受験、とりわけ中学受験といえば算数!という感じですよね(苦笑
書店にいけば一目瞭然です。
中学受験はもとより、大学受験ですら、「国語の棚」は算数・数学・その他もろもろの教科より圧倒的に参考書が少ないです。
同様に、我々家庭教師業界でも、国語教師は足りません。
それはなぜか。
誰もが
「国語は教えられてできるようになるものではない」
「国語の教え方などない」
と思い込んでいるからです。
で、それに反旗を翻すような参考書も時々見かけます。
「国語にも『公式』がある!」
「読み方さえわかれば読書などしなくても国語ができる!」
というようなハウツー本。
これらは、
どちらもそこそこ正しく、そしてどちらも間違っています。
国語の苦手な子供たちは口をそろえて言います。
「よく読めばわかる、って言われたけど読んでもわかんないから聞いてるんじゃん!」
と。
この「よく読んでいるけどわかんない」がウソなのです。
小中高生の言う「よく読んだけどわかんない」の「よく読んだ」は、せいぜい1~2回!
私は声を大にして言いたい。
「わかるまで10回でも読め!」と。
以前にも書きましたが、難解な文章を「マシンガン解説」する講師は、良い講師ではありません。
それは、英語を翻訳して見せるのと同じでしかないからです。
難解な文章を翻訳されれば、「その文章の」意味はわかるでしょう。
でも、それで「ほかの」英文を読めるようになりますか?
なりませんよね。
国語のマシンガン解説にまったく意味がないのは、そこです。
「自分で」わかるまで「何度でも」読むしかないのです。
そこにおける正しいコーチングというのは
・読解の「コツ」は教える
・しかし、答えを言わない
・間違っていたら、なぜ間違っているかは説明する
・あらたな答えを根気よく待つ
ということです。
私はもともとは数学講師ですから「算数や数学の問題は数値が違うだけでパターン」という軽率な意見には怒りを覚えるほどですが(笑)、しかし、たしかに数学と言うのは「真理は一つ」ですから、どういう「見せ方」をされてもその根本はいくつかの類型というのは事実でもあります。
しかし。
国語、現代文というのは、筆者が「生身の人間」です。
たしかに、論説文や小説に、ある程度の「カタ」はあります。
しかし、筆者ごとのレトリックや比喩というのは、公式に当てはめられるものではありません。
たとえて言えば、数学や算数の問題と言うのは、ルールのはっきりした屋内競技。
一方、現代文や国語で出される文章というのは、野山でやるドロケー、みたいな違いですかね。
ざっくりとしたカタはあるけれど、その場その場で、場所(つまり筆者のクセ)に合わせてプレイするしかない。算数のように、「いつでも通用する公式」などないわけです。
これに太刀打ちするには、
自分の「読解筋力」を鍛えるしかありません。
筋力がライザップの動画を「見るだけ」では鍛えられないのと同様、
読解力という筋力も、講師の解説を聞くだけでは決して鍛えられません。
難しい文章を、「わかるまで何度でも読む」ことで鍛えられるのです。
この「わかるまで読む」を、驚くほど多くの受験生がやっていません。
模試や塾内テストや過去問演習では、時間が限られています。
そこで理解しきれないのはしょうがない。
問題は、そのあとです。
すぐ解説を読むな。
自分で腑に落ちるまで、10回でも20回でも読め。
そうやって「読解筋力」を鍛えないと、国語の問題演習なんて意味がありません。
10回ほど読まずとも、おそらく3~5回目には
「なんかわかってきた」という感覚があるはず。
そういう、「よく読めばわかった」という経験が、読解筋力を鍛えます。
だからこそ、国語講師は、すぐに答えを教えてはならないのです。
「違うよ」とだけ言い、何度でも生徒に考えさせる。
これこそが、生徒を向上させます。
「読んだけどわかんない」という生徒は、答えを言ってくれるのを待っています。
考えることを放棄しているわけです。
そこに簡単に答えを教えては、生徒から「とことん読む」「とことん考える」能力を奪うことになります。
ママ塾・パパ塾も同様です。
「そこに書いてあるじゃない」と教えてはいけません。
「そうかな?もう一度読んでごらん」が、唯一ベストなコーチングです。
ちなみに、私はこのやり方で
・高1時点で「率先」が読めなかった高校生がセンター国語満点
・小学校で国語テスト40~60点だった子が雙葉合格
・小6夏に志望校判定20パーセントだった生徒が本番では国語80点
などなど、実際に効果を感じておりますので、机上の空論ではないということを
蛇足ながら付け加えさせていただきます。