とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「机を蹴るサ〇講師」はなぜ炎上しないのか

一応伏字にしました(笑)。

 

いや~、中受の過熱凄いですね!

校舎によっては小1でもキャンセル待ちらしいですね!

 

ここで一句「そんなにいそいでどこへいく」。

 

だからなのか、ちょっと最近の塾講師って勘違いしてるな~と思う事例をしばしば耳にします。

 

筆頭が「生徒が問題を解けないと机を蹴るサピ講師」

複数の生徒からここ数年よく聞きます。

もちろん一部の講師なんでしょうけど、言語道断ですね。

「努力をしない」「約束(宿題)を破る」ことは叱っても、「能力」は叱っちゃダメじゃないですか。私はそれだけは絶対にしないと肝に銘じていますが。というか、教育者たるもの、それって一番大事な金科玉条ですよね?

 

他にもいろいろ聞きますねえ。

・出来る子だけ集め「お前らしか御三家目指せないんだから頑張れ」と発破をかける。

・一方、伸び悩む子に「お前はそろそろ下に落とすわ」と皆の前で発言。

 

サピ以外の塾でも、いろいろ耳を疑う事例があります。

・お眼鏡にかなわない答案を床に投げて拾わせる講師(「女王の教室」の見すぎだろ)

・「〇〇さんは絶対に××校には受かりません!」と数段階志望校を下げさせるので有名な某塾の某校舎長(毎年、保護者は泣いて面談室から出てくるそうです。ちなみに私の教え子は「お勧め」を無視して第一志望受験、見事受かりました)

エトセトラエトセトラ。

「昭和かよ」と言いたくなる事例を毎年信じられないくらい聞きます。

もちろん小学生の言うことですから話半分としても、それにしてもひどい。

 

令和の小学校でこれやったら即炎上ですよね。

生徒が問題解けないときに机蹴ったりテストを投げたり。

Twitterで数万回リツイートされるのが目に見えます。

「教え方が悪いんじゃないか!」と激怒のコメントと共に(苦笑)。

 

部活やスポ小でもこういうのは最近は敬遠されてるんじゃないかな。

 

で、ですね。

どうしてこういうことを講師がやっちゃうかっていうと

「自分が生徒の生殺与奪を握っている」

と勘違いしているから

なんですよね。

一方の親も子もサ〇に見放されたら困るからクレームを入れない。

塾講師も人間ですからね、テストに一喜一憂する親子たちを束ねる立場にいたら自分に力があるように勘違いしちゃうんでしょうかね。

 

これって、中受志望の大きな理由の一つである「公立中では先生の顔色見なきゃいけない」っていうのと何ら変わりないように思うんですがいかがでしょうか。

 

さらに言うと、以前にも書きましたが

たとえ私立中でも指定校推薦制度を使いたかったら公立中と同様に「先生の評価」にピリピリしないといけないですよ?実際、私立の中高一貫に通っていた私の教え子にも、副教科で謎の超低評価をされ指定校推薦が使えなくなった子がいました。提出物はきちんと出していたし欠席もゼロ、授業も真面目に受けさらに技能も人並み以上。主教科がオール5に近かったからバランスを取られた?いまだによくわかりません。(「だったら正面から受かってやれ」と励まし、一般入試で堂々と早慶上理に受かりましたが)

 

公立の先生がやったら即炎上な行為を塾講師や私立校の教師がしてもクレームしないのは謎心理ですが、まああれなんですかね、自分で選んだ相手には暴言吐かれても気にならないが、自分が選んだわけではない「公立の先生」にそういうことされると腹が立つって心理ですかね。でも、みなさんが選んだのは「塾」「学校」であって、そこに勤める講師や教師を選んだわけではないのにね。不思議だなあ。

 

こりゃダメだ

私は生徒は見切りません、絶対に。

でも、失礼ながら親御さんを見切るときがあります。

今日はそんなお話。

 

私は中学受験から大学受験、さらに社会人の方まで教えていますが

中学受験のサポートのギャラは倍もらいたくなってきましたね(笑

中受は親対応のカロリーが高すぎるから。

(念願かなって来期はほとんど中高生になったからホッとしています)

 

親御さんとの面談がすべて嫌なわけではありません。

・どうやっても、子供を潰す方向に行くのが嫌

・「不毛な話」で何十分も取られることが嫌

なんですわ。

 

ここではしばしば書いてますが、(集団塾との併用の場合)個人コーチって医者の立場だと思うんですよね。

集団塾についていけない、あるいは集団塾でやっていけない。

そういう場合、何らかの原因があるわけです。

基礎学力の欠如、発達障害的な要素、などなど。

もちろん私たち個人コーチがすべて正しいなどと言う気はないのですが、一度任せてみようと思ったなら、せめてしばらくはこちらの指示は受け入れてもらえればなあと思いますね。従え、という意味ではなく。せめて「そういう考えもありなのかな」くらいは思っていただけないかなあ。

 

たとえば、

・糖尿病なのに食事制限を守らない

・怪しげな民間医療に手を出す

・自己流を貫く

そういう患者さんには、医者も匙を投げるでしょう。

 

でも、そういうことが、こと中受業界ではザラです。

 

100人以上の生徒をマンツーマンで見てきている人間として忠告をしても

(一部の)お母さまは聞く耳持ちません。

我流を貫きます。

だったら、好きになさればいいです。

 

もう少し若い頃は、金八先生よろしく「それでは子供を潰してしまう!」と思い親御さんとも闘ったものですが、最近「もういいかな」と思い始めています。

・子供が身体的異変でSOSを出しているのに無視して受験を強要する親

・偏差値にして20前後上の学校を受験させる親

・子供の発達障害的要素には目をつぶる親

などなど、こういう方々は「絶対に」他人の忠告には聞く耳持ちません。

彼らが聞きたいのは「大丈夫です、〇〇校に受かりますよ」という言葉だけだから。

 

どれだけ言葉を尽くしても「そもそも聞く気がない人」の耳には届かない。

だったら好きにすればいい。

そういう「毒になる親」の犠牲になっている生徒のことを考えると心が痛むけれど、「親という不可侵領域的な『壁』」は、他者にはとても破れない。

被虐待児を救いたくても児相が手を出せないのと同じです。

「こんなはずでは…」にならないために

前回は、ちょっと辛辣すぎたかもしれません。

まあ、事実ではあるのですが。

 

mikoto2020.hatenablog.com

なぜ↑のような辛辣な記事を書いたかと言うと

現5年生や、はたまた現3・4年生の子供の教育虐待や親御さんのストレスを少しでも減らせればという想いからでした。

 

この界隈は、一部に教えたがりの方がいるものの、基本的にはみな「お口チャック」です。良い情報は独占したがるのが当たり前です。現に、私も生徒さんの親から「個人コーチを付けていることは誰にも言わない。ミコトを紹介しろと言われるのが目に見えているから」と面と向かって言われ、面食らうことがしばしばです(笑)。いや、そこは紹介していただけないですかねえ。。。

 

話が逸れました。

 

要は、あれです。

素人が株を始めるときに、心理状態がすごく似ているんですよ。

 

誰もが「自分だけはうまくやれる」と思っている。

 

世の中、株で素寒貧になった人間のほうが多いのに「これから始める人」はみな「自分だけは『億り人』になれる」と思っている(註:安倍政権相場では多くの個人投資家が億稼ぎ、その人たちを「億り人」と呼ぶらしい)。

 

恋愛や結婚とも似ていますね。

だめんずに騙された女性のエピソードを読んでも「自分はそんなだめんずにはひっかからない」と思う。

 

中受も一緒です。

なぜか、始めるときに「わが子のダメなところ」は受験を経験したら改善して望みうる最高の結果が出ると夢見てしまう人が多いのです。

これは、ギョーカイの闇も大いに絡んでいます。

中受業界は、ほとんど証券会社の営業と変わんないです。

「あなただけはもうかる=いい学校に行ける」

「今始めないと間に合わない」

と煽るわけです。

二月の勝者の黒木なんてまさにこれですね。

 

何度も書いていますが、中学受験は

・ずば抜けた才能で浮きこぼれている子

・超富裕層

以外が気軽に手を出すと弊害の方が大きいゲームだと思っています。

なぜなら、多くの「普通の子」にとって中受の受験勉強はまったくと言っていいほど意味がないからです。

中受は算数の比重が非常に大きいわけですが、受験しなくても公立中学で代数を習えば普通に解けるようになる問題をアクロバティックに解いたり、オームの法則をやらずに発熱量の計算をするのなんかは、本末転倒すぎるわけです。

そういうアクロバティックな「中受算数」を3年間やり続けてきた子が、中学高校であっという間に「数学が苦手」になっていくのは一見不思議ですが、よく考えたら当たり前です。

なぜか。

進学塾では「考える時間」を与えないからです。

比や速さといった新しい概念すら導入は5分、そのあと延々問題を解かされる。

一問に3分以上かけることは許されない。

一部の天才を除いて、そんなやり方で思考力がつくわけないじゃないですか。

 

mazmot.hatenablog.com

こちらの方のブログがまさに我が意を得たり、でした。

中受算数がいかに無駄か、は長くなるのでいずれ別記事で書きます。

 

繰り返します。

ギョーカイは「今やらないと間に合いませんよ?」と煽り、マーケットに呼び込みます。株屋は、株が上がっても下がってもいい、株式市場が閑散とするのが一番困るのとまったく一緒です。

 

これから受験沼に漕ぎ出そうとされている親御さん方へ。

自分だけはうまく我が子を導いて良い結果にたどり着く、と思うのは危険です。

現6年生ブログなどを見ていて「うちはああはならないわ」と鼻で笑う方ほど、一年後には同じ轍を踏まれていることが多いです、経験上。

よそに起きることは我が家にも起きる。

計画は半分どころか三分の一実現できれば御の字。

そう考えましょう。

受験が終わるその日まで。

 

自分のことですら計画通りには絶対運ばないのですから、ましてや相手が小学生では計画通りに運ぶことを「100点」だと考えると、計画通りにいかないことに数年間ストレスを感じ続け、そしてそのストレスが子供を潰すことになりますから。

そういう「ハンドルの遊び」を持っていることが、10歳前後の子を、必ずしも必要ではない中学受験をさせる大人としてのい最低限の責任だと思っています。

「こんなはずじゃなかった」となる理由は○○です

新年あけましておめでとうございます、という言葉を書くのもお恥ずかしいくらい間が空いてしまいました(^^;

 

本番が近づき多忙だったこともあるんですが、本番が近づくにつれ「中学受験、ここがおかしい」という想いがふつふつと沸き、かえってブログが書けないでいました。

 

今日は、「こんな受験になるはずじゃなかった」について書きます。

 

毎年、秋も深まるあたりから「こんなはずじゃなかった」という親御さんの愚痴を聞くことがおおいです。

 

「○○校目指してたのに、まさかそこから偏差値20下の学校になるなんて」

「4年のときはαだったのに」

「わが子が最後まで本気出さないとは思っていなかった」

エトセトラエトセトラ。

 

ええと。

ゴーマンかましてよかですか

なんでそんなにうまく「あなたの思う通りに」行くと思ってたんですか!?

我々講師から見たら、すべて「想定内」の出来事です。

長年やってると、子供を見た瞬間にある程度ポテンシャルはわかります。

あ、誤解のないように申し上げておきますが、このポテンシャルというのは人生のスパンではないです。「12歳までに」「15歳までに」「18歳までに」それぞれどれくらい伸びる子だろうなあ、というのがわかるという意味です。

つまり、先行逃げ切りタイプか、先行するけど伸び悩むタイプか、完全な後伸びタイプか、という意味ですね。

 

中受で言えば「12歳までの『伸びしろ』」が問題になるのでしょうが、それは

・現時点での語彙力

・現時点での数学的論理力

・好奇心

・克己心

・生真面目さ

で、ほぼ決まります。

前2つは学力ですが、これが低くても後3つでくつがえす子もいます。

それらも含めて、我々講師は「ああ、12歳時点で勝負するなら○○だろうな」というのは「見える」わけです。

これは、低く見積もるわけではありません。

何度もこのブログで書いていますように、サピや四谷や日能研の「データ」ではボロクソ言われてる子でも「ああ、○○受かりますよ」と思う子は受かってきましたので。

そのあたりまで「見える」ということです。

 

で、ですね。

年初のブログから厳しいことを書きますが。

 

「こんなはずじゃなかった」と思う方は

「こうなるはずだと思った自分」を恥じていただきたい。

 

冷静に見れば、わかるわけです。

12歳でその子がどういう感じになっているか、想像がついたはずです。

懸念材料はたくさんあったはずです。

・人の話を聞かない

・他人にも心があることをわかっていない

・欲望が我慢できない(ネット中毒など)

・どうも、数のセンスがないっぽい

・語彙がない

・科学的事象に興味がない

・ニュースに興味がない

エトセトラエトセトラ。

 

「こうなるはず」というのは、我が子が心を改めて奇跡的に最高のパフォーマンスを見せた場合の「ベストな場合の予想」だったんじゃないですかね。

それじゃあ、旧日本軍です(^^;

シミュレーションは、良い場合悪い場合両方考えないと。

あと、我が子の「アチャーな資質」が変わると思わないこと。

中高生にもなると本人にとっても将来が見えてきますので「あ、このままだと俺/私ヤバいかも」と思い始めますが、小学生でわかるわけがない(一部の聡い子除く)。

 

話を戻します。

なぜ多くの親御さんが秋~冬にかけて「こんなはずじゃなかった」と思うのか。

それはズバリ「自分だけはうまくやれる」と思っていたからです。

自分だけは、人を出し抜いて得ができると思っていたからです。

百歩譲って、人を出し抜こうと考えているのが「本人」ならたしかに他人を出し抜けることはあるでしょう。

でも、中学受験は親御さんがするわけじゃないですよね。

 

自分だけは賢く情報を取捨選択して人を出し抜ける、と考えている親御さんは基本的に人の話を聞きません。

「良い話」しか聞きたくないからです。

具体的に言うと、

・「○○校も視野に入れてはどうですか」→まったく聞かない

・「自閉的傾向が国語の伸びを阻害しているので、そこから考えては」→まったく聞かない

エトセトラエトセトラ。

「賢く情報をファクトチェック」ではなく

「自分の描いた筋書きに都合の良い情報」を取捨選択されてきたわけです。

周囲の助言は「こうなるはず」という親の思いに邪魔だから無視するわけです。

だからこそ、土壇場になって「こんなはずじゃなかった」になるわけですね。

 

タイトルの○○は何かというと。

「自分だけはうまくやれると思った心」であり

「人を出し抜けると思った心」なんだと思っています。

 

よく言われてるじゃないですか、詐欺に引っかかるのは「私だけは詐欺なんかには引っ掛からない」と思いこんでいる人だって。

 

自分だけはうまくやれる、と思う前に、「素」の子供さんをちゃんと見てあげていただけたらな、と思う今日この頃です。

 

蛇足ながら。

10~11歳時点で極端に語彙が少ない子は、本人が外界に興味がないタイプのためか、あるいは失礼ながらご家庭の責任ですね。

語彙が極端に少ないということは社会で生きていくときにかなりヤバいわけで、中高生なら私と出会ったことでそのヤバさに気づき激変した子もいます。でも、小学生は難しいですね。なぜなら彼らの「社会」は非常に狭いので。私がどれほど「中受するしないにかかわらず『鼻が高い』という言い回しを12歳で知らないのはやばいよ」と力説しても、彼らはそのヤバさに気づきません。なぜなら、彼らの社会は「家庭」がほとんどだからです。家庭でそういう言い回しをされていなければ、彼らにとっては慣用句や言い回しなど「暗記させられる小難しい表現」でしかないでしょう。

 

さらに蛇足ながら。

何度も書いてますが、低学年から先取りさせていた親が

「4年/5年のときはαだったのに」

え、それ当たり前です。

6年で頭角を現す、あるいは6年から受験勉強始める子はたくさんいます。

競馬で言えば「サシ馬」です。

その存在を考えず、先取りだけで点数取ってても後から抜かれるの当たり前ですよね。

 

「『かわいそう』と言うな」と言うな

ドラマ「二月の勝者」が終わり、ちょっとホッとしています。

このドラマは原作と同じく「『中学受験は素晴らしい』一色」だったからです。

たかがドラマに…と思われると思います。

たとえば野球漫画や野球ドラマで「球界の闇」は描かないでしょう。

エンターテインメントとはそういうものだと理解はしています。

でも、子供が題材の場合は別です。

中学受験の実態は、断じてあんな爽やかスポーツ漫画みたいなものではない。

凄まじい親子バトルがあり、子供を教育虐待する親も多く、競争に負けた子供が小学校で「さらに下」をイビって憂さ晴らしすることも多々ある。

 

などとモヤモヤしていましたが、端的にズバリ書いてくださっているブログがあったのでご紹介させていただきます。

wagahaiblog.hatenablog.com

 

そうなんです。

「主人公が闘う」漫画やアニメやドラマなら構わない。

「大人が子供を闘わせる」構図に、モヤモヤするわけです。

 

たしかに、トップ層にとっては受験はスポーツとまったく一緒です。

「得意技」が勉強だっただけです。

それで競って何が悪い。何も悪くありません。胸を張って競争したらいい。

 

あるいは、トップ層ではなくとも「勉強・学問が好き」なら構わない。

好きなことには、結果は二の次でのめりこんだらいい。

 

問題は、勉強が好きでもなく得意でもない層。

この層が、たまたま東京に住んでいて周りはみんな塾に行っているからと「うっかり」塾に行きだすと悲劇。

「二月の勝者」では「中受をするのは上位20パーセント」と言っていましたが、あれは大嘘つきのコンコンチキってやつです。

「夕暮れ」が読めない、「従順」の意味がわからない。

「はじき」を使わないと速さが出せない。

「地動説」が何かわからない。

そのレベルでも、中受はします。そして、ぶっちゃけた話、Y偏差値40前後の学校ならそれでも受かります。

私立に受かる子は小学校のカラーテストは満点、なんていうのも大嘘です。

 

この層は、基本的に勉強が大嫌いです。

こういう子に進学塾が何を教えているかと言うと。

「理解」させることは放棄し公式を丸暗記させ、テクニックのみで問題を解かせます。

それで得るものは何なんだろう。

 

以前も書きましたが、1年以上通塾して下位クラスだった場合、残念ながら「中学受験」はその子の「得意技」ではなかったということです。

それでも本人が勉強を好きならともかく、嫌いなら「いったん」引くのが吉です。

何度も書きますが、中学受験は「異常」と言っていいほど過熱しています。

長くなるので次回以降に書くつもりですが、最近の入試問題はひどい。

高校入試・大学入試レベルの問題が平気で出題されている。

オリオン座も月食も見たこともない子たちに惑星の逆行やコリオリの力を「机上で」解かせることに何の意味があるんだろう。それも、こう言ったらなんですが御三家ならともかく、いまや中堅レベルがそういう出題をしています。

それらを運よく解けた子も、「理解」はまったくしていないと思いますよ。

最近流行りっぽいのがPhですね。

小学生に対数グラフを出すのはやりすぎではないですか。

 

そういう「異常」な中学受験をせずとも、心身ともに成長すれば十分都立高受験には太刀打ちできます。

 

話を戻します。

「二月の勝者」の中にも「『小学生にあんなに勉強をさせてかわいそう』と言うな」というくだりがありましたが、それは上述したように

・本人が勉強を好き

・トップ層

の場合にのみ言えることです。

勉強が嫌いなうえに超苦手な小学生に、「いまはまだ必要でないレベル」の勉強をゴリゴリさせ、勉強漬けにすることに対しては私は「かわいそう」と言います。

本人が勉強を嫌で嫌で仕方ない、だから塾でも下位、なのに親はなんとかしようと私どものような個別コーチを付けたり、塾で補習をさせたり、ひたすら勉強漬けにさせます。分数の割り算ができない子、流水算でそもそも「静水時」の意味が分からない子、そういう子に塾で5時間勉強したあとに個別を2時間つける。休日がない。私は、それは「かわいそう」だとはっきり申し上げたい。

 

私は、この世で一番かけがえのないものは「時間」だと考えています。

子猫や子犬に「早く大きくなれ!」と、小さな口に食べ物を押し込むのが「おかしなこと」だとはわかるはずなのに、なぜ子供にはそれをしてしまうのか。

「子供のうち」しかできないことはたくさんあります。

これを読んでいるみなさんも、「子供のときに読んだから・見たからこそ感動した本や映画」は多数あるのではないですか?

子供だったからこそできた、友人との遊び、そして諍い。

ダンゴムシを集めること、空を見上げること、エトセトラ。

勉強が嫌いで苦手な子にゴリゴリと勉強を押し付けている親は、その時間を奪っているんだと感じます。

 

中学受験のあの狂気を過ぎた親が憑き物が落ちたように諦めているのも、子供からしたら裏切りに感じると思います。

中学受験レベルまでなら親がわかるからゴリゴリやってきて、受験を経て「やっと」自分の子供の実力を悟り、そして諦める。

たしかに、中受に「失敗(この言い方大嫌いですが)」してリベンジとばかりに高校受験や大学受験まで口うるさく言い続ける親もそれはそれでどうかと思いますが、我が子の可能性を信じ、自分がエネルギーを注ぐことをいとわない点「だけ」は親として素晴らしいともいえるでしょう。

個人的には、中受の結果が出るまでは「現実から逃避し」「10~12歳の子供を」ゴリゴリ勉強に縛り付け、結果が出て初めて我が子の実力を悟り、あとは放置の親が一番まずいと思いますね。

中受の結果を待たずとも、1年通塾させて様子を見れば、本当は我が子のレベルはわかっているはず。でも、諦めきれないんですよね。なんでわからないんですかね、1年通塾した時点で。ていうか、ほんとはわかってますよね、我が子の実力。でも諦めきれないから、未練で6年の2月までゴリゴリやるんですよね。

「親が諦める」ために、二度と戻ってこない小学生時代、子供に「つきあわせる」のはなんか違うんじゃないですか。

そこまで子供を追い詰めるなら、最後まで付き合うべきです。

 

1年以上通塾して

・逆算ができない

・語彙力が圧倒的に足りない

場合は、「いったん」中受からは引いた方が良いと思います。

 

中受で勉強ゴリ押しすると

・勉強が嫌いになる

・思考力が育たなくなる

というデメリットがありますから。

 

まあ、こういうことを考えていると、本当に東京は子育てに向いていないなあと感じますね。「東京都心」にいる限り、中受は無視できない。仮に親御さんが「我が子は小学生のうちは子供らしくドロケーとか木登りとかして友達と遊んでほしい」と思っていても、周りがみんなやってるわけですから。

巻き込まれていきますよね。

でも、はっきり言っていいですか。

中受で、何年間も通塾させて、さらに個別もつけてそれでもY偏差値40前後の場合、「小学校の間は普通に遊んでいたけど中学で本気出した勢」に抜かれていきますよ。

「中学受験はそれだけではない!『環境買い』だ!」という声があるのも知っています。でも、都内の公立中って別に荒れていないことの方が多いと思いますけど。

 

以前の記事でも書きましたが、「東京で育つこと」ってメリットよりもデメリットのほうが大きい気がしています。

多くの親御さんが中受に過熱するのって「二月の勝者」の武田くん親のように、学歴さえ手に入れれば強いという誤解に起因すると思うんですよね。でも、東京都心に住んで気が付くのは、ぶっちゃけ「東大行っても、富裕層の暮らしが手に入るわけではない」ということです。せいぜい、5~8千万のマンション。だって、「雇われ」ですから。

サラリーマンである以上、大差ないっす。

 

先日話題になった「大東亜以下」云々の話のように、たしかに学歴フィルタはありますが、逆に言うとサラリーマンである以上、ほんと大差ないです。

「東京」って本当に魔物だなあ。

 

私は一周回って、むしろこういう暮らしに憧れていますが。

www.youtube.com

 

 

「発達障害は偏差値で埋めればいい!」は危険

おかげさまで、11月に新年度予約が次々と入り早くも2022年は満了になりました。

来年は無茶振りな中受案件がなく、望み通り中高校生指導に戻ったのでホッとしているところです。

 

今日は、以前からずっと引っ掛かっていたことを書きます。

 

近年、とみに増えている依頼があります。

それは「どうも発達障害っぽいけど、その分小学校低学年からサピに入れるのでサポートをお願いしたい」という案件です。

すべてお断りしています。

発達障害のお子さんの指導が嫌だからではございません。

発達障害を「偏差値で埋める」という考え方に賛同できないからです。

 

実際、診断の出ている子、グレーな子、これまで多々指導してきました。

結果はおおむね良好です。

発達障害の傾向のある生徒さんの指導は通常の3倍以上大変ですが、それだけに彼らが「脱皮」して成長するのは感激もひとしおでした。

ただ、それには条件があります。

・親御さんが、子供が発達障害の傾向があることを受容している

・あるいは、すでに診断済み

・偏差値の上昇を最優先としない

・全面的に任せていただける

こういう場合は予後が良かったです。

発達障害の傾向があったとは思えないほど成長した生徒も多くいます。

 

発達障害と言っても千差万別ですし私も独学でしかありませんが、私の受けてきたケースは大きく2つに大別されます。

・地頭は悪くないが「外界」に興味がないために語彙が著しく低く、読解力がないことで他教科もダメなパターン

・いわゆる「ケーキが三等分できない」パターン

前者は、まず「世界が閉じている=他人に興味がない」ことを自覚させることで好転することが多かったです。

後者は、地道に教えることで、分数の割り算もできなかったのに、「ルートとは何か」が理解でき人に教えられるほどになった子がいました。

 

いずれにしても、親御さんが「本人比で成長すれば良い」とお考えで、かつ私を信頼して任せてくださり、「テストの点数よりも日常生活優先」にご協力くださいました。

 

でも、実際の中学受験界隈では、こうしたケースは稀です。

「この子は人とコミュニケーションがとれない分、せめて学力はつけないと」

ならまだしも

「有名中に入ればママ友を見返せる」

「有名中→有名大に行けば自立できる(良い生活ができる)はず」

という間違った認識や歪んだコンプレックスから子供に中学受験を強要しているケースが後を絶ちません。

これはどう贔屓目に見ても教育虐待です。

 

元ビジネスマンであり部下を多く持っていた立場からはっきり申し上げますと「人と意思伝達がうまくできなくても学力で埋め合わせられる」のは非常にレアケースです。

なぜなら、偏差値で計れる学力は「企画力」ではないからです。

エジソンやスティージョブズの例を引き合いに出されることもありますが、彼らは偏差値で発達障害を埋め合わせたのではありません。たぐいまれな企画力・創造力があったから、周りを振り回し疲弊させヘタをしたら部下を潰すような真似をしても(一応)なんとかなったのです。

 

発達障害的傾向から目を背け、ごり押しで中学受験に邁進させられた子たちの中には中学についていけずに、あるいはそれまで目をそらしてきた人間関係に直面し、ドロップアウトしてフリースクールに行くケースも少なくありません。

 

そこまで極端ではなくとも、低学年から進学塾に入れてるのにまったく伸びない場合は、学力以外の部分に問題が潜んでいることが多いです。注意力散漫や、他人の話に興味がなく聞いていないケースです。診断が下りるほどの発達障害ではないけれども、塾についていけず中学受験に向いていない子たちが毎日親からドヤされ10~12歳で連日3時間以上勉強させられているのを見ると「今すぐこのジェットコースターから降りたほうがいい。本人が心身ともに成長してからの高校受験や大学受験で十分間に合う」と説得したくなります。でも、ジェットコースターですからね。渦中で降りることなど考えられなくなったご家庭はそのまま突っ走ります。

 

「二月の勝者」を手放しで認められない理由は、決して少なくない(むしろ多い)中学受験のこうした闇の部分を一切書かず、「親にとって気持ちの良いストーリー」になってきたからだなあ、と気づきました。美談のように描かれていることで、教育虐待スレスレの親御さんがあの漫画を読み自分は間違っていないと考えるリスクが増えているのを感じるのは私だけでしょうか。

 

(12/8追記)

「二月の勝者」の中で、受験勉強を頑張るのもスポ小を頑張るのも同じ、なのになぜ勉強は認めてもらえないのか、というくだりがありました。ですが、いまやスポ小や中学の部活では「根性論」「血反吐吐くまでやれ」という教え方は鳴りを潜めています。そんなことをやったら現代では炎上必至です。

でも、中学受験においては、その炎上必至な根性論が「周回遅れ」で各所で繰り広げられていますよね。某最大手塾では問題を解けないと講師が机を蹴るそうですが、それって公立の小学校や中学校であったら即炎上ですよね。(この問題は根が深いので別記事でまた書きますが)

(以上追記)

 

「苦しかったけどやって良かったよね!」などと言っていいのは本人だけです。

「二月の勝者」を子供に読ませたら、上位の子は楽しんで読むでしょうが、下位の子は「大人に都合の良いストーリー」に辟易するのではないでしょうか。

「『二月の勝者』はゴールがたくさんあるからいい」という誤解~結局ゴールはひとつ

以前、こんな記事を見ました。

「東大一辺倒の『ドラゴン桜』に比べて、『二月の勝者』は子供の数だけゴールがあるからいい」というものでした。

 

私は、残念ながらそれは違うと思います。

 

「二月の勝者」は結局、御三家、いえ開成&桜蔭をベストゴールとする序列の物語になってしまったと思います。

 

今日放映された回では、島津順くんメインの回だったので見過ごされた方も多いと思いますが、野球少年の伊達くんの父兄面接で、黒木は塾講師が越えてはいけない一線を越えたと感じました。

それは、伊達くんが熱望している野球強豪校から志望を変えさせたときの説得法です。

「強豪校に行っても万年補欠。それならこちらで楽しく野球をやれば~」というような説得でした。まあ、慰めのつもりなのでしょうけれども。

たしかに伊達くんは第一志望の熱望校には学力が足りない。だったら、率直に「今のままでは合格は厳しい」と言えばよいのです。それでも、伊達くんはその学校を受けたいかもしれない。受けたいなら受ければいい。次に伊達くんが上げた第二志望の野球強豪校は逆に偏差値が低すぎたので「もったいない」と上記の説得になったわけですが、「物差しが偏差値だけ」になってませんかね?

 

 

あのですね。

我々講師が口にしていいのは「学力にかかわることだけ」です。

我々は「勉強の専門家」だからです。

「お前は頑張っても所詮補欠だよ」と、塾講師が言う資格はありません。

過去記事でも書きましたが、「たとえ万年補欠でも、そこに入れるだけでいい」という人間はたくさんいるんです。何を勝手に黒木が決めているのか。

だったら花恋は桜蔭で「学力の万年補欠」になるんじゃないんですか?(苦笑)

非常に強い違和感を覚えました。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

思い起こせば、初回に出てきた三浦くんもそうでしたね。

「お前はたいしたサッカー選手にはなれない、だから勉強しろ」

それを言っていいのは、親だけです。

選手になれなかったら、選手を目指すことは無駄ですか?

だったら、勉強だって東大に入れなかったら全員無駄じゃないんですか?

(東大がゴールだと仮定して、ですが)

 

たしかに、塾が志望校について私見を言うことはあります。

塾は、学力ある子に偏差値高い学校にシフトすることを強くお勧めするようですね。

でもその場合も、学力に絞ったお勧めしかしていないはずです。

「それだけの学力があったらもったいない」というヤツです。

個人講師の場合は人それぞれだと思いますが、私の場合は、ご家庭から相談されない限り基本的にアドバイスはしません。

「この子はもっと上狙えるな」と思っていても、塾とは違って自分の実績作りのために高めを受けさせることは絶対にしません。

唯一アドバイスをするのは、親の志望が高すぎて子供が潰れかけているときです。

 

子供が好きでやってることを「お前はそこでは大成できない、だから勉強しろ」なんていうのは言語道断です。「この子は〇〇では凡人だが、勉強なら東大入れる」なら「勉強も面白いよ!」とは言うでしょうが、人生で何をやりたいかなんていうのは本人が決めること。

いや、ほんと黒木はとっくに塾講師の踏み込んでいい閾値超えてますって(笑)。

 

「若い時に何かに本気で夢中になって、その道のプロを目指す」ことは、それだけでプライスレスな価値があります。何かを夢中で目指せない子供のほうが多いからです。私の教え子にも、俳優を目指している子、漫画家を目指している子、いろいろいます。その子達に向かって「プロは無理だから勉強しよう」と言う資格が誰にあるんでしょうか?

もしあるとすれば、それは「勉強のプロ」ではなくて、その習い事の師匠なんじゃないでしょうか。たとえば、バレエの先生が教え子を見て「この子はプロにはなれないな」と思ったら、それを早めに伝えてあげるのは愛情といえるかもしれません。それが許されるのは、その先生が「バレエの専門家だから」です。黒木は「勉強の専門家」でしかありません。本人が本気でやっていることを辞めさせる資格はありません。

 

それと、作中の三浦くんほかは、おそらく先で黒木を恨むと思いますよ(笑)。

若い時に本気で目指したことを、実際にプロテストに落ちたとか天才を間近で見て自分で限界を感じたとかそういう理由ではなく、「趣味をやめさせて勉強をさせたい大人」が「君には才能がない」と言って方向転換させることは、確実に禍根を残します。

そもそも、大人の黒木が11歳の子をリフティングで負かして「才能ない」と言い切るのもどうなんだろう。

 

「ゴールがたくさんある」のウソは、ほかにも多々あります。

 

武田くん。課金ゲーだと親を焚きつけて嫌がる子供を合宿に行かせた武田くん、結局志望校「下げて」ますよね。ゴールポスト動かしましたよね。

 

「集団のトップでこそ輝く」なら、花恋の行くべき学校は桜蔭ではない。

 

今スピリッツで連載中の「前受け受験校」についてはなおさらです。

(ここからゆるくネタバレ入りますので、単行本派の方はブラウザバック推奨です)

 

 

埼玉・千葉受験を「前受け」と言い切るのは、あまりにも「東京在住者の視点でしかない」のではないでしょうか。桜花の子たちは、浦和明の星・渋幕・栄東・開智・大宮開成に受かっても行く気はゼロでしょう。作中での扱いも「お試し」「模試」「受験慣れ」という扱いです。

たしかに、それは現実として存在します。

でも、埼玉や千葉の子たちにとっては違います。

あれを無意識に描いてしまっているのだとしたら、私は周りに誰も止める人がいなかったのかとちょっと怖くなります。

全国誌で埼玉・千葉受験は東京の『前受け』と言い切ることのマズさ」が頭に浮かばなかったというのは、関係者全員東京在住だからだと感じます。

 

順くんの、愛知・海陽特待生受験も、いろいろまずい。

まあ、「特待生」であって「奨学生」ではないのでセーフなのかなあ。

でも、やたら感動話になってましたが「順は『二月の勝者』を目指していたのよね」というのもモヤりポイント。二月受験、すなわち東京の覇者が真の勝者という価値観が透けて見えます。

今日のドラマでは、「一番になりたい!だから開成!」と言ってましたが、灘と筑駒忘れてるのかなあ(苦笑)。

ついでに言うと、順くんって開成に「行きたい」とはたしか一度も言ってない。

腕試しに「受けたい」だけなんだよね。

 

いかんいかん、つい熱くなってしまいました。

「二月の勝者」自体を云々言いたいわけではないのです(汗)。

作家さんがどういう価値観で描こうとそれは作家さんの自由ですから。

 

でも、タイトルに書いた通り「『二月の勝者』はゴールが子供の数だけあるからいい」というのは真っ赤なウソであり、そういう風にあの作品をバイブル視することは危険だと思っています。

なぜなら、あの作品の中で「多様なゴール」に見えているのは「学力が足りなくてゴールが変わっただけ」だからです。埼玉・千葉を練習台として描いているのも、三浦くんを「サッカーでは凡人」と言い受験に引き込んだのも、伊達くんに強豪校を諦めさせたのも、武田くんが結局日大附属諦めたのも、結局エトセトラ、描かれているのは「偏差値による中学校の序列化」です。偏差値あったらみんな開成桜蔭目指すでしょう。

 

ドラゴン桜はゴールが東大ひとつなのが視野狭窄、価値観が古い」というのは誤解もいいところです。むしろ逆です。桜木が「東大しかダメだ!」というのは、何も早稲田や慶應、他の大学を蔑視しているからではありません(桜木は東大出ていませんし)。

これまた過去記事でも書きましたが、あの漫画の中での「東大」=「甲子園優勝」なんですよ。「ドラゴン桜」はスポ根なんです。

だからこそ、たしか20巻で桜木以外の専科の先生方が「早稲田なら受かりそうだから路線変更しては」と言い出したとき「それは生徒の信頼を裏切ることだ」と桜木は認めなかったわけです。

 

「二月の勝者」は無意識のヒエラルキーの物語です。

ゴールは複数はありません、ただ一つ「偏差値」です。

面白い漫画だとは思いますが、タイトルに「東京の」とつけて欲しい(笑)。