とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

鶏口か牛後か

鶏口となるも牛後となるなかれ

人生の最大の悩みどころの一つですよね。

どっちを選ぶかは、その生徒のキャラ次第かなと考えてます。

受験においては、多くの生徒、いや、生徒本人より親御さんが「少しでも偏差値が高い学校に」「滑り込みでもいいから入れたい」と願う傾向が強いですが、それは危険だと思います。

 
1)自分はどっちタイプかを知らないと選択を間違える

不幸なのは「自分は鶏口のほうが輝くのに牛後を選んでしまった」あるいはその逆、ですね。志望校を選ぶ前に「なんで自分はそこに行きたいのか」を考えまくらないと、入学後に超後悔します。大学なら再受験すればいいけど、中高ともなるとそうもいかないでしょう。

「鶏口」志向で後悔した話はあまり聞きませんが、まあ自分にとってイージーな環境で孤高にトップを張り続けるのもかなり精神力要りますので、「ほどほどに緊張感がある鶏口」がよかろうかと。
一方「牛後でもいい!」とギリギリ滑り込んだ子の悲劇というのは実によく聞く話です。聞いていて、ちょっとしんどいですね。

子供自身が特定の学校を熱望し「ビリでも入れればいい」というケースもないではないですが、親御さんがそう願って子供に強制しているんだったら「ちょっと待った」と言いたい。ご自分のこととしてイメージしてほしい。明らかに自分より容姿の良いセレブママの集いに毎日出かけなければいけなかったら?知力も仕事力も自分とは比較にならない優秀な集団の中で仕事をし続けなければいけなかったら?おそらく、多くの大人はそういう状況嫌いなんじゃないかな?「ビリでもいいから〇〇に入れ」という要求は、そういうことですよ。

2)巨人に入りたいのか、プロ野球選手になりたいのか

まあ古いたとえですね(笑)。
今ならAKBとかのほうが通りがいいのかな?
とりあえず私は昭和の人間なので、巨人で(笑)。

最近はまったくもってそうではないようですが、昭和の頃は野球と言えば巨人でした。
巨人VS他11球団という感じ(笑)。

それはさておき。
とにかく巨人(=志望校)にほれ込んでいて、そこに入れるなら二軍いや三軍でも構わない!というくらいそこ自体が好きなら、もう「牛後」でいいと思います。
逆に言うと、「牛後」でも心を病まないのは、心底ほれ込んで入った場合に限ると思います。本人自身に「周りが全員自分より優れていても、くらいついてやる!技術を盗んでやる!」という気持ちがあれば、発奮材料となって力も伸びることでしょう。逆に、プロ野球選手になって一軍で試合に出たい、なら巨人にこだわる必要はない。

仕事柄、各学校の進学実績を調べることもありますが、入学偏差値からは程遠い大学に進学した子、超難関校でも結構いますよね。もちろん、大学の価値は偏差値がすべてではありませんし、学業以外に何か道(芸術、起業など)を見つけたために大学受験は頑張らなかった可能性もあります。データだけで他人がどうこう言う話ではありません。それでも、考えてしまいます。「この子は、中学入学以降、6年間ずっとつらい思いをしてきたんじゃないか?」と。

やはり人間というのは弱いところがありますから、「自分の属するコミュニティ」でずーっと下位、というのは次第に心を蝕まれてきます。ずっとドベでも平気なのは、上述のように「ほれ込んで入ったからドベだろうとなんだろうと構わない!」という場合なんじゃないでしょうか。

結婚と同じで「入った後」のこともしっかり考えましょう。

今一度、親御さんたちに言いたい。
よく「人は周囲に引っ張られるから、少しでも高い環境で子供に刺激を与えたい」と言われます。たしかに、そういう一面は否定しません。
でも逆に、「周りとの差に心を病んで悪い方向に行く」可能性も同じくらいあるんです。もし自分が数段レベルの違う集団に放り込まれて、毎日緊張と劣等感の連続になったら…?というのを、一度は考えてみてもいいんじゃないでしょうか。

3)スポーツと学歴の違い

以前も書きましたが、スポーツや芸能(子役とか)は、もし本気でそれになりたいなら思春期のすべてをなげうってもトライする価値はある。言い換えれば、それがそのまま将来につながる可能性がある。それは、「スキルがそのまま勝負になるジャンル」だからです。野球やバスケやサッカーならプロリーグがある。将棋にしても、役者にしても、絵画にしても。
でも、勉強は違います。
「勉強リーグ」なんてない(笑)。
今でこそ「クイズ王」とかで多少スキルをそのまま活かせる道はあるようですが、基本的には大学に残って研究を続けるのでないかぎり、「入試問題、つまり答がある問題を解く力だけで勝負できる場所」は社会には用意されていません。

つまり、プロスポーツを目指すのとは違って、「○○に入れなかったらもう道は閉ざされた」とかないわけですよ、学業には。

その意味で、たとえば偏差値だけでわざわざ「牛後」を選ばなくてもいいんじゃないかな?と思ったりします。

4)自分の場合

恥ずかしながら、自分は、若いころ一番じゃないと気が済まなかったので、逆に東大しか「選べなかった」感じです。他所に入ったら「まじめにやれば東大行けたんだけどね…」と負け惜しみ言いながら生きていく自分が目に見えたので(笑)、そしてそんなみっともない真似はいやだったので東大一択でした。でも、今思うと実に視野が狭すぎたなと感じています。ちなみに親は全くノータッチで、むしろ短大勧められたくらいです(女子だから・笑)。
東大はとても楽しかったし、今でも大好きだし、実際まあ少しは「プラチナカード(byドラゴン桜)」でしたが、でもその「プラチナカード」の威力って、結局入社とかそいういうときにちょこっと得なだけ。入った後は、そんな過去は忘れて今の仕事で成果を上げなきゃ認めてもらえない。(世の中にはアンチ東大の人も結構いるから、プラチナカードが逆効果なこともあったし。)


大学の場合は「最終学歴」になるので、ドベで入ってもそれなりにオトクだと思う。大学は広いから自分の「順位」も見えにくくて気にならないしね。でも、中学高校はあくまでも通過点なので、そこで6年間自己評価下げまくるのは若者にとっては人間形成的にも問題があるんじゃないだろうかと思っています。