とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

雑記:少子化が問題に思えないんだが

異次元の少子化対策で大増税になるかも、らしいですがそもそも昔から私は少子化の何が問題なのかさっぱり理解できないでいる。

先進国はどこも多かれ少なかれ少子化

経済はバランスが取れていればそれでよいと思える。

人間の寿命自体が伸びているので「20代の若者がいないと!」とイメージで語るより、「生涯現役」ができる人が世の中を支えていくスタイルにソフトランディングすれば大丈夫に思える(もちろん私も体がもつ限り働き納税するつもりでいる)

 

やれ労働人口が、一人で〇人の老人を支えるとかの理論は辟易している。なぜなら、子供もまた23~24歳までは「無産」であり我ら納税世代が「支える相手」なことには変わりない。しかも、昔はなかった出産一時金だの医療費無料だの、はては高校無償化まで。塾代を自治体が援助するところまで出てきている。それでもまだ「足りない!」の声が喧しい。

でも、私は金銭的援助ではもはや子供は増えないと感じている(注:個人の感想です)。

子供が増えない理由は「子供を欲しいと思う人が減った」に尽きる気がしている。金銭的に余裕が相当あるご夫妻でも「一人で十分」と言う人は多い。(そこからパーフェクトベビー願望で教育虐待まがいに繋がっていっちゃったりするんだが、それはまた別の話)

この辺については、先進国では「娯楽」が多すぎるためにしかたがないことだと感じている。一人産んだら数年間は身動き取れないわけだからさ。

 

問題は、ここから。

子供がいないと「無産」と罵る人たちがいるようだ。

子供が苦手という人を人でなし扱いし、「日本は子連れに冷たい!」「日本は子育てがしにくい!」と声高に叫ぶ人たちも最近目立つ。

これに関しては、はっきり異を唱えたい。

子連れに冷たいのではなく、躾けが出来ていない子供をTPOわきまえず連れ出したあげく両親ともにスマホばっか見ていて騒がせっぱなしの「だめな親」に怒っている人は多いと思うが、子供自身にヘイトを向けている人は少ないのではないだろうか。

ぶっちゃけ、ウチの上の階も毎晩凄まじく、毎晩決まった時間になると一時間ほど子供が床を踏み鳴らす(22~23時)。なんでそれで高層階に住もうと思ったんだろう。その子供自身には腹は立たない。だが、「人の迷惑をまったく考えない親」には猛烈に腹が立つ。ちなみに、その子はマンションのロビーで自転車を乗り回したりしているが親はそばにいても全く注意しない。(ちなみにウチは「そういう民度」のマンションではまったくありません。ほとんどの住民はTPOをわきまえているし躾けもできている)

 

つまり「子連れに冷たい」のではなく「子供を錦の御旗に好き勝手する親が」「躾もできない親が」嫌われているだけで、子供自体が嫌われているわけではないんだけど、ダメな親ほどここを混同して相手を罵倒するわけだ。

 

そもそもですね、親の多くが「育児は勘弁」「仕事のほうがずっと楽」と言って薄給の保育士にトイレトレから何からすべて押し付けているのを見ても、子供がいる人が必ずしも「子供が好き」というわけではないのは自明。

子供を一番邪魔者扱いしているのは当の親だし、子供にひどいことをするのも統計上「親」がトップだ。

私自身は「子供」は好きな方だと思う。

虐待事件には血が沸騰するくらい腹が立つ。

教育虐待も、同じくらい許せない。と思うくらいには、「子供」が好きである。

でも、「よそのおじさんおばさん」がルール違反の子供を叱ったら「事案」になる昨今、「子供は地域で育てるもの」と言われても空疎なたわごとにしか思えないですね。

 

「自分が邪魔に思っているもの(子供)」を他人が邪魔に思ったら糾弾するという一部の(でも最近かなり多い)親が私には不思議です。自分が大事にしていないものを他人が大事にするべきだとなんで思えるんだろう。

自分はスマホばっかり見て遠ざけている存在(子供)を、自分がスマホに熱中する間は社会(周りの大人)が面倒みるべきだとなんで思えるんだろう。

「子供は未来の宝だ」と言われても、教育現場にいる人間からすると「ニートになる率高いのになあ」と感じてしまうし、成人した大人の全員が善人ではないのでね。

 

某S学園で、床に寝そべった問題児くんを教師が廊下に出したらモンペに怒鳴り込まれて教師が辞めさせられた事件がありましたね。モンペの増加は、明らかに!直接的に!教師や保育士を減少させています。

 

モンペに関しては、「恥を感じない親」が増えたのが一因かな。

 

また項を改めて書きたいと思っているネタですが、私は子供が成長するときに「恥の意識」ほど成長を後押しするものはないとすら思っています。誤解のないように念を押しますが「人として恥ずかしい」の「恥」です。容姿や能力なんてどうでもいいです。

小6にもなって、幼児のような行動(寝そべる、ふんぞり返る、あいさつひとつできない、他人の目の前で親に「命令」する、他人の前で下着に手を入れる、エトセトラ)あるいは、ズルをして人を陥れて自分が得をしようという行動は「人として恥ずかしいこと」だと思うんですが、最近の親御さんは全然そう感じないようですね。

昔の親はそういうときすぐ子供を窘めつつ「ほんとお恥ずかしいところを見せてしまって…」と言ったものですが、親がそういうのを恥ずかしいと思ってないんだからしょうがないね。世も末。

教育者が立場をかさに着て「嗜虐心から子供に恥をかかせる」のはもちろん言語道断ですが、「お前、その行動は人として恥ずかしくないか?」という説諭は一番子供に刺さると思うんですけれどね。それをするとまず子供が「恥をかかされた!」と親にチクリ、丸のみした親が学校に怒鳴り込むわけですから世も末ということです。

 

それもこれも、「少子化の解決こそ最優先!」という間違った命題が遠因な気がするんですがいかがでしょうか。

高橋洋一氏も指摘されていましたが、あんなにも政府と行政が少子化少子化言うのって少子化対策」と言えば予算がいくらでもぶんどれるからではないかなと邪推したりしています。

同様に、少子化がさも大問題のように喧伝されるせいで「躾とかしなくても子供は宝!」と誤解させている面も多いのでは。

 

それとね、女同士がマウント取り合って争うのもたいがいにしたらいいと思ってる。

母親の中には我が子を可愛いと思えない人も少なくなくて、そういう人は「女に『母性』を押し付けるな!」と怒る。でもその一方で「子供を『無条件に』かわいいと思えない独身女はクズ!」と言う(苦笑)。ダブスタの極み。自分が母性を押し付けられると怒るのに、「よその女」には母性(というより自分の子への愛情)を要求するのってどうなのかな。

 

子供は普通に好きです。

そして、子供への虐待・犯罪は絶対に許せない。

でも同時に

最低限の躾をせず、周囲や社会に「配慮」ばかり求める親

教育虐待する親

は苦手(自主規制しました・苦笑)です。