中学受験が、大学受験や高校時受験と大きく違うのは「本人がどれだけ受験を俯瞰的に見えているかどうか」です。
1)「やる気」の誤解の悲劇
子供は、大人が想像する以上にあれこれ考えている。
それは、自分たちの学生時代を思い起こしても自明です。
だから、高校受験や、ましてや大学受験では、多くの学生は自分なりの目標、そしてそれらが「どう将来とリンクするか」はわかっている。
でも、小学生は違います。
まだまだ、それこそ「夢みたいなこと」を考えている時代。
大人があれこれ言うことを「今日、耳、日曜」でスルーしながら「将来は〇〇になりたい」と漫画のようなサクセスストーリーを夢見ている時代です。
そんな彼らと、中学受験というのはそもそも「相性」が悪いんです(笑)。
いまや中学受験というのは「賢い子がちょっと勉強したら難関校に受かっちゃった」というのが通用せず、まるでアスリートのように3年間鍛えないと志望校に受からない仕組みになってきてしまっているからです。
数多くの学生を見てきて思うこと。
それは、結局「やる気」次第ということ。
ただ、この「やる気」というものが世間でとても誤解されているところに、数々の悲劇があるように感じています。
2)「やる気スイッチ」なんて嘘
やる気スイッチ、などというキャッチコピーに騙されて「わが子もスイッチさえ入れば」と思っているご父兄も多いかと思います。
でも、これは半分本当で半分嘘です(苦笑
やる気になる=本気になって動き出す、と定義しましょうか。
(ほとんどの御父兄がそうお考えだと思うので。
大人たちが、自分の身で考えてみたら一番よくわかると思います。
「やる気」になるのはどういうときか。
・何かがとてつもなく「欲しく」なるとき
・無理だと思っていたことが可能かもしれないと思ったとき
・締め切りに追われて
の、どれかではないでしょうか?
社会に出ていれば、「締め切りに追われて」はあります。
でも、問題は、小6の子供たちには「締め切りに追われて」はないのです。
「この子に『締め切り』がある」と焦っているのは親だけ。
本人は、みじんもそんなこと思っていません。
ですから、こと中学受験に関しては
「本人が〇〇に行きたいと熱望すること」
が、何よりも必要なのです。
逆に言うと、どれだけ煽っても本人がその気にならないなら無意味です。
本人にその気がないのに、塾に入れて家庭教師をつけて「勉強していただいて」私立中学に入ることに、何の意味もないと私は考えています。
3)「欲」があればOK!
一方、子供に「〇〇に行きたい」という「欲」が生まれた場合は、
それが「やる気」のもとになります。
まあ、子供の場合は、
「〇〇になりたい」「〇〇に行きたい」と言いつつ
そのための努力はまったくしないケースも多いですね(笑
でも「欲」があるならしめたもの。
「そうしたいなら、これをしなきゃダメだよね」という動機付けができます。
4)無理だと思っていたのに、可能かもと思えたときに「やる気」は出る
スポーツ漫画によくありますよね。
万年ダメチームで、何をやってもダメだと思い込んでいたけど
「もしかして甲子園に行けるかも」と思った瞬間に、火がつくパターンです。
でも、これは、「実は心の底では『行けるものなら甲子園に行ってみたい』と思っていた」のが必要条件です。言い換えれば、本人が「そんなのどうでもいい」と感じている場合、どれだけ焚きつけようと無駄です。
5)「欲」「向上心」があるかどうか、それ次第
「本人に」〇〇に入りたいとか、もっとできるようになりたいとか、そういう「欲」があれば、いくらでも伸ばせます。
あるいは、本人に「向上心」「欲」はあるけれど、「自分には無理」と思い込んでいる場合も、コーチとのマッチングによっては目覚ましい成長がありえます。
でも、本人が「どうでもいい」と思っている場合は、「やる気スイッチ」が「外部」にあるとは思わないでほしい。
ぶっちゃけ、12歳になるまでに、向上心や欲がないのだとしたら、それは生まれつきか、あるいはご家庭の問題です。