とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「待てない」親

今年は受験生が少なかった割には疲弊の度合いがひどかった。

ほかにもいろいろ思うところあって、なかなかブログが書けなかった。

コメントを機に、再開してみる(コメントありがとうございました)。

 

久々だというのに、今日はかなりぼやき漫才ですすみません・苦笑。

 

年々中受はひどくなるなあ。

早く生徒を中高生だけに絞りたい。

いまや中受は「教える側」も中受経験者が多いから、彼らは中受命!でなんの疑問も持たずに「どう試験を突破するか」というゲーム感覚で良心の呵責を覚えることもなく仕事ができるんだろう。ある意味、心底羨ましい。

私もそうなろうと努力した時期もあったけど、自分の教育に対する信念と現実との乖離が年々きつくなってる。そろそろ限界(毎年ボヤいている気がする・苦笑。でも、そろそろ目鼻がついたので、中受を引き受けるのは今年が最後)

 

たぶん、今の中受業界は、「二月の勝者」の黒木や灰谷が多いんだろう。

私は「ドラゴン桜」の桜木タイプ(受け持った以上は、責任を持ちたい)なので、中受やってると高受や大受の十倍くらい疲弊するわけです。まあ、古いタイプの教育者ですわ。私は「必死な生徒」なら偏差値がいくつであろうと全身全霊で教えたいけど、「親だけが必死で本人やる気なし」なのを「グヘヘ、カモがネギしょってきた」とは思えないんですよ。辛くなる一方。

 

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自分も到底できないことを子供に強いる親

 

受験への自覚がない生徒&「勉強してやってる」態度の生徒とその奴隷になってる親

 

解法当てはめていい点とってるけど「なぜそうなるのか」は説明できずに「良いとされる学校」に入っていく子供たち

そういう子たちが親からの過剰なプレッシャーと課金漬けでなんとかそこそこの学校に行って、小学生のうちに身に着けるべきだったもっと大事なことを犠牲にして変なプライドを身につけて大人になっていく(そこそこの学歴なのにニートになってしまう子はこのパターンが多い)。そういう人間を量産されると社会が困る、というのは大学生や新社会人の「再教育」をしている友人もボヤいている。

 

年々難易度がエスカレートする一方の入試問題を見ても、私立中側もいろいろ「見えなく」なってきてるんじゃないかな。小さなコップの中しか見えていない。要は、視野が狭いのよ。公立中よりマシ!という声が聞こえてきそうですが、たとえ私立中でも教師のほとんどは「学び舎の外」は知らない。大学付属でない中高一貫の(一部の)私立にとっては、進学実績だけが「通知表」。結果的に中学同士の際限ない過当競争になっているのが現状。

 

そして、「小学生の受験」をまるで仕事のようにとらえる親も激増中。

彼らの共通点は、

・水も漏らさぬ工程表をつくればその通り行くと考えている

・「予定」に余裕がないので、その通りに子供が動かず予定とずれるとパニック

・子供のスケジューリングをアウトソーシングしたがる

・その割には他者がつくったスケジュールやメニューを軽視して子供にやらせない

なんだろなあ、トイレトレーニングや箸の持ち方まで保育所や学校任せにしようとする親たちによく似ている。彼らは、トイレトレは保育所にやらせる一方で、そのやり方が気に入らないと「家ではこうしてください」と言われたことを簡単に無視するよね。

 

(ついでに言えば、国語力に関しては大部分が親の責任。幼少時からの「対話」が子供の読解力を育てる。子供の話ってたしかに相手をするのは疲れるだろう。要点がないし、あちこち飛ぶし。私の母は勉強しろと言ったことは一度もないけど、その代わりものすごく「対話」してくれた。あの対話が、私の国語力ひいては学力を伸ばしてくれたと今でも信じている。「なんで?」という私の問いかけに母が「どうでもいいでしょ」と言った記憶がない。母との対話を通じて、私の中で「なぜ?→考える→試す→検証」が育った。というわけで、その時期にタブレット育児してるとあとからどうにかするのはものすごくカロリーがいると私は感じている。10年分を1~2年でなんとかしようというのだから、相当時間を注ぎ込まないといけないし、その分親も大変。でも、国語って「なんとかなる」と思われてるんだよね。「年相応の国語力」を取り戻すのにはこれだけ労力と時間がかかりますと言ったところで、ほとんどの場合「算数優先なんでそこまでできない」と言われますし。それと、国語に関しては生徒自身が「やばい」と思ってないのがマズいですね。多くの生徒が「国語なんてできなくてもどうにかなる」と思ってるし、「国語の点数を伸ばしたかったら、算数に費やしているのと同じ熱量・時間をかけなければいけない」とわかっていない。)

 

話を戻します。

スケジュールって自分で立てるからこそ意味があるんじゃないのかな。

御三家に受かるようなできる子&自覚のある子は自分でやりますね。

日々の細かいスケジュールを立てるのまでは私の仕事ではない(と思う)。

もちろん適正なタスクは課しますし、日々のメニューも進言しますが、それをどうこなすかは自分で考えるべきだし、本人ができないなら親の仕事だと思う。「毎日これをしろ」という日々のメニューすら、実行させるところまで見ろ(アウトソーシング)というならば、ライザップ並みの料金いただきたい。

 

矛盾したことを同時に要求する親も増えてきた。

「ミコトは宿題が少ない。もっと出してほしい」と言われて増やすと「この量はやらせられません」。や、だからそこまで見越して適正な課題を出してるんだよ?

「ほめて伸ばして欲しい」といいながら「もっと厳しくしてほしい」とかね。この場合はリクエストにお答えして「厳しく」するとすぐクレーム入るんだよね・笑

 

そもそも、集団塾にはついていけなくてさらに個別が必要になる場合って、本人か家庭に(あるいは双方に)なにがしか困難があるわけよ。本人が自閉気味だったり、親が放置or過干渉だったり。総合的に治癒していくしかないわけで、工事の工程表みたいにはいきませんわ。

昨今、仕事を取るために手取り足取りエクセルシートの(机上の)工程表を作る講師もいるようなので、そういうのが好きならそういう人を探したほうがお互いのためだと思う。十年くらい前、「具体的な工程表を」と言われて仕方なく「それっぽい」エクセルシートを作ったら大満足されてしまって虚無感を覚えたのを思い出す。まあ、そういう見掛け倒しの「カタチ」で満足する親が多いなら私もそうすりゃいいんだろうけど、そういう「だます」行為が私は好きじゃないんだよね。。。

 

小学生の受験を仕事と同様に「〇〇すればこうなるはず」と考える親御さんが多いですが、相手は10歳前後の「生き物」なのでそうはいかないですね。

結果を「待てない」親御さんも激増中ですね。

「待てない」親御さんは、原因を他者に求める傾向がありますね。

ほとんどの場合、原因は「子供がまだそこまで成熟していない」ことにあるわけですが、そこは見たくないので学校・塾・個別講師を詰めるわけです。

 

他人を詰めてもいことないのになあ(もちろん、相手がいい加減な仕事をしている場合は別ですよ)

 

子供のやる気のなさや親が放置気味なことを棚に上げて相手を詰めると、まずそこで信頼関係がぷっつり途絶えます。私の場合は、親御さんの「リクエスト」が正当だと感じたらもちろん素直に謝り指導方針を変えますが、上述したような「矛盾したリクエスト」を受けた場合、修復不可能と感じたらそこで指導をやめます。「待てない」方と私の指導方針は合わないと思うので。どちらが良い悪いという話ではないです。

 

それでも指導継続を頼まれる場合もありますが、もうそうなるとさすがに「生徒ファースト」を貫くのは難しい。親御さんの望むままに、その子には合わないメニューを組んで負荷を上げるしかないですね。だって、そうしないと親御さんが納得してくれないんだから。若い頃は「それだとお子さんを潰してしまいます」と闘ってきましたが、最近はもういいかな、と。

それくらい、今の中受はおかしくなっているということです。

あの子たちが社会を担う年代になったときに日本はどうなっちゃうんだろうな。