とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。理系。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(3)

前回までのまとめ。

塾に3年通ってもやっとこボリュゾの子には10年後には「頭脳労働」は残されていない。10年後を見据えずに目先のマウント合戦で中受沼にハマっていては、将来泣くことになる。10年後も頭脳労働で稼げるのは「解法教わらなくても旅人算が解ける子」「自分で問題を作って楽しむ子」「(真の意味で)企画力があり、AIを『使う側』になる子」である。

 

まあぶっちゃけ言うとさ、

「AIでレポート書いたら超楽だった!」とか言っちゃう大学生や新人社員ってそれだけで底抜けの阿呆だよね。

AIが、平均的な日本人より素早く正確な要約やレポートを書くのを目の当たりにして「やべえ、俺/私、この先仕事なくなるかも」と感じない時点でダメすぎる。

 

これは親御さんにも言いたい。

親御さん世代は当然働いておいでなわけなので、AIの仕事への浸食を目の当たりにしているはず。それこそ「中受なんかやってる場合じゃないな」と戦慄を覚えないとおかしいよな。

 

さて、今日はそれらを踏まえて

 

5)今後どんどん人が要らなくなるジャンル

今、「かっこいい頭脳労働」だと思われているジャンルのほとんど。

前回も書いたけど、コンサル・行政・医療・教育・司法・金融・保険・通信大手・クリエーターあたりかな。

まあ、医療はAIのほうが良いと多くの人が思ったとしても、AIの直撃を受ける開業医のロビイスト団体であるところの日本医師会と政治とのあれこれで、AI化は多少遅れそうではあるけれどもね。でも最終的には、直美の問題や離島の医師不足などの看過できない状況がAI化を進める後押しになるんじゃないかな。

 

皮肉なことに、金融や保険あたりも、「昭和のころのようなドサ周りなんてやってらんない」とばかりに、とにかく「対人業務」をどんどん減らしていっている。これは小売りもそうだけどね。「顧客対応?いたしません!(大門未知子風)」だよね(苦笑)。私は、問い合わせ窓口として代表電話すらサイトに載せない企業は信用しないことにしている。カード会社なんて最たるものだけど、「できるだけ顧客が問合せしづらいように」システム作ってるからね~、それが自分の首を絞めるとも気づかずに。アホちゃうか。

 

「憧れられがちな企業」の中で、多少は生き残りそうなのは商社ジャンルかな。

つまるところ、海外や遠隔地との取引は、これは結局「現地」を見ないとどうしようもない部分が大いにある。「現地」で暮らしているからこそ気づけるニッチな商圏もあるからね(古い話だが、アラスカ駐在の商社マンが現地でイクラをダバダバ捨ててるのを見てもったいないと商売につなげた、みたいなね)。だから、どんな僻地にも「駐在所」を持ち、統廃合しない商社はまだ生き残れると思う。でも、最近は商社も海外駐在を嫌がり出社せずPCポチポチやるのが好きな新人が増えてるらしくて、その傾向が続くならもう時間の問題かなという気もするね。

 

銀行が支店をバンバン減らしているのは自分の首を絞めているだけ。

保険屋が顧客回りをやめ、「お問い合わせはwebで」に切り替えたのも同じ。

通信大手は3社ともキングオブクソ。いったん契約したあとの解約のしづらさといったらありえないレベル。

 

さて、ここにクリエーターが入っていることに疑問符を持たれる方は多いんじゃないかなと思いますが、実はこれが残酷な真実だと私は思っています。

 

リエーターさんやクリエーターになりたいワナビーさんたち、AIが絵や小説を書き始めたとき、こぞって猛反対していました。

彼らの言い分は「人が書いてこそ芸術」らしいです。

AIは模倣しかできない、らしいです。

いや、違うと思いますよ私は。

そもそも、多くのクリエーターが模倣からスタートしているわけじゃないですか。

AIの得意技も、学習と模倣。

そこにどれだけの差があるんですか?

「人の手で書いてこそ」と、そこに価値を置くのであれば、今すぐデジタル作画やワープロ作文をやめたらいいんじゃないかな?

アニメの世界でいえば、昭和や平成前期は「手が足りない=動画枚数が使えない」からこその、日本のアニメ特有の誇張表現や素晴らしい中割り(動画)が書ける人がたくさんいました。

でも、今はどうでしょう。

難しい動きを「人間の頭で、視聴者がうまく『錯覚』するように絵が描ける人」は絶滅危惧種だと私は感じますよ。モーションキャプチャでPCのチカラを借りてリアルっぽい画面を作る。これならニンゲン要りませんよね。

前回、「人が手で行ったことの価値は驚くほど暴落した」という意味のことを書きました。クリエーターさんたち、勘違いしてます。

多くの「一般人」にとって、映画も小説も漫画も「ひまつぶし」でしかありません。

「至高の手仕事に出会いたい!」と切望し、金を惜しみなく払うのは「マニア(オタク)」です。

「古典」になりうる作品は一握り。

多くは「ひまつぶし」なので、ベストセラー作家ですら、数年たつと作品すら忘れられているのがこの業界。そして「ひまつぶし」レベルでいいなら、もうAIで作れてしまうんです。

 

 

 

前回とかぶっちゃうけどあらためて簡単にまとめると

コンサル:すでにやばい。顧客もAIでシミュレーションしていたなんてザラ。

行政:マニュアル通りにしか仕事できないなら、AIのほうがいいよね。

医療:AI診断のほうが正確、という時代はすぐくる。外科医は手技に優れた人がAIの診断に従って手術するようになるだろうし、内科医は不要になる。

教育:「人をやる気にさせる」力があるスーパー講師以外はAIのほうがマシ。

司法:いまだに「心証形成」とか言ってる時代遅れの裁判はAIにして、どんどん案件こなしたほうが世のため人のため。

金融:プロジェクトや起業家の可能性を正当に審査できないなら、AIでオーケー。

保険:同上。なぜ顧客回りをやめてしまったのか…。

クリエイター:超トップしか生き残れない業界になる。今までのように、「数年後には忘れられているだろうけどそこそこ描ける・書ける・演奏できる」人は不要。米津元師とその他AI、みたいな世界になる。

 

このあたりのギョーカイ、今後どんどん人が要らなくなります。

 

おそらく、そう言われても「眉唾」に聞こえてしまうだろう。

だが、例えば弁護士。

昭和は「お父さんが弁護士」というだけで尊敬される時代だった。

でも、今はどうでしょう。

弁護士資格持ってるだけではとても食っていけなくて、「火のないところに煙を立たせて、やっと食ってる」弁護士さんも多いと聞きますし、それでなくとも弁護士ってもう人から尊敬される職業じゃないですよね。

それくらい、時代ってあっという間に変わります。

子供は一人の人間として自分で人生を切り開いていくのが理想だし、親が将来をすべて見通してレールを敷く必要はありません。

ですが、将来世界がどうなっているかを考えようともせず、思考停止してマウント取りあるいはブームに乗せられて、勉強に向いてない子を塾漬けにしてボリュゾに押し込むのは、もはや優しい虐待だと私は思います。

 

 

6)今後いっそう人が必要になるジャンル

 

人が必要になるジャンルは、二極化するでしょう。

・エポックメイキングと言えるほど企画力の高い人つまり天才

「AIには恐怖心がないから将棋が強い」と言ったのは誰だったかな。AIは、「普通の人だったら考えない組み合わせ」を平気でやります。それは「天才とキチ〇イは紙一重」と言われるのと似ている。要は、益虫・害虫と一緒で、常人が考えない組み合わせを考えて、それがめちゃくちゃ人間に有用なら天才と言われる、ってこと。もちろん、のちに天才と言われる「規格外」の人はランダムに変な組み合わせを考えているわけじゃなくて、そこには信念がある。AIには今のところ自我や信念はないからな、そこは「天才」がAIに勝る部分として残ると思うよ。

 

・個々のスキルは標準的でも、「気働き」ができてフットワークの軽い人、いうなれば「なんでも屋

これまで書いたこととかぶるけど、AIは自分の専門作業は人間より得意だけどさ、たとえばガストの猫型ロボットはテーブルを拭けないからね、だから「いろいろな状況に目配りして、その場の危機に対応できる」というスキルは、今のところ人間の方が断然上。人間のすごさっていうのは「手と大脳」だったわけだけど、大脳はもうAIのほうがすごいんで。「手」を持っていて、それなりに臨機応変に対応できるニンゲンを凌駕するアンドロイドが生まれるのはまだ先だろうしね。

逆を言えば、小学校で塾漬けで、それでも易問が解けない知的レベルで、でも中受のせいでプライドだけは肥大した「身体を動かしたくない子」なんて、仕事はないわけよ。ニートまっしぐら。

もうマジでさ、中受させてる場合じゃないって。

そこに目をつむって「自分のプライドのために」子供に中受させてる親はもれなく思考停止だし、教育虐待ですよ。

冷静に考えて「10年後の我が子がAIに勝てるのか」考えない親は思考停止の虐待親だよ、とすら思ってるよ私は。

 

単なる直感だけどさ。

10年後に重宝される人は

「AI未満のなんちゃって知的労働者」ではなく

「手先が器用な人」

だと思うよ。

人間の万能な「手」だけは、まだまだ機械では作れないようだからね。

 

・「感情労働」ができる人

前のエントリでも書いたけどさ。

今後、マジで「人間のサービスが受けられる人」と「受けられない人」はさらに二極化していくと思うわ。

身近な例で言うと、スーパーやね。

昭和のころは、スーパーやデパートに行けば誰でも「ありがとうございました」と言ってもらえた、袋詰めまでしてもらえた、って言ったら平成世代や令和世代は驚くんじゃないか?今や、スーパーなんてユーザーが自分でスキャンして金も払って「労働させられてる」んだよね。あまりにもおかしくないか?と思うので、私は成城石井クイーンズ伊勢丹にしか行かなくなりました。クイーンズ伊勢丹ですら「袋詰め」をユーザーにやらせるようになったけどね(ため息)。

つまり、低価格を求めるならお前らの相手は機械でOK、という企業論理だよな。

 

まあでもここに、今後「人間の価値がダダ下がりしていく未来」における生き残り場所があるわけよ。

 

私自身は、「金に対して感謝してもらって、その感謝で自尊心を保つ」ということに何の興味もないんだけどさ。

 

やっぱり、機械に「ありがとうございました」と言われても嬉しくなくて、人間に言われたら嬉しい人はまだまだ多いわけじゃん?

だから、「他人に奉仕する」ことは、逆にこれからどんどん価値が上がると思うよ。だって、人間の多くは他人に奉仕させたいし、支配したいんだからさ。

合理的な人は、それには意味がないと感じて機械の対応で平気だろうけど、そうじゃない人もまだまだ多い。その欲求を満たす「感情労働」は、今後ますます需要が高まるだろうね。

 

逆に言うと、「こんなの私の仕事じゃありません」とか言っちゃうZ世代って、どんどんリストラされると思うわ。

話すと長くなるからまた別エントリで書くけど、「月収20万です!こんなのおかしい!」ってネットで吠えてる人たちに聞きたい。「あなたは自分がもしその会社の社長なら、『あなた』に30万払うんですか?」とね。

マスコミや中受ギョーカイのアオリで自分にはもっと価値がある」と思わされた子は不幸だね。そんな歪んだ価値観を親から持たされなければ、たとえば地方都市でもっと幸せな人生を送れたのにさ。

 

この後、(7)として「AI時代に、じゃあ私ら人間はどう生きていくのが幸せなのか」を書こうと思っていたんだけど、ちょっと(5)と(6)で力尽きたので、また明日以降書きます。すまぬ。