやめられない。
3)現実を客観視できないから
数年前にIQ60の子を〇〇中(偏差値50)に受からせろという御依頼があり、即お断りしました。これは極端な例としても、偏差値ギャップ20の学校を諦めきれずに最後まで「どうにかなりませんか」と言って来る母親は実に多いです。そういう御家庭の父親と話すこともあるのですが、父親は「まあ、あの子は〇〇くらいが妥当ですよね(だから無理させなくていいですよ)」とあっさりしていることがほとんどです。子供の能力や伸びしろを客観視できるからでしょうね。
面談も、男親は5分未満で終わるけれど母親はこちらから無理にでも切らない限り30分でも1時間でも続きます。なぜなら、「聞きたい答えが聞けるまで同じ質問を繰り返す」し、そもそもこちらの話をご理解されていない場合も多いからですね。男性は「〇〇さんは××が苦手ですから、そこは基礎からやりましょう」というとすぐ納得されますし、何度やってもどうしてもできないことは「そこはそれ」で受け入れてくれます。女性は、「でも先生」から始まって、講師側が「志望校、受かりますよ」と言うまで引かないです。子供の伸びしろが判断できないんでしょう。現実を受け入れたくないからと相手にウソを言わせようとするのは止めてくれ。何より、そんなことをしても子供のためにならん。
4)自他の境界があいまいだから
3)とも関係するんですが、父親がそこまで子供の進学先に躍起にならないのって、子供の人生は自分とは別とわかっているからだと感じますね。別の言い方をすれば、父親はそこまで子供に思い入れがないとも言えます。あるいは子供に共感=シンクロはしない、ともいえるでしょうか。この男性特有の性質(共感性の低さ)は、世の母親から非難の的ですが、私は以前も書いたように女性のいう「共感能力」なんて信じていません。彼女たちの言う「わかる~」はたいてい的外れですし、自分の話をしたいための相槌でしかないです。また、そもそも過剰に相手にシンクロすることは、決して相手のためにはなりません。自他の境界が曖昧だと「自分が嫌なことは子供も嫌なはず」と考えてしまいます。自分は他人からマウントをとられると嫌だから。自分は人と同じじゃないと嫌だから。自分は肉体労働なんて嫌だから。自分はお金がないと嫌だから。だから、子供に能力がなくても「私が満足する中学」に行かせないと「子供も不幸」だと思い込んでいる。自分が強欲だから、子供がガツガツしていないと不安になる。
父親がお受験や中受に「どこでもいいよ」というと母親が「もっと子供のことを真剣に考えてよ!」とキーッとなる、というのはリアルでもネット上でもよく見かける構図ですが、父親は子供に無関心だからどうでもよいのではなく、どこに行ったとしてもその子なりに幸せになる道はあると考えているのだと私は感じます。そして、実際そうです。
5)視野が狭いから
言い換えれば情報弱者。AIの回で相当書きましたけど、10年後は医者ですら生き残れるか怪しい。そういった大所高所からの助言や情報収集こそ、親の役目なんじゃないんですか? AI全盛の時代に最後まで残るのは「手作業の現場」だろうとか、そういう中長期的な見方をできずに「今流行りのもの」に右往左往するのは親としてどうなのかな。
東京で満足する生活が送れる、勝ち続ける人なんて一握り。家賃やローンに押されて可処分所得はむしろ地方都市より低い、まである。狭い家、満員電車、通勤時間、エトセトラ、多くの人が何かを我慢しながらストレスに耐えているのが東京。先日、地方に引っ越した友人と話しましたが、いわく「こっちの人はみんないい生活してるわ~、二度と東京には戻りたくない」「すごいとこ勤めてるわけじゃないのに、みんな広い家に住んでるし育児は両親や義両親にちょいちょい助けてもらってるし車に10分乗れば海で遊べるから毎週アウトドアしてるし」と。いわゆる東京でバリキャリの友人だったんですけども(笑)。
親の自分は満足できなくても、子供自身は幸せな生活スタイルはいくらでもある。中受沼にはまる親はすぐ「可能性を広げる」なんて言ってますが、可能性なんて広がりませんよ(これは以前書きました)。可能性を広げるなら、「〇〇でなければ幸せではないはず」という自分の視野と価値観の狭さを疑ったほうがよほど「子供は」幸せになります。
そもそもを言えば、幼いころから何かにつけて親が職業蔑視や地方蔑視をしているから子供の可能性が狭まるんじゃないのかしら。
6)汚いものがきらいだから
「手作業の現場」を、とにかく女性は嫌って見下す傾向が強いですね。だから、我が子の就職先がそうなるのなんて耐えられない。今や、現場仕事のほうが、私大文卒営業職より稼いでることも多いですけどね。「学問」はできなくても、身体を動かす仕事ならば「覚えられる」子はたくさんいます。歌手や俳優もそうですよね。勉強まったくできなくても歌詞やセトリや台詞なら不思議と覚えられる、とかね。シェフ、ドライバー、内装業の方、工場勤務、看護師、エトセトラ。いくらだって「当面は食いっぱぐれのない現場仕事」ありますけど、お嫌いなんでしょうねえ(実際、生徒の母親から「そういう仕事にはつけたくないので」と言われること、すごく多いです)。
7)欲望に際限がなく、ケチをつけるのが好きだから
後述する(8)ともかぶりますけど、女性って何をしてあげてもなかなか満足しないですよね(苦笑)。
多くの女性がいわゆる「姑根性」を隠し持っている気すらします(笑)。
お土産のセンスをガタガタ言う。親しい友人のことですら、嫌なところを探して陰口を言う。夫の稼ぎにも文句ばかり。何かしてあげると、次からはそれが当たり前のスタートラインになる。
家族への不平不満をインターネットで書き散らかしてるのも圧倒的に女性ですよね。とにかく自分だけは悪くない。悪いのはみんなほかの人。
それと同じで、子供のできないところにばかり目が行く。
他人のすることなんて、アラ探ししようと思ったらいくらでもできます。
こういう母親は、子供が何かできるようになっても絶対満足しません。私が生徒の成長を指摘しても、すぐ「でも先生」と言い出す。パワハラもここに極まれりですわ。
自分が家庭でパワハラされたらどう感じるのか考えてみたらいい。
毎回食事に文句つけられたり、よその母親と比べられたり、家の汚いところを探し出して注意されたり、そういうパワハラ、自分がやられたらキレ散らかすと思うんだよな、あのタイプ。
なかには加害性のかなり高い母親も結構いましてね、わざと「不可能な目標」を子供に与えておいて「なんでこれができないのおおおおおお!」とヒステリーを起こす母親って少なくないですよ。子供はサンドバッグ。
他人から見たら十分素晴らしいと言われる学校に入ってもずっとグチグチ言う母親も多い。母親が満足していないのがわかるから、子供は今の自分の生き方に自信なんて持てない。そこまで我が子の出来にグチグチ言うなら、ご自分が今から東大受けたらいいと思うよ。それを家族から強要されて無理なら罵倒されたらいいと思うよ。それくらいのことを要求しているんだと自覚したほうが良い。
8)教育虐待の慣れの果て
なんで今回ここまでぶっちゃけたかって、年々、目に余るご家庭が増える一方で子供たちが可哀想でならないからです。誰かが、それは犯罪だと言わなければならない。
四谷偏差値で45前後未満の子の親、あるいは偏差値ギャップ10~20の学校を志望させる親に、虐待レベルの受験勉強を強いる親が多いです。このあたり、「偏差値40の真実」でも書きましたが、中受界隈に詳しくない方は解像度が甘いと思います。現実では、「二月の勝者」でいえば王羅くんレベルの子を「何とか偏差値45~50(下手をすると55アッパー)」に入れようと無理をしているご家庭がかなり多いですよ。
教育虐待は子供の無気力無関心を引き起こし、引きこもりやニートにさせてしまうことも多いです。それは社会不安にも繋がります。その子たちは無理やりFランに行ってブラック企業で営業職につくより、できることを活かして地方で工場勤務したほうがトータルで考えたら幸せかもしれない。勉強は苦手でも自動車整備は大得意な若者だってたくさんいますし、整備工は引く手あまたと聞きますよ。
教育虐待をする母親はそろって「この子のためを思って」と仰いますが、片腹痛いわ(苦笑)。それは「この子の幸せ」じゃなくて「自分の幸せ」だろ。本当の意味で子供の幸せを考えたら、3年間かけても鶴亀算ができない子にギュウギュウと受験勉強を押し込むのではなく、できそうな仕事を今のうちから手広く探しておく、人脈を作る、そっちのほうが断然子供の幸せを考えた行動だと私は思います。そういうお母さんも、多くはないですが存在しますしそういう御家庭の子供は幸せそうですよ。18~22歳って、どんな子でもかなり伸びる時期です。現場仕事に就くなら、大学出てからでは遅いです。
大人同士のパワハラは、裁判で認定されるようになってきた。
でも、子供はどこにも訴えられない。
そして、会社のパワハラなら「辞める」という奥の手があるけど、「家庭でパワハラされてる子供」に逃げ場はないです。パワハラをされているという認識すらないことも多い。「外」を知らないからね。子供はね、親から暴行を受けてすら、親をかばうんですよ。教育虐待なら、そもそも虐待を受けているとすら思えないだろうし、気づいたとしても誰にも言えないよね。
子供に対する「口撃」も身体への暴行と同じくらい、いやそれ以上の虐待行為であるということを、大人側はもっと認識しなければいけない。児相も今は身体虐待やネグレクトで手一杯でしょうが、子供が「もしかして僕/私、教育虐待=パワハラされてる?」と感じたら気軽に相談できるようなルートを作ってほしいし、行政は児相にもっと権限を与えてほしい。
昔はよかったという気はないけれど、こうした「母親の、密室における教育パワハラ」が成立してしまうのって、核家族化プラス地域コミュニティの崩壊が遠因なんでしょうね。母親に「それ、間違ってるよ」と言える人がいなくなってしまった。小児科医ですら、肝心の子供の患者より、母親の気持ちに「寄り添って」あげないと炎上させられるんだもんね、世も末です。
いずれにしても、日本は教育虐待に甘すぎる。