とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。理系。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

かわいい子には家事をさせよ

我が子がかわいいなら、毎日家事をさせるべき。

特に、料理。

これはずっと変わらない持論です。

理由はざっとわけると2つあって、

・一生幸せを感じながら生きるため

・実はものすごく勉強に役立つ

という2点です。

 

1)そもそも、生きること=食べること

 

再三再四、小学生の教え子の親御さんには「家事、特に料理をさせてください」と言っていますが実行するご家庭は皆無に等しいですね。

中受沼にどっぷりつかっているご家庭では「そんなヒマがあったら予習シリーズあるいはデイリーサピックスの復習!」なんでしょう。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみませんか。

今、必死に受験勉強をしているのは何のためでしょう。

将来の幸せのため、ですよね。

まあここからは個人の感想ですが。

以前も書きましたが、金銭の豊かさで言うなら、東京の真の勝ち組は「地主」です(笑)。東大出てアクセンチュアに入ったところで所詮サラリーマン、本駒込5丁目や松濤、関西だったら阪急沿線かな?あの辺のお屋敷には絶対に住めません(笑)。

小学生という唯一無二の「時間」を週7日通塾とダブルスクールに費やして、運よくJTCや外資に入れたとしても、「激務→コンビニ飯」の毎日は、本末転倒に感じます。

これは酸っぱい葡萄で言っているわけではなく。

私自身がまさに20~30代、そういう毎日でした。

まあ、コンビニ飯ではなく外食・接待メシメインではありましたけど。

東京で働く=家賃と外食と見栄のための無駄遣いにサラリーを吸われてアセットは残らない=結局「東京」という生き物を肥え太らせる養分になったような気がしましたね(笑)。

 

人生折り返してつくづく思うのは。

人間は、食生活が荒れると幸せを感じにくくなる

んじゃないかな、ってことです。

 

激務とコンビニ飯or外食のコンボはだんだんウツっぽくなりますが、問題は「やばくなったあと」ではもう遅く、自炊して美味しいご飯を食べて気力を取り戻すための気力すらなくなっちゃう。若い人のつぶやきなどを見ていると、このコンボがすごく多い。

 

だから、毎日じゃなくても良いから「おいしいごはんの持つ力」を自分の体に与えてあげてほしい。

 

そして、「美味しい豊かな食事」って、料理さえできれば

そんなにあくせく金を稼がなくても実現できちゃいます。

 

料理スキルは、文字通り「一生モノの幸せスキル」です。

 

2)家事=科学

 

愛読書「Dr.STONE」にも書いてありましたが

料理=科学

 

料理はもちろん

家事のすべてが理科、そして数学です。

 

以前も書きましたが、「身体で覚えたこと」は忘れません。

どうせ、と言ってはなんですが、ガチガチに「テキスト」と向い合せたところで、(ごく一部の「勉強が三度のメシより好き」勢でない限り)子供はテキストの中身なんてさほど吸収していません。

ぼーっとしながらテキストと向き合って「勉強したというアリバイ」を作っているくらいなら家事をやったほうがよほどためになるし、家事も嫌いならゲームやってたほうがいいです(銘柄にはよりますが、ゲームはかなり頭良くなると信じています・笑)。

 

以下、家事の何が理科や算数に役立つのか書いていきます。

 

・洗濯物を干せば「湿度」や「つり合い」がわかるようになる

どのご家庭にもあるであろうピンチハンガー。

あれに靴下やタオルを干すタスクを子供にやらせると、徐々に「うまく釣り合わせる」ようになります。実際、「ピンチハンガーに洗濯物を吊るす」という問題は中受でも頻出です。また、びっちり詰めて干すと乾きにくい、という「体験」から湿度への気づきにもなるでしょう。

偏差値60あっても家の東西南北がわからない生徒も多いですが、日陰と日向を「体験」していれば間違えるわけないですね。

 

・掃除や洗い物は「酸・アルカリ」や「乳化作用」の体験

これは大人の解説がないとわからないでしょうけれども、油汚れは水では落ちず、石鹸や弱アルカリ洗剤だと途端に落ちる、こういう経験も貴重です。

「片づけ」は「分類」の学習にもなります。

 

・野菜を切る=立体切断の学習

立体切断、本当に多くの小学生が苦手です。

そもそも「切り口」が何かわかっていない。

刃物を使うことが激減していますから仕方がありませんが。

大根、じゃがいも、豆腐、この辺りの子供にも扱える野菜を切らせれば、少なくとも「切り口は平面になる」ことはわかるはずです(テキストのみの勉強をしている多くの小学生の描く「切り口」は時空が歪んでいます・笑)。

 

・ホットケーキなど簡単なレシピを「人数を変えて」作ることは「比」

2人分のレシピを3人分にするにはどうしたらよいか。

これを考えさせれば、子供なりに考え、「比」にたどり着くことも多いです。

 

・中受理科のうち「植物」分野は料理や園芸をしていたら間違えるわけがない

じゃがいも、さつまいもの芽の出方、テキスト暗記なんかしなくても日々台所に立っていれば覚えてしまいます。

人参や大根が「根」であることすら知らない中受生も多いですが、出された料理をただ食べるのではなく、皮をむくところから体験していれば教えられなくてもわかるはずでしょう。

 

・水を凍らせたら体積が増える

これを知らない小学生が多すぎて頭が痛くなります。

まあ、昭和と違って今や氷は自動製氷ですからね、仕方がないか。

何度も書いてますけど

人は便利になった分だけ自分のスキルを失っていく

んですよね…。

昭和の頃は、氷は製氷器に水を張って冷凍庫に入れていましたから、理科の知識がなくとも「水は上から凍る」「凍らせるとふくらむ」ことはみんな知っていました。

便利になるのも痛しかゆしですね。

 

・炎の形、温度など

数年前に、いわゆる炎心などを教えようとして「炎を見るとわかるでしょ?」と言ったところ「家で炎を見たことはありません」と言われてズッコけたことがあります。当然、ろうそくも知りません。

そうね、たしかに令和の家にはマッチもなければコンロもないかもね…。

家の中で体験できない、体験させてもらえない子たちが理科のテキストを丸暗記している図がゾッとするのは私だけでしょうか。

 

・熱容量

木べらで煮物を混ぜても手が熱くならないのに、金属製のレードルをうっかり鍋に入れたまま火をつけてしまうと熱くて持てない。あるいは解凍するときアルミに乗せると速く溶ける。このあたりは「熱容量」「比熱」の勉強に直結しますね。

・沸点

もちろん熱湯や揚げ湯に触らせるわけにはいきませんが(汗)、体感として「熱湯より揚げ湯のほうがよほど熱い」ことは子供にもわかると思います。なぜ水は100度以上にならないのか、なぜ揚げ物はカラッとして美味しいのか、こういうのも科学ですよね。

 

・溶解度

これまた驚いたのが、溶解度を教えていて「ほら、紅茶に角砂糖を入れるとなかなかとけないじゃない?」てな話をしたところ「飲み物に砂糖を入れて(自分で)かきまぜたことはありません」「飲み物は親が持ってきます」と言われることも多いです(苦笑)。ほんと、平成後期~令和の小学生って「テキストオンリーの受験勉強」しかしてないのか!?

 

・倍数感覚

配膳を子供にやらせてみたら?

ご家族の人数にもよりますが、2で割れるか3で割れるか4で割れるかはあっという間に身につくはず。お肉の枚数やドーナツの個数は子供にとっては何より大事ですからね!(笑)

「偶数か奇数か」を尋ねると、「筆算で2で割る」子、すごく多いですよ。怖くないですか。

 

・段取り力

家事は段取りが悪いと大変になります。

子供に任せてみると、最初はたどたどしいですが、だんだん「速くうまくやるにはどうしたら良いか」考え始めます。

これこそ「段取り力」、受験のみならず仕事でも一生役立つスキル。

 

・タンパク質の熱凝固

たまごを加熱したら、二度とあのドロッとしたたまごには戻らない。

 

・砂糖はこげる

こげた煮物に水を入れて「溶かそう」としても無理。

別の物質に変わっているから。

カラメルソースを作らせるのもいいですね。

 

数えだしたらキリがない、これでもほんのごく一部です。

まだまだあるので、また別の機会に書こうかな。

 

3)「ウチの子、そういうの教えても覚えないです」

 

事あるごとに、理科が苦手な子の親御さんにこうしたことをお話ししますが。

ま、実行なさるご家庭はほとんどありませんね、残念ながら。

面談のときは「すごいアイデアですね!やらせます!」と仰っていますが、実行なさらないのはおそらく心の中では「ミコト先生ったら(苦笑)。そんなヒマがあったら計算問題ひとつでも多く解かせたほうがいいに決まってるじゃない」なのかもしれませんね。

 

そういう方が時々「ウチの子、そういうの教えても覚えないんです~(だから塾の勉強優先です)」と仰います。

うん、体験からすらも学べないなら、テキスト勉強ではさらに学べないので中受に向いてないってことだと思いますよ。

おそらくね、早期詰め込み教育のしすぎで「無感動」「好奇心ゼロ」になってるんだと思いますよ。

本来、子供はこういうことが大好きなんです。

机の上の勉強に全振りして子供の体力リソースを使い果たしていると、子供は「よけいなこと」に興味持てません。

 

話は逸れますが、くらもちふさこ大先生の作品に「いつもポケットにショパン」という名作があります。主人公の母親は有名なピアニストで、たまに子供のための公開レッスンをするんですが、そこで同様に「リズムは生活の中で鍛えられます。ぜひお子さんに料理をさせてください」と言ったところ、参加者の親がいっせいに吹き出し「手を怪我したらいけませんから家事など一切させません」と言われるんですよね。そこで主人公の母親はひとこと「麻子(自分の娘)はシチューが得意です」と答えます。

まあ、そういうことですよ。

 

4)そもそも親が「家事」を見下げていないか?

家事ってたしかにキリがないし面倒なときもありますが、

やはり科学と数学の宝庫で、だからこそ「段取り」がうまくいってしかも成果がでると気持ちいいですよね。

勉強の成果が出るには時間がかかりますが、料理をはじめとした家事は「やった結果がすぐ目に見える」という意味で、ゲームに似た達成感があります。

子供もね、本来は「家族のためになった」ことが実感できるととてつもなく嬉しいんです。まさしくなんとかサイクルだと私は思うんですがねえ。親がね、テストの「点数」でしか喜ばないと子供がどうなっていくかは火を見るより明らかですな。

 

子供に家事を一切させないご家庭の中には、親御さんが家事を「くだらないこと」と考えているケースもありますね。「私がやるような仕事じゃない」と考えている。だから、大事な我が子にはさせたくない。

でも、人が生きていくときに、一生家事とは縁が切れません。まさに生きる力。

 

「3度のメシより問題解くのが好き」ならともかく、勉強嫌いな子から生きる力を奪って、さらにそのせいで「体験から学べたはずの理科・算数」の力を奪い、そしてその欠損を塾漬けにしてなんとかしようとするのは本末転倒ではないかな。

 

さらに、ご両親自身が家事を見下げて「外で稼ぐ」ことが好きな場合、子供は塾漬けの上にコンビニご飯、というご家庭もありました。これなど本当に本末転倒の極みだと思います。

 

5)かわいい子に家事をさせるときに一番大事なことは

 

(危険が伴う場合は別ですが)

一番大事なことは、教えないこと。

 

洗濯物がジメッとしていようが

ホットケーキが「チヂミ」のようになってしまおうが

お米に芯が残ろうが

死にはしません(笑)。

 

今の子に足りないのは「失敗体験」。

受験勉強も、「考えて試す」前に「効率よい解き方」を教えてしまうので、試行錯誤するチカラが圧倒的に育たない。

 

ジメッとした靴下をはくのは嫌だ!というところから、次回はもっと工夫するようになるでしょうし、あるいは今すぐ必要ならドライヤーで乾かすなどのアイデアを思いつくかもしれません。

偏差値にかかわらず、本来、子供ってこういうことできるんです。

親が先回りして「正解」を教えすぎ、間違えたときに叱りすぎるので、やらなくなるだけなんです。

「待つ余裕」があれば、子供は本来の力でもっと自分で伸びるはずです。

雑記:味の素論争と丸鶏出汁

すみません、突然料理の話で。

雑記ではありますが、次回「かわいい子には料理をさせよ」というタイトルで更新予定なので、お目こぼしを。受験関連以外ご興味ない方はブラウザバックを推奨いたします。

 

さて。

私はなぜか、ものすごく料理が好きです。

東大在学中、料理学校に転学しようかと何度思ったことか…。

味噌もベーコンも自作しています。

当然、出汁は鰹節を削ってとっています。

コメは毎回自宅で精米したあと土鍋で炊いています。

さらにこだわっていた時期は、キャベツ・人参・大根・じゃがいも・小松菜・トマト・ピーマン・ナス、といった基本野菜を栽培して食べていました(笑)。

 

学生時代極貧だったため、そこで自炊の腕がめきめきと上がったんですよね(笑)。

親は金持ってたんですけどね、親の無計画な金遣いの荒さに嫌気が指して、

なんかしらんけど意地張って「仕送りいらねえ」って言ったために極貧生活を送ることになりました(笑)。

でも、あの経験、マジでその後の人生に役立ってます!

 

極貧生活で学んだことは

・食材自体は、新鮮であれば高級でなくともよい

・でも、調味料だけはできるだけ高級だと良い

ってことです。

調味料は、ほんと値段とおいしさが比例していると思います。

そして、高級調味料を使えばフツーの食材の味がツーランクあがります!

学生当時、極貧ではありましたが、醤油やみりん味噌といった基本調味料だけは一番いいものを選んでいました。

 

そんな私は

味の素は使いません(ていうか持ってない)。

でも、あの味は嫌いではない、むしろ好き(なめるとおいしい・笑)。

遠い昔、白いご飯にアジシオをかけて食べるのが好きだった時期もあります(笑)。

 

料理研究家さんが味の素推しでいらして、その界隈で割と常に論争が起きているようですね。

 

私は、どっちでも良いと思っています。

ジャンキーフードにしかない「おいしさ」もある。

いわゆる化学調味料には天然ものにない「パンチ」を感じます。

ハンバーガーで言えば、モスバやフレッシュネスがおいしいのは当然ですが、たまにマックやロッテの「これぞジャンキー!」という味が食べたくなるときもありますね(笑)。

 

でも先日、あらためて「天然だし」の凄さを感じました。

それはラーメン。

基本、自炊は一汁三(以上)菜ですが、多忙な時は汁と主食が一気にとれるラーメンもありがたい。そしてラーメンを作るときは個人的にサッポロ一番とんこつ塩ラーメンを愛好しています。楽だから(笑)。

でも先日、丸鶏ガラを煮出して、山塩(福島のすごくおいしい塩)で味付けして、生ラーメンをゆでてみたところ、ですね。

「これしかない!!!!」と感じられる美味でした。

いやあ、ジャンキーなインスタント出汁も好きなんですけどねえ。

 

一番の違いは、

「天然出汁は舌に残らない」

ってことだと、個人的には感じました。

めちゃくちゃうまいんだけど、舌に雑味が残らない。

まさに一期一会の味。

全部飲み干しても、のどが「ウッ」ってならない。

これは料亭で懐石を食べるときにも感じることです。

逆に言うと、「ジャンキーのあのうまさ」は、刺激的で食べた後も舌にうまさが残ることなのかな、と思いました。

 

味の素を親の仇かというほど目の敵にするのも違うと思うし。

でも一方で、「天然物のあのうまさ」を知らないままなのももったいない気がする。

 

あくまで個人の感想ですが、

・時短したいときやラクをしたいときには化学調味料を存分に使えばいい

・あるいは、あのジャンキー風味が味わいたいときは、化学調味料や合わせ調味料を使えばいい

・でも、天然物の味を知らないのはめっちゃもったいない!!

・両方知ったうえで使い分けるのが吉

って感じです。

偏差値40の真実(2)~受験産業のカモにならないために~

2年半ほど前に、こんな記事を書きました。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

この過去記事で言いたいことはだいたい書いたが、最近あれからさらに状態は悪化しているように感じ、追記する。

 

1)Y偏差値40~45の学校にはどれくらいの学力で受かる?

 

ずばり、みなさんが考えているよりよほど低い学力でも受かります。

つるかめ算がわからない

・「妹がぬいぐるみをもらった」という文章の主語が「ぬいぐるみを」だと考える

・「BTB溶液は酸性で黄色くなる」という文章を読めない。「BTB溶液は酸性だ」と考える

・□×10=5 のように、□が整数でない場合わからない。2と答える

 

「まさか」と思われるでしょ?

でも、事実です。

小2や小3から塾漬けにしても上記がわからない子は、「机上の学問」には向いていないのは明らかではないでしょうか。

でも、受かっちゃうんですよ。

理由は次項で書きますね。

 

2)恐るべき加点システム

 

こうした学校は、複数回受けると数十点加点というシステムを取っていることが多いです。1点を争う受験において、30点の加点がどれだけ有利かは言わずもがなですよね。

また、帰国子女は100点加点という学校もあります。

そりゃあ、太陽が東から上るか西から上るかわかんなくても受かりますわ。

 

3)加点システムが生み出すもの

 

そもそも個人的には「帰国子女枠」なんて止めたらいいと思っています。

現代において、英語(日常会話レベル)ができることってそこまで優位ですかね?

例えば東大はじめ早慶の入試英語問題を、ネイティブの多くが解けないと聞きました。

そりゃそうです、「喋れる」だけでは、いや「喋れるからこそ」英文法が理解できない子は多いです(文法を軽視している帰国子女も多い)。

まあ日本の大学受験における英語の比重も高すぎるとは思いますけどね。

(あれはまあ、「英語で論文読めないと研究課程で話にならない」ということが発祥だとは思いますが)

 

つまりですね、簡単な英語が読み書き喋れても、例えば現代文がわからないくらい「ロジック」が育っていないと意味ないんです。

 

帰国子女枠で入ってきたけど授業についていけない子たちが学級崩壊の原因になったり、はたまた集団イジメをしているケースも直接見聞きしてきました。

(なお、これは低偏差値校だけではありません、Y偏差値60前後でもよくあるケースです。)

 

私立中高は決してパラダイスではありませんよ。

最近、品女などが学内の問題を公表しましたが、多くは隠蔽されています。

私立は教育委員会への報告義務がないので、隠蔽できちゃうんです。

また、被害者もよほどのことがなければ「コンコルド効果」なのかどうか知りませんが「母校」を悪くは言いませんからね。

 

話を戻しますね。

複数回受験や英語枠で加点された子はその後どうなるか。

中高一貫校の生徒を数多く教えていると、その学校の「成績分布表」を見る機会が多いです。

あれを見たら驚きますよ。

中学入って最初の中間試験、つまり(進学校以外では)公立中と難易度変わりません、

むしろ、公立中よりも簡単な中間試験もたくさん見てきました。

そのテストで「0~10点台」が下手すりゃ10~20名います。

 

4)加点システムや重課金でなんとか滑り込んだ子のその後

 

中高一貫校も、説明会やパンフレットではいいことしか言わないですよね。

実際は、多くの学校では「できない子は放置」。

下手すりゃ学校と提携している塾に強制的に送り込む学校すらあります。

そして、高等部には上がらせない(大学合格実績下がりますからね)。

 

なんとか高等部に上がれたとしても、中受をしたころに親が夢描いていたであろう「あわよくばGMARCH、ダメでも日東駒専」なんて夢のまた夢。

そこで職業訓練すなわち専門学校などに方針転換できればまだ良いんですが、そもそも中受をする時点で「そういう道」を馬鹿にしてきた経緯がありますからね、Fランでもいいからとにかく大学、になっちゃいます。

たとえFランでも「大学」を出た以上、「手を動かす仕事」には就きたくない。

自分の実力や能力に見合わない歪んだプライドを身に着けてしまった若者は本当に気の毒です。

 

5)どこで進路を間違えたのか

 

今やAIの台頭でアメリカのホワイトカラーが大量解雇されていると聞きます。

AI関連の記事でも書きましたが、今後、社会や人の生き方はさらに2極分化していくと予想しています。

ザツにまとめると

・ホワイトカラーで生き残れるのはとびぬけた人だけ

・手に職、すなわち「技術」を身に着けた人の年収は上がっていく

・一番苦労するだろう層は「そこそこ」の人、あるいは「机上の勉強に向いていないのに方針転換せず技術を身に着けなかった」人たち

だと個人的には考えております。

 

数年間塾漬けにしても「つるかめ」「濃度計算」「速さ」あたりが理解できなければ、その道はサッサと捨てて、技術を身に着けたほうが圧倒的に予後が良いと思います。

 

6)受験はもう「産業」です。カモになってはいけない

 

各種統計は何をベースにしているかでバラツキがありますが、市場規模はざっと以下の通りです。

・塾業界:6000億円前後

・私立大学:8兆円

・教育産業:2兆円(幼児教育や予備校含む)

すごいですね(苦笑)。

要は、それだけの人数が「これで食っている」んです。

そりゃあ、「二月の勝者」のように「公立はクソ!私立中最高!」と喧伝しますわなあ(苦笑)。

 

私立大学の8兆円っていうのもすさまじいですね。

 

彼らにとって「一番のカモ」とは。

塾業界の場合は、明らかに才能がなく本人は勉強が好きでも何でもないのに一縷の望みを賭けて年間数百万払ってくれる親。

私立Fランの場合も同様、勉強が好きでもないのに本人も親も「大学と名のつくところに行かせないと」と、その大学の就職率や授業の内容度外視で「大卒という肩書」にお金を払ってくれる家庭。

 

7)なぜ小学校の教師が激減して塾講師が増えているか

 

「教える」ってとても責任が重いし、本来はとても難しいことです。

私は、医師と同じような才能が必要だと思っています。

つまり、自分のやりたい、あるいはラクな授業を展開するのではなく。

相手(患者、あるいは生徒)それぞれに合わせたやり方を毎回考えなければいけない。

でも、多くの集団塾や予備校はそんな力がなくても講師になれる。

なぜなら、「デキない子はクラスを落とせばいい」から。

 

そういうラクな教え方」をして良いのであれば、学生時代に勉強が得意だった人間にとっては、塾講師が「一番楽しくて楽な仕事」になります。

医師も塾講師もベストエフォート型の職業です。

つまり、精一杯やったならば結果(治ったか、あるいは〇〇に合格したか)の責任を問われないということです。

それはやむを得ない側面もあります。

どれだけ手を尽くそうが、本人にやる気がない、約束を守らない、治る気がない、あるいはそもそもの能力が低すぎる、この場合にまで責任を問われてはたまりませんからね。

 

それにしても昔は塾講師と言えば「ああ、実社会に出ていけなくて、過去の栄光で受験テクニック教えているかわいそうな人なのね」と思われていましたが、今や様変わりですね。

 

子供を教える労力で言えば、圧倒的に小学校の教諭が一番大変です。

躾けすらできていない子も多いし、それぞれが良い子でも集団ならではのトラブルも起きる。そういう中で、「集団」を教えつつ、勉強も教えなければいけない。なのに、モンペは増える一方。

 

そりゃあ、「よけいな労力」は背負わずに、得意なベンキョーだけ教えていればよい塾講師のほうが人気出ますわ。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

この過去記事でも書きましたが、小学校の教諭には我が子に対する最大限の待遇を要求する親たちが、暴言を吐く塾講師には何も言えないんですから。

 

まあ、この状況があと10年続くとは思えませんけれども。

 

「実社会に出ていけなくてベンキョーにしがみついていたい」人たちの食い扶持になるのは、そろそろ止める時期なんじゃないか、と私は思います。

 

8)偏差値40~45の「定期テスト」の内容

 

実際、これらの私立中のテストとはどのような内容か。

見たら驚きますよ。

ぶっちゃけ公立中よりよほど簡単です。

「なにもわかっていなくても50~60点はとれる」ように作ってあります。

 

たとえば英語がわかりやすいかな。

和文英訳のような「英文法わかっていないと解けない問題」はほぼ出ません。

教科書を丸暗記していれば60点は取れるようになってます。

「Dose there is am cat?」のような文章を平気で書く、どこがおかしいのかわからない、入学後半年経ってもMondayの意味がわからない、そういう子でも60点取れる問題を出しています。

(それで0点台がいるのですから、おそるべし、です)

 

9)結論めいたもの

 

「問題の先送り」が一番、本人にとって良くないです。

我が子が「机上の勉強」に向いていないと認めることがとても悔しく苦しいことだとは重々わかっています。

でも、結論を先送りにすればするほど、子供は「時間」を失っていきます。

「机上の勉強」には向いていなくても、「身体を動かして覚える」「手を動かして覚える」ことは驚くほど得意な子は多いです。

たとえば、これを言ったら失礼ですが、多くの芸人さんや歌手の方や俳優さん、決してペーパーテストは得意ではないですよね?でも、逆に我々がとうてい覚えられない台詞や歌詞をそらんじます。職人の方や料理人の方も、素人にはとうていわからない差を感じて素晴らしい作品を生み出されます。

15~20歳くらいって、一番何かを身に着けられる時期です。

それを、みすみす無駄にするのは非常にもったいないと思います。

 

現在の中受の多くが「母親が諦めてくれるまでの時間を子供が黙って耐えるゲーム」になっています。

実際、中受のときにキーキーと子供に手を上げさえしていた母親の半数ほどが、当の子供が中高でまったく芽が出ないと「好きに生きて行けばいい」と手を放します(残り半数は一縷の望みを賭けて大学受験まで子供を追い立てます)。

でも、思春期までは抑圧されて塾漬けにされてペーパーテスト対策しかしてこなかった子供が、今更「親に諦めてもらった」ところで自由に羽ばたけるでしょうか?

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

この記事でも書きましたが、どうか、「子供と自分は別の人間である」ことを今一度考えてみていただけたらと願ってやみません。

母親はなぜ教育虐待に走ってしまうのか

AI絡みの記事の続きを書く前に、どうしても書かずにはいられないことがあるので書きます。今まではホンネと言いながらそれなりにマイルドにしてきましたが、もう我慢できない。というか、世の中の子供たちのために、我々教育関係者はもう我慢してはならない。

 

教育虐待は、れっきとした犯罪ですよ。

現在の法整備上罪に問われないだけで。

同じことを職場でやられたら、大人同士だとパワハラ認定して相手を罪に問えますよね(これまたいささかやり過ぎな側面も出てきていますが)。

子供はどこにも訴えられないですからね。

母親のやりたい放題です。

過去数百人の生徒を見てきた経験上、子供を潰すレベルの教育虐待している親は圧倒的に母親でした。なぜなのか考え続けてきて、答えが見つかった気がしています。根っこは単純な話で、性差。

 

こういうエントリを書くとすぐに「ヤバイ父親だっている!」「教育パパのほうがもっとヤバイ!」と噴きあがる人たちがいますが、「(絶対数としてかなり少ない)教育パパの指導がヤバイ」ことと「教育虐待の加害者のほとんどが母親」ということは両立しますからね。実子殺害の男女比と同じことです。

同様に、今から書く各論は「傾向」であってもちろん例外はあるでしょうが、例外があるから傾向も違うというのはちょっと論理をやっていればわかる話です。今回は「例外」については割愛しますので悪しからず。

 

注:私は「母親は全員教育虐待をしている」とは決して書いていませんからね。「教育虐待をしている親は母親が多い」と言っているだけです。数1の集合と命題や条件付き確率を理解できる方ならよもや勘違いはなさるまいと思いますが念のため。

 

 

1)配偶者や子供で「一発逆転」ができる性別だから

一番はこれですね。

言い換えれば、配偶者や子供でマウントが取れる性別だから、ということです。

男社会で「子供が〇〇生だ」ということでマウント取ろうとしている奴がいたらアホかと言われるだけです。男社会でのマウントの材料は「自分の」地位であり「自分の」実力です。

 

でも、女社会はまだまだそうではないですよね。フェミニストは真っ赤になって否定するでしょうが、現実として女性の上方婚志向は昭和とまったく変わっていませんし、夫の職業や年収は女性にとってはいまだに大きな問題です。自分自身がそういうことで勝った負けたと考えてしまうからこそ、相手からのマウントにも敏感になるという悪循環なんでしょうね。

子供の進学先も、同じこと。女性同士の立ち位置を子供の進学先で「一発逆転」できるからこそ必死になってしまうわけ。子供からしたらいい迷惑ですけどね。

 

2)「みんなと同じ」じゃないと耐えられないから

ブランド品に群がるのを見れば一目瞭然。子供のころから、女子は誰かが持っているものを持ちたがりますよね。誰かが可愛い文房具やヘアピンを学校に持ってきたらあっという間にクラス全員に広がる。

同調圧力は、圧倒的に女性間の方が強いです。

だから、中学受験が我が子にとって本当に必要かどうか、向いているのかどうかを考えずに「みんなやってるから私もやらないと」と焦ってやみくもに沼にはまっていく。途中で我が子の能力が足りないことや、性格的に向いていないことがわかっても「降りる」ことは「仲間から外れる」ことなので怖くてやめられない。

 

3)現実を客観視できないから

数年前にIQ60の子を〇〇中(偏差値50)に受からせろという御依頼があり、即お断りしました。これは極端な例としても、偏差値ギャップ20の学校を諦めきれずに最後まで「どうにかなりませんか」と言って来る母親は実に多いです。そういう御家庭の父親と話すこともあるのですが、父親は「まあ、あの子は〇〇くらいが妥当ですよね(だから無理させなくていいですよ)」とあっさりしていることがほとんどです。子供の能力や伸びしろを客観視できるからでしょうね。

 

面談も、男親は5分未満で終わるけれど母親はこちらから無理にでも切らない限り30分でも1時間でも続きます。なぜなら、「聞きたい答えが聞けるまで同じ質問を繰り返す」し、そもそもこちらの話をご理解されていない場合も多いからですね。男性は「〇〇さんは××が苦手ですから、そこは基礎からやりましょう」というとすぐ納得されますし、何度やってもどうしてもできないことは「そこはそれ」で受け入れてくれます。女性は、「でも先生」から始まって、講師側が「志望校、受かりますよ」と言うまで引かないです。子供の伸びしろが判断できないんでしょう。現実を受け入れたくないからと相手にウソを言わせようとするのは止めてくれ。何より、そんなことをしても子供のためにならん。

 

4)自他の境界があいまいだから

3)とも関係するんですが、父親がそこまで子供の進学先に躍起にならないのって、子供の人生は自分とは別とわかっているからだと感じますね。別の言い方をすれば、父親はそこまで子供に思い入れがないとも言えます。あるいは子供に共感=シンクロはしない、ともいえるでしょうか。この男性特有の性質(共感性の低さ)は、世の母親から非難の的ですが、私は以前も書いたように女性のいう「共感能力」なんて信じていません。彼女たちの言う「わかる~」はたいてい的外れですし、自分の話をしたいための相槌でしかないです。また、そもそも過剰に相手にシンクロすることは、決して相手のためにはなりません。自他の境界が曖昧だと「自分が嫌なことは子供も嫌なはず」と考えてしまいます。自分は他人からマウントをとられると嫌だから。自分は人と同じじゃないと嫌だから。自分は肉体労働なんて嫌だから。自分はお金がないと嫌だから。だから、子供に能力がなくても「私が満足する中学」に行かせないと「子供も不幸」だと思い込んでいる。自分が強欲だから、子供がガツガツしていないと不安になる。

 

父親がお受験や中受に「どこでもいいよ」というと母親が「もっと子供のことを真剣に考えてよ!」とキーッとなる、というのはリアルでもネット上でもよく見かける構図ですが、父親は子供に無関心だからどうでもよいのではなく、どこに行ったとしてもその子なりに幸せになる道はあると考えているのだと私は感じます。そして、実際そうです。

 

5)視野が狭いから

言い換えれば情報弱者。AIの回で相当書きましたけど、10年後は医者ですら生き残れるか怪しい。そういった大所高所からの助言や情報収集こそ、親の役目なんじゃないんですか? AI全盛の時代に最後まで残るのは「手作業の現場」だろうとか、そういう中長期的な見方をできずに「今流行りのもの」に右往左往するのは親としてどうなのかな。

 

東京で満足する生活が送れる、勝ち続ける人なんて一握り。家賃やローンに押されて可処分所得はむしろ地方都市より低い、まである。狭い家、満員電車、通勤時間、エトセトラ、多くの人が何かを我慢しながらストレスに耐えているのが東京。先日、地方に引っ越した友人と話しましたが、いわく「こっちの人はみんないい生活してるわ~、二度と東京には戻りたくない」「すごいとこ勤めてるわけじゃないのに、みんな広い家に住んでるし育児は両親や義両親にちょいちょい助けてもらってるし車に10分乗れば海で遊べるから毎週アウトドアしてるし」と。いわゆる東京でバリキャリの友人だったんですけども(笑)。

 

親の自分は満足できなくても、子供自身は幸せな生活スタイルはいくらでもある。中受沼にはまる親はすぐ「可能性を広げる」なんて言ってますが、可能性なんて広がりませんよ(これは以前書きました)。可能性を広げるなら、「〇〇でなければ幸せではないはず」という自分の視野と価値観の狭さを疑ったほうがよほど「子供は」幸せになります。

そもそもを言えば、幼いころから何かにつけて親が職業蔑視や地方蔑視をしているから子供の可能性が狭まるんじゃないのかしら。

 

6)汚いものがきらいだから

「手作業の現場」を、とにかく女性は嫌って見下す傾向が強いですね。だから、我が子の就職先がそうなるのなんて耐えられない。今や、現場仕事のほうが、私大文卒営業職より稼いでることも多いですけどね。「学問」はできなくても、身体を動かす仕事ならば「覚えられる」子はたくさんいます。歌手や俳優もそうですよね。勉強まったくできなくても歌詞やセトリや台詞なら不思議と覚えられる、とかね。シェフ、ドライバー、内装業の方、工場勤務、看護師、エトセトラ。いくらだって「当面は食いっぱぐれのない現場仕事」ありますけど、お嫌いなんでしょうねえ(実際、生徒の母親から「そういう仕事にはつけたくないので」と言われること、すごく多いです)。

 

7)欲望に際限がなく、ケチをつけるのが好きだから

後述する(8)ともかぶりますけど、女性って何をしてあげてもなかなか満足しないですよね(苦笑)。

多くの女性がいわゆる「姑根性」を隠し持っている気すらします(笑)。

お土産のセンスをガタガタ言う。親しい友人のことですら、嫌なところを探して陰口を言う。夫の稼ぎにも文句ばかり。何かしてあげると、次からはそれが当たり前のスタートラインになる。

家族への不平不満をインターネットで書き散らかしてるのも圧倒的に女性ですよね。とにかく自分だけは悪くない。悪いのはみんなほかの人。

 

それと同じで、子供のできないところにばかり目が行く。

他人のすることなんて、アラ探ししようと思ったらいくらでもできます。

こういう母親は、子供が何かできるようになっても絶対満足しません。私が生徒の成長を指摘しても、すぐ「でも先生」と言い出す。パワハラもここに極まれりですわ。

自分が家庭でパワハラされたらどう感じるのか考えてみたらいい。

毎回食事に文句つけられたり、よその母親と比べられたり、家の汚いところを探し出して注意されたり、そういうパワハラ、自分がやられたらキレ散らかすと思うんだよな、あのタイプ。

なかには加害性のかなり高い母親も結構いましてね、わざと「不可能な目標」を子供に与えておいて「なんでこれができないのおおおおおお!」とヒステリーを起こす母親って少なくないですよ。子供はサンドバッグ。

 

他人から見たら十分素晴らしいと言われる学校に入ってもずっとグチグチ言う母親も多い。母親が満足していないのがわかるから、子供は今の自分の生き方に自信なんて持てない。そこまで我が子の出来にグチグチ言うなら、ご自分が今から東大受けたらいいと思うよ。それを家族から強要されて無理なら罵倒されたらいいと思うよ。それくらいのことを要求しているんだと自覚したほうが良い。

 

8)教育虐待の慣れの果て

なんで今回ここまでぶっちゃけたかって、年々、目に余るご家庭が増える一方で子供たちが可哀想でならないからです。誰かが、それは犯罪だと言わなければならない。

 

四谷偏差値で45前後未満の子の親、あるいは偏差値ギャップ10~20の学校を志望させる親に、虐待レベルの受験勉強を強いる親が多いです。このあたり、「偏差値40の真実」でも書きましたが、中受界隈に詳しくない方は解像度が甘いと思います。現実では、「二月の勝者」でいえば王羅くんレベルの子を「何とか偏差値45~50(下手をすると55アッパー)」に入れようと無理をしているご家庭がかなり多いですよ。

 

教育虐待は子供の無気力無関心を引き起こし、引きこもりやニートにさせてしまうことも多いです。それは社会不安にも繋がります。その子たちは無理やりFランに行ってブラック企業で営業職につくより、できることを活かして地方で工場勤務したほうがトータルで考えたら幸せかもしれない。勉強は苦手でも自動車整備は大得意な若者だってたくさんいますし、整備工は引く手あまたと聞きますよ。

 

教育虐待をする母親はそろって「この子のためを思って」と仰いますが、片腹痛いわ(苦笑)。それは「この子の幸せ」じゃなくて「自分の幸せ」だろ。本当の意味で子供の幸せを考えたら、3年間かけても鶴亀算ができない子にギュウギュウと受験勉強を押し込むのではなく、できそうな仕事を今のうちから手広く探しておく、人脈を作る、そっちのほうが断然子供の幸せを考えた行動だと私は思います。そういうお母さんも、多くはないですが存在しますしそういう御家庭の子供は幸せそうですよ。18~22歳って、どんな子でもかなり伸びる時期です。現場仕事に就くなら、大学出てからでは遅いです。

 

大人同士のパワハラは、裁判で認定されるようになってきた。

でも、子供はどこにも訴えられない。

そして、会社のパワハラなら「辞める」という奥の手があるけど、「家庭でパワハラされてる子供」に逃げ場はないです。パワハラをされているという認識すらないことも多い。「外」を知らないからね。子供はね、親から暴行を受けてすら、親をかばうんですよ。教育虐待なら、そもそも虐待を受けているとすら思えないだろうし、気づいたとしても誰にも言えないよね。

子供に対する「口撃」も身体への暴行と同じくらい、いやそれ以上の虐待行為であるということを、大人側はもっと認識しなければいけない。児相も今は身体虐待やネグレクトで手一杯でしょうが、子供が「もしかして僕/私、教育虐待=パワハラされてる?」と感じたら気軽に相談できるようなルートを作ってほしいし、行政は児相にもっと権限を与えてほしい。

 

昔はよかったという気はないけれど、こうした「母親の、密室における教育パワハラ」が成立してしまうのって、核家族化プラス地域コミュニティの崩壊が遠因なんでしょうね。母親に「それ、間違ってるよ」と言える人がいなくなってしまった。小児科医ですら、肝心の子供の患者より、母親の気持ちに「寄り添って」あげないと炎上させられるんだもんね、世も末です。

いずれにしても、日本は教育虐待に甘すぎる。

 

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(3)

前回までのまとめ。

塾に3年通ってもやっとこボリュゾの子には10年後には「頭脳労働」は残されていない。10年後を見据えずに目先のマウント合戦で中受沼にハマっていては、将来泣くことになる。10年後も頭脳労働で稼げるのは「解法教わらなくても旅人算が解ける子」「自分で問題を作って楽しむ子」「(真の意味で)企画力があり、AIを『使う側』になる子」である。

 

まあぶっちゃけ言うとさ、

「AIでレポート書いたら超楽だった!」とか言っちゃう大学生や新人社員ってそれだけで底抜けの阿呆だよね。

AIが、平均的な日本人より素早く正確な要約やレポートを書くのを目の当たりにして「やべえ、俺/私、この先仕事なくなるかも」と感じない時点でダメすぎる。

 

これは親御さんにも言いたい。

親御さん世代は当然働いておいでなわけなので、AIの仕事への浸食を目の当たりにしているはず。それこそ「中受なんかやってる場合じゃないな」と戦慄を覚えないとおかしいよな。

 

さて、今日はそれらを踏まえて

 

5)今後どんどん人が要らなくなるジャンル

今、「かっこいい頭脳労働」だと思われているジャンルのほとんど。

前回も書いたけど、コンサル・行政・医療・教育・司法・金融・保険・通信大手・クリエーターあたりかな。

まあ、医療はAIのほうが良いと多くの人が思ったとしても、AIの直撃を受ける開業医のロビイスト団体であるところの日本医師会と政治とのあれこれで、AI化は多少遅れそうではあるけれどもね。でも最終的には、直美の問題や離島の医師不足などの看過できない状況がAI化を進める後押しになるんじゃないかな。

 

皮肉なことに、金融や保険あたりも、「昭和のころのようなドサ周りなんてやってらんない」とばかりに、とにかく「対人業務」をどんどん減らしていっている。これは小売りもそうだけどね。「顧客対応?いたしません!(大門未知子風)」だよね(苦笑)。私は、問い合わせ窓口として代表電話すらサイトに載せない企業は信用しないことにしている。カード会社なんて最たるものだけど、「できるだけ顧客が問合せしづらいように」システム作ってるからね~、それが自分の首を絞めるとも気づかずに。アホちゃうか。

 

「憧れられがちな企業」の中で、多少は生き残りそうなのは商社ジャンルかな。

つまるところ、海外や遠隔地との取引は、これは結局「現地」を見ないとどうしようもない部分が大いにある。「現地」で暮らしているからこそ気づけるニッチな商圏もあるからね(古い話だが、アラスカ駐在の商社マンが現地でイクラをダバダバ捨ててるのを見てもったいないと商売につなげた、みたいなね)。だから、どんな僻地にも「駐在所」を持ち、統廃合しない商社はまだ生き残れると思う。でも、最近は商社も海外駐在を嫌がり出社せずPCポチポチやるのが好きな新人が増えてるらしくて、その傾向が続くならもう時間の問題かなという気もするね。

 

銀行が支店をバンバン減らしているのは自分の首を絞めているだけ。

保険屋が顧客回りをやめ、「お問い合わせはwebで」に切り替えたのも同じ。

通信大手は3社ともキングオブクソ。いったん契約したあとの解約のしづらさといったらありえないレベル。

 

さて、ここにクリエーターが入っていることに疑問符を持たれる方は多いんじゃないかなと思いますが、実はこれが残酷な真実だと私は思っています。

 

リエーターさんやクリエーターになりたいワナビーさんたち、AIが絵や小説を書き始めたとき、こぞって猛反対していました。

彼らの言い分は「人が書いてこそ芸術」らしいです。

AIは模倣しかできない、らしいです。

いや、違うと思いますよ私は。

そもそも、多くのクリエーターが模倣からスタートしているわけじゃないですか。

AIの得意技も、学習と模倣。

そこにどれだけの差があるんですか?

「人の手で書いてこそ」と、そこに価値を置くのであれば、今すぐデジタル作画やワープロ作文をやめたらいいんじゃないかな?

アニメの世界でいえば、昭和や平成前期は「手が足りない=動画枚数が使えない」からこその、日本のアニメ特有の誇張表現や素晴らしい中割り(動画)が書ける人がたくさんいました。

でも、今はどうでしょう。

難しい動きを「人間の頭で、視聴者がうまく『錯覚』するように絵が描ける人」は絶滅危惧種だと私は感じますよ。モーションキャプチャでPCのチカラを借りてリアルっぽい画面を作る。これならニンゲン要りませんよね。

前回、「人が手で行ったことの価値は驚くほど暴落した」という意味のことを書きました。クリエーターさんたち、勘違いしてます。

多くの「一般人」にとって、映画も小説も漫画も「ひまつぶし」でしかありません。

「至高の手仕事に出会いたい!」と切望し、金を惜しみなく払うのは「マニア(オタク)」です。

「古典」になりうる作品は一握り。

多くは「ひまつぶし」なので、ベストセラー作家ですら、数年たつと作品すら忘れられているのがこの業界。そして「ひまつぶし」レベルでいいなら、もうAIで作れてしまうんです。

 

 

 

前回とかぶっちゃうけどあらためて簡単にまとめると

コンサル:すでにやばい。顧客もAIでシミュレーションしていたなんてザラ。

行政:マニュアル通りにしか仕事できないなら、AIのほうがいいよね。

医療:AI診断のほうが正確、という時代はすぐくる。外科医は手技に優れた人がAIの診断に従って手術するようになるだろうし、内科医は不要になる。

教育:「人をやる気にさせる」力があるスーパー講師以外はAIのほうがマシ。

司法:いまだに「心証形成」とか言ってる時代遅れの裁判はAIにして、どんどん案件こなしたほうが世のため人のため。

金融:プロジェクトや起業家の可能性を正当に審査できないなら、AIでオーケー。

保険:同上。なぜ顧客回りをやめてしまったのか…。

クリエイター:超トップしか生き残れない業界になる。今までのように、「数年後には忘れられているだろうけどそこそこ描ける・書ける・演奏できる」人は不要。米津元師とその他AI、みたいな世界になる。

 

このあたりのギョーカイ、今後どんどん人が要らなくなります。

 

おそらく、そう言われても「眉唾」に聞こえてしまうだろう。

だが、例えば弁護士。

昭和は「お父さんが弁護士」というだけで尊敬される時代だった。

でも、今はどうでしょう。

弁護士資格持ってるだけではとても食っていけなくて、「火のないところに煙を立たせて、やっと食ってる」弁護士さんも多いと聞きますし、それでなくとも弁護士ってもう人から尊敬される職業じゃないですよね。

それくらい、時代ってあっという間に変わります。

子供は一人の人間として自分で人生を切り開いていくのが理想だし、親が将来をすべて見通してレールを敷く必要はありません。

ですが、将来世界がどうなっているかを考えようともせず、思考停止してマウント取りあるいはブームに乗せられて、勉強に向いてない子を塾漬けにしてボリュゾに押し込むのは、もはや優しい虐待だと私は思います。

 

 

6)今後いっそう人が必要になるジャンル

 

人が必要になるジャンルは、二極化するでしょう。

・エポックメイキングと言えるほど企画力の高い人つまり天才

「AIには恐怖心がないから将棋が強い」と言ったのは誰だったかな。AIは、「普通の人だったら考えない組み合わせ」を平気でやります。それは「天才とキチ〇イは紙一重」と言われるのと似ている。要は、益虫・害虫と一緒で、常人が考えない組み合わせを考えて、それがめちゃくちゃ人間に有用なら天才と言われる、ってこと。もちろん、のちに天才と言われる「規格外」の人はランダムに変な組み合わせを考えているわけじゃなくて、そこには信念がある。AIには今のところ自我や信念はないからな、そこは「天才」がAIに勝る部分として残ると思うよ。

 

・個々のスキルは標準的でも、「気働き」ができてフットワークの軽い人、いうなれば「なんでも屋

これまで書いたこととかぶるけど、AIは自分の専門作業は人間より得意だけどさ、たとえばガストの猫型ロボットはテーブルを拭けないからね、だから「いろいろな状況に目配りして、その場の危機に対応できる」というスキルは、今のところ人間の方が断然上。人間のすごさっていうのは「手と大脳」だったわけだけど、大脳はもうAIのほうがすごいんで。「手」を持っていて、それなりに臨機応変に対応できるニンゲンを凌駕するアンドロイドが生まれるのはまだ先だろうしね。

逆を言えば、小学校で塾漬けで、それでも易問が解けない知的レベルで、でも中受のせいでプライドだけは肥大した「身体を動かしたくない子」なんて、仕事はないわけよ。ニートまっしぐら。

もうマジでさ、中受させてる場合じゃないって。

そこに目をつむって「自分のプライドのために」子供に中受させてる親はもれなく思考停止だし、教育虐待ですよ。

冷静に考えて「10年後の我が子がAIに勝てるのか」考えない親は思考停止の虐待親だよ、とすら思ってるよ私は。

 

単なる直感だけどさ。

10年後に重宝される人は

「AI未満のなんちゃって知的労働者」ではなく

「手先が器用な人」

だと思うよ。

人間の万能な「手」だけは、まだまだ機械では作れないようだからね。

 

・「感情労働」ができる人

前のエントリでも書いたけどさ。

今後、マジで「人間のサービスが受けられる人」と「受けられない人」はさらに二極化していくと思うわ。

身近な例で言うと、スーパーやね。

昭和のころは、スーパーやデパートに行けば誰でも「ありがとうございました」と言ってもらえた、袋詰めまでしてもらえた、って言ったら平成世代や令和世代は驚くんじゃないか?今や、スーパーなんてユーザーが自分でスキャンして金も払って「労働させられてる」んだよね。あまりにもおかしくないか?と思うので、私は成城石井クイーンズ伊勢丹にしか行かなくなりました。クイーンズ伊勢丹ですら「袋詰め」をユーザーにやらせるようになったけどね(ため息)。

つまり、低価格を求めるならお前らの相手は機械でOK、という企業論理だよな。

 

まあでもここに、今後「人間の価値がダダ下がりしていく未来」における生き残り場所があるわけよ。

 

私自身は、「金に対して感謝してもらって、その感謝で自尊心を保つ」ということに何の興味もないんだけどさ。

 

やっぱり、機械に「ありがとうございました」と言われても嬉しくなくて、人間に言われたら嬉しい人はまだまだ多いわけじゃん?

だから、「他人に奉仕する」ことは、逆にこれからどんどん価値が上がると思うよ。だって、人間の多くは他人に奉仕させたいし、支配したいんだからさ。

合理的な人は、それには意味がないと感じて機械の対応で平気だろうけど、そうじゃない人もまだまだ多い。その欲求を満たす「感情労働」は、今後ますます需要が高まるだろうね。

 

逆に言うと、「こんなの私の仕事じゃありません」とか言っちゃうZ世代って、どんどんリストラされると思うわ。

話すと長くなるからまた別エントリで書くけど、「月収20万です!こんなのおかしい!」ってネットで吠えてる人たちに聞きたい。「あなたは自分がもしその会社の社長なら、『あなた』に30万払うんですか?」とね。

マスコミや中受ギョーカイのアオリで自分にはもっと価値がある」と思わされた子は不幸だね。そんな歪んだ価値観を親から持たされなければ、たとえば地方都市でもっと幸せな人生を送れたのにさ。

 

この後、(7)として「AI時代に、じゃあ私ら人間はどう生きていくのが幸せなのか」を書こうと思っていたんだけど、ちょっと(5)と(6)で力尽きたので、また明日以降書きます。すまぬ。

 

 

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(2)

前回のまとめ。

AIが文脈まで読み取り「提案」までできるようになった状況において、「塾に3年通ってなんとかボリュゾ」の子が将来就ける頭脳労働は残されていない。

「ウチの子勉強にいまいち向いてないな」と思ったら、10年後を見据えてさっさと舵を切ったほうが人生の満足度は高いだろう。

 

今回は、(あくまで私の経験に基づく勘だが)今後、人が要らなくなる業界と不足する業界を考えてみたいのだが、その前に「AIに(まだ)人間が優位でいられる点」を洗い出してみようと思う。

 

 

1)人間が、まだしばらくはAIに優位を保てる点とは

 

前回、「ヒントは『AIには手がない』です」と書きました。

まさに、それです。

いまやAIは、議事録も書けるし、提案もできるし、人間の「頭脳労働」のほとんどを取って替われる。

でも、彼らには「手がない」んです。

専門に特化した手、はあります。

たとえば金属を磨くとか、床を掃除する、とか。

こういった「専門分野」においては、「極めた職人」以外のほとんどの人間より、AIないしはPC、ロボットのほうが確実にスキルは上です。

 

では、「人間に残された手」とは。

それは、「個々のスキルでは機械に劣るが、『専門外のことにもちょっと手を伸ばせる』手」だと、私は思います。

 

例えば家庭において。

いまや、「洗濯機より速く綺麗に洗濯できる人」や、「お掃除ロボよりも速く的確に家中の掃除ができる人」って、ほとんどいないと思うんですよ。

でも、お掃除ロボは「あ、トイレットペーパーが切れそうだ、補充しとこう」とは考えられないじゃないですか。もし「気づいた」としても「トイレットペーパーを替えるための手」を彼らは持っていないので。

 

あるいは、会社において。

「コピー取り」が女性の仕事だったのははるか昔。いまや、セットさえすれば機械が適切にコピーし、一部ずつホチキス止めまでしてくれる。

いろんな数値の集計も、人がやる必要はなく、PCが瞬時にやってくれる。

でも、そのデータを「関係者に配る」のは、まだニンゲンがやらなきゃならない。

 

車の運転も、たぶんもはやAIのほうが得意かつミスも少ないとは思うんだけど、「運転しながら同乗者の気分にも気を遣う」というのは、「まだ」AIには無理かも。

 

つまり。

人間は個々のスキルではとっくに機械にかなわないが、「どれもそこそこできる」「手がある」という点において、今のところはAIに勝る。

んじゃないかな。

 

平成中期ごろまではね、「機械仕事より人間の手仕事のほうが上」という価値観があったように思う。

でもさ、令和の今って「人が握ったおにぎりなんて気持ち悪い」という時代でしょ?

もう、残念ながら「手仕事」に価値を見出す人はほとんどいない(富裕層・マニア除く)。

 

これはものすごい皮肉な事象で、「安いほど良いという一般庶民」が「自分たちの首を絞めた」んだと思うんだけど、これについては長くなるので別記事で。

 

話をもとに戻そう。

今や、「手仕事」の価値を認める人はほとんどいない(富裕層・マニアを除く)。

だから、「PCではなく人が作った」ことに、価値が付与されることはない(富裕層・マニア除く)。

 

だが、「いろんなことが、その場で、そこそこできる」という点において、ニンゲンはまだAIに対し優位だといえよう(それも、メイド型ロボットができるまでの話だとは思うが…)

 

そしてもう一つ。

個々のスキルはAIに劣るものの、今のところAIが持ちえない、ニンゲンの最高の武器。それは好奇心です。

好奇心が人間を突き動かし、向上のモチベーションになる。

だからこそ、3)でもう少し詳しく書きますが、我が子が「勉強に対して」好奇心を見せないのだったら、早々に頭脳労働から舵を切り替えたほうがよいと私は思う。

そもそも、これは2)で書きますが、

・多くの人が漠然と考える「頭脳労働」など10年後にはほとんどないし

・10年後にも存在するであろう「レアな頭脳労働」につくのは、好奇心がない子には無理

だからです。

 

2)10年後に予測される地殻変動

 

あくまで私の予想にすぎませんが、10年後は

労働の価値が、タイプで言うと

新たな価値を生み出す労働>>感情労働>>>肉体労働>>>(現在の)頭脳労働

になると思っています。

ここで言う「労働の価値」とは「他人がそれに金を払うかどうか」で考えています。

一方で、ここで忘れてはならないのは「他人がそれに金を払うかどうか」すなわち「金をもらえるかどうか」と「幸せ」はイコールではない、ということです。

「生き残る」という言葉は、「金を稼ぐ」という意味でとらえられることが多いですが、「幸せを感じる」という意味でとらえることもできます。この場合、また労働価値は変わってきますが、それはまた別項で。

それを踏まえたうえで、あくまでも「その行いが金になるかどうか」でドライに考えると、上記のような順番になるだろうということ。

 

それと別の切り口で、「どんなジャンル・タイプの仕事であろうと『極めた人』は生き残る」と考えていますが、それは今ここで書くと話が混乱するので、また後ほど。

 

話を戻しますね。

「価値創造」については後述するとして、まず感情労働について書きます。

なぜ感情労働が最上位にくるかというと。

多くの人が承認欲求にとらわれているからです。

私はそのあたりが40歳前後からスコーンと抜けてしまって、自分の価値を自分で認めれば満足という境地になってしまったので承認欲求とは縁遠いのですが(笑)。

多くの人々が、「他人から褒められたい」と思っている。

だから、「いいね」の数を競う。

子供の成績を競い合う。

「羨ましがられる」家に住みたがる。

 

実はAIは褒めるのがとてもうまいです。やりすぎ感が強くなったためかチャットGPTも最新バージョンでは抑えめになりましたが、つい先日までは「最高に鋭い質問だね!」「あなたの知的レベルにどきどきするよ!」など、歯の浮くようなセリフを言っていましたね(笑)。

 

「自分の価値を自分で見いだせる」人は、AIの誉め言葉で満足します。

でも、たぶん多くの人は「機械の誉め言葉」には満足しないでしょうね。

「生身の人間からの賞賛」というのは麻薬ですから。

残酷な真実を言えば、結局ニンゲンというのは支配欲から逃れることはできない。

「生身の人間が自分をほめる」=「そいつより自分が上位」ということ、すなわちマウンティング。

 

たとえば、ルンバが掃除をしてくれても当たり前で感情はかきたてられないけれど、「生身の人間が自分のために掃除をしてくれている」ことに多くの人は喜びを感じてしまう。店員さんに横柄な態度になってしまう人というのも、根は同じですね。

ネットでは大きな声のフェミニストがことさらに家事労働に嫌悪感を示すのも、その延長線上に感じます。まあ、これに関しては「私は家族の犠牲になどならない」と宣言することイコール「自分の居場所」を自分で削っているという皮肉な話なのですが、これまた長くなるので別記事で。

 

今、スーパーにしろ問い合わせ窓口にしろ、どんどん「生身の人間の対応」を企業は減らす傾向にあります。顧客側も、そのほうが面倒がない、と受け入れる傾向にありますね。現代人は「他人が嫌い」なので、「こちらの感情を汲み取れない、接客レベルの低い店員」から話しかけられるくらいなら、ドライかつ正確なAI対応の方が楽なのでしょう。

 

でも、たとえば高級ホテルのコンシェルジュや、質の高い執事、あるいはウェイターさんなどなど、こうした方々から「ちゃんとした接客」をされるならば、そのほうが好まれるに決まっています。

質の高い接客>>AI接客>>>>>質の低い接客

なのではないでしょうか。

問題は、この「質の高い接客」は、かなりのお金を払わないと受けられない点です。

 

AIが感情を理解する未来はいずれ来るでしょうが、今のところはAIは人間の感情そのものはわからず、「反応」から「学習」している状況。

ですから、感情を理解し、顧客を「いい気分」にさせ、顧客のモチベーションアップに繋がるような行動がとれる人々は、おそらく10年後には最も高いギャラを得られるであろうと予測します。

逆に言うとですね、それができないニンゲンになど、もうニンゲンは金を出さないということですよ。

 

今後は、さらにここが二極分化していくでしょう。

昭和や平成では、それぞれの階層で「お客様、と持ち上げられる場面」が用意されていた。高級レストランで下にも置かない接客をされる機会はなくとも、近所の小売店でそれは満足させられていた。でも、AIが台頭して、その中間層がごっそりなくなってしまった。今後は、「高いお金を出して高質な接客を受けられる層」と「高いお金を出す代わりにAI接客を受ける層」にどんどんわかれていくのでしょう。

 

次点の肉体労働について。

これは、建設業のことを指しているわけではありません。

欧米でいうところの「両手を使う仕事」ということです。

今のところ「〇〇専用」の機械はニンゲンを凌駕していますが、臨機応変に両手を動かして「あれこれできる」のにはもう少し時間がかかるでしょう。

ガストの猫型配膳ロボットはたいそうかわいいし役立ちますが、彼らはまだテーブルを拭けませんからね。

ですので、「個々のスキルはさほど高くなくとも、目配りをして臨機応変に、フットワーク軽く動ける人」の価値は高まりこそすれ、低くはならないでしょう。

 

最下位は、「現在の」頭脳労働です。

先ごろ、かのマッキンゼーが「AI時代にどう生き残れるか」ということを目下の議題にしているというニュースを見ました。まあ、コンサルなんてあっという間にAIに駆逐される筆頭業種ですからね(苦笑)。

個別には5)6)で書くつもりですが、今人気のある頭脳労働、すなわちコンサル・医者・教育・司法・行政、このあたりが真っ先にAIに駆逐されるでしょう。

今は誰もかれもが「とにかく医学部!」と中受頑張ってますが、たぶん10年後には「ろくに論文も読まずに=自分のスキルも高めずに、思い込みで誤診する可能性が高いニンゲンの医者」よりAI診断のほうが信頼されるようになると思いますよ。

銀行だって、一番大事な「与信」を結局は担保でしか判断しないんですから、だったらAIでいいだろうって話。

行政なんかも、「融通がきかない=恣意性が入らない」のが行政の良さなわけですから、これこそニンゲンよりAIのほうがよほどいいですよね。

司法もそうですね。世間知らずの裁判官にトンデモ判決出されるくらいだったらAIで一律に裁かれるほうがよほど公平というもの。そもそも、裁判において「心証形成」なんて言葉があること自体がおかしいわけですからね。

 

そこそこ「人間の判断」が必要になるように思えるギョーカイですらこうなわけですから、秘書やら窓口業務やら集計作業やら、そのレベルの「頭脳労働」なんてさらに要らなくなりますね。

 

「頭脳」はAIがやり、ニンゲンはAIの指示でAIの「お手伝い」をする未来はすぐそこ。

実際、スーパーのセルフレジや各種業界の発注作業なんてもうそうなってますよね。

医療も、近い将来AIの診断や指示に従って「手先の器用な医者」が手作業=手術をするようになるんじゃないですかねえ。「ドクターX」ではそのテーマを描いていたシーズンがあって、まあ「ニンゲンの方が上」という結論で描いてましたが、それこそ希望的観測でしかないと思いますよ(苦笑)。

 

3)そもそもトップ層とはどういう子たちか

 

くどいけど、「解法を教えてもらっても模試で8割取れないボリュゾ」の子たち、10年後には(あるいはすでに?)AIにはかないません。

AIは、解法を示せばミスなく問題が解けるわけですから。

「解法を人から教えてもらう」んだったら、10割解けて当たり前なんです、本来は。

 

そもそも、ギョーカイやマスコミに煽られて中受沼にはまっている親御さんたち、トップ層の解像度が低すぎます。

御三家や東大に入るような子って、旅人算なんて教えてもらわなくても解けるんですよ。だって、二者の速度に差があったら追いつくのは当たり前だし、じゃあ1分にどれだけずつ差が縮まるか、なんて、トップ層は「そんな問題を出される前に」とっくに考えています。旅行に行ったときに自分の乗ってる特急の速さなんて時速の公式教わらなくても自然に考えるし、速度の似た電車と並走しているとき相手が止まって見えるのはなぜかな、と考えだして相対速度に気づいたり、とか普通です。

比の概念も、ことさらに教えてもらわなくても、日常生活の中で「自然に」理解し身についている、それがトップ層。

では、彼我の差はどこにあるのか。

ズバリ、好奇心です。

東大生で好奇心のない無気力な同級生など皆無でした。

これは御三家トップ層もそうです。

トップ層で「勉強が嫌い」なんて人は(ほぼ)いないんです。

もちろん、ほかに何かにハマってしまってそちらを優先したい時期や、壁に当たってモチベが上がらない時期はあります、ニンゲンだもの。

でも、トップ層は基本的に好奇心が並外れて高く、かつ「脳を動かすこと」が好きで仕方ないんですよ。

残念ながら、いわゆるボリュゾでこういう子はほとんどいないです。「言われたからしぶしぶやる」「ノルマが終わったからそれでいいや」「そもそも考えることが嫌い」エトセトラ。

就職しても「言われたことを『こなす』のが仕事」だと思っているタイプ。

こういうタイプに、10年後任せられる頭脳労働が残っていると思いますか?

私は思いません。

 

子供が「どっち」なのか見極める、簡単なリトマス試験紙があります。

「未知の問題」に出会ったときに

・目を輝かせて喜び、何時間でも取り組むのか

・「これは習ってません」と言って解説を待つのか

これだけでわかります。

親の欲目で、ついつい「もうちょっと頑張らせれば『そっち側』に行けるかも」という希望的観測は捨てましょう。

 

(子供が本来持っていた好奇心を早期の塾漬けでつぶしまくってるケースも多々ありますので、もしそうならば、軌道修正で本来の姿に戻すことは可能かもしれません)

 

4)「それでも中受から降りられない」のはなぜか

 

今日は、いつにも増して厳しいことを書いている自覚はあります。

でもこれは、親御さんを責めたいからじゃないんです。

むしろ、救われて楽になってほしいから書いています。

親御さんたちが、中受から「降りられない」のはなぜでしょうか?

いったん立ち止まって考えてみませんか。

 

もし、「10年後にはこんなバカみたいな塾通いなんて無意味になっていて、『手を動かせる人』のほうが価値が高い未来になっている」とわかっていたら?

 

それでも、もしそんな未来が確実だとしても、多くの方は中受から降りられないと思います。それはなぜだかわかりますか?

 

「今、目先のマウントを取りたい」から

 

無理やりFラン(この言い方嫌いではあるんですけどね、今回はわかりやすさを優先します)に行かせても、「丸の内で社員証ピッ」みたいな仕事にはつけないことがわかっていても。

 

「中受から降りる」ことが「今の負け」に思えてしまうんじゃないでしょうか。

中受に限らず、長い目で見たらアホみたいなマウントの取り合いが蔓延しています。

住所が〇〇区だの、タワマンの階数だの、エトセトラ。

でもそれって「今だけ」の満足感でしかないですよね。

そもそも東京なんて代々の土地持ちを考えたら、「二馬力で湾岸タワマン(あるいはケーキハウス)」という生き方って、自転車操業の労働者でしかないんですよ…その中でマウント取り合っても意味がないというか…

 

目先の勝ち負けにとらわれずに俯瞰して人生を考えてみたら、それこそ「今、目先の勝ち負けにこだわって中受なんかで貴重な時間を浪費するのはもったいない」と思えるかもしれませんよ。

 

長くなってしまいましたので、

5)今後10年で人がどんどん要らなくなる業界

6)今後10年で人がもっと必要になる業界

7)真の意味で「生き残る」ためには

という3項については、また次回。

中受やってる場合じゃない:AI時代を生き抜くために(1)

「3年以上、塾漬けにしてやっとボリュゾ」の子は、中受「なんか」やってる場合じゃないんじゃないか。

とどまるところを知らないAIの進化を前に、私はそう思わざるを得ない。

それが教育現場の体感。

 

チャットGPTのすごさは、一度でも体験した人ならわかるだろう。

あれらが登場する前は、まだニンゲンは笑っていられた。

検索エンジンって割とバカだよね」と。

「PCはしょせん道具だよね」と。

 

体感として、4~5年前までは、ニンゲンの方が賢かった。

適切なキーワードを選ばないとお目当ての情報を探し出すことはできなかったし、検索結果から自分の望むものを掘り出すにも一苦労だった。

だが、「もしかして検索」が登場し、いまや利用者のPCあるいはスマホ利用状況に照らし合わせて、同じキーワードでも「何を望んでいるか」まで汲み取れるようになってきている。

 

さらに恐ろしいことに、AIはすでに

「会議の要約」までできるようになってしまった。

複数のメンバーが話していることから

・文脈を読み取り

・会議全体を振り返って、何が議題で何が結論かを読み取り

・次回までのタスクを確認

まで、ヌケ漏れなく(これ重要)きちっとやってくれる。

 

これがキチッと出来るニンゲンってどの程度の知能かというと

(私は大学をランキングで言うのは好まないが)

おそらく地方国立大学プラスGMARCH以上ではないだろうか。

 

体感として、だが。

「言われたことが実行できない」

「3年かけても、つるかめ算ができない」

子供たち。

彼らでも、ざっくり言って四谷偏差値45前後の学校に受かる。

さらに言えば、

「塾プラス家庭教師あるいは個別でなんとか四谷偏差値50~55前後の学校に受かる」

子供たち。

彼らが就活するころには、彼らはおそらくAIに負けているだろう。

 

「AI vs 教科書の読めない子供たち」という噴飯物の本がベストセラーになったのは7年前。

ちなみに私がなぜこの本を噴飯物と感じたかと言うと

・AIが「文脈」を読めるようになることはない、と断言した点

・なぜか途中から「女は差別されてきた」という話になってしまった点

などいろいろあるのだが、AIがさらに進化すると多くの人間の仕事がなくなるという点では、同意ではある。(ただし、どのような職種がなくなるかについては、著者と私の考えはかなり違うが…)

 

たった7年で、AIは「平均的なニンゲン」よりよほど正確に「文脈」をとらえるようになってしまったではないか。

 

そう考えると、今の過熱を通り越して狂気の域に入っている中学受験は、とても愚かしく思えてならないのだ。

なぜならば、「3年間塾漬けになってやっとボリュゾ」の子たちの多くが

・「文脈」を読み取れない

・そもそも勉強が嫌い

・「出された問題を解ける」ことが「頭がいい」ことだと勘違いしている

・自分で課題を見つけられない

からだ。

この子たちは、塾漬けプラス個別や家庭教師をつければ、繰り返しのトレーニングにより「パターン化された問題、つまり既知の問題を解く」ことはできるようになる。

だが、この「既知の問題を解く」ことこそ、AIの独壇場と言える。

あのスピードと正確さに、ニンゲンはかなわない。

 

経営者の立場で考えると

・言われたことしかできない(さらに、ミスをする)

・言われたこともできない

・なのに、なぜか文句が多い

ような人たちというのは、もうどんどんAIに替えていきたいというのがホンネだろう。

 

以前も書いた気がするが

「中受して少しでも良い大学に行くことを望んでいる親子」が望む仕事は

「手を汚さずに頭脳(と喋り)だけで高い金を稼げる仕事」だと感じているが

「頭脳仕事こそAIの独壇場」と考えると、

5~10年後は、彼らが望むホワイトカラーの仕事など

ほとんど残っていないと考えざるを得ない。

 

この手の話を書く人たちはポジショントークに偏るので、

やれ「医療は残る」「教職は残る」などのたまっているが、

医療・教職こそ、あっという間にAIに駆逐される職業だと思うよ私は。

 

だってさ、医者のどれだけが「最新の論文や術式や症例に知悉」してるの?

そんなヒマないんじゃない?(ゴルフする暇はあっても)

だから、どうしてもニンゲンの診断には「予断」が入る。

私は、予断や感情の入りがちな人間の医者より、むしろAIに診てほしい、とすら思うよ。だって人間の医者は「自分にはわからない、治せない」ということを認めたくない人が少なくないじゃないですか。だから「自分の知ってる症例」「自分の治せる病名」「自分が得をする症例」に落とし込んじゃう人が多いよね。たとえば、実体験で言うと、歯科医だったらすぐ抜いてインプラントにさせようとする医者とかさ。

 

これは、教職もそう。

「学校の先生」は、人間優位かもしれない。

なぜなら、公立の小中学校は、勉強ももちろん大事だけれども「人間関係」を学べる最高の場所だからさ。ここは、「人間の先生」が優位かもしれない。

でもね。

こと「学科」を教えるのは、たぶんもうAIの方が優位だよ。

医者と同じで、教師も「予断と感情」があるからさ。

目の前の子供が分数で苦労している「原因」が何か突き止められるスーパー教師なんて一握り。さらに的確な処方を編み出せる教師はさらにその数分の一。

たいていは、「自分がラクできる教え方」になっちゃうよ。

だったらさ、学科教育はもうAIでいいじゃん。AIなら、その子がどんな問題を間違えたかと言う膨大なデータをもとに、どんどん類題作ってくれるさ。

 

前にも書いたけどね、だから「AI時代でも必要とされる医者・教師」っていうのは、もう「スーパープロ」しかいないと思うんだよ。

 

AI時代に、「出された問題ならちゃんと解けます(ミスする確率30パーセント)」の人間はおそらく残念ながら企業からは必要とされなくなる。

だから「パターン問題繰り返して『AIの下位互換』になる」ような教育をしてちゃダメだ。

 

じゃあ、そんな時代に何を目指すのか、どう生きるのか。

これについてはさらに長くなりそうなので次回に書きます。

キーワードは「PCには手がない」です。