とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

自粛生活の、あえて「良かった探し」

1年半ほど前を境に、世界は変わってしまいました。

全世界の人が、それぞれに辛い状況だと思います。

私は早々にヒキコモリ生活に移行しましたが、それはフリーランスだからできたこと。だからといって「自分は(比較的)安全だから世の中はどうでもいい」とは、もちろん思っておりません(汗)。

エッセンシャルワーカーのみなさまのことはもちろん、いろいろなニュースを見ると、そのたびに、大げさでなく毎日胸が痛んでいます。

もはや、「コロナ禍以前」を感覚としては思い出せないのですが(人って慣れるの早いですね)、でも「日常」が戻ってくる日を願います。

 

そんな状況だからこそ、あえて自粛生活の「良かった探し」をしてみたい。

念のため補足しますが、もちろんのこと、「コロナが流行って良かった」ではありません。「コロナ禍で『自粛』になって良かったこと」です(汗)。

 

・「生きている」ことがありがたいと思える毎日

加齢とともに死が若い頃よりは身近になったとはいえ、持病を持たない身は「健康」のありがたさが全然わかっていなかった。

今日生きているということ。

それが、実はすごい奇跡なのだということ。

道端の名も知らぬ雑草にも感動する毎日です。

 

・身近な「街」を知ることができた

コロナ禍以前は、日々、息つく暇もなく仕事と移動の毎日でした。

「目的地」に一番速く着く移動手段しかとれなかった。

でも、こうなって「徒歩」「自転車」を活用するようになって、今までだったら一生知らずに過ごしただろう身近な風景に出会えている。

コロナで「遠くへの旅行」はできなくなったけれど、近所にたくさん素敵な場所を見つけた。

 

・「人」を、より大事に思うようになった

一期一会、ではないですが。

時間、瞬間、人とのつながりというのは「当たり前に続くものではない」ということを痛感させられています。

また、前述しましたが、こういう状況で医療や物流にあたられている方たちに、より感謝の念が湧く毎日です。

 

・風景がいつも美しく見える

前述とかぶりますが、「当たり前」の風景が、毎日、美しく思えます。

それが自分にとってはとても嬉しいことです。

 

・人間の適応能力のすごさ

 

数年前ですが、(コロナとは関係なく)将来が不安になったときに、ある年配の方が言ってくれた言葉が忘れられません。

「その歳になったら、また考え方が変わっているから大丈夫なのよ」

素晴らしいお言葉です。

これは、いま受験でせっぱつまっている若者のみなさんにもぜひ伝えたい。

「いまの物差し」で考えるから、5年後や10年後が不安に思える。

いま受験に失敗したら、もう終わりだと思えてしまう。

違うのです。

「5年後の自分」「10年後の自分」は、もっと違う「物差し」を身に着けている。

その「物差し」は、いまよりずっと大きくなっている。

今、不安に思えてしょうがないことは、後から考えたら「たいしたことない」になっている、絶対。

 

なんか話がそれちゃったけど。

要は、人間ってどんな状況になっても適応力がすごいということです。

この自粛生活が、あと10年続くはずはない(たぶん)。
だから、「できなくなったこと」を嘆くのではなく「いま」を大事にしていきたい。

そんな風に思っています。

講師は親のここを見ている(3)~面談&メールの長さ~

以前書いたこととかぶってる気もしますが、まあブログというのは「その人のブログを過去記事まで全部さかのぼって読む」というものでもないと思いますので、気にしないことにします(笑)。

考えたら、出版されている本ですら焼き直しが多いわけですからね(これは、悪いことだとは思っていません。短期間での焼き直しはよろしくないですが、本というのは予想以上に早く絶版になってしまいますしね)

前置きが長くなりました。

 

講師側から見て「これは困る…」という筆頭が「面談やメールが長い」ことです。

いや、別にいいんですよ?

前も書きましたけど、私も今必要だなと感じたら小一時間面談してます。

面談やメールが長くて困るのは以下のケースです。

困る、というか、我々講師が困るというより「結局生徒が困る」ケースです。

 

 

 

1)「良い話」しか聞きたくない

 

面談が長くて「徒労感」を感じるのは

「親が聞きたい話しか聞きたくない」

ケースですね。

 

いろいろ相談されるけど、

「大丈夫!〇〇くんは××に受かりますよ!」

しか聞きたくないケース、多いです。

 

こういう場合

・××を目指すなら、今これだけのことはしなければ

・××の抑えとして、△△を調べておいてください

・××を目指すには、本人のやる気が不足しています

などの助言は、完全にスルーされますね。

 

もうね、話していてすぐわかるんですよ。

「あ~、聞いてないな」って。

だったら「相談」はしないでほしい、こちらの時間も有限なので。

 

というか、肝心のお子さんのためには、そういう話を「今」聞いていたほうが絶対にいい。この手の親御さんは、秋までは「聞かず」で通して「奇跡が起こるはず」と思ってる。でも、そこで奇跡が起きなくて慌てて抑え校を調べても、もう遅いです。

 

塾の先生や個人コーチが上記のようなことを言うときには、その100倍くらいの「問題」が起きています。塾の先生はクレームをとても恐れています。家庭教師のほとんどもそうだと思います。歯に衣着せぬことを言ってくれるのは「仕事に困らない売れっ子コーチ」だけです。

上記のようなことを言われた時には、ぜひ冷静になりましょう。

 

2)ひたすら愚痴

いや、いいんですよ?

親御さんのガス抜きをすることが、ひいては生徒本人のためになりますから。

でも、限度があります。

 

以前、同業者の方から「私は母親の愚痴は全部聞きます、それがプライベートな愚痴でも。それが家庭教師の役割だと思うので」と聞いてびっくりしたことがあります。

 

や、時々はいいと思うんですよ。

親御さんも、一人で溜めてる部分はありますから。

私も、そういうのは聞きます。

でも。

 

我々プロは「母親の愚痴相手」に、みずからの存在価値を置いてはいけない。

 

言葉は悪いですが、それは「母親を『落とす』」のには、一番近道です(苦笑)。

誰にも聞いてもらえない愚痴を話す相手、それに自分を位置付ければ、それだけで存在価値が出ます。ぶっちゃけ、母親の、子供や旦那さんへの愚痴を聞いて共感してあげれば、「母親からは」素敵なコーチだと思ってもらえます。そんな手は使いたくないけどな。

 

でも、我々がやらなければいけないことは、「生徒の望みをかなえること」。

親の愚痴を聞いて、共感してあげて、生徒はやっぱり第一志望は落ちて。

それでも「いい受験をしたよね」と言い合えるのは、親と講師だけです。

そんな「思い出作り」、つまり「茶番」に子供を巻き込んではいけない。

 

金を出しているのは親、だから親を満足させればOK、と考える講師は多いです。

子供ファーストな講師なら、親御さんの耳に痛い話もするはずです。

講師を「自分のカウンセラー」にしては、本末転倒です。

 

言い換えると、「私(母親・女)の悩みを聞いてくれる講師=良い講師」と思うのは危険だということです。もちろん、授業も素晴らしく、かつ親御さんのガス抜きをしてくれる講師もたくさんいるでしょう。でも、親御さんのガス抜き=愚痴聞きに力を置きすぎている講師は冷静に判断したほうが良いと思います。なぜなら、優れた講師はそこに力を注ごうとはしていないからです。

 

「この人、すごく『私の話』を聞いてくれる!」と思ったら、ちょっと冷静になってみてください。

 

3)メールが長く、送りつけたものは相手が覚えているはずと考える

 

面談が長い、とも共通する話です。

気持ちはわかります。

自分の思いのたけを、誰もわかってくれない。

だから、講師に長文メールを送る。

そこまでは、いいです。

人は、思いのたけを「書く」ことですっきりしたりしますからね。

 

でも。

「長文メールを送る」=「相手が全部了解してくれる」と思ってはいけません。

 

私、「共有」という流行り言葉が実は嫌いなんですよね。

好き勝手なことを書いて送り付けて、それで相手が「共有」すると思い込むのって失礼じゃないですかね?


本気で「共有」したいならば、それは通信にしろ対面にしろ、ディスカッションが不可欠です。自分が言いたいことをメールで送りつけて「共有」って超失礼。

 

まあ、「共有」は流行り言葉で使っているだけでそこまで深い意味はないと思いますが長文メールに「共有させていただきます」と書いてあるとムムム…と感じますね。

や、「共有」が「お知らせまで」という意味ならいいんですけど、多くの親御さんは「メールで送りつけた以上、その情報を講師は全部把握していて当然」という意味で「共有」という言葉を使われる方も少なくないので。。。

 

前回も書きましたが、長文メールを送ったら相手が全部それを覚えているはず、と考える親御さんは、子供に対しても同じ考え方をしてしまい、とてもリスキーです。

 

講師は親のここを見ている(2)~「書類」の出し方

授業がオンラインに切り替わると、テストや宿題などで書類をやり取りすることが多くなります。今回は、このデータの作り方に、親御さんの「思いやり」「仕事ができるかできないか」「子供への声掛けが適切か不適切か」までが透け透けで見えてしまいますよ、というお話です。

 

今回は、「受け取って困る度順」で書いていきたいと思います。

 

 

 

1)大量の写メ:困る度数★★★★★

はい、ぶっちぎりのトップです(苦笑)。

 

見づらい。

一枚一枚印刷しなければならない。

写真画像なので、印刷に時間がかかる上に暗く映る。

ファイル名が自動割り振り。

 

どれをとっても「受け取った側の利便」を一切顧みていないところがいっそ潔いくらいですね(苦笑)。
中には、大事なところが切れていたり、はたまた部屋が写り込んでいたり、というケースもあります。

 

人に資料を送る前に、なぜ自分で一度確認しないんですかね?そういう親御さんが子供に「なぜ検算をしないのか」と問い詰める資格はないと思いますがいかがでしょうか。

 

10枚以上の写メ、しかも順序もバラバラなものを受け取って講師が整理するのがなぜ当然だと思えるのか不思議です。。。

 

2)ファイル名に一貫性のないPDF:困る度数★★★★

 

生徒が少なければ、こちらで中身を確認してファイル名をネーミングしなおして保管ということも可能ですが、できれば、一貫したネーミングをしていただけるとすごく助かりますね。

なお、スキャンしたままだと、コピー機が勝手に割り振った機械的な番号になりますが、そのまま送るのは論外かと。

 

3)メールの大量な「補足」を読まないとわからない:困る度数★★★

 

断片的なファイル+大量なメール本文での補足、というのも結構困ります。

こういう方は、メールが過剰に長いのも特徴です。

 

なんといいましょうか、「しゃべるようにメールを書いている」んだと思います。

たしかに対面の打ち合わせで、資料を出しながらしゃべるのであれば、その場で相互確認ができますが、メールの場合はちょっと一工夫欲しいところですね。

たとえば、ファイル名を整理し、メール本文はファイル名ごとに箇条書きにする。

それだけで、断片的なファイルもだいぶ楽に読むことができます。

 

4)大量すぎるPDF:困る度数★★

「参考までに」と、ありとあらゆる資料を送ってこられますと、いささか困惑します。

もちろん、その生徒さんを理解するためにできる限り目を通しておりますが、ものには限度というものがあります。

メールについても同様です。

親御さんからすれば、「送った以上見てくれているはず」になってしまうのがリスキーだと考えております。そもそも、塾からの情報が多すぎるんですよね(汗)。で、親御さんのほうでそれを交通整理してくださると助かるんですが、ろくに見ずに講師に「丸投げ」するご家庭があるのも事実。


「丸投げ」されて処理する能力がないわけではないですが、正直申し上げると、それは授業料には入っておりません。以前にも書きましたが、丸投げされるご家庭は講師に「サビ残」を強いていると判断しております。

 

5)授業直前の資料送付:困る度数★

授業当日にいただいても、お子さんの授業の前に私どもはコマを持っておりますので「2~3時間前に送ったから読んでいるだろう」というのは無理です。

とはいえ、塾のあとに授業と言う場合はしかたがないですよね。

その場合は、こちらも「すみませんが今から読みますので少し時間をいただきます」と申し上げますので、それがご理解いただける場合は当日でも構いません。

 

6)一貫したネーミングのPDF&優先順位の補足:助かる度数☆☆☆☆☆

逆に、一番助かる資料がこちらです。

ファイルネーミングに一定のルールがあり、さらに優先順位が補足されていると最高にありがたいです。誤解のないように一応書いておきますが、「そうしてもらわないとミコトが処理できない」ということではないです。困り度五つ星★★★★★の資料でも、なんとかします、こちらはプロですから。でも、講師がやりやすい形で資料をいただけると、その分はるかにスムーズに授業できますから、結局はお子さんのためになるということです。

正直、資料ご送付方法の素晴らしい親御さんは、神に見えます(笑)。

 

7)おまけ:それぞれから推測される「子供への接し方」

 

1)大量の写メ 2)ファイル名に一貫性のないPDF の親御さん

・情報を俯瞰して整理することができない

・とにかく相手に送り付けて自分が楽になりたい

・送り付けたら自分の仕事は終わったと考えている

ここから推測できるのは、お子さんにも

・場当たりな指示

・言いたいことはその場で全部言ってしまう

・説教が長い

という対応をされているということです。

 

また、大変失礼ながら、職場では「指示出し」が苦手なタイプかと推察いたします。

言いたいことを全部言い切ったら「相手はわかってるはず」「できないのは相手が悪い」と考えるタイプと言いましょうか。こういう指示出しは職場でも御法度ですが、子供相手ならなおさらですよね。

 

3)メールの大量な「補足」を読まないとわからない の親御さん

・まとめる力が弱い

・「おしゃべり」したい

ここから推測できるのは、お子さんにも

・説教が長い

・メリハリがない

指示出しをされているということです。

 

ただ、これは職種によってはプラスにも働きますね。一見雑談に見える中からアイデアが生まれる職種と言うのも多々ありますから。でも、子供相手には、簡潔な指示出しが望まれます(笑)。

 

4)大量すぎるPDF の親御さん

・優先順位がつけられない

ここから推測できるのは、お子さんにも

・全部やれ

の指示出しになっているのではないかな、ということです。

以前も書きましたが、「1対多」の塾という形態自体が、どうしても「全部やれ」にならざるを得ないんですよね。

ご自身で優先順位がつけられないのであれば、個人コーチに相談してくださって構わないというか、それが私どもの存在意義でもありますので、どんどん相談してください。ただ、そこで我々がつけた優先順位は「信じて」いただきたい。

PDF大量送付の親御さんは、こちらがどんなに「今はこれはできなくていいです」と言っても信じない傾向がありますね。

 

5)授業の直前送付 の親御さん

塾のスケジュールとの関係で当日にならざるを得ず、そしてそれを講師が事前に読み準備する時間がないこともご理解いただける場合は、全く問題ありません。

たまに、直前送付でもこちらが読み込んでいるのが当たり前という親御さんがいらっしゃいますが、たぶん子供にも

・場当たりで指示

・それが「すぐ」できて当たり前

という接し方をしているんだろうなと察します。

 

6)一貫したネーミングのPDF&優先順位の補足 の親御さん

素晴らしいの一言です。

お子さんへの指示出しも、タイミング&量ともに、文句の付け所がありません。

さぞや、職場でも信頼厚いのだろうなと感服いたしております。

 

 

これらは、授業後の面談や日々のメールのやりとりにも通じるところがあります。

また、僭越ながら、親御さんのそれぞれのタイプは見事に子供に受け継がれています。

ぶっちゃけ、そっくりです。

お子さんの「欠点」を直したいならば、「自分も同じようなことをしてはいないか」と振り返ることは有効だと思います。

長くなりますので、また別記事にいたしますね。

 

講師は親のここを見ている(1)~コロナでわかる人間性~

多くの親御さんは、無意識に家庭教師や個人コーチを「下」に見ていると思います。

「金を払っている」という意識がそうさせるのでしょう。

でも、そう思い込んでいると怖い落とし穴がありますよ、というお話です。

 

私は、コーチ業とお医者さんは似ているな、と思っています。

身体の不調や、学習の不調を個別に診断し、個々にベストの処方箋を出し快方に導く仕事だからです。

お医者さんに対して「あ~、ヤブだな」と判断するケースはあるでしょうけれども、医師の力量が確かなものだとわかる場合、「お願いします、治してください」となるのが普通ですよね。

家庭教師も同じだと思うんですよね。

ヤブ=へぼコーチなら、見切りをつけて当然でしょう。

でも、もし相手が名医すなわち名コーチだった場合。

そのスキルに対して対価を払うのは当然であり、金を払ったからといって上から目線になるのは勘違いも甚だしいです。

 

何度も書いていますが、「売れっ子講師」は仕事を選べる立場です。

私は基本的に「子供ファースト」なので、ご家庭がいわゆる「地雷物件」でも、できるだけ頑張ります。でも、限界を超える地雷案件の場合、こちらからお断りしています。

 

相手が名医=名コーチの場合、「金を払っているから言うこと聞くはず」とは思わないほうがよろしいかと。なぜなら、相手は仕事を選べるからです。お医者さんの場合は、医師法もあり、どんなモンスターペイシェントでも診る義務がありますが、我々個人コーチにはその義務はありません。

「講師側から断られる可能性」は十分あるのです。

 

さて、本題に移ります。

世の常といいますか、いわゆる「地雷」的な親御さんに限ってむしろ重箱の隅をつつく勢いで講師をチェックされることが多いですが、たぶん彼らは「自分たちもまた相手から見られている、審査されている」ことを知らないのだと思います。

 

ここは営業ブログではなく、とある講師が本音を書くブログですので、「講師は親のこんなところをチェックしている」ということを書いてみようと思います。

同業の方には頷いていただけるのではないでしょうか。。。

 

今回は「コロナ対応について」です。

 

昨年の新春頃から、生徒・講師・親御さんそれぞれに、それを無視できない状況になりましたね。この頃のご家庭の対応は両極端でした。

・お互いのためにオンラインにしようとご自分から提案してくださる御家庭

・対面を望んではいるが、こちらのオンライン提案を受け入れてくださるご家庭

・対面希望を譲らないご家庭

ぶっちゃけ、3番目、すなわち対面を譲らないご家庭は、こちらからお断りさせていただきました。

それは、あまりにも自分本位だと感じたからです。

 

親御さんは比較的お若いからタカをくくっておいでなのでしょうが、こちらは重症化リスクの高い年代です。

さらに我々は個人事業主ですから、感染→休業となった場合、何の保証もありません。

今月に入り、デルタ株の「運び屋」は無症状の10~20代が多いということが明らかになってきましたが、当時からその懸念はありました。

にもかかわらず「うちの子さえ感染しなければ講師の命はどうでもいい」という御家庭に、どうしてこれまで通り授業ができようか?というものではないでしょうか。

 

さらに、それよりも怖いのは「講師が生徒にうつしてしまう可能性」です。

口では「だいじょうぶです!」と言っているご家庭も、もし講師から感染したら手のひらを返されることでしょう。

 

どうしても対面を希望されるなら

・徹底した衛生管理

・生徒に兆候が見られたら正直に申告する

・対面を強行したために講師が感染した場合は、その後のギャラを保証する

くらいの御覚悟が必要だと思います。

 

対面に固執されるご家庭は「ウチの子は対面で見張らないとだめ」と主張されるケースが多かったですが、正直、それはそれ以前の問題、ご家庭でなんとかすべき問題です。生徒自身が自覚を持っていれば、対面でもオンラインでもまったく効果は変わりません。むしろ、対面だと「子供ならではの甘え」が出ますがオンラインは授業に集中できますので、オンラインのほうが学習効果は高いと感じています。

 

皮肉なもので、「オンライン、ダメ、ゼッタイ」なご家庭ほど、

・お家が不衛生

・子供がウレタンマスク

・子供が咳をしていても授業強行

など、ちょっと信じられない状況でした。

 

そういうところを、我々個人講師も「見て」いるということです。 

五輪に学ぶ(3)~「子供の実力を見極めること」の大事さ

今日の女子10000メートルは、見ていて胸が痛くなりました。

なぜなら、「まさに受験レース」を具現していたからです。

競技参加者が全員精一杯やってきた場合、「下剋上」はありえません。

トップが敗退するという番狂わせ、はありますが、それを期待して闘うことは無謀ですよね?

勝ちに不思議の勝ちなし、というヤツです。

 

レースをメイクしようと先んじて飛び出した廣中選手は立派でした。

でも、結果は実力通りになりました。

受験で言うと、序盤飛び出しは、低学年で塾に入れる先取りコースですね。

最初はいいんですが、結局は王者に抜かれます。

(蛇足ながら、最後の最後までギデイにトップを走らせ利用し最後200メートルで抜いて金を取ったハッサンは、素人目にはずるい気がしましたが)

 

それはともかく。

今日のレース、あれがまさに受験レース。

でも、受験レースだと、ついつい終盤にキセキの追い上げがあるのでは、など期待して子供を追い詰めがちです。そんな親御さんには、ぜひ今日の10000メートルやマラソンを見てほしいですね。シビアですが、あれが現実です。

 

対戦競技は、相性も大きなファクターですから多少の番狂わせはありますが、それでも明らかに実力に劣ったチームが運で金をとることはありません。素人チームがごぼう抜きして優勝するのは水島新司先生の野球漫画の中だけです(笑)。

 

とはいえ、受験は五輪ほどシビアではありません。数百人という合格者集団の中に入れればOKなわけです。

問題は、今日の廣中選手のように、明らかにトップ集団からずり落ちた子供に、「まだごぼう抜きができる」と根性論で尻をたたき続けるケースです。

見極め、これが非常に大事です。

 

大学受験では、努力が才能を凌駕することが、ままあります。

なぜなら、高校の学問は才能だけでは突破できないからです。

 

一方、中学受験は、まだまだ才能が勝つレースです(もちろん努力は必要ですが)。だからこそ、才能だけで御三家入って深海魚になった子たちは、中堅校のトップにやすやすと抜かれていきます。


受験塾に4年から入れて最初はそこそこいい成績でも、ずるずる落ちて行ったときには奇跡の巻き返しを夢見るよりも、今日の廣中選手のように「自分の位置する集団の中でトップを狙っていく」ことが大事です。

 

受験の世界で下剋上がないわけではないのですが、それは「それまで塾に行っていなかった」「間違った勉強をしていた」「ウサギが寝ていた」ようなレアケースです。小4や、それ以前から通塾してそれなりに課題をこなしてきて中下位なら、視点を切り替えましょう。

小4から通塾して下位クラスでいまだに御三家や準御三家を夢見るのは、今日の新谷選手に「今からごぼう抜きして金を取れ」と言うのに等しいです。

 

学問の道は、長いマラソンです。そして、学者を目指すのではない限り、東大京大をはじめとする有名国立大学に入る必要はありません。オリンピックでは、金と銀銅さらに入賞との間には大きな溝があるように見えますが、それとてもマスコミが金ばかりもてはやすからです。レースを走りきること、レースの中で自分のポジションを冷静に判断し、実現可能な目標に手を伸ばし実現すること、それが大事です。

こんなことは、「トラックの外」「畳の外」に居る監督やコーチには十分わかるはずです。受験の場合、親が「トラックの中」に入って盲目になることが大問題だなと感じています。

どことは言いませんが大手塾は「親が競技場に入り一緒に狂うこと」を煽ってきますが、ここで煽られてはいけません。彼らは、親を狂気に陥らせないと課金させられないので煽るのです。不安商法に乗せられてはいけません。

選手=生徒と一心同体になってしまい狂気に陥っている親御さん、一度「競技場の外」に出てみてください。

五輪に学ぶ(2)~指導者はどうあるべきか

柔道ロスのミコトです。

柔道、本当に素晴らしかった!!!!!

みなさんそれぞれ「推し」はいらっしゃると思うんですが、私は

新井千鶴さん

濱田尚里さん(本来の文字が環境依存のため、別変換となることご容赦ください)

素根輝さん

にベタ惚れですね///

柔道ロスが激しくて、youtubeで御三方の動画を漁って見続けています///

 

それはさておき。

今回、日本柔道の大躍進の原動力は、やはり井上康生監督の影響が非常に大きい。

名選手、名監督にあらず、とはよく言われたものですが、やはり「天才」は「なぜできないの?」となりがちですし、「できない子ができるようになるような言語化=声掛け」が苦手なんですよね。

井上康生監督が日本柔道チームを立て直したこの9年間を見ても、指導者かくあるべし、と褌を締めなおさなければという心持がしています。

 

これまでも、私は「できない、は叱らない」「やらない、は叱る」という信念でやってまいりましたが、五輪を見てさらにその意を強くしました。

 

ただ、一方で中受の難しいところというのは、高校受験や大学受験、ひいては五輪のアスリートとは違って「本人が〇〇校を熱望しているわけではない」ケースが多いことですね。

 

mikoto2020.hatenablog.com

過去記事にも書きましたが、家庭教師ないしは個別指導のコーチの悩ましいところは、ここです。本人が熱望しているならできる指導も、「親が熱望しているだけ」で本人にやる気がない場合、指導は非常に難しいです。

正直言わせていただければ、「本人が〇〇を目指す気になってから連れてきてほしい」のが本音です。

これについては、長くなるので次回書きます。

 

サピックスの記述問題の「問題」

まあ、サピックスに限った話ではないのですが。

何度か書いてますが「記述力は集団塾では伸ばせません」という話です。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

文章力を伸ばすには、一にも二にも、「丹念な推敲」が必須です。

記述が苦手、と言っても色々あります。

・そもそもの読解ができていないケース

・主語述語がねじれるなど文法の問題

・言いたいことが表現しきれていない

など、原因は千差万別ですからマンツーマンでしつこくやるしかありません。

集団塾ではそんな時間はありませんから「キーワードがあればOK」という雑な指導にならざるを得ないのです。

そのため、小学生たちは

「正しい文章を書こう」

ではなく

「とにかくキーワードを探して書こう」

になります。

嘆かわしいことこの上ないですね。

 

ということは以前も書きましたが。

今回は、さすがにこの模範解答はないだろうと思いました。

7月度復習テストの大問3の問9。

主人公が兄を「うらやましがっている」描写はありません。

「自分より先に自立して外の世界に出た」ことを祝福する気持ちは伝わってきますが、羨望する気持ちはまったく伝わってきません。もし主人公に羨望の気持ちがあるのなら、「胸がちくりとした」というような表現を作者は入れるはずです。ここで「羨望」という感情を持ち込むのは、模範解答を書いた方がこういう場面で他人を「羨む」からなのでしょうか。

羨望とは少しズレますが、兄に対する「なんで自分だけ」「私を置いていくの!?」という激しい感情は、前のシーンでは書いてありますね。でも、設問の部分では、それらが「昇華」されているんです。だから「金色に輝いて見えた」んです。その「昇華」が「うらやんでいる」という表現では台無しです。

あくまでも、あの場面での軸足は兄にあります。「羨む」という感情は、自分中心の、自分に軸足のある感情です。全然違うのです。

記述問題を解かせるなら、言葉の一つ一つにもっと真剣に相対峙してほしいです。