とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「自己肯定感」という言葉は間違って使われている

「自己肯定感」の言葉を目にしない日はないと言っても過言ではない気がします。

でもこの言葉、中受界隈では明らかに間違って捉えられている気がしてなりません。

 

新規のご家庭からよく言われるのが

「ウチの子、自己肯定感が下がっているので褒めて伸ばしてほしい」

という言葉です。

うーん。

子供の自己肯定感を下げたのは誰なんですかね。

塾に入れてテスト結果に一喜一憂している親御さんだと思いますよ。

本気で子供の自己肯定感を下げたくないなら、いますぐ中受やめるのが一番。

なぜなら自己肯定感とは「他人と比べない」ことが不可欠ですから。

 

そもそも自己肯定感という言葉も若干うさんくさいと私は思っているのですが。

ぶっちゃけ、現代人って自分が好きすぎで(心の)鏡見てばっかなんじゃないかな。

 

自己肯定感を上げるというのは、それ自身が目的ではなく目的は「幸せを感じながら生きる」ということだと私は考えています。

 

私は現在ほぼノーストレスで毎日幸せを感じていますが

その源泉は「自分ではなく『外』を見ること」だと最近気づきました。

以前も書きましたが

・散歩しながら空や緑や社会のありようを「楽しむ」

・すごい人を素直にすごいと感じワクワクする

・何か(つまり自分以外のもの)に夢中になる

こういうとき、本当に幸せです。

毎日、いちいち「私はすごい」など自分に言い聞かせる必要などない。

 

話が逸れました。

良くも悪くも、毎週毎週数字でランキングがつく塾という環境に放り込んだうえ、親がそのランキングで一喜一憂していたら子供の自己肯定感が下がるのは当たり前。

以前、親御さんからショッキングな言葉を聞きました。

「(ウチの子)褒めるところがない」

本気でそんなことを思っているのか、中学受験はここまで親の心を狂わせるのかと驚きました。だって、その生徒さんは有名塾で中上位クラスなんですよ。私は再々偏差値は唯一のモノサシではないと書いておりますが、その親御さんのモノサシである偏差値でも50前後、つまり平均的な学力はあるわけです。

ほかにも、好奇心が強いなどの良い面もたくさんあったんですが、親御さんは「褒めるところがない」と断言。

うん、だったら親も子供から「採点」してもらったらいいんじゃないかな?決して満点ではないと思いますよ。

それどころか、心の中では「うちの親、褒めるところがない」と思われてるんじゃないかな。家族って最後の砦ですよね。家族がお互い採点しあって欠点が許せなくなったらもはや家族って何。

 

まあそんなわけで、親が「今のわが子」を受け入れられない限り、子供の自己肯定感なんて上がるわけがありません。

 

私の場合、子供の答案を見ればその子なりに精一杯がんばった足跡が見えますからそこを褒めることで劇的に伸びていくことが多いです。

「ウチの子は、ミコトと出会って人生変わった」という過分なお褒めの言葉は何度もいただいてきましたが、それは私がその子の「誰も褒めなかったところ」を褒めたからだと思います。

でもそのメソッドも最近「違うかもしれないな」とも思い始めています。

点数やランキングで親から自己肯定感をゼロどころかマイナスにされた子には、まず「良いところを褒める」のは実際効果があります。

自己暗示力もあいまって、ぐいぐい伸びる契機になることも多いです。

でもそれって、結局「人より〇〇が優れているから」自分には価値がある、という話になります。

 

勉強ができなくても〇〇ができれば、という「多様性」の考えは否定はしません。

でも、それって「〇〇のジャンルで他人より優れていること」が自己評価の源なわけで、モノサシが多様なことはもちろんモノサシが単一なことより良いのでしょうが、結局「人と比べている」点では変わりありません。

 

具体例で言いましょうか。

勉強はできないけど音楽が得意。絵を描くのが得意。容姿端麗。エトセトラ。

たしかに「勉強で人と比べられること」からは逃げられますが、今度はそのジャンルでまたランキング合戦になります。

 

「〇〇ができるから」自分には価値があるというような評価自体が、もっと言えば「自分を評価する」こと自体が、無間地獄への入り口な気がしてなりません。

 

本当の意味で「自分を評価」できればそれで幸せなんですが、自分の「価値」にばかり目を向けていると、それはカンタンに「承認欲求」に繋がっていく。

(私は、SNSが一般人をこの無間地獄に陥れた張本人だと思っております。)

 

自分の価値を

「〇〇できること」で計るのではなく

「どれだけ幸せを感じることができたか」で考えられれば

不毛な承認欲求地獄から逃れられるのではないでしょうか。

 

SNSなどを遠目で見ていますと、誰もかれもが「いいね」を欲しがっている。

でも、他人は「自分を評価するためのモブ」ではありません。

「評価されること」より「他人の役に立つこと」「外界を素直に称賛し楽しむこと」のほうが、よほど人生楽しいと思っています。

 

話を教育に戻しますと。

本気でわが子の自己肯定感が心配なら、今のわが子の点数や立ち位置をそのまんま受け入れて欲しい。

条件付きでしか家族を愛せないなら、自分も「条件付きでしか愛されない」ということを覚悟しなければいけないと思う。

裏を返せば、自己肯定感の低い子の親御さん本人が自己肯定感が低いのでは?そのため、「〇〇が得られなかったら幸せになれない」と思い込みすぎているのでは?