とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

自粛生活の、あえて「良かった探し」

1年半ほど前を境に、世界は変わってしまいました。

全世界の人が、それぞれに辛い状況だと思います。

私は早々にヒキコモリ生活に移行しましたが、それはフリーランスだからできたこと。だからといって「自分は(比較的)安全だから世の中はどうでもいい」とは、もちろん思っておりません(汗)。

エッセンシャルワーカーのみなさまのことはもちろん、いろいろなニュースを見ると、そのたびに、大げさでなく毎日胸が痛んでいます。

もはや、「コロナ禍以前」を感覚としては思い出せないのですが(人って慣れるの早いですね)、でも「日常」が戻ってくる日を願います。

 

そんな状況だからこそ、あえて自粛生活の「良かった探し」をしてみたい。

念のため補足しますが、もちろんのこと、「コロナが流行って良かった」ではありません。「コロナ禍で『自粛』になって良かったこと」です(汗)。

 

・「生きている」ことがありがたいと思える毎日

加齢とともに死が若い頃よりは身近になったとはいえ、持病を持たない身は「健康」のありがたさが全然わかっていなかった。

今日生きているということ。

それが、実はすごい奇跡なのだということ。

道端の名も知らぬ雑草にも感動する毎日です。

 

・身近な「街」を知ることができた

コロナ禍以前は、日々、息つく暇もなく仕事と移動の毎日でした。

「目的地」に一番速く着く移動手段しかとれなかった。

でも、こうなって「徒歩」「自転車」を活用するようになって、今までだったら一生知らずに過ごしただろう身近な風景に出会えている。

コロナで「遠くへの旅行」はできなくなったけれど、近所にたくさん素敵な場所を見つけた。

 

・「人」を、より大事に思うようになった

一期一会、ではないですが。

時間、瞬間、人とのつながりというのは「当たり前に続くものではない」ということを痛感させられています。

また、前述しましたが、こういう状況で医療や物流にあたられている方たちに、より感謝の念が湧く毎日です。

 

・風景がいつも美しく見える

前述とかぶりますが、「当たり前」の風景が、毎日、美しく思えます。

それが自分にとってはとても嬉しいことです。

 

・人間の適応能力のすごさ

 

数年前ですが、(コロナとは関係なく)将来が不安になったときに、ある年配の方が言ってくれた言葉が忘れられません。

「その歳になったら、また考え方が変わっているから大丈夫なのよ」

素晴らしいお言葉です。

これは、いま受験でせっぱつまっている若者のみなさんにもぜひ伝えたい。

「いまの物差し」で考えるから、5年後や10年後が不安に思える。

いま受験に失敗したら、もう終わりだと思えてしまう。

違うのです。

「5年後の自分」「10年後の自分」は、もっと違う「物差し」を身に着けている。

その「物差し」は、いまよりずっと大きくなっている。

今、不安に思えてしょうがないことは、後から考えたら「たいしたことない」になっている、絶対。

 

なんか話がそれちゃったけど。

要は、人間ってどんな状況になっても適応力がすごいということです。

この自粛生活が、あと10年続くはずはない(たぶん)。
だから、「できなくなったこと」を嘆くのではなく「いま」を大事にしていきたい。

そんな風に思っています。