私は生徒は見切りません、絶対に。
でも、失礼ながら親御さんを見切るときがあります。
今日はそんなお話。
私は中学受験から大学受験、さらに社会人の方まで教えていますが
中学受験のサポートのギャラは倍もらいたくなってきましたね(笑
中受は親対応のカロリーが高すぎるから。
(念願かなって来期はほとんど中高生になったからホッとしています)
親御さんとの面談がすべて嫌なわけではありません。
・どうやっても、子供を潰す方向に行くのが嫌
・「不毛な話」で何十分も取られることが嫌
なんですわ。
ここではしばしば書いてますが、(集団塾との併用の場合)個人コーチって医者の立場だと思うんですよね。
集団塾についていけない、あるいは集団塾でやっていけない。
そういう場合、何らかの原因があるわけです。
基礎学力の欠如、発達障害的な要素、などなど。
もちろん私たち個人コーチがすべて正しいなどと言う気はないのですが、一度任せてみようと思ったなら、せめてしばらくはこちらの指示は受け入れてもらえればなあと思いますね。従え、という意味ではなく。せめて「そういう考えもありなのかな」くらいは思っていただけないかなあ。
たとえば、
・糖尿病なのに食事制限を守らない
・怪しげな民間医療に手を出す
・自己流を貫く
そういう患者さんには、医者も匙を投げるでしょう。
でも、そういうことが、こと中受業界ではザラです。
100人以上の生徒をマンツーマンで見てきている人間として忠告をしても
(一部の)お母さまは聞く耳持ちません。
我流を貫きます。
だったら、好きになさればいいです。
もう少し若い頃は、金八先生よろしく「それでは子供を潰してしまう!」と思い親御さんとも闘ったものですが、最近「もういいかな」と思い始めています。
・子供が身体的異変でSOSを出しているのに無視して受験を強要する親
・偏差値にして20前後上の学校を受験させる親
・子供の発達障害的要素には目をつぶる親
などなど、こういう方々は「絶対に」他人の忠告には聞く耳持ちません。
彼らが聞きたいのは「大丈夫です、〇〇校に受かりますよ」という言葉だけだから。
どれだけ言葉を尽くしても「そもそも聞く気がない人」の耳には届かない。
だったら好きにすればいい。
そういう「毒になる親」の犠牲になっている生徒のことを考えると心が痛むけれど、「親という不可侵領域的な『壁』」は、他者にはとても破れない。
被虐待児を救いたくても児相が手を出せないのと同じです。