とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

〇〇算、はいらない

〇〇算、という教え方が苦手です。
私は会社員生活ン十年を経て教育界に戻ってきたのですが、講師を始めた当初「先生、これ差集め算?過不足算?」と言われて「なんじゃそりゃ?」となった記憶があります。

図を書けばわかるのに、〇〇算なんて名前つけてパターンわけする必要あるのかな?と思いつつ調べてみたら、その2つは同じものでした。なんじゃそりゃ(笑)。

さらに調べてみたら、もちろんそれは正式名称でもなんでもなく(当たり前だ、教科書には載っていない)受験業界の方々が名付けたものが定着したのだとか。

しかもいまや23種類あるんですってよ奥様!

 

中学受験の算数は、
・面積図
・線分図
・グラフ
が書ければほぼすべて解けます。


それをなぜ〇〇算、と名付けるか。
それは、そうしないと解けない子に点を取らせるため

パターン分けして、〇〇にはこの武器!と当てはめさせる。
それって算数の本質なのかなあ?

 

常々、勉強はお料理に似てるなと思います。

レシピ通りすべて揃っている状況なんてそんなにない、それを工夫する。

フライパンがなければ鍋でステーキ焼いたっていい。

ゆで卵はステンレスのボウルでだって作れる。

みりんがなければ砂糖と酒で代用!

こういう工夫で思考が育つし新たな発見もあるんだと思います。

勉強で言えば、レシピ通りの材料と調理器具がすべて揃っているというのは「これは〇〇算だよ」と書いてあるひねりのない問題を渡される状況、ということ。

よく「うちの子、応用になるとダメで…」というご相談を受けますが、応用力がないというのは「すべておぜん立てされていないと料理ができない」に似ている気がします。

 

〇〇算をひたすら教え込むやり方になれた生徒は、未知の問題に出会ったとき考えようともせず「まだ習ってない」と言います。大人の都合が子供から思考力と応用力を奪っている気がしてなりません。