とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

掛け算の順序議論はそもそも論点がかみ合っていない

しばしば巷をにぎわせる「掛け算の順序」議論。
記憶によると、昭和の頃はそんなんでバツにはならなかったので、最初は私も「順序反対派」でした。それは自分が掛け算を習う前にすでに「交換法則」を自分で見つけて知っていたからです。

 

しかし、いろいろ調べているうちに
・あくまでも「掛け算導入」においての教え方であること
・反対派が過激すぎること
などから、賛成派とまではいいませんが「導入時はありだな」と思うようになりました。

 

以下、備忘録としてまとめてみます。

 

 

 

1)「導入」としては正しい

日本では、6+6+6+6=6×4と言う風に
「足し算の延長」で掛け算を教えます。
ですから「1袋に4個ミカンが入っています。6袋ではいくつでしょう」という場合、
4+4+4+4+4+4=4×6=24
という発想になるわけですね。
これは、「数学的に一を聞いて十を知るタイプの子」向けではなく
きわめて一般的な小学生向けの導入という意味では正しいと思います。

 

2)数学的に正しい=「小学校の算数」として正しい、ではない

過激派の方々は、「学がある」父兄が多いようですね。
確かに、「数学」を修めた見地からすると順序なんて馬鹿らしい問題でしょう。

でも、でしたら数学だけではなく、理科も国語も社会も全部「小学生向け」ではなく「学問的に正しい見地」で教えるのでしょうか?

理科がいい例です。
小学生までは、最小の「つぶ」は原子だと教える。
中学生になって「あ、ごめんごめん、実はもっと細かくわかれるんだテヘペロとなり
高校になるとさらに「原子もほかの原子に変わったりするんだごめんねテヘペロとなります(笑)。
では、小学生に、電子だの中性子だの原子崩壊だのを教えますか?

 

数学だって、たとえば高2で習う微分なんて穴だらけで直感に頼ったものでしかないです(笑)。高3になって「あ、ごめんごめん、実は極限っていうのがあってさ」になりますがそれすら直感で、大学になって初めて厳密な「極限」を学びます。

 

つまり、

「小学2年生にとっては」
「ひとカタマリ×何倍か」は、正しい教え方だと言えます。

実際、高学年になったらすぐ交換法則を習うのは、上記の「徐々に本質を教える」やり方に沿っていると考えます。

 

3)過剰にたたく人たちの心理と彼らがわかっていないこと

なぜ、算数だけこんなに白熱するんでしょうね?

例えば、理科で「スーパームーンは地球との距離が36万キロになるので40万キロのときの36/40」というのはどう見てもおかしいです。三角関数の極限をやらない限り、その原理は理解できないはず。
でも理科では「最初は易しく教えて後から真理を教える」に異を唱える人はいない。

思うに、理科はその違いすらわからない人がほとんどだからじゃないかな(笑)。

 

小学校算数なら、たいていの大人は理解できる。
だから口を出したくなるんです。

だったら、小1で「3-5はできない」と教えていることも叩いたらいかがですか?

 

それと、掛け算順序問題をたたきたくなる人って「小学校の先生はみんな馬鹿」という偏見があるように思います。(もちろん、そういう教師がいることは否定はしませんが(笑))


だから「6×4でバツになった!うちの先生は交換法則すらわかっていない馬鹿!」ってなっちゃうんだと思いますがちょっと待ってください。さすがにそれもわかっていないような人は小学校の先生にはなれませんよ(笑)。

「小学校の先生は馬鹿である」と言いたいために掛け算順序論争が利用されている気がします。

 

4)テストでの扱い

これは確かに微妙なところだとは思います。
今の小学校が「しき」の「順序」にこだわるのは、「ちゃんと問題を読めているか?」を気にしているためです。

「それは国語の問題だ!」と怒る方も見かけましたが、そもそも中受にしろ大学受験にしろ「読解力の要らない数学の問題」って存在しますか?算数オリンピックだって、まず問題が正しく読めないと話になりません。


そもそも小学校は、そういう力を伸ばすための場所でもあるわけです。
「ずつ」が理解できない子、文章題の中身がわからない子でも、問題に「4」「6」という数字があれば「テキトーに」4×6=24と書くことができます。


そこを適当にしていると、4年以降でしっぺ返しがくる。
だから2年生の先生は、順序にこだわっているんじゃないかな?

もちろん、そういった「そうさせる意味」を理解しておらず「マニュアルにそうあるから」と×をしている先生もいるかと思いますが、ほとんどの先生は「子供の読解力」を案じてバツにしているんだと思いますよ。

 

5)「こんな教え方をするから数学嫌いが増えるんだ!」というウソ

小学校でそういうバツをつけられたくらいで賢い子がやる気をなくすなんてないですよ(笑)。

 

・数学得意な子の場合

数学得意な子の場合、そもそも「授業の意図」がわかります。
「ああ、「〇倍」を聞いているんだな」と思えば、そう立式します。
もし交換法則を知っていてor自分で発見して、それでもバツになっても、決してそれで算数嫌いになったりしません(笑)。
ああ、ここではこういうルールなんだな、と思うだけです。

もっとはっきり言うと、小2で交換法則がわかっているような子は「学校は中の下に合わせた授業をしている」とすでに理解しています。それで「発想が潰される」というようなことはないです。

・数学が得意でも苦手でもない普通の子の場合

私は本来、「速さの3公式」すら大嫌いな人間です(笑)。
速さ×時間=距離
という、物理では当たり前のv-t図がわかればそれですべて解けるのになぜ3つも「同じ意味の」公式を覚えなければいけないのか?
ですから、担当する生徒にはすべからくv-t図で教えています。

でも、これがわかる子が驚くほど少ない。
私は以前「そういうの難しいので、『これを暗記しろ』と言ってください、そう言われれば覚えるから」と言われて仰天&がっかりしたことがありますが、でもたぶんそのほうがマジョリティなんだと思います。

 

つまり、「マニュアル」が欲しい人。
「マニュアル」があればできる人。
小学生の半分以上がそうなんじゃないかな?

で、こういう子には
「先にマニュアルは教えるけど、できれば『真理』を後でわかってね」という教え方がベストなわけです。

だいたい、掛け算順序がこんなに論争になるのに
「分数で割るときはひっくり返して掛ければいい」という「マニュアル」に批判が起きないのはいささか滑稽ですよね(笑)

分数割り算こそが「とりあえずマニュアル、あとで真理をわかってくれ」の最たる例だと思います。

つまり、「普通の子」には「まず」カタを教えるのは、教育法としては間違っていないです。

・数学が苦手な子

こういう子にこそ
テキトーに九九をやって答えが出た!じゃなくて、ちゃんと「理屈を考えて」式を立てることを教えなければいけないのです。


で、大事なことは、学校は「普通の子&不得意な子」を「底上げ」するための機関だということです。
だから、そこに合わせた教え方になります。
私も「浮きこぼれ」でしたからお気持ちはわかりますが、浮きこぼれるような子なら、順序でバツになったくらいで算数嫌いにならないのでご安心ください(笑)。

 

6)お互いの視点が違うからすれ違う

小学校の先生は「導入」として「順序」を教えている。
高学歴のご父兄は「数学的見地」から小学校の先生を誤解し馬鹿にしている。
このすれ違いは、不幸なことだと思います。

言い換えると、
学校の先生は「小2」向けに授業をしている。
ご父兄は「高校数学までわかったうえで」話をしている。
そのすれ違いです。

私も、今でいう「浮きこぼれ」の児童だったので、ご父兄の気持ちもわかります。
でも、あえて言いたい。
×をつけた先生に「なぜバツにしたのか」を聞く前に子供の答案をSNSで全世界に発信しちゃうのは違うでしょ(苦笑)。

その順序違いによるバツは、

・子供がテキトーに掛け算して、先生が「読解できていない」と考え、バツにした

・子供が交換法則をわかっていて、どっちでもいいと思って書いた


の両方の可能性があるわけです。

私も順序間違いでバツになった生徒の親御さんから息巻いて「うちの学校の先生はおかしい!」と言われた経験も多いです。でも、肝心のお子さんは「テキトーに掛け算してる」ケースが多く「式の意味」を聞くと答えられないことがほとんどだ、ということは記させていただきます。

 

原因を確かめる前に脊髄反射で「ほらね!小学校の先生なんて馬鹿ばっか!」とSNSに発信する行為ってどうなんでしょうね。


ご父兄が思うほど、お子さんは「数学の真髄」をわかっていないかもしれないのに。

ついでに言うと、子供の答案やら連絡帳やらなんやら、即座に「いいネタがきた!」とばかりにSNSにアップする、そのリスクをわかっていない親御さんが教育がどうのこうのと息巻いているのはいささか滑稽だと思っています。やろうと思えば結構簡単に個人特定できるのに(やらんけど)。