とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

お前が言うな

一年近く空いてしまいました。

その間も、見に来てくださったりコメントをくださったりした皆様、ありがとうございます&すみません。

やっとほぼすべての教え子たちも第一志望に合格し、今年の受験も一段落したので、またちょいちょい書いていこうと思います。

 

そんな超久々のエントリーのタイトルがまた過激になってしまいましたが。。。

実は、これを書こうと思いつつ、どう書いたら伝わるかなあなどと考えているうちに気が付いたら一年経っていたという状況です。

 

お前が言うな。

誰が、何を?

その前に、以下の引用をお読みいただきたく。

 

子供というものは変なところに関心をもっているはずなんですが、いまは学校が、その関心をみんな切り捨てさせてしまっています。試験の問題になりやすいことに興味をもって、うまく解けたことに満足感を覚えるような子供は成績もどんどんよくなります。

(中略)

いまの教育で問題なのは、学校制度が大学に入るためにあるということです。なにをやるかではなく「とにかく大学に入りなさい。そのためには…」ということですね。もちろん、それを軸にして頑張る子どももいるでしょう。頑張って、うまく大学に入れる子どもも確かに多い。ただし、そこで目標が無くなってしまいますから、迷いだすんですね。

日高敏高「『数式にならない』学問の面白さ」より)

 

うん、わかります。

私も常々そういうことをここでも書いていますからね。

ですから、日高先生に対して「お前が言うな」と思っているわけではありません、もちろん(そもそも私は日高先生の著作は好きで集めているほどです)。

 

問題は、これがサピックスオープンで出題されたということ。

この手の「学校教育が子供から好奇心を奪っている」「テストでいい点を取るのが学問ではない」といった文章を出題するのは、サピックスに限りません。多くの私立中学で出題されるのを見てきました。

 

正直な感想言っていいですか?

 

お前が言うな。

 

以前も何度か書きましたが、公立の小学校や中学校は「ゆるい」です。

全員に最低限のことは教えなければいけないわけですから、どんどん先に行ける子に合わせるわけにはいきません。

だからといって、私は「退屈だ」と感じたことはありませんでした。

自分が5分で理解できることを50分かけて授業されている間も、ノートにできるだけメモをしてみたり、算数なら「別の解き方はないかな?」と考えたり、国語の授業ならさらなる深掘りを考えたり、理科なら「今度の週末、家で実験しよう」と考えて実験計画を練ったりしていました。

そういった「寄り道」的な思索が、自分の脳みそを鍛えてくれたと今でも信じています。

そして、その「寄り道」ができたのは、学校がユルかったからです。

 

今、教えている小学校4~6年生、まっっったく!!!精神的余裕がありません。

ほとんどの一般的な通塾生は、塾の課題をこなすのがやっと。

寄り道って、物理的・精神的な余裕がないとできないんですよ。

だから、理科の苦手な教え子やその親御さんに「野菜育てると植物が理解できるよ」「たまには星座を見てみたら?」「料理を手伝うと、立体切断や溶解度、比はスムーズに理解できるよ」と、いくら勧めても、やりませんね。

興味すらいだかない。

 

そうしてるのは誰なんですか?

少なくとも、公立小中じゃないですよ。

塾産業と、私立中じゃないですか?

こういっちゃなんですが、優れた教師のいない私立中は入試問題を見ればすぐわかります。文科省の指導要領内でムズカシイ問題を作ることは問題作成者が優秀でないと困難なので、そういう学校では高校数学や高校化学が平気で出されます。註釈つけておけばいいだろう、とばかりにクソ長いリード文(問題冊子1ページ以上)の説明をつければイオンやph出してもいいだろうというのは手抜きすぎませんかね?

 

で、そういう出題を見てしまった塾業界は、それを「mustの知識」と追いかける。永遠のいたちごっこ。私立中を受ける小学生が履修すべき内容は、年々増えるばかり。

 

とうてい消化しきれない量の回転ずしを、無理やり食べさせられているようなもの。

 

もちろん、理科が大好きで、強制されなくてもブルーバックスをガンガン読むような子もいるでしょう(私もそうでした)。でも、そうではない一般的な中学受験生に、四教科すべてで中高生並みの知識を「実体験なしに」押し込むのが教育だとは、私には思えない。4教科もあるわけですしね。

 

地頭がよくて好奇心も強く、学問の道を行ってほしいなあと思えるような子が、過剰な受験勉強を経て「もう勉強は嫌です」「ほどほどにやります」と言い出すケースも多々ありました。

 

何度も書いてますけど、家の周りの東西南北もわからない、冬は影が長くなることも覚えてないのに太陽の南中高度だけ計算できても意味なくないですか?

 

模試の偏差値は高いのに物語文がまったく読めない、「寂しい」と「悲しい」の違いがわからず「先生、どっちを書けば点がもらえますか?」と聞いてきた生徒。その子の家では、受験の邪魔になるからと一切の娯楽が禁じられていました。。。

 

そういう「本末転倒」な状況を生んでいる主要因として、過激になりすぎた中学受験がないとは言わせない。

子どもたちから自然な好奇心や学究心を奪ってるのは誰なんだ?

その主要因となっている一部の私立中学や塾産業がドヤ顔して

「子供たちから好奇心を奪っているのは学校教育だ」

って、開いた口がふさがらないとはこのこと。

 

自分たちこそが子供から「学問の面白さ」を奪っているという自覚はないのか?

いや、あるからこそ、罪滅ぼしのように「私たちは『本当の学問』がなんだかわかってるんだよ?」と主張しているのか?

保身のためのアリバイ作り?

 

例えは悪いですが、女性のアテンドが付く飲み屋に行ってそこのホステスさんに説教するオヤジのようです。

 

 

そもそもね、自分たちの教育とやらにそれほど自信があるなら、あんなカルトクイズのような入試はやめて抽選にしたらいい。

 

競争を生んでいる学校側がこういう出題をするのも偽善に感じるし、その片棒かついでる塾産業が「教育」を語るってヘソが茶を沸かしますね(笑)。