(1)は↓に書きました。
関連する記事はある程度まとめて書くよう心がけていますが、書下ろしの本を書いているわけでもないので、散発的になってしまう点はご容赦ください。
今回は、「丸付け」「概算」の2点について書きますね。
1)できる子・できる生徒はすぐ丸付けをする
できる子・できる生徒は小中学生なら1ページごとに、高校生なら1問ごとに、言われずともすぐ確認します。そして、間違えた場合「え~?俺/私、どこ間違えたんだろう…」とブツブツ言いながら確認し始めます。それでもわからなければ、すぐ私に尋ねます。疑問を後に残さないんですね。
一方、できない子は問題を解きっぱなし。口を酸っぱくして「丸付けは自分でしろ」と言ってもなかなかやりません。やったとしても、今度は〇×を付けるだけ。なぜ間違えたかは考えないし、解説を読もうともしない。
これを読むと、いわゆる「勉強の苦手な子」をイメージされるかもしれません。実は、違うのです。S偏差値50、Y偏差値55~60くらいの子、つまり勉強が苦手ではない、むしろ得意な子でも「やりっぱなし」の生徒は多いです。そして、彼らはそれ以上伸びないことが多いです。
その最大の原因は、丸付けを自分でしようと思わない子にとっては「勉強=問題を解くまで」になってしまっているためです。本当は「間違えから学びとり、次に活かすこと」こそが勉強だと言うのにね。
では、なぜそうなってしまったか。これは、私もまだ模索中です。仮説としていくつか考えられるのは
・親が結果=点数にしか興味がなかった
・学校が、宿題の丸付けを親にさせた
ということです。
親が「どこを間違えたのか」「なぜ間違えたのか」を気にせず総合点のみを気にして叱っていれば、子供が自ら一つ一つ検証するようにはなりません。
また、学校が子供に丸付けをさせないのは大いに問題です。超難関私立中学ですら、問題集の解答を取り上げて夏休みの宿題にしているケースもありました。そういう積み重ねで子供は「自分の仕事は解くところまで」と誤学習してしまうでしょう。
丸付けは、すぐ、その場で。
間違えた場合は、「なぜ、どこを間違えたか」「次はどうしたらいいか」まで考える。
ここまでやって勉強です。そのためなら、演習量が半分になっても全然かまいません。
将棋の「感想戦」もそういうことですよね。
2)できる子・できる生徒は「概算」する
「この円の面積が314っておかしいでしょ!100より大きいじゃないの!ありえないってなんで気づかないの!?」多くのご家庭で繰り広げられているであろう「なぜありえないと気づかないのだ」バトル。
できる子は、解いている最中に「なんか変だぞ」と気づきます。答えを見積もってから解いている、あるいは解いたあとに確かめるクセが身についているのですね。
別記事で書きますが「ミスを防ぐための検算」は思ったほど効果がありません。なぜなら計算ミスというのはある種のクセだからです。7×6=48で覚えてしまう小学生がとても多いのですが、こうしたミスをテスト中にしでかした場合、検算しても同じミスをするだけです。
ミスに気付くには「見積もり」がベストです。できる子はこれを無意識にやっています。やらないと気持ちが悪いからです。
できない子の中にも、「見積もってから計算しろ」と繰り返し指導することでできるようになる子もいますが、正直これはなかなか治らないですね。
「電車Aの時速は500キロ」と答えて平気なのもこのタイプです。リニアかって(笑)
これまた原因は私も模索中です。
第一に、キャパがまだ足りなくて答えを出すので精一杯。
第二に、算数/数学の問題がまだ実体験や実生活と結びついていない。
第三に、そういうことが気にならない性質。
受験勉強に打ち込むあまり勉強中の感覚が日常と乖離しているため、というのは納得しやすいように思えます。
3)心身の成長を待つのも手
これを言っては身もふたもないかもしれませんが、(1)も(2)も、これらを何度言ってもやろうとしない、身につかない場合は、難関校には向いていないと思います。それは、こうした大事なことが「気にならない」ということに他ならないからです。
一方で、小学生だからこその問題でもあります。
さすがに中高生ともなると、たいていの子は「言われればやれる」ようになります。
言い換えれば、小学生の段階でこれらができている子が超難関校・難関校に向いているだけで、そうでない場合は無理をせず心身の成長を待てばよいのかもしれません。