とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「できる子」と「できない子」はここが違う

いささか煽情的な、自分では嫌いなタイプのタイトルをつけてしまいました(汗

文字だけ見ると、できる子は素晴らしく、できない子はダメな子、みたいに見えますよね。もちろん、そういう意味ではありません。なんか、こと勉強に関しては変な気を遣わなければいけないところが正直しんどい。これがスポーツや芸術、はたまた仕事に関してのアドバイスなら、ごく当たり前なんでしょうけれども。(この話も語りだすと長くなるのでまた今度)

でも、やっぱりこれ、誰かが語らないといけない。

今、学校も。塾も。我々家庭教師も。

「できる子と比べてはダメですよ!」って言われてる。

家庭教師センターは、どこも「褒めて伸ばしてください。ほかの子と比べるべからず」と契約書に書いてある(苦笑)。

もちろん、比べて蔑むのは厳禁。

でも、「できない子」は、「できる子のやり方」がわからないから「できない」んじゃないの?「こうすると、できるよ」というハウツーを、なんで教えてはいけないの?

というわけで、いろいろな観点から、両者の違いを語りたいと思います。

「だから私は/うちの子はダメなんだ」ではなく「そうか、そうすると伸びるのか」というハウツーとして受け止めてくだされば幸いです。

 

1)メモするクセ

「できる子」は鉛筆を手放さない

講師が話している間、「できる子」はずっと手を動かしているんですよ。

もう、それはこちらが驚くほどのスピードと熱意で。

「できない子」はうなずくだけ

「できない子」は、どんなに話しても、うんうんとうなずくだけ。

これ、逆だと思うんですけどね(苦笑)
聞くだけでわかるようになる、できるようになるなら「できない子」のわけがない。

ただ、これは彼らばかりを責められません。

彼らは「大事なことはメモしなきゃ」ということを「知らない」のです。

これには、周りの大人の責任も大きい。

以前も書きましたが

・学校でも塾でも「ノートの時間」が決められている

・親が「子供の理解のスピードを超えて」一方的に話す

ことが、最大の原因だと考えています。

まあ、たしかに「メモをしなさい」と命じられなければメモをしない子も多いですからね、集団授業ではそういうメソッドにならざるを得ないのかと同情もしますけれど。

でも、これではいつまで経っても自発的にメモを取る子は育たないですよね。

一般企業で部長をやっていたときも、「メモしないの?」とこちらから聞かない限りうなずくだけの新人ばかりでしたが、根っこはこういうところにあるのかもな。

 

で、「うなずくだけの子」を、どう「メモを取る子」にするか、ですが。

「おつかい」に行かせたらどうですかね?

「おつかい」って、「暗算力」にも効果ありますよ?(これはまた別途書きます)

「おつかい」を頼んで、メモを取らせるんです。

 

あと、「できない子」の親御さんほど、あれこれ同時に指示したがります。百歩譲ってあれこれ指示してもいいけどさ。「メモ」取らせましょうよ。「言いっぱなし」は、親の気分が良くなるだけですよ。

 

ちなみに、私の場合は。

「できない子」が「うなずくだけ」の場合。

「え?メモしなくていいの?今私が言ったこと全部覚えてるの?」と尋ねます。

何回か繰り返すと、「メモ大好きっ子」に変わっていきます。

2)会話

「できる子」は会話が噛み合う

国算英理、どの教科でも。

「できる子」は、こちらからの問いかけにも、あるいは少々脱線して「教養という名の雑学」を話すときにも、「ああ、わかってるな」という的確な返しがきます。

「できない子」は「しゃべらない」か「言いたいことだけ言う」の二極

「できない子」は、両極端です。

「しゃべらない=発信しない」ことで自衛する子

話さなければ、自分がわかっていないことは隠せますからね。でも、私は、それは「相手に失礼なこと」だと考えています。もちろん、大人側が威圧的で答えられないといったケースもあるでしょう。でも、「隠す子」は、どんなに優しく問いかけても、「貝の口」です。それはそもそもコミュニケーションとして相手に失礼なわけですが、そういう教育を受けてきてないんでしょうね。
そもそも、「無言で場を支配する人」って、相当失礼かつ傲慢だと思うんですけどね。

対処方法は難しいところがありますが、このタイプは「黙っていれば親が根負けして世話を焼いてくれる」とわかっていますから、「自分から話さない限り何もしてあげない」という対処が功を奏すことは多いです。

「よくしゃべるが、相手の話を聞いておらず、返しが『ズレ』る子」

講師が話していても、途中で遮って「それってこういうことですよね」とか「私もこの間同じようなことがあって」と言い始めるタイプ。
その「たとえ」がことごとく、ズレている。

こういう子は、自己評価が過剰に高い傾向があります。

 

なんでもわかった気になっていて、自分の半径5メートルの経験で、他人の話を勝手に評価して割り込む。「インプット<<<アウトプット」の子です。
このタイプは、自分が間違っているとは思わないために、修正が難しい。

「解釈そのものが間違っている」わけですから、結果として

・国語は相当苦手

・得意なはずの算数/数学や理科も、問題文を誤読する

本当に修正が難しいタイプですが、とにかく根気強く「本人の認知のズレ」を認識させることが第一歩です。

特性ゆえ、なかなか他人を観察できず、なぜかクラスメイトを見下している子も多いです。少々荒療治になりますが「クラスメイトは、あなたより劣ってはいない。周りを観察しろ」と指摘することで、「気づく」こともあります。

3)態度

「できる子」はTPOをわきまえている

「できる子」は、基本的に先生や講師にタメ口はききません。「プロレス」的なタメ口はありますけどね。ちゃんとTPOで切り替えてます。

それは、「今、自分の足りないところを教えてくれる相手」との「ギャップ」をわかっているからです。

 

「できない子」はタメ口&立膝

以前も書きましたが、本当に!

「できない子」ほど「教わる姿勢」がなってない。

講師に敬意を払え、と言っているのではありません。

学問に敬意を払え。

自分が今できないことを克服したい、と思っているときに、その対象に対しては自然と真剣になるものなんじゃないんですかね?

スポーツや芸術でコーチにタメ口きく気にはならないだろうに、なぜ、こと勉強となるとタメ口や、「別にどうでもいいよ」という態度になるのか。

このあたりは、内田樹さんの「下流志向」に一つのヒントがありますが。 

 これまた長くなるので別に書きますが、「できないのに態度が最低」な子は、親に受験「させられてる」んじゃないですかね。本人はやりたがってないのに、親は少しでも「いい学校」に行ってほしいから、勉強さえしててくれればいい。子供は、そういうの見抜いてますよ。まったくの私見ですが、受験を「していただく」なんて気持ちは捨ててください。親のそういう気持ちを子供は見透かしています。

生徒が講師にタメ口きいたり、寝っ転がったり、あいさつに来なかったり。

「そういうことを窘めない親」は、「そういう親なんだな」と判断しています。

これまた長くなるので別に書きますが、12歳時点で「受験は自分のこと」と思えない子に、無理に受験させてもいいことはありません。なんだか、やたら「公立は悪の巣窟」みたいに思われてますが、地域によってはクラスの半分が私立受験する東京都においてすら、「公立中学→公立高校」は、いまだに十分健全なルートとして存在しますよ。

 

4)他人への興味

「できる子」は「できない子」からも学ぶ

私、漫画やドラマに出てくるテンプレの「秀才君」描写が本当に嫌いです(苦笑)

だって、あれらは真っ赤な嘘だから。

「できる子」ほど、「自分の足りないところ」が気になるし、周りから学ぼうとします。彼らは、他人の能力それ自体は馬鹿にしません。「怠けてること」については蔑むかもしれませんけど。

「できる子」は、「もっとできる子」や、「ある分野については自分よりできる子」を観察し、教えを請い、向上しようとします。

 

余談ながら、「できない子をいじめる秀才君」は、トップの子ではありません。「中くらいの子」が親からのプレッシャーを、より下の子にぶつける話はよく聞きますけれどね。

「できない子」は他人がどうしているか学ぼうとしない

気持ちはわかるんですけどね。

プライドが邪魔するんでしょうね。

ほんと、スポーツや芸術だったら「できる子」の練習方法を見て盗む、っていうのは当たり前のことなのに、なんで勉強だとそうなるかな…。

ここで、ご家庭にお願いしたい。

「〇〇くんは満点なんでしょ!?」と、青筋立てて「結果」を比べてはいけません。

「へえ、〇〇くんは、どんな工夫をしてるのかな?」と「方法に差があること」を示唆してあげてください。

ちんけなプライド捨てれば、「できる子」が普段どんな工夫をしているのか、そこから学ぶことは山ほどあります。そして、「真にできる子」であれば、そうしたTipsを教えることに出し惜しみはしません。「できる子」って、教えたがりなんですよ。じゃんじゃん教えてもらいましょう!

 

5)好奇心

一番の「差」である「好奇心」を最後に回したのは、こればかりは、周りの働きかけでどうにかなるものでもない部分が大きいからです。生まれつき「なぜ」が気になって仕方がない子は存在します。親のせいではない。

ただ、逆に言うと。

生まれつき「なぜ?」がとてつもなく、周りが辟易するほど好奇心が強い子というのは「振り切れた子」でもあります。その「振り切れ」の行く先は、学者かもしれないし、芸術家、はたまた起業家かもしれない。

そこまでブチ切れた好奇心がなくても、十分学力は育ちます。

でも、これまた逆に言うと、「普通の好奇心」もない子は、いくら「課金」しても空しいことになります。

「課金」する前に、親御さんがやれることがあります。

それは、子供の「なんで?」に答えることです。

ほとんどの子供は、毎日「なんで?」と連発するのではないでしょうか。

たしかに、すべてに相手をするのは面倒でしょう。お気持ちはわかります。

でも。

そこで「面倒だな」と相手をせず、「対話」をしなかったら。

子供は「疑問を持っても無駄なんだな」と誤学習してしまいます。

「なんで?」と聞かれたら「なんでだろうね?〇〇ちゃんはどう思う?」と返してみましょう。すべてはそこから始まります。