とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

五輪に学ぶ(1)~「やる気」とは~

23日の開会式を号泣しながら見てそのまま五輪漬けです(^^;

もちろんオンオフはメリハリつけて、仕事優先でやってますが!

 

コロナ禍のもと、またメディアスクラムが与党批判のために五輪を否定にかかるという大逆風の中、土壇場でひっくり返る可能性もあるのに水面下で準備を進めたすべてのスタッフとアスリートの皆様に頭が下がります。

 

ある意味、無観客での開催と言うのは後から考えるとベストの選択だったという評価になる気がしてなりません。アスリートの方々にとっては(もちろん観客の声援がパワーになることはあるのでしょうが)結局、本番では「自分との闘い」になるのだなと痛感させられました。観客がいようといまいと素晴らしいパフォーマンスをなさっているアスリートの皆さんから、毎日、いや、毎時間学んでいる最中です。

 

チケット代や波及効果も含め、かような逆風下での無観客開催は金銭的には大きな痛手となることでしょうが、そこを取りに行って感染拡大があっては本末転倒ですし、かといって「だったらやーめた」というのも違いますし。

リモートだからこそ、配信で、テレビでは放映されない競技をじっくり見られていることも嬉しいですね!

今日は、カヌーとアーチェリーとサーフィンをできる限り観ました。

もちろん、柔道とスケボーもリアタイしましたが!

カヌーもアーチェリーもサーフィンもすごく面白いですね!

今日は大野くんや体操ニッポン、そしてスケボーに話題が集中していましたが、アーチェリーもぜひ多くの人に見てほしい素晴らしい戦いでした!

特に、追い込まれてからの最後の一射を、ど真ん中に入れてきた武藤選手の精神力に震えました。

 

そんなわけで連日、号泣しながら勇気と情熱をもらっているのですが、テレビ局や本部組織に言いたい……日本人選手だけじゃなくて、メダリストの外人選手にたくさんインタビューして流してほしい!

それが「おもてなし」だと思う!

たとえば阿部詩さんの宿命のライバル、ブシャール選手のインタビューは是非聞きたかった!ぶっちゃけ、タレントの観戦動画は要らないです。タレントを観るために五輪観てるんじゃないですから。その競技に詳しい方ならともかく、タレントって競技の勉強すらしてませんし(苦笑)。

 

話が逸れました。

オリンピックって、最初は日本人の活躍を期待して見始めていても、いつの間にかトップアスリートたちに魅せられていくものなわけで。日本人かどうか関係なく、メダルを取ったかどうかも関係なく、できるだけ多くの選手のインタビューが聴きたいし、日本人がメダルを取れそうにない種目でも、トップの方の来歴は知りたい。

1964の東京五輪とは違うんです。

国を超えてトップアスリートを観たい気持ち、たたえたい気持ちを多くの日本人が持っているはず。民放の五輪サイトもNHKの五輪サイトも日本人中心なのがちょっと寂しいですね。たとえばマウンテンバイクのイギリスの選手は来歴知りたくなりましたし!

 

語りだしたらキリがないんですが、やっぱり、日々学問を教えていて、「彼らほどの思いで日々勉強している生徒がどれほどいるのか」と考えると、ちょっとやるせない気持ちになります。

 

これは、五輪を見てにわかに感じていることではありません。

すべての生き物が、一日一日を真剣に生きている。

なぜなら「貯蔵」「生産」ができないからです。

 

人間は生産して貯蔵するという技を手に入れ、かつその「貯蔵」を「皆で分け合う」ことを覚えたせいで、怠けることができるようになりました。

「怠け」は「いざというとき」のための余力とも言えますから、悪だと一刀両断する気はありません。

ただ、親や周囲がどんなに必死で背中を押しても、お金をかけても「屁とも思わない」子供たちがいるのも事実です。彼らは、やはり恵まれすぎているんだと思う。勉強できるのはとても贅沢なこと。勉強に向いていないのなら、別にその贅沢を手放してもいい。でも、「生きること」には真剣でいてほしい。遊んでいても「食べるものに困らない」というのは、すべての生き物の中で非常に特殊なことなのだと知ってほしい。

 

以前も何度も書いていますが、理想を言えば、「本気で向上したいと思っている生徒」だけを教えたい。成績の良しあしではありません。偏差値30切っててもいいです。本人が本気かどうか、なんです。

 

たとえば、道場に、ふてくされたような子が来て不真面目にやっていたら即日辞めさせられますよね。「何かを教えてもらう」ということは、最低限「教わろう」という気がなければ失礼です。

 

こと勉強に関してだけは、本人はどうでもいいと思っていて=世の中なめていて、親がバンバン課金して「やる気スイッチを押してもらおう」とやってくる。

それは、違うと思っています。

 

講師もピンキリですが、トップ講師の授業を受けたいなら、生徒の方も襟を正して真剣になってほしい。そしてそれは、親の責任です。

受験業界が「やる気のない人間」まで引き受けてしまうのは、この業界、「教えたい人が多すぎる」せいだと思います(苦笑)。トップ講師の実力がなければ、やる気のない子を引き受けるしかないですから。

 

誤解のないように、念のため。

私は「親に『やる気』を潰された子」については、大いに味方であり最大限サポートしています。でも、もともとやる気のない子、については、これは講師のチカラ云々じゃないと思います。

 

アスリートの戦いは「一瞬」の戦い。

一瞬の勝負のために数年間努力できた人が、大舞台で輝く。

受験も一緒です。

ダラダラ日々を送っている子の一人でも、オリンピックを見て気づいてもらえればと願わずにいられません。

「特攻」する親

中受にしろ大受にしろ「特攻」と言われる受験が悪いわけではありません。

本人がそれを望むならば。

特に、大学受験はもう本人が自分で決めるべきですしね。

でも、世の中には「子供に特攻させる親」が少なからず存在します。

今回は、その特徴や弊害について書いてみます。

 

1)「特攻受験」させる親の特徴と志望校選び

特攻させる親の一番の特徴は「偏差値しか見ていない」点です。

偏差値が良ければ良い学校だと考えている。それは明らかに間違いなのに。

模試の志望校入力欄を無駄にする

模試の志望校記入欄に、中受なら2月1日午前の学校がズラッと6校並ぶ。

これ、小5までならかまいません。その頃の志望校判定なんてほとんど無意味ですから。また、大学受験も、国公立以外は受験日かぶらないのでかまいません。

でも、小6の夏からは、現実的な戦略を考えていかなければなりません。

なのに、偏差値順に上から6校。当然、ほとんど20パーセント未満判定になります。

子供が絶望するだけで、無意味です。

 

実力相応校を一切調べていない

中受はマストではありませんし、公立中という受け皿もあります。

「受けたい学校を受けて、ダメなら公立」と割り切っているならいいですが、「私立中には行きたい」ならば、実力相応校や安全圏の学校は、遅くとも小6の春ごろからきちんと調べておくべきです。

特攻させる親は、秋冬まで「特攻リスト」以外の学校には目もくれていませんが、秋冬に慌てて目標を下げると親子ともども後ろ向きな受験になります。特に子供は「自分は頭が悪いからここにしかいけないんだ」となりがちです。

受験で一番大事なのは、「ここに行きたい!」と思えることです。

特攻する親御さんに何度「幅広く説明会や学校見学に行っておいてくださいね」と言っても聞く耳持っていただけません。

正直なところ、三度勧めても見学にすら行かない親御さんについては、もうこちらとしてできることはありませんね。特攻全落ちするんだろうな、とこちらにはわかっていますし、実際毎年そうなりますので忸怩たる思いです。

もし、このブログを読んでいる親御さんで、塾や個別コーチから「〇〇も見ておいてはいかがでしょうか」と言われてる方がいらしたら、それはオブラートにくるんだうえで「そこが相応校」と言われているわけですので、馬鹿にしないで一度は見ておいて欲しいです。秋になってからでは遅いです。

特攻校以外調べない心理とは

これは推測でしかありませんが、チャレンジ校以外調べようともしない心理とは、「神風頼みの旧日本軍心理」ではないかと思います。

以前も書いたように、入試とは上から順の徒競走でしかありません。資格試験とは違います。「勝負」ですから、負けることもあります。

勝負に臨むとき、「負けたらどうするか」を考えないのはきわめて危険です。

スポーツのように、勝負がすべてで負けたらそれまで、ならかまいません。

なぜなら、甲子園やオリンピックは、それこそがゴールだからです。

でも、受験は通過点でしかなく「そのあと」があるのに、負けた時のシミュレーションをしていないのは怖すぎる。

特攻親たちには、シミュレーションをすること自体「逃げ」に思えてしまうのでしょうが、それこそ太平洋戦争における上層部の思考停止とそっくりではないですか?

「負けた時のシミュレーション」は、「逃げ」ではなく「備え」ですよ。

バクノビに期待しすぎ

たしかに、精神年齢が低い小学生の場合、小6秋どころか冬に「覚醒」してバクノビするケースもあります。

ただ、それはあくまでも「可能性」です。

覚醒が中学受験に間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。

それは神のみぞ知る、です。

親たるもの、そんな不確定な「神風」に期待するのではなく、銃後の構えをしておくべきなのではないでしょうか?

 

2)特攻親の弊害

後ろ向きの受験になる

後伸び期待の「無策の高望み」をしていた親子が、小6の秋冬にどうにもならず志望校を下げるケースも多いです。学校見学にも行っていませんし、「そこに行きたいから受ける」受験ではありません。

この場合、子供は当然「親から志望校を変えられた」という押し付けられた受験となりますし、肝心の親も、そこに受かっても嬉しくはない。

追い込みの時期はたしかに3か月程度ですが、短いようで長いです。

「行きたくもない学校」のために3か月間頑張れますか?


中受の場合、子供がずっと引きずることになる

土壇場で志望校を下げた場合、子供の中には「どうせここにしか行けなかった」という思いが残ります。

そもそもの「特攻志望」が親からの押し付けであった場合は、子供の方は実は内心で「ここが自分の相応校」と思えますから、意外と切り替えて中高を楽しめる場合もあります。

でも、特攻親に洗脳されて「〇〇しかない」と思っていた子が「やっぱりお前には無理だから××を受けろ」と言われたら、それだけで相当傷つきます。

とても前向きに受験には望めませんし、たとえ受かったとしても「ダメ校に進んだんだよな、自分は」と感じてしまいます。特攻親が志望校を下げる場合、「ここが良いからここにしろ」ではなく、親から「やむなし」オーラが漏れ出ています。こういうケースで、高校になっても「俺は/私は中受に失敗しましたから(苦笑)」と言う高校生が多くてつらくなります。

相応校や安全校の対策がおそろかになる結果「全落ち」

一番怖いのはこれです。

特攻親は、偏差値でしか考えていませんから「偏差値下げれば受かるはず」と思い込んでいます。

受験をなめるな。

特攻親が持ち偏差値より10も20も高い御三家準御三家を夢見ていた間に「相応校」や「安全校」を第一志望にしていた親子は、そこを目指して不断の努力をしています。

高校受験や大学受験ならば、ある程度「偏差値下げればOK」な部分はあります。

それは、出題形式や傾向の差はあれど、偏差値に合格率がほぼ比例しているからです。これは、中受とは比較にならないほど「全国区での勝負」だからだと思います。過去問研究をしなくても、偏差値を下げれば受かります(私も、赤本は東大しかやってません)。また、本人のメンタルも成長していますから「志望校下げたからやる気がなくなる」ということは少ないです。自分で自分をわかっているからです。

 

でも、中受は違います。

附属中(早稲田系除く)は「偏差値は高いけれど入試は簡単」な学校がある一方で、頌栄のように非常にクセのある問題を出す学校もあります。

中受は、学力に加えて何よりも「過去問研究」「そこに行きたいという意志」がモノをいいます。

学校説明会に何度来ていたかをカウントしている学校もありますし、そこまでしなくても説明会だけの情報(〇〇を出題します、とか)を教えてくれる学校もあります。

 

「どこでも受かる子」なら、過去問すらやらずに受かるでしょう。

でも、「御三家/準御三家を『目指していた』」ことは、「御三家/準御三家に受かる力がある」こととは、もちろんイコールではありません。

この誤解が起きるのが、中受の怖いところです。

高め狙いをしていた親は、狙ってただけなのに、なぜか自分の子はその実力があると勘違いしています。だから「偏差値下げれば受かる」と誤解します。

 

志望校を変えるなら、ゼロスタートの気持ちでその学校に真摯な気持ちで臨まなければなりません。

でも、できない。

特攻親子が志望校を下げても(本人にとっては)まさかの「全落ち」するのは不思議でもなんでもありません。

3)それでもバクノビを期待するなら

中受なら2月1日午前、大学受験なら国公立前期、これは本人が一番チャレンジしたいところに「特攻」させてもいいでしょう。高校受験とは違い、受け皿があるわけですからね。

ただし、本人がそれを特攻だと自覚しており、それがダメだった場合を受け入れられる場合です。親子そろって「神風頼み」はいただけません。

2月1日に特攻させるなら、そのほかの受験校は、親が細心の注意を払って戦略を練ってほしい。大学受験は、まあどっちでもいいです(浪人絶対無理な場合を除く)。

なぜなら、2月1日午前校が「特攻」の場合、高確率で落ちるからです。

「そのあとをどうするか」を、子供のメンタルも含めて絶対に親はシミュレーションしておくべき。その「備え」がないなら、特攻をさせる資格はありません。

 

おまけ:小4~5の親御さんへ

小4~5の親御さんも、シミュレーションをしていて欲しい。

まだ時間があるだけに「バクノビ神風」の可能性にすがりたいのはわかります。

実際、その可能性は、確立としては(低いですけど)あります。

でも、はっきり言います。

小6でバクノビする子というのは

・精神年齢が低かったのがようやく小6で追い付いた子

・それまで本気出してなかった子

です。

低学年、あるいは小4からガチでやらせてきてビミョウな感じなら、「現時点では」そこが上限です。子供の伸びる時期は、千差万別です。小6には「間に合わない」ことも多いです。そういう子が中高で覚醒することもあります。

バクノビ神風頼みではなく、

・成長期が中受に間に合わなかったらどうするか

のシミュレーションは、ぜひしておいていただきたいと思います。

 

 

「わからない」と言われてもすぐに教えてはいけない

 以前も書きましたが

すぐ教えるコーチはダメコーチ

です。

mikoto2020.hatenablog.com

 

集団塾は「考える時間」を与えてくれませんから、ただでさえ勉強苦手な子は「考え抜く習慣」がありません。すぐ「わからない」と言います。「わからない」と言えば大人が教えてくれるからです。

 

子供が「わからない」と言ってきたとき、すぐに教えていませんか?

教える前に「考え抜いた形跡があるかどうか」チェックしてください。

 

本人が考え抜いた跡があり

それでも「ここから先がわからない」と言えるなら、もちろん教えてOK。

でも、

 

・本人の能力から考えて、「考えればわかるだろう問題」を、わからないと言っている場合

・さっと見て「無理」と言っている場合

は、あえて突き放すべきです。

 

子供は、(大人よりはスレていませんが)大人が考えるよりも意外と狡猾です(笑)。

「勉強いやだ!」と言って投げ出す子は、むしろ純粋。

「やったけどわからない」と言えば、大人は「努力はしたんだね」と思ってくれて解説してくれる。解説を聞いていれば、勉強したことになる(こういう子は、聞いちゃいませんが。だから何度でも同じ間違いをします)


いわば、「アリバイ作り」なんです。

 

小賢しいアリバイ作りに乗ってはいけません。

 

これは、もちろん数・英・理社にも言えることですが、一番は「国語/現代文」です。

 

mikoto2020.hatenablog.com

ちょっと難しい文章になると途端に投げ出し「読んだけどわかんなかった」という子に「解説」をしてはいけません。それではいつまで経っても読解力はつきません。生徒と講師あるいは親塾なら親御さんの間の「勉強した/させたつもり」のアリバイ作りになるだけです。

 

アリバイ作りに乗っていくら解説をしようが、こういう生徒は決して一人でできるようにはなりません。でも、親御さんにしてみれば「あれだけ教えたのに」という気持ちがありますから、バトルになります。

 

結果として、成績が上がらないだけならまだいい。

「アリバイ作りが通用する」と誤学習した子供は、社会に出ても同じことをします。

「やったけどできませんでした」と言えば叱責はされるでしょうが、その叱責さえ馬耳東風でスルーしておけば、結局仕事のできる人間が代わりに尻ぬぐいしてくれます。

そういう人間にしてしまっていいんですか、という話です。

 

「靴ひもが結べないよ~」と言ってる子の靴ひもを結んであげることは、決して本人のためにならないということです。

コスパの良い人生とは

何度も書いてますが、私は人生に「コスパ」という概念は一番そぐわない、と思っています。(これまた何度も書いてますが、かの養老孟司先生も「究極のコスパは今すぐ死ぬこと」と仰ってます。)

 

でも、あえてその流行に乗るとしたら。

コスパの良い大学」とは、昔のMARCH、今なら日東駒専な気がします。

ここで言うコスパは、稼ぎとかそういうことではなくて「日々、幸せを感じられる確率が高い」というイメージです。

偏差値は高けりゃいいってもんじゃないといいますか。

 

持って生まれた地頭が突き抜けていて東大いかないともったいないとか、本人が勉強オタクだとかならいいんですけどね、東大目指しても。

 

「上」に行けば行くほど、「話が通じる相手」が減るんです。

もう、本当に孤独(笑)。

 

社会に出たら「手加減」をしないと「東大生の話はわかりにくい」と非難されますから、東大生同士ならツーカーな話を常に相手にわかるようにかみ砕いて話さなければいけない。この「常に」っていうのが、かなりのカロリー要するんです。はっきり言わせてもらえばストレスです。東大卒で民間就職してうまくいってる人はたいていこのスキルを身につけていると思います。でも、考えたら「なんでこっちばかりが努力しないといかんのだ」という疑問は湧きますね。

 

学問が好きで東大行った子は、そのまま大学残って研究者目指したほうがいいよ。

 

「少しでも高ヘンサチの大学!」と焦っている親御さんたちに言いたい。

本人が学問オタクなら突き抜けさせればいいけど、そうじゃないなら、そこまで東大京早慶コースはパラダイスではないですよ。

日々の幸せ、って、おそらく「ボリュームゾーンにいる人たち」が一番感じられるんだと思う。これまた「隣の芝生は青い」かもしれないけどね。でも、超一流と言われる会社に入っても東大生は少数派で早慶の方が幅をきかせてますし、普通の会社だったらそれが早慶日東駒専の関係になるんじゃないかな。

会社だけじゃなくてね。

「わかるわかる~!」が言い合えるのはボリュームゾーンだろっていうね。

勉強に限らずどんなジャンルでもトップ層は孤独です。

 

浮きこぼれ」の子は、そりゃ御三家に行った方が楽に息ができると思うけど。

 

これまた何度も書いてますが、学歴による年収の差なんて誤差ですよ。

それまでに費やした時間とお金も考えたらね。

 

家庭教師やってみて良かったなと思うのは、「とてつもない家に住んでるご家庭」は、先祖代々の富裕層であって、有名大学に入ったくらいであの生活が手に入るわけではないとわかったことですね。

それを肌身で知って、「セレブをいいなあと思う気持ち」が雲散霧消しました。

自分自身は、高学歴が欲しかったのではなく、勉強オタクゆえに東大目指したわけですから大満足ですし、いまでも勉強が好きでしかたがないので自分の来し方をまったく後悔はしていませんが。

 

まあ、何が言いたいかと言うと

勉強が好きなら一番行きたい大学を目指せ

勉強が好きではないなら、そこまでやらなくても十分幸せになれる、だから中受偏差値40くらいで子供にキーキー言わなくても大丈夫だよ

ってことでしょうか。

 

「親の欲目」の逆パターン

個人コーチやってると、よくいて困るのは「ウチの子はもっとできるはず!」と、子供が発達障害でも認めようとしなかったり、子供の潜在能力の限界を無視する親御さんなんですが、ときどき逆パターンもあります。

 

「親の欲目」の逆パターンとでも言えばいいんでしょうか。

生徒の良いところを伝えても「でも〇〇ができないので」という方と、それが極端になると「ウチの子は発達障害だと思うんです」という方がいますね。

パターン別に分析してみたいと思います。

1)子供の良いところを認めようとしない親

「以前できなかった〇〇ができるようになった」「この記述は素晴らしい」といった成績に直結することはもちろん、キャラ的に後伸びを感じさせる部分を褒めても、絶対に認めない親が結構多く存在します。

講師が褒めれば褒めるほど、「あの子にはこんな悪いところがある!」と訴えてくる。

まあ、気持ちはわからないではありません。

子供というのは基本的に「外面がいい」ですからね。

でも「実は家ではこんななんです!」と訴えられたところで、それは親子の関係ですのでこちらにはどうしようもないですね。

あれに似てますね、夫婦の愚痴。

旦那さん、あるいは奥さんを褒めると、相方がキレて「そんなことないです!家では〇〇ですから!」みたいな。

子供が褒められても喜ばず、悪いところを講師に言い募るお母さんって、自分一人が苦労していると思い込んでいて、誰かにそれをわかってほしいと願っているんだろうなというのはわかります。でも、その「自分一人が苦労している」という思い込みは止めたほうがいいと思います。家族もたぶんそんなお母さんに対して「我慢」していると思いますよ。

 

 ついでに言うと、この手のお母さんは、こちらが根負けして「たしかにお子さんはこういうところはダメですね」と言うと途端に「そんなことはない!」と反撃してきます。夫婦の愚痴を聞かされるときと酷似していますね。さんざん夫/妻の愚痴を聞かされて「そうだね、あの人はダメだね」と言うと「彼/彼女はこんないいところがある!」と言い出すパターン。うん、勘弁してくれ(苦笑)。

 

2)ウチの子は発達障害だ!と言う親(第三者から見てそうだとは思えないケース)

専門家ではないので断定はできないものの、成績が伸びない理由が「なんらかの発達障害」だなと思う生徒は、毎年多いです。そういったケースでは、オブラートにくるみまくって示唆しても、絶対に親御さんは認めません。そこを認識したうえで勉強に向かった方が絶対にプラスになるのに…と、臍を噛むことも多いです。

 

それほどまでに、親御さんにとって「わが子が発達障害」というのは受容できかねることなのでしょうが、逆に、どうみても定型の子を発達障害に違いないと言い募る親御さんもいらっしゃいますね。

経験上、2つのパターンがあるなと感じております。

 

・男子っぽい女児に対する母親の嫉妬のケース

理数系の女児は「男子っぽい」です。

プリントがランドセルの中でジャバラになるのは当たり前、「忘れ物の女王」とか学校で言われたりする。

でも、それ、「女子の物差し」で見てるからなんですよね。

私立の女子小ってそういうの許しませんから、ちょっと忘れ物が多いだけで「忘れ物の女王」とか先生が言っちゃう。

でも、個人コーチの目から見て全然許容範囲。

男子なら「あるある」で済まされる範囲。

こういう、理数が得意だけどどっか「抜けてる」女子に、母親が手厳しすぎるケースを多々見ております。

おそらく、あの母親たちも子供が男子なら「ダンスィあるある」と言って許しているはず。でも、この手のお母さんは「ウチの娘は絶対ADHD!」と言われるので困ります。

「自分を(学業的には)抜くのがわかっている女子」に、母親が嫉妬してダメの烙印を押したがっているように見えてなりません。

・「できない」理由を発達障害に求めるケース

「できない」理由はさまざまです。

12歳の時点では、親が望むほどには「成熟」していないケース。

持って生まれた能力が、親の望むレベルと乖離しているケース。

本人がやるべきことをやっていないケース。

人間にはみな向き不向きがありますし、健常/定型の子でも勉強は一定以上にはいけないケースももちろんあります。

 

何をもって発達障害と言うかは非常に難しいところではありますが、日常生活で本人が他者とのコミュニケーションに困難を抱えていない、かつ、公立小中の勉強が全然わからないという状況ではないのであれば、健常/定型の範疇かと思います。

 

最近多いのが「小学校のテストはほぼ満点だが、塾のテストでついていけない」子を「発達障害だからだ!」と言う親御さんですね。

 

何かと批判されがちですが、日本の義務教育はよくできていると思いますよ。

 

公立中学までの内容が理解できれば、生きていくのに困らない頭脳だと言えると個人的には感じています。

「うちの子は発達障害だ!」と親御さんが言う子も、それは「中受する層」の中で比べているからのこと。むしろ小学校では「できる子」です。

十分「できる子」を、勝手にハードル上げてそれに満たないからと我が子を発達障害認定するのは、「(現時点では)我が子の能力はここまで」を認めたくないから原因を障害に求めているように、私には思えます。


中学受験が過熱しすぎている弊害だと感じますね。

エクセルでスケジュールを作るな

この稼業やってると、しばしば出会うのが「エクセル親父&ママ」


もし、あなたが今。

エクセルで子供のスケジュール作っていたら。

今すぐやめましょう。

意味、ないです。
ましてや、講師にそれを見せて「その通りにやってくれ」とかナンセンスです。

 

それ、仕事した気になってるだけです。


正直、ご家庭からエクセルのスケジュールとか見せられると
「ああ…この親御さんは『仕事のできない人』なんだな」って思っちゃいます、ごめんなさい。

 

相手は子供。
理解の進み具合によって、かかる時間は全然違います。
時間管理なんて意味ないです。

 

表が無駄だって言ってるわけじゃないです。
大人だって、可視化するのは大事。
だから、作るんだったらto doリストにしましょう。
to do リストなら、「消込みの楽しさ」がありますからね!

 

残念ながら、講師にも「エクセル講師」は結構います。
なぜ彼らがエクセルスケジュールを作るかというと、
そうすると親ウケがいいからです(笑)。

一人の生徒に、家庭教師が複数つくケースもあります。

んで、その講師の一人が「エクセル講師」で、親御さんがそれを嬉しがる場合、ほかのまともな講師は辟易するだけです。あー、そんなんでいいんだー、みたいな。

 

子供の成長次第で「工程表」なんてバンバン変わる。
それがわかってる講師は「青図」はもっててもそんな細かい工程表は作らない、無駄だとわかっているから。

「〇〇の単元終了」ってことは、ありえないんですよ。

「教材〇〇の〇〇単元終了」ってことはありますけどね。

ある単元なら何が出てもOK!ということはありえない。
でもなぜあえて作るかと言うと「やってる感」が出せるから
全然実行しないのに、手帳の予定だけは完璧な人っていませんか?
そういうことです。

 

無駄っていうと語弊があるかな?
要は、相手は子供という「生き物」で、生き物に対して「工程表」って逆効果でしょ、ってことです。

あと「作っても無駄」以上に「作らないほうがいい理由」があります。
それは、エクセルで管理したがる親は子供をRPGの駒のように考えてしまいがちだということです。
ゲームなら攻略法しらべて工程表作って進めることはできます。

でも、相手は生身の人間です。
エクセル工程表作ってるうちに、どんどん受験が「親のゲーム化」していき「予定通りにいかない子供にイライラ」しはじめることになりますからね。

高校受験のススメ~「内申」ってそんなに怖い?

都内に限った話ですが、中学受験は過熱の一方です。

小学校低学年からの通塾は、リスクのほうが大きいと思っています。

詳しくは過去記事をどうぞ。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

で、そもそもなんでこんなに都内中受が過熱しているのか。

原因は、大きく3つのようですね。

 1)と2)については、多少わかる部分もあるのですが、3)については大いに疑問があります。「二月の勝者」のウソです。今回は、1)と2)について述べつつ、3)のリスクについて書きたいと思います。


1)公立小中の授業が退屈すぎるからもっと速く進めたい

お気持ちは、わかります。

ですが、はっきり申し上げて、それを言っていいのは「御三家に楽々受かる層」です。

 

塾に通って机上の知識を得、小学校の授業に対して「それ知ってるよ、馬鹿らしい」と言う小学生の多くが、東西南北を知らなかったり、食塩水の濃度が120パーセントだと答えたり、雨の日は洗濯物が乾きにくいことを知らなかったり、電車の時速が1200キロだと答えたりします(苦笑

 

小学校の授業は、たしかに「カンタン」かもしれません。

 

でも、それを馬鹿にする小学生の多くは「テキストの上での勉強」で進んでいるだけです。小学校が「遅い」のは、「下に合わせている」だけではありません。「わかったつもり」の子たちにも、実体験を通じて理解してほしいという狙いがあります。

公立小がカンタンすぎると言っても、それこそ「ペーパーテストだけ」のケースが多いのです。学問は、速ければいいということではありません。

 

あなたのお子さんは、本当に「小学校の授業は簡単だと馬鹿にできる」のでしょうか?

 

2)「できる子」が抜けたカスカスの公立中なんて行かせたくない

これは、学区によるでしょうね。

たしかに、学区が荒れていて、それを嫌がるご家庭はほとんど中受して私立に抜けてしまう学区なら、わかる気もしますが。

でも、経験上、東京都内とて、「荒れていない学区」では、日比谷や西に行ける学力があっても普通に公立中に進学する子は山ほどいます。

「公立中は荒れている!」と喧伝するのは、それで「得をする」人たちです。

私立中、そして中受関係者。

疑心暗鬼にならず、学区の公立中学を見直してからでも遅くはないのではないでしょうか。

 

また、教育掲示板などで「公立中はまるで魔窟」のように言う人たちって「私立に行かせた親」なんですよね。自分の選んだ道が間違いだと思いたくないからなんでしょうけれども。

公立中→公立高→難関大学は全然ありなルートです。

ご自分が私立ルートを選んだのはご自由ですが、選ばなかったルートをくさすのはやめてほしいところですね。

 

3)公立中の内申システムがクソ!

内申システム、ものすごく評判悪いですね(苦笑

でも、以前も書きましたが、「うちの子は不当に内申を悪くされている!」というケースを精査したら「提出物を出さない」が筆頭でしたよ(苦笑)。

 

そして、たしかに都立高受験において、内申点は無視できない比重がありますが、さりとて「当日点」で挽回不可能では全くありません。

 

副教科に関しても、決して「芸術点」だけで評価しているわけではありません。歌が下手でも音楽の授業を真剣に受け、試験も頑張れば少なくとも「4」は取れます。

つまり、公立中は「当たり前のことを当たり前にやっていれば」高校受験において不利と言えるほどの内申点はつけられません。

 

私、不思議なんですよね。

 

公立中の内申システムをクソクソ言うけど、じゃあ「私立中高一貫校における評定点」はそんなにフェアなんですか?

 

私は中高一貫校の生徒のサポートも長くやってきております。教え子たちに対して、それこそ首をひねるような評定が多々ありましたが。

 

「腕一本」すなわち本番勝負で大学受験するなら内部評定なんて気にする必要ありませんが、多くの中高一貫校では「指定校推薦」「内部進学」狙いのお子さんも多いです。

公立中で内申点気にするのは嫌なのに、中高一貫校で指定校推薦や内部進学のために評定気にするのは平気? ごめんなさい、私には意味がわかりません。

 

おまけ)公立中→高校受験の大いなるメリット

一番でかいのは、「中受算数をやらなくていい」という点です。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 過去記事でも書きましたが、「中受算数」は非常に特殊です。

たしかに面白いんですけど、そんなアクロバティックな解き方しなくても、「数学」で十分解けます。「中受算数」に小4~6の3年間「浪費」させるくらいなら、中学数学やったほうがいいです。

 

さらに、他3教科も最近はひどいですね。

サピックスの7月の組み分けテストの現代文、あれ、大学のゼミで教科書に使ってる文章ですよ(苦笑)。

理科はもうどこも高校化学や高校物理出してきてますしね。

 

いや、いいんですよ別に。

1)で書いたように、それらがスラスラとわかる子は「飛び級」的に御三家行けばいいんです。問題は、それらを「理解する力がない子」たちに塾で詰め込み無理な中学受験をさせているところなんです。
そんなアホなことをしなくても、子供たちは身体と脳の成長に合わせて、中学3年間で十分に高校受験に立ち向かえる力が育ちます。

 

また、中高一貫校は「中だるみ」します。

6・3・3・4の日本のシステムってよくできていると感じますね。

やっぱり、人間って3年に一度くらい「締め切り」がこないと頑張れないんですよ。

内申恐るるに足らず、公立中で揉まれつつ、高校受験突破、大学受験突破していってほしいですね。楽しいですよ、3年に一度「試験」があるのは。

 

「二月の勝者」のウソについては過去にも書いていますが、「2月1日の一発点で通るからフェア」は完全にウソです。彼らはその後6年間、「評定点取り」に汲々とします。結局、公立の「内申点」と同じなんです。肩たたきや放校がある分、中高一貫の方がシビアとも言えますね。

 

というわけで、高校受験、胸を張って頑張っていきましょう!