とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

わが子を「ネタ」にする親たち

いまこの記事を書くとまるで某漫画家の炎上に便乗しているように見えるであろうことは嫌なのですが、おかげでずっと思っていたことがやっと「書ける」のかなと思うと複雑な気がします。(これまで過去記事でtwitterをしない理由や精神的DV、親の承認欲求の怖さについてはさんざん書いてきたので、ずっと読んでくださっている方にはわかっていただけるとは思っています(汗))

一応関連過去記事。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

mikoto2020.hatenablog.com

twitterでもインスタでもブログでも、「わが子ネタ」は枚挙にいとまがない。

しかし正直なところ、ずっと昔から私は育児漫画というものが苦手。

理由は四つ。

 

そもそも子供の人権無視

子供は基本的に井戸端会議ですら家の中のことを他人に話されるのを嫌う。

赤ん坊のころの話を大人になって聞かされて本人も笑い流せるのは、せいぜい親戚が集まったときに悪意のないおじちゃんおばちゃんから聞かされる自分の昔ばなしだろう。

いくらフェイクを入れようと、「自分が幼少期にやらかした話を、赤の他人が、しかも大勢知っている」ということは恐怖&羞恥でしかないだろう。

 

有名作家の子ですらネタにされて一般大衆から「消費」されることに慣れられないのに、いまやそこら中、子供ネタのSNSだらけである。

中には個人が容易に特定されるものや顔出ししているものも少なくない。

そういう「発信者」の多くは「子供に許可を取った」と言うが、

全世界に私生活が発信され

消えないデジタルタトゥとなる

ことの本当の怖さを小中学生が理解しているとはとても思えない。

 

ゲスと良識のギリギリを攻めていたマスコミがいまや街角の風景を映すときには歩行者にもれなくモザイクをかける時代に、子供を一番に保護すべき存在の親たちがモザイクなしで子供の顔を載せたり、子供の(のちに本人にとっては黒歴史になるであろう)エピソードをガンガン載せたりしている。不思議でならない。

 

リアルとネットの逆転現象

私には子供はいないが、愛してやまない犬猫がいる。

犬や猫の動画は私もよく見るし、子供の動画とは違ってそれらを批判する気はない。

ただ、それでも私が「ウチの子」をネットに公開する気にならないのは、「『いいね』が自分を狂わせるリスク」を避けたいからである。

 

人間は弱い。

 

『いいね』がもらえて素直に嬉しかった気持ち

『いいね』がもらえないと不安な毎日

に、いとも簡単に変わってしまう。

 

ほんの短期間ではあるが、twitterをやっていたときに「バズってどんどんネット>>リアルになり、日常が『ネタ探しの場』になってしまった」人をたくさん見てきた。

芸能人ですらプライベートの時間を大事にする時代に、一般人が24時間「いいね」を気にするというのも皮肉な時代だなあ。

 

そもそもですね、「ネタ」ってそうそう毎日起きないですよね。

たまに身内がおかしなことをしたときにフェイク入れてちょこっと書くならまだわからなくもないんだけど、毎日毎日パートナーや我が子のことを全世界に発信することが「義務」になっちゃってると、大げさに言えば中毒になってるのかなと感じます。

 

家族からしたら「また私たちのことを世界に向けてポチポチ発信してるんだな」っていうのは恐怖なんじゃないかなと思いますが、それが当たり前になってしまっていると家族側も麻痺しちゃうのかな?その辺は私にはよくわかりませんが、私が「ウチの子」をネットに載せないのは、毎日毎時間彼らとすごす時間が大事であり、そのときに「これ、記事に使えるかも」と考えたくないからです。

 

いわゆる「落とし芸」が目立つ

たまたま子供やパートナーがおかしなことをして「うっかり」笑いが取れてバズってしまうと、もっと面白いネタを…となってエスカレートするケースも多いですね。

 

ちょっと話がそれてしまいますが、「お笑い」でも下手な芸人さんほど、他人を落として笑いを取ろうとしますが見ていてしんどい

お笑いについて書きだすと長くなるのでまた別の機会にしますが、新春に「ドリーム東西ネタ合戦」を見て背筋が寒くなったネタがありました。いわゆるボッチの子が、痛々しい自己紹介をしてしまうというネタ。途中で相方からフォローがあるのかと思いきや、どんどん奇行がエスカレートし、相方はそれを馬鹿にし観客はただ嘲笑う。

私は漫才が好きですが、「ボケの言動をツッコミが嘲笑う系」は苦手ですし、やはりそういうコンビは長続きしていない気がします。

サンドウィッチマンさんやナイツさん、和牛さん、そのほか良識をお持ちだなと感じるコンビのネタは、「常識人がボケの行動に困らされている様子」がおかしいわけで、観客は「ボケの行動そのものを嘲笑って」いるわけではありません。

そうなってしまっては、それはもう観客の憂さ晴らしであり公開イジメです。

 

「他者を落として笑いを取る」のはカンタンなんですよ。

身内のネタをさらして「いいね」をもらうのも同じです。

私は俗に言うイジリ芸とやらも大嫌いですが、あれってやってるほうは「イジッてやってる」と思ってるらしいですね。

わが子の恥を晒して生業にしている作家さんやSNS発信者さんは、わが子が「うちのおかん/おとん、昨日腹出して寝てたわ~」とか「昨日の飯がマズかった~」とか毎日発信しても平気なのかな。

ま、イジリ芸をする人ほど自分がイジられるのを嫌いますからね。

 

他者をイジらなくても感動や笑いは取れるのですが、それには自分の中で熟成する時間やエネルギーが必要。だからカンタンにウケたいと他者や身内をイジってしまうんだなと考えています。

 

まだ育児途中な人が、なぜ自分の育児を成功例と喧伝できるのかわからない

育児論を上から目線で語ってきた有名人の子がグレるのは珍しい話ではありません。

荒川弘さんが育児ネタを書いてほしいというオファーを「子供が巣立ったあとに、もし子供から許可が出たら」とすべて断っているのは有名。

 

私は、ここでもさんざん書いているように人間の幸せは自分が幸せだと感じたらそれでいいと信じているので子育てに成功も失敗もないとは考えているけれども、それでも。受験で教育虐待した結果くずれた子供などを多々見ていると、やはり子育て論を上から目線で語れるのは育児が終わってからじゃないかと思っています。

たとえば、社会に出たばかりの新人が「こんな工夫をして頑張っています」ならわかるけど「仕事とは」「社会とは」とか上から目線で語ってたらチベスナ顔になってしまうのと似た感じです。

「道半ば」にもかかわらずリアルタイムで発信することの難しさを感じます。