とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

ワンオペ受験のほうが「成功」するかも

世間の逆ですが、別にいわゆる「逆張り」を狙っているわけではありません(笑)。

自分自身の経験、並びに同業の友人知人から聞いた話などから

「実は『ワンオペ受験』のほうがより成功するケースも多い」と感じたので、「うちはワンオペ受験だからきっとうまくいかない」と悲観的な親御さんがご安心していただければと思い、この記事を書きます。

また、両親が受験に絡んでくるのは中受がほとんどとはいえ、中には高校生に対しても中受時のような対応をしているご家庭が少なくありません。今回の記事は、メインは中受向けの話ですが受験全般の話でもあります。

 

1)言葉の定義

そもそも「成功」とは何なのか。

そもそも「ワンオペ受験」とは何なのか。

そこをはっきりさせたうえで、さまざまなケーススタディを考えてみます。

 

この記事における「成功」とは

・「本人が」行きたい学校のどれかに合格する

・子供が潰れることなく

・ご家族もまた不幸感を覚えず

・受験経験が、受験後の成長に寄与する

ことです。

ですので、

「開成や東大に受かること『だけ』が成功」

「今より偏差値が10以上高い学校に受かること『だけ』が成功」

だとお考えになる方はブラウザバックされたほうが良いかと思います。

 

「ワンオペ受験」については、

父母のどちらかだけが中受に熱心で、もう一人は(たとえ意見が違っても)邪魔せず見守る、というケースを想定しています。

 

2)ケーススタディと成功の可能性および講師の困り度

父母ともに熱心&父母の意見が違う(成功率:☆ 講師の困り度:★★★★★)

一番成功率が低く、講師もMax困るパターンです。

2人とも受験に熱心なのに、父母の考える「理想の進路」「理想の人生」が違う。

このパターンでは、自学への付き添い方について両親の間でバトルが起きたり、お互いに相手のことを陰で馬鹿にしたりします。多くの場合、家庭教師に対してそれぞれが「夫はこう言ってるけど実は」「妻はこう言ってるけど実は」という話を持ち込みます。私は家裁の調停員じゃないぞ(苦笑)。

 

両親の人生観が違うこと自体は、私はむしろ健全だと考えます。

なぜなら、子供の視野が広がるからです。

でも、人生観が違う2人の人間からそれぞれの「理想の学校」「理想の生き方」をギュウギュウと押し付けられる子供はどちらを見てよいのかわからないし、結局両方のやり方を言われるがままに取り入れて虻蜂取らずになるケースが多いですね。

船頭多くして船山に登る というやつです。

 

この手のご両親は、講師に対してウソをつくことが多いのも特徴です。

「私は子供の行きたいところに行ければいいと思ってるんですが、パパが…」というお母さんの多くが、フタを開けてみれば実は高偏差値校への合格を悲願していたのは母親のほうで、お父さんはむしろ子供の特性を考えて志望校を考えていた(あるいはその逆)。このパターン滅茶苦茶多いです。

こういう御家庭は、ご両親の間で情報が共有されていません。

それぞれが、講師と「ナイショで」コンタクトをとりたがります。

そういう齟齬を飯のタネにしている三流講師(失礼)もいますが、まともな講師にとっては本当に困ります。誰が本当のことを言っているのかわからないからです。

バトルをするなら他人を巻き込まず、家庭内でまずバトルをしましょう。

 

父母ともに熱心&父母の意見は同じ(成功率&講師の困り度:子供による)

これは本当にケースバイケースですので、もう少し細分化してみます。

・父母ともに熱心で意見も同じ、だから常にどちらも受験から頭が離れない

最悪に近いケースです。

一人っ子だと子供が潰れて受験どころの話ではなくなるケースも珍しくありません。

逆の立場になってみてください。

子供にとって親というのは、受験に関係なく「生殺与奪を握っている相手」「逆らえない相手」です。その親が、二人とも「〇〇に入らなければ」と無言のプレッシャーをかけてきたり、常にどちらかが横に張り付いて勉強をすることになったり、塾でのマンスリーテストはもちろん小テストの結果までチェックされていたら。子供には逃げ場がなくなり、マシンになるしかなくなります。

同じような環境で「仕事を」「家事を」したいですか?

イヤですよね?

巷で言う「両親が受験に対して同じスタンスにならないと」というのは、二人そろって子供を追い込めという話では全然ありません。

そして、両親そろって子供を追い込んだからと言って難関校に受かるわけではありません。むしろ逆です。

 

・父母ともに熱心で意見も同じ、だが適度に手を放している

ご両親ともに熱心だけれど、だからといって常に子供を見張ったりテストのたびに二人そろって一喜一憂したりしない。相手は自分より経験の少ない子供/若者なんだから、ある程度は見て見ぬふりをする。

そういう環境であれば(子供は敏感ですから両親の「期待」は重荷でしょうが)、子供はつぶれることなく前を向いて努力できると思います。

片方が熱心&もう一人は見守る態度(成功率:☆☆☆☆☆ 講師の困り度 ゼロ)

おそらく、これが最強(註:個人の感想です)。

人生観や受験への価値観は両親で共通していても、熱心でない方の親はあえて距離をとり「どちらでもいい」という態度。パートナーが熱心になること自体を嫌がっているわけではない。一歩引いて見守る。邪魔はしない。

これがなぜ最強かと言うと、子供が家でリラックスできるからです。

子供自身が受験に積極的なら「熱心に勉強をサポートしてくれるほうの親」を嫌がることはないでしょう。そして、息抜きや相談をしたいときには「受験から一歩引いている親」のほうにくるでしょう。ご自分が子供の身になってみれば、ベストな環境だと感じられるのではないでしょうか。

スポーツや芸術で大成した方を見ても、このケース(片方が熱心、もう片方はサポートはするけど口出しはしない)が多いと感じます。

 

片方が熱心&もう一人は無関心(成功率:☆☆☆☆☆ 講師の困り度 ★)

おそらく、俗に言う「ワンオペ受験」とはこの状態のことではないですかね?

自分ひとりが子供の将来を案じてキリキリしているのに相方は理解してくれない。

受験勉強のサポート(プリント整理・自学のチェックなど)をするのは自分だけで相方は知らん顔。

これ、当事者から見ると「夫/妻は何もしない!自分だけが苦労している!ふざけんな!」となるでしょう。

でも、子供の側から見たら逆の世界が見えてくると思いますよ。

何度も書きますが、本来は羽を休める場所であるべき家庭が、両親ともに受験に熱心になりすぎていつでも二人とも自分の動向を見張っているとしたら、子供の精神は追い詰められるだけです。

子供自身が「受験して私立に行きたい」と思っているのであれば、「無関心」なほうの親御さんに逃げっぱなしになることはありません。だって「家庭内のコーチ」は熱心なほうの親なんですから。

両親がともに「熱心」になるあまり、2人して子供を「見張る」ことになったら。

物理的には勉強時間を増やすことはできると思います(子供は親に逆らえないですからね)。ブラック企業で常に誰かが見張ってる状況と同じですね。

それが「成功」に繋がるとは思えません。

 

つまり、一般に言われる「ワンオペ受験」は、熱心なほうの親御さんからしたら「自分だけが大変」と思われるでしょうが、子供の立場に立ってみるとほぼ最高の環境だということです。「両親で追いこんで〇〇に入れる」ことを「成功」だと考えるからワンオペ受験が不利に思えてしまうだけで、トータルで見たらむしろ有利だと私は思います。

実際、私の教え子でも結局「成功」したのはこういう御家庭の子でした。

片方が熱心&もう一人が妨害する(成功率:子供による 講師の困り度★)

「二月の勝者」の武田くんの家のような感じですかね。

ご両親の人生観がまったく違うために、片方が「中受で良い学校に入らないと人生終わる」と思っていても、もう片方は「人生はなんとかなる」と思っているパターン。

自力で人生切り開いてきた自負のある方が、パートナーが受験でキリキリしていると「人生で大事なことはそれじゃない」と『人生観勝負』になるケース。

「二月の勝者」では、「中受は不要と考える夫を説得しろ」という流れになっていましたが、以前も書いたように私はそれが正しいとは思えません。

長い人生、どちらが良いかは終わってみないとわからない。

「二月の勝者」の武田くん父は「わかった、じゃあ金は出す、あとは任せるわ」つまり上で書いたパターンになったので良かったですが、これがもし武田くん父が下手に「目覚めて」しまってギリギリと見張る親になったとしたら予後は悪かったと予想します。

片方が「妨害」してくる場合、子供に受験への思いがあればそれはスルーするでしょうし、もしその「妨害」に乗っかるならその子は受験に向いていないというだけの話。

中受算数の用語にモヤモヤする瞬間。

中受の算数入試問題は、

ところに毎度モヤモヤしてしまう。

(あらかじめお断りしておきますが、あくまで個人の感想です)

1)言葉の定義があやふや

・「2で何回割り切れますか」問題

1から100まで掛け合わせたとき、2で何回割り切れますかと言った問題。

「商が整数で、かつ余りを出さずに」とか「自然数の範囲で」と、なんで書かないんだろう。商が有限小数になってよければ2の累乗や5の累乗では、何度だって割り切れる。「いや、割り切れるというのは整数の範囲というのが常識でしょ」という声が聞こえてきそうです。たしかに、約数倍数は「割り切れる」と言う言葉を使って教えていますからね。でも、だったらなぜ小数の除法の単元では「割り切れるまで計算しなさい」という問題が出されているんですか?

塾で「その場に合わせて忖度して答えを出しなさい」という教え方がされているからこそ中学校側も深く考えずに出題しているんだとは思いますけれど、要はそれって中学側も塾ありきになっているわけでなんだかモヤモヤしますね。

たとえば、もし仮にノー塾の子がこの問題を見たとき、算数ができる子ほど「2ってなんでも割れるんだけど?」となり、解けないことになるケースは大いに考えられます。

さらに細かいことを言うと、「最大で」という註釈も必要ですよね。

 

・「赤い球と白い球の取り出し方は何通りありますか」問題

これも、悪しき慣習です。

人は区別するけど球は色が同じなら区別しない、というのが「暗黙の了解」になってる。これが大学受験なら「ただし、球は色が同じなら区別しない」とか但し書きがつくところです(もっとも、そんなヘンテコリンな問題は大学受験では出ませんが)。

「みかんとりんごの取り出し方は」なんかも同じですね。これはもっとひどいですね。みかん3つを取り出す場合、当然「3つならどれでもいいや」ではなく「選ぶ」のが当たり前ですよね。

この場合も、本質のわかる子がそこで悩みだすとかえって正解が出せないというおかしな現象が起きます。

また、こういう学び方をしてしまうと、中学高校で確率の問題でつまづきます。

 

たしかに理科でも「中受段階ではここまでは知らなくていい」という一種の割り切りはあります。でも算数の問題において「定義があやふや」なのは個人的にモヤモヤする。

 

2)三角形の合同を証明しないでも使える

 

図形問題で「三角形ABCと三角形DEFは合同なので」という解説をよく見ます。

一切証明してないのに(笑

だからなのか、最近の難関中学では「一見合同に見えるけど実は合同じゃない」図形問題を出していますが、「合同はパッと見で判断してよい」と思い込んでいる小学生はそこで混乱することが多いです。

これも逆のケースとして、「三角形の合同を利用するには証明が必要」と考える子はそれを考えている間に時間が過ぎ、「パッと見で同じだから〇〇センチでいいや!」という子が得点できてしまうという怖いケースも多々見てきました。

3)「何度出会いますか」問題

学校や模試によって、「出会う」とは反対方向からの場合のみ、と「同時刻に同一地点にいる」場合も含めるケースが混在していますね。これも但し書きをつけるべきだと思います。

 

4)ほかにもいろいろあるけど

言い出したらキリがない。もちろんほかの教科の入試問題も、より高度な次元から見たらザルな表現は多いんだけど、こと算数に関しては曖昧な表現を「忖度させる」「そういう慣習になっているから」というのはモヤる(個人の意見ですが)。中学入試の中で算数の比重が高すぎるだけにね。

 

まあ、中学側からしたら、そこまで数学的に厳密でなくともなんとなく得点ができる子(得点力が高い子)のほうが欲しいのかもしれない。そういう子が欲しいなら、今の出題方法でも良いのでしょう。でも自分自身が小学生の時分にそこまで考えるタイプだったので(ノー塾ですが)、現代ならそこまで考える子はもっといると思うんだよな。だからモヤモヤするというお話でした。

手に職>>総合職

手に職をつける、これ最強。

歳をとるごとに実感します。

「なんでもできる」は「なんにもできない」。

 

「少しでもヘンサチの高い大学/高校/中学に」と思う気持ちはわかる。

わかるんだけど。

いわゆる「総合職」として「就職」するには偏差値だけでは不十分。

なぜなら、総合職には「組織の中でうまく働く能力」が不可欠だから。

偏差値さえ高ければ良いところに就職できるなんていうのは受験ギョーカイが振りまいた嘘です。詐欺です。同期の東大生でも、文字通り勉強しかできなくて就職できなかった人はたくさんいました。

 

「総合職」って、要は「替えが効く」んですよね。

学力もそこそこ高く、人当たりもよく、どんな仕事でも一応こなせる。

こういうタイプの場合、その会社で生き残れればOKですが「転職」が難しい。

だって「そういう人」は世の中にとても多いですから。

 

何度か書いていますが、私には中卒・高卒・専門卒の「専門職」の友人が結構います。

彼ら/彼女らは、専門を極めているので仕事にも困らないし、生活も豊かです。たしかに超都心には住んでいませんが、そのぶん可処分所得はそう変わりません。中高生時代に自分の向き不向きを見極め、無理に都心に住もうとはせず専門性に進み人生を謳歌している彼らを、私は心の底から尊敬しています。

 

大会社でもガンガンリストラをしている昨今、たぶん一番困るのは「学歴頼みで就職して、専門性を身に着けてこなかった『どこでもやっていける(と自分だけは思ってる)』タイプの人だと思う。

 

専門性を持たず「そこそこの学歴&自分と言う総合力」をよすがにしていると、会社に生殺与奪を握られることになります。ぶっちゃけ、会社がリストラするときに真っ先に対象にするのはこういうタイプ。

 

転職市場での強さは、体感としては

「卓抜した学歴&人間性の持ち主」=「高い専門職」>>>>>>「そこそこの学歴頼みの総合職」

と言ったイメージです。

ぶち抜けた学力があり、かつ人間性も強ければ最強。

学力は全然なくとも「その業界」でスゴイスキルを持っていれば、これまた最強。

学力が突き抜けているわけでもないのに、なんとなく「そこそこ」の学歴にすがってしまい、専門性を身に着けなかった人が転職市場では最弱です。

 

私自身、自分の「学歴&総合力」を頼みに過去ン十年仕事をしてきました(一回転職しました)。トップセールスを誇っていましたが、やっぱり会社に生殺与奪を握られているのはしんどかったですね。仕事とは別に「社内政治」を考えなければいけないのが非常にストレスでした。売り上げを上げたら上げたで「上げてない人」への配慮が必要とか、「それまでのトップ」を抜いてしまったことに配慮しなきゃいけないとか。あほらしいです。今は「スキル」を使って仕事をしていますので、そういうストレスからは無縁です。

 

なんでこんな話をグダグダしているかと言いますと。

前にも書いたんですが、「明らかに勉強に向いてない子」にいたずらに受験勉強を強いることの弊害がこういうところに出ているなと思うわけです。

発達障害の子に中受を強いるのがその筆頭。

発達障害の子にひたすら勉強させて、そこそこ偏差値は上がっているけどぶっちゃけ将来就職できないだろうなという子をしばしば見てきました。ブチ抜けていて「就職」なんてせずに自分で起業できるようならいいんですけどね、多くはそうではありませんでしたね。

「学歴」があったとしてもそれ以外のスキルがゼロの場合、周りのフォローなしには仕事にならない。周りはそのフォローでどんどん病んでいきます(経験談)。

「学歴」を手に入れる前に、やるべきことがあると私は思います。

雑談:強引な人

このブログをご覧のみなさまも、周囲に「強引な人」いるんじゃないでしょうか。

組織を辞めた今は強引な人に出くわす可能性は限りなく低くなってはいるのですが、たまに出会いますね。

強引にも「よい強引」と「わるい強引」があるなあと最近思います。

 

1)良い強引さ

相手が「どう見ても悪い境遇」にいるのだが、その境遇に慣れ切ってしまったor変化が怖くて自分では何もできない。そういうときに、周りの人間が強引にでもそこから引き出すのは悪いことだとは思いません。

DV被害から逃げる気力を失っている人。

汚部屋がとんでもないことになっている人。

病気なのに病院に行きたがらない人。

エトセトラ。

つまり、いろいろな不幸なきっかけが重なって、本人が正常な判断を下せていない&自分ではもうその状況をどうにもできないときには周りの多少強引な導きがプラスになることが多いように思います。

汚部屋については、つい先日「ゴミ屋敷パートナーズ」という会社の動画を見まして、うん、あそこまで行っちゃうと誰かが強引にでもなんとかしないとなんとかならないなと思った次第。

 

あるいは、グループで仕事をしているときに、誰も前に出ようとしないときには「強引なリーダー」が引っ張ることで組織が活性化します。「引っ張られないと動かない人」が割合としては多いわけですから。

多少強引なタイプがいないと集団が動かないという部分はありますから「組織を率いる立場」の人は少々強引なくらいでも良いと思ってはおります。

 

2)悪い強引さ

悪い強引さ。

それは、強引さが「我欲のために」発揮される場合です。

自分が〇〇に行きたい。

自分が〇〇とつきあいたい。

自分が〇〇が欲しい。

「悪い強引さ」を持っている人は、こういうとき「我欲が満たされること」をゴールとします。逆に言うと、それ以外認めない。

それゆえ、相手から「それは嫌だ」というサインが出ていてもことごとく無視します。

あるいは、自分の都合のよいように変換します。

 

成約だけをゴールとする営業マン。

(相手が嫌がっていても)無理やりお出かけに誘う人。

何度断っても告白してくる人。

エトセトラ。

こういう人は、どれだけ嫌だというサインを出しても気づいてくれません。

というか、無視します。

スルーするだけならいいけど、自分の都合のいいように「超解釈」したりする。

こういう強引な相手に対して断り切れる人のほうが少ないと思うので、結果「だけ」は「強引な人の要望通り」になります。

結果が要望通りだと「強引な人」は満足するんでしょう。

でも、「押し切られた人」がヘイトを溜めていることには気づいたほうがいいww

相手は決して喜んで要望を受け入れたわけではなく。

その分ヘイトが溜まりますし、それを忘れることもないです…。

 

これは、多くの中受でも言えますね。

「子供が(親の志望校を)志望すること」

「塾や家庭教師から『志望校、受かりますよ』と言われること」

が、彼らにとっては絶対命題なので、それ以外の情報をシャットダウン。

自分の強引さが「相手を無視したもの」になっていないかどうか、振り返ることも大切だなと感じる今日この頃です。

 

子供はなぜ親の言うことを聞かないのか

「ミコト先生の言うことなら聞くんです。私も同じことを言っているのに…」

この仕事をしていて、毎回言われる言葉です。

親御さんの身になってみれば、同じことを言っても家庭教師のいうことは素直に聞くのに自分の言うことはバカにするとなるとモヤモヤされるのはわかります。

子供が親の言うことを信じないのはなぜなんでしょうか。

 

ぶっちゃけます。

親は「今現在」勉強が得意じゃないから、です。

若者というのは「今すごい人」しか尊敬しません。

親御さんが「今すごい人」じゃないケースはいくつかにわけられますので分析し、対処法を考えてみようと思います。

 

1)親が「今も昔も教科学習が苦手だった」ケース

 

スポーツや仕事で例えるとわかりやすいですね。

「○○ができない人」からそれについて「指示」をされたらムッとしませんか?

たいした営業成績も上げていない上司からダメ出しをされたら。

料理のヘタな姑から味付けにあれこれ言われたら。

演技のヘタな先輩俳優から「演技とは」などと説教されたら。

腹立ちますね(笑)。

 

もちろん、自分はできなくともコーチングはうまい人はたくさんいます。

ですから、指導を受ける側が「なんだよ、コーチも現役時代たいしたことなかったくせに」と考えるのは浅はかではあるのですが、それが若者というものです。

 

そして、今と昔では受験の難易度がまったく違います。

それは「競技参加人数」が桁違いだからです。

少子化だから今の受験は簡単?

全然違います。

私立中や大学受験は、今の親御さんが同じ年齢だったころには「できる子」だけが闘うフィールドでした。でも今や、2人に1人が大学に行く時代。私が現役の頃は、公立トップ校にいればさほど努力しなくてもMARCHには入れました。いまやそうでもありません。

そして問題の難易度はうなぎのぼり。

「塾」が「対策」を練ってしまうので、いたちごっこで難易度を上げるしかなくなっているんですね。(まあ、これについては最近の中学受験はちょっとおかしいと思っていますが。)

そういう、どんどん厳しくなる状況下で、親が「なぜこんな問題も解けないんだ」と言ったら心の中で馬鹿にされ反発されるのは当たり前。

このケースの対処法は難しいですが、改善策を考えてみると。

「今の状況」を親がちゃんと体感する

親は、昔の感覚で受験市場を見ているので、「明治なんて簡単だろう」とかそういう誤った認識で子供を叱責してしまいます。

ご自分が、同じ制限時間で同じ問題を解いてみることで、今の受験市場がどれほど厳しくなっているかを体感することは必須だと思います。

中学受験の場合は、中堅校であれば親の目から見たら「簡単」に思えるでしょう。

だから、多くの親はすぐ「なんでこれが解けないんだ!」と怒り出します。

でも、ぜひ「12歳の自分がこれを解けたか?」と、自分に問うて欲しいです。

さらに言えば、「12歳の自分が毎日塾に2~3時間行き、家でも勉強を強いられる」ことに耐えられたかどうかも。

・子供に対して素直に接する

自分が今子供たちに求められている速度で問題処理できないとしたら。

お子さんに「素直に」それを言ってみたらどうでしょうか。

以前も書きましたが、私の母は高卒です(時代的に仕方がない)。

母は、いつも「お母さんには全然わからないや。ミコトはすごい」と言い続けてくれました。これが、自分にできないことを子供に強要する母だったとしたら、私は東大に行っていないと思います。

 

2)親が「昔はできた」けど今は…のケース

こちらの方が、根は深い問題かもしれません。

繰り返しますが、子供は「今それができる人」しか尊敬しません。

そして、もし親御さんが「勉強は〇〇卒という肩書を手に入れるため」であり、「今現在は勉強をしていない」のであれば、それは子供のやる気を削ぐ一番の要因です。

「学歴」を手に入れるために必死で勉強しても、その「学歴」を持っている自分の親が、今は学問に興味がないとしたら。

子供はどう感じるでしょう。

ああ、「社会に出たら必要がないこと」を今自分はやらされているんだな。

そう感じる子は少なくない。

この辺も、若者の浅はかさではあるのですが。

若い頃に「教科の学習」を頑張ったことが、たとえそれを直接活かす仕事につかなかったとしても、そういうノウハウが社会に出てから活きる。

これは、多くの大人が賛同してくれると思います。

でも、子供の身になってみたらどうでしょうか?

「有名大学合格までは必要なスキル」が、大人になったら不要だと思えてしまうのではないでしょうか。

これは、教育・学習というものが「やり遂げたあとに自分がどう変わるか」が「始める前」には見えないという、すなわち「やってみないとその価値がわからない」というたぐいのものであるからなんですね。

(この辺は、内田樹先生の「下流志向」に詳しいです)

 

この対処法は、やっぱり

親が「学問」を今でも楽しいと思っていることを見せる

しかないんじゃないでしょうか。

子供にとっては「良い就職」「良い生活」のために「あとでいらなくなる勉強」を12年間するのって、馬鹿馬鹿しく見えてもしかたがないんじゃないでしょうか?

教科の勉強ではなくとも。

親が、家で何かの勉強をしているところを見せるのはとても大事です。

その意味では、リモートワークが広がってきたのは良いことですね。

あと、親が「読書する姿」を見せましょう。

これは必須。

親がスマホばかり見て「本」を読んでいないのに子供にいくら解いても無理です。

というか、逆に言うと、今ご自分に読書習慣がないんだとしたら、子供に読書がどうこう、読解力がどうこう言う資格はないです。

スマホで読んでる?

馬鹿言っちゃいけません。

スマホでぱっと読める文字数と、本を一冊読むときの文字数は比べ物になりません。

自分は本を読みもしないのに子供に強いるのはやめましょう。

 

子供がなんで親の言うことを聞かないか。

それは、親が「今自分がやっていないこと」を子供に強いるからです。

私は、母のおかげで無類の本好きに育ちました。

それは、母が本を読んでいる姿をしょっちゅう目にしていたからです。

もちろん、昔頑張ったからこそ今は家ではのんびりしていても大丈夫、それはわかります。でも、子供も「外(学校&塾)」では精一杯やってきています。子供は自宅でもそれ以上を求められます。子供にそれを求めるなら、親も家で「学ぶ姿を子供に見せる時間」が必要だと私は思います。

親がみずから「学ぶ姿」を見せていれば、子供も自然とそうなります。

子供は、なんだかんだ言って親の真似をしたいからです。

【これから講師になろうと思っている方へ】講師業は「無理ゲー」ではない

なんか面白いブログさんを見つけました。

jhs-examination.jp

人様のブログを見て「違うなあ」と思っても自分のブログでそれを書くのはなんだか陰口をたたいているようで卑怯な気がしますので、自分の矜持としてそれはやりません。

ですが、同業者と言いますか、「これから講師or家庭教師を稼業にしていこう」と考えている方向けにプロ家庭教師は決して「無理ゲー」ではないということを伝えたいのと、そのために必要だと思われることを書いてみたいのでこの記事を書きます。

 

1)(力量がありさえすれば)「豊かな生活」は可能

このブログ主さんが前日に書いたという「家庭教師で食っていくのは無理」という記事が削除されているようですので、その理由はわかりません(読んでみたかったなあ)。

たしかに、マンツーマン講師は「労働集約型」です。

稼働時間が16時くらいから24時くらいまでと考えると、一日2~4コマ。

時給次第で大幅に年収は変わりますし、Max入れたとしてもたしかに「2千万プレイヤー」は難しいでしょう。

でも、講師業専業で生きていこうと思う人の多くは(自分もそうですが)「組織」が苦手なんじゃないでしょうか。私は20年ほど組織に属し、そこでトッププレイヤーにもなりましたが、やはりああいうのは二度とごめんですね(^^;

何が嫌かと言うと

「自分のノルマを人から決められる」

ことですね。

どれだけ稼いでも、会社からは「前年比」でさらなるノルマを課せられる。

目覚ましい成績を上げたら上げたで、同僚からの嫉妬を回避するために神経をすり減らす。自分のエネルギーの半分くらいが「対会社」に吸い取られていく。

今考えてもアホらしい。

講師専業に限らず、「指名」が来るほどのしっかりしたスキルがあれば、ストレスフリーなことや時間の自由度を合わせて考えると、人生の満足度はフリーランス最強だと思っています。

 

2)個人契約よりセンター任せのほうが良いケースも多い

このブログ主さんが思い違いをされている点が一つ。

それは、ト○イなどに代表される家庭教師派遣業の多くのマージンが20パーセントなんてことはあり得ないということです(笑)。

以前も書きましたが、良心的なセンターさんでも4割ですね。テレビCMなどを打っている会社は5割以上が当たり前です。だからこそ、センター経由で家庭教師を頼む場合は「自分の払った額の半分しか講師に渡っていないと考えよ」と書きました。

 

mikoto2020.hatenablog.com

ですから、中には紹介だけセンターにしてもらったら即個人契約を持ちかける親御さんも結構いましたし、講師側から持ち掛けるケースもあると聞いています。でも私は、自分の場合はたとえ5割しか配分がなくとも、センター経由の方がいいと考えています。

それは

・営業活動

・マネージメント

というものの価値を、私は高く考えているからです。

「生産者」自身が営業活動するのって、「タダ」ではないです。

時間と労力がかかります。

そして、私は時間こそ金を出しても買いたいプライスレスな資源だと思います。

我々の仕事は夕方以降からが稼働時間ですから、それ以外の時間を営業に充てるのは一見「タダ」に思えます。ですが、自分はその時間はスキルの向上や自分の勉強、そして休養に充てたい。それをセンターさんがやってくれるんだったら、ギャラの半分お渡しするのは全然気になりません。

さらに、たまたま個人講師のブログなどを見て申し込む親御さんとは違い、センター経由で来たにもかかわらず個人契約に切り替えてをケチろうとする親御さんの考えには辟易しますし、そういう方は間違いなく後々トラブルになります。

ですから、講師業を始めたばかりでご家庭からそういう甘言を受けた方がもしこのブログをご覧になっていたら「やめとけ」と強く言いたい。

 

3)そもそも家庭教師は「紹介」されにくい

上でご紹介したブログ主さんは、「紹介で食っていける家庭教師こそがプロ」ということを言われていましたが、そこもちょっと疑問というかケースバイケースだと思いました。それは「顔出し」を是とするかどうかが大きいと思います。ここでいう顔出しというのは、ネット上のことばかりではなく「地元」でのものも含みます。

私も以前郊外に家を借りて私塾をしていた時期がありまして、その頃は「紹介」で成り立っていました。それは、「紹介したがり」のありがたい親御さんがいらしたからです。珍しいです。家庭教師に限らず、「それによって自分が他人に差をつけられるもの」は他人に教えないのが人間の常です。家電などは、他人に紹介したからと言って自分が損をするわけではありませんから良いものはどんどん人に知らせたくなりますが、勉強やスポーツ、美容など「他人と競うもの」の秘訣は「自分がまだ勝負している最中」に他人に教えるわけがありませんね。

地元密着で顔出しするという手はあります。

この場合、うまく回ると「卒業生」が次々紹介してくれることもあるようですが、その分「地元」への顔つなぎ=営業活動が不可欠のようで、自分には無理だなあ、と。

紹介案件と言うのは、相手が地雷案件でも断りにくかったり、常に全方位にいい顔しないといけないので結構労力削られる気がする。

 

4)講師専業で生活するには

これだけで一つのエントリになりそうなくらい色々ありますのでいずれ別記事にしようと思いますが、必要なことは以下の5つだと思います。

・最初は「カツカツ」なことが多いが、そこで自分を安売りしない

私もリーマンやめて1~2年は年収が5分の1くらいになりました(笑)。でもそこで、講師業はこれくらいしか稼げないんだ、とあきらめの発想にならないほうが良いかと思います。安さを売りにするセンターと付き合ってしまうと、薄利多売の発想になってしまい自分の能力を高めようという前向きな発想になりにくい気がします。

ちなみに、今はリーマン時代より年収は高いですし、時間の制約や人間関係やサビ残がないことを考えると体感的には「年収3倍になった」感覚ですね。本当に、生活が「豊か」になったと感じます。

・常にスキルを磨き、堂々とギャラ交渉する

「職人」のギャラは、自分から言い出さない限り上がりません。上げてくれるのを待っていてはダメです。堂々とギャラ交渉ができるように、きちんと自己投資をしてスキルを磨くのが王道。そこそこの学歴のある人なら、勉強しなくても教え続けることもできるでしょうが、それでは学生バイト講師のような扱いから抜けることは難しいです。

・良心的なセンターを見つけ、そこでトッププロになる

センターから真っ先に声がかかるようなトッププロになれば、仕事が途切れることはありません。というか、断るのに苦労するようになります。著名な作家さんが「直販」せず、芸能人があえて「独立」しないのは、こういうことだと思います(後述します)。

・スキルが上がっているのにギャラが上がらないときは転籍する

自己投資して、スキルも上がっている。ギャラ交渉もした。それでもギャラが上がらないときは、別のセンターに行きましょう(笑)。

家庭教師センターというのは、「そこに登録したとき」のランクをなかなか上げようとはしません。新しいパートナーなら「今の時価」を評価してくれる可能性が高いです。

・生活の「豊かさ」をトータルで考える

売れっ子講師になったとしても、前述したように「2千万プレイヤー」は一般的には難しいでしょう。でも、三田紀房さんの「インベスターZ」という漫画に「個人事業は『拡大』を考えてはダメ」という名言がありました。私もその通りだと思います。見かけの売り上げを増やすには、人を雇う必要が出てくる。固定費が上がる。何より、人間関係という一番避けたい高いコストが出現する。個人事業&フリーランスの最高なところは、時間の自由が利くこと・ノルマを自分で決められること・わずらわしい人間関係がないことでしょう。それは、お金にしたらそれこそ1千万以上の価値があると個人的には考えています。

5)営業やマネージメントを「中抜き」という考え方がそもそもおかしい

「額面」を上げたいとき、人は「直販」に目が行きます。

自分に価値があるから、販促や管理をする人が無駄だと考えるんでしょう。

でもそれは浅はかだと思います。

大好きな俳優さんや声優さんで、実力もとても高いのになぜか仕事がない方がいます。それは「独立」してしまったからです。「芸能村」が排他的だからという側面もあるでしょうが、やはり「自分を売り出す」のは相当大変ということだと思います。

作家さんの世界も同様で、出版社を通さず自分のサイトで作品を売ろうとした方々が軒並み表舞台から姿を消しています。

これはどういうことかと言うと。

芸術のような「個性」が重要視されるジャンルですら「唯一無二」な個性など、そうはないという残酷な事実です。もちろん、その人の強烈なファンは、本が書店に並ばなくとも、俳優がテレビに出なくとも追いかけることでしょう。でも「一般人」はやはり露出しないものは忘れていきます。

宣伝をしてくれる、マネージメントをしてくれる。

すごく大きな「仕事」です。

それらは対価を払って人に任せて、自分は自分の仕事に注力するのが楽。

私はそう考えています。

 

 

「勉強法ジプシー」になってはいけない

 

1)「勉強法ジプシー」とは

私がさっき思いついた造語です(笑)。

簡単に言うと

「どこかにまだ見ぬ素敵な『勉強法』があって、自分は(わが子は)それを見つけていないから伸びないのだ!」と考え、ひたすら「勉強法の研究」に夢中になる状態

のことです。

 

2)なぜ「勉強法ジプシー」になってはいけないか

 

「勉強法」をあれこれ考えている間って楽しいんですよね。

だって

その間は勉強しなくていい

・正しい勉強法さえ見つければ成績が上がるはず!という夢が見られる

・自分の(わが子の)成績が悪いのは勉強法のせいだ、と逃避できる

のですから。

 

ダイエットで考えるとわかりやすいですね。

運動を一ミリもしないのに。

食事を改善もしないのに。

ただひたすら「痩せる方法」を探し続けたり、次から次にサプリを試したり。

これが「ジプシー状態」です。

結果は火を見るよりも明らかですね。

成績は伸びないし、体重は減らない。

 

ダイエットと同様に、「絶対ダメ!な勉強法」は存在します。

難易度高すぎる問題ばかり取り組むとか(その逆も)。

漢字や英単語を覚えるのにただひたすら何回も書く、とか。

エトセトラ。

 

また、自分に合うスタイルが見つかると気分も安定するし伸びやすくなるのも事実。

 

でも、だからと言って「肝心の勉強をせずに」勉強法ばかり探し続けるのは本末転倒。

 

自分に合った勉強スタイルというのは、ある日突然魔法のように現れるわけではなく、「勉強しながら」カスタマイズしていくことで見つかるものなのです。

そして、勉強法を変えたからと言ってもすぐ効果が出るわけではありません。

講師や友人が教えてくれたTipsは素直に試してみると良いと思いますが、その際はせめて1~2週間は続けてみてください。

時々いるんです、毎回「コツを教えてください」という生徒。

え、先週教えたよね(苦笑)。

ジプシー状態の子や親というのは、言われたことを試してみることもなく、次から次に「コツ」を聞きたがります。ダイエットで次から次にサプリを買うのと一緒ですね。

コツばかり聞きたがる子というのは伸びません。

なぜなら、自分の勉強量が圧倒的に足りていないことから目を背けているから。

mikoto2020.hatenablog.com

 

 

勉強スタイルを模索すること自体は、もちろん良いことですが

「ジプシー」となって本末転倒にならないためには。

「素敵な勉強法が見つかりさえすれば成績がバクノビする」という幻想を抱かない。

これが大事。

 

ダイエットや健康法と一緒です。

奇天烈な「○○さえやれば」なんていうのは全部ウソ。

結局、地道に腹八分を守って適度に運動するのが一番。

どこかに「ハクバノ王子サマ」=「まだ見ぬ理想の勉強法」などありません。

 

もちろん、「効率の悪い勉強スタイル」はあります。

ですから、もし私の生徒が効率の悪い勉強スタイル(基礎をおろそかにして今は無理な難題にばかり取り組んだり、英単語を語源も考えずに丸暗記しようとしていたり)をしていたら、改めるようにアドバイスはします。

でも、実は「伸び悩んでいる子」のほとんどが、圧倒的に勉強量が足りない「だけ」なのです。

(中学受験に関しては、親が「質より量」になってしまって超非効率かつ子供の学習意欲を削ぐ勉強法をさせているケースが多々ありますから、その際は私も介入しますが。さらに言うと、中学受験の場合は、子供の成績が「伸びない」という評価自体が間違っているケースの方が多い。子供が精いっぱいやってそこなのに、親がそれ以上を望んでいるから「足りない」という評価になっているだけ)

中高生、つまり親の手を離れて自分で勉強するようになった子の場合、勉強法うんぬんよりも、圧倒的に勉強量の問題です。

 

3)それでも「バクノビ」したいなら

マンツーマン講師をつける。

これ一択だと思います(営業ではありません(笑))。

なぜなら、マンツーマン講師であれば

「今の勉強の仕方のどこが悪いのか」が指摘できるからです。

また、生徒に合った勉強法を(ある程度は)推測し提示できるからです。

スポーツでもダイエットでも、個人トレーナーをつけるとてきめんですよね。

それと一緒です。

 

ただ、ここにも落とし穴があります。

個人コーチを「つけさえすれば」成績が上がるわけではありません。

ライザップでトレーナーについてもらっても、トレーナーがいないときに暴飲暴食したら痩せるわけがないのと同じです。

言われたこと(課題)は守りましょう。