とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「二月の勝者」の迷走とおおたとしまさ氏(4)

今回で、このエントリーは一区切りにしたいと思います。

なぜかと言えば、

・自分たちの著書を売るためのポジショントーク

・肝心の子供不在の中受礼賛

に対して真剣に考えるのがナンセンスに思えてきたからです。

 

というわけで、最後のツッコミを。

多少これまでの記事と重複するかと思いますがご容赦のほど。

一応一連の記事とツッコんでいるインタビュー記事置いておきます。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

mikoto2020.hatenablog.com

toyokeizai.net

 

8)彼らの「中受はいいよ!」はマッチポンプかつポジショントーク

中受の過熱による「被害者」は子供たちなのに、お三方ともそこはスルー。「親も辛いよね」と終始親目線。

 

朝比奈氏はこう語っています(以下引用

朝比奈:中学受験をなくしたほうがいいって言われてしまうと、それはちょっと違うかなと思いますね。というのも、やっぱり塾は楽しいっていう子は意外と多い。魅力的な先生がいて、授業も面白くて、ここが自分の居場所だって思う子もいっぱいいるし、紆余曲折あって第1志望の学校に行かなかったとしても、進学先ですごく満足してる子もたくさんいるし、その子たちはみんな中学受験して良かったって思ってるので。(引用終わり)

そりゃあうまくいった子すなわち「(比較的)できる子」「親が闇落ちしなかった子」にとってはそうでしょう。それは中受に限らずなんだってそうですよ、結果が良ければ。だいたい、人は自分がやったことを「やらなきゃよかった」とは思いたがりません。自己肯定のバイアスがかかります。ましてや他人に本心などそうそうは言わない。

朝比奈氏、「みんな思ってる」と言い切っちゃうのってすごいな苦笑

 

塾が楽しいというのにも2通りあって、より高次元な勉強ができるから楽しい子と、学校や家から逃れる場所だから楽しい子がいるわけです。後者の場合は、それが必ずしも塾である必要はない。中受を擁護しようとしていろいろごっちゃになってませんか。

 

何度も書きますが、私は中受そのものを否定しているわけではありません。

勉学が好きな子はどんどんやったらいい。

でも、中受が害になる子もまた少なくない。

・勉強の面白さがわかっていない子

・メンタルの成長期がまだ来ていない子

・中受レベルの勉強が過剰な負荷になる子

発達障害を「埋めよう」として親が無理やり中受させている子

この子たちにとっては、貴重な3年間を中受に全振りすることでむしろ勉学を嫌いにさせ、成長の芽を摘んでしまうことが多いです。

mazmot.hatenablog.com

以前もご紹介しましたが、拙い私の100万語より的確に問題点を指摘してくださっているブログです。

こちらにもあるように、「小学生にはとてつもなく難しい概念」でも、学力の高低にかかわらず年齢でスッと理解できる概念は多いのです。学生時代にテストはいまいちだった方でも、例えば2人用で書かれているお料理のレシピを3人用や4人用に考え直すのはスルリとできる方は多いのではないでしょうか。「比」の概念は、年齢とともに経験を積めばたいていの人は理解できます。現在の中学受験は、(一部の飛び級レベルの子は除くとして)「いずれ自然に理解できることを無理やり数年早くやらせているだけ」に過ぎない側面が大きいです。そのためには、同じことを数年後に自然に理解する場合に比べて数十倍の負荷をかけないとなりません。そして残念ながら、多くの小学生は「真に理解」はしていません。なんとかかろうじて答えらしきものは出せたとしても。

氷が水に浮かんでいる模式図が書けない子や日常においてはまったく比を使えない子、成績中程度でもものすごく多いです。子供のキャパはそれほど大きくありませんから、テキストベースの知識を詰め込まれると「日常から学ぶ」ことが反比例してできなくなります。勉強が苦手な子にゴリゴリと机上の勉強を強いると、机から離れた途端に「勉学にかかわることは目に入れないようにしよう」という無意識が働きます。勉学が日常から乖離していくことが、私には怖いですね。

 

高瀬氏は「(上位の子は)社会全体が見えないまま大人になる」と言われていましたが、言わせてもらえば「わかってないのにわかった気になって(ついでに変なプライドを持って)る中堅層」を生み出しているのが中学受験の負の側面だと私は思っていますよ。

 

やや話が逸れました。

お三方とも「それでも中受は良い」と仰る。おおた氏などは「高校受験より得るものが多い」と言い切る。そのエビデンスは?これが教育関係の研究の難しいところなのですが、「同一人物が中受をする/しない」を両方経験し比べるということができませんから、どっちが良かったかなどというのは本人でもわからないところだと思います。ましてや、第三者には。

前回書きましたが、中高一貫校で6年間ボーっとする」ために小学校の後半を「ボーっとできない時間」にするのはブラックジョークだとすら感じます。これまた個々人の価値観だとは思いますが、小学校時代って人生で一番ボーっとすることに価値のある時期だと私は思っているんですがね(個人の感想です)。

 

なぜ、数々の悲劇が生み出されるのを知りながらお三方はそれでも中受を推すのか。

ズバリ、ポジショントーク

これは、スポーツや芸術で考えるとわかりやすいです。

要は、「裾野=競技参加人口」が広いほどそのジャンルが盛り上がるわけです。

だから才能のある子の取り合いが起きます。

この「盛り上がりを求める動機」が2種類あって、そこに問題があります。

ひとつは、参加人口が増えるほど「最高到達点」が高くなるので、そのジャンル全体のレベルアップに繋がる、だから参加人口が増えて欲しいという考え。芸術でも新規参加者(それに憧れる人)が減ると先細りですね。この辺は、星新一先生がブラックジョーク的なショートショートを書かれていました(スターが輝くためには「輝けないスター志望者」がたくさん必要でそれがテレビ界の養分だというお話でした)。

もうひとつは、単純に「その業界が盛り上がると金になる」「自分の存在価値を維持したい」という動機。

前者の動機も「夢破れる人」の存在前提でのものですからいろいろ問題ははらんでいるとは思いますが、まあ人類の進歩というのはそれが原動力だった面は否めないのでそこは今回は不問とします。

問題は、後者です。

私は数々の教育虐待家庭の悲劇を見てきました。全落ちからの子供の自己否定→引きこもり、家庭不和、エトセトラ。それでも、みんな「やってよかった」と言う。親は、ね。子供が潰れてんのにね。自分のやったことを否定できないのでしょう。そしてそれがポジショントークに繋がっていく。「クソな公立に行くより良かった」とかね。公立中に行ったこともないのになぜわかるんだろう笑。

 

私が御三方の意見に非常に違和感を覚えるのは、「中受は良いよ!(高受よりも)」と言いつつ、一方で「どこに行っても大差ないよ」「そこまで(何が何でも御三家など)頑張る必要はないよ」と仰る点です。

中受を薦めながらも「そこそこ」を薦めている

わけがわからない。

以前「親が9割」の佐藤ママについて若干否定的なことを書きましたが、なんだかもうむしろ一周回って佐藤ママのほうが好ましく思えてきたくらいです笑。少なくとも、佐藤ママの価値観は一本スジが通ってますから。人に勧める以上、「こうやって高みを目指しましょう!」と言っているわけですからね。

 

はあ。

これが習い事ならまだわかります。

「嗜み」「趣味」としてなさるご家庭が多いでしょうから。

でも、年間100万かかる「ならいごと」に誘っておきながら「高みを目指す必要はないよ」ってどういうことなんでしょうか。

中受は一歩踏み込んだら麻薬と同じくらい人を狂わせる力があります。取り込まれてしまうのです。ピアノやバレエなら「向いてなかったら辞めよう」と考えられる親御さんが、なぜか中受はそうはいきません。だから、私は万人向きではないと何度も書いています。安易にお勧めできる道ではありません。

 

これは穿ちすぎかもしれませんが、この方々が中受を薦めながらも一方で上位層に批判的なのは、自分がやったこと(自分自身が中受をした、あるいは子供にさせた)を肯定したいからではないか、そして自分が到達しえなかった高みに対しては「価値がない」と言いたいのではないかと感じられてなりません。まあぶっちゃけ言うと、自分と同じ道は行ってほしいけど自分より上に行ってほしくないというヤツですな。

つまり、ポジショントークというヤツです。

 

「〇〇に行ったって大差ない」「〇〇に価値はない」「〇〇に行ったヤツはこんなヤツばかり」と言えるのは、〇〇に行った人間だと思うんですがどうでしょうか。(ちなみに、これは「ドラゴン桜」では痛烈に書かれていましたね笑。あれはちょっとスカッとしたなあ)

 

マッチポンプだなと思う点は、たとえば黒木の行動ですね。

黒木は「お前はプロサッカー選手にはなれない」と(11歳の子供に!)言い放ち中受に誘いました。でも、それで目指させたのが「有名中」。え?「今の夢」をへし折ってまで行かせた先が中堅中?だったら「今」好きなサッカーやらせたほうが良かったじゃん。お前は子供の情熱をなんだと思ってるんだと100万回突っ込みました。また、「そこそこでいい」と思っている匠くんに海城などをちらつかせ勉強させました。でも匠くんは第一志望に落ちるわけです。そこで謎理論「第一志望に受かるのは3割」が出てきます。や、匠くんは黒木がヘンなことしなければフツーに幸せな人生だったと思うんですが。上げて落とす。その「挫折」って本当に必要だったんですか?12歳の子に?

 

お三方には、「それでも中受をしたほうがいい理由」を、ふわふわした印象論やポジショントークではなく客観的に語ってほしいところですね。

 

9)結論ありきの「取材」

おおた氏は「勇者たちの中学受験」を書くにあたり3件「のみ」に取材したそうです。

は!?

それで「取材」って言っていいんですか!?

いや、いいですよ、ドキュメンタリーならば。

でも、氏はそれをもって全体に当てはめて「今の中受はこう」「早稲アカはダメ」「灘ツアーはダメ」と言っているわけですよね。

ある家庭ではこうだった、というドキュメンタリーならばいいんでしょうが、それをもって全体に当てはめるのはルポライターとはいえないんじゃないでしょうか。

おそらく氏の中には先に結論があって、それにヒットするケースを選んだのだと思われますが、取材先ももちろんポジショントークしますよ?前回ご紹介したユウキ先生は非常に言葉を選んでマイルドに仰っていましたが、はっきり書きますと、この業界は「勝てば官軍」なところがあるんです。講師にクレームが入る場合の多くが、成績が親の思うように上がらないからです。逆に言うと、講師に多少なりとも人として問題があろうと教え方が下手だろうと、成績が上がっているうちはクレームは入りません。親がポジショントークしている可能性や子供本人が曲げて受け取っている可能性を露ほど考えずに「××は悪い!」と本にしちゃうってすごいなあ。まあ、表現の自由は尊重いたしますが、少なくとも「公平な記事」ではありませんね。

 

10)灘ツアーに批判的なのに「前受け」を受け入れる矛盾

 

前回も書きましたが、なんであそこまでお三方が灘ツアーを敵視するのかわからないんですよ、私。「他の塾生の金で行くのがけしからん!」と言いたいんでしょうが、そこはそういう問題ではないというのは前回書いた通り。あくまで可能性としてですが、貧困だけど勉強できる子が特待生制度のないサピには通えないけど特待生制度のある塾には無料で通えて遠征もできる、というケースもあるだろうし。

 

「本気で行く気がない学校を受けるべきではない」と言うなら「前受け」も批判しないと矛盾しますよね。「二月の勝者」では、埼玉校や地方校の東京受験は前受で「本番」は二月の東京と言い切っています。「その学校が第一志望で本気で目指している人もいるのに力試しで受けに来て本気の受験者を追い出すことになるのはおかしい」と言うならば、東京勢が「模試」として1月校を利用していることこそおかしいでしょ。埼玉には明の星第一志望の子がいるし、千葉には何が何でも渋幕の子がいますよ。

 

そもそも他人がそこを受験する動機の良しあしを断じちゃうことのおかしさに気づいてないのがすごい(褒めてません)。真剣じゃなきゃ受けちゃだめなどと言いだしたら、医学部出て医者にならない人や結婚したら辞めちゃう人はそもそも医学部受けるなというおかしな話にも繋がります。

 

そもそも、「なにがなんでも」の動機自体が、ある子はマウンティングのためかもしれないし、またある子は本当に勉強が好きだからかもしれない。いじめた子を見返すためかもしれない。そこは他人がどうこう言えることじゃないですよね(快不快は感じるとしても)。

腕試しで受けに来ている受験生に「個人的に」不快感を覚えるのは人間として自然なことだとしても、それを味噌もクソも一緒にして遠征受験自体を悪だととらえるのはおかしな話です。受けに行ったら灘を気に入っちゃって通う可能性だってあるわけだし。

1月校を前受けと言い切ることに疑問を抱かない一方で優秀層の遠征受験はけしからん!というのは結局「酸っぱい葡萄」なんじゃないですかね。

 

11)黒木の行動は矛盾だらけ

「二月の勝者」の前半は、世間を煽る台詞のオンパレードでした。

 

「君たちが合格できたのは父親の経済力、そして母親の狂気」

「凡人こそ中学受験すべき」

「Rクラスは『お客さん」ですから」

「高校受験、大っ嫌いです」

エトセトラ、エトセトラ。

まあ、一番有名な冒頭のセリフは開成の校長先生の訓示を一部切り取ってるらしく(そのせいで開成の校長先生の一番言いたかったことと真逆になってしまったらしい)この作品のオリジナルと言っていいのかどうかわかりませんが。

「凡人こそ中学受験すべき」は「ドラゴン桜」の劣化コピーと言った感がありますが、これは今でも個人的に容認できないセリフNO.1です。なぜならサッカーに夢中だった三浦君の夢をへし折ったから。何かに夢中になれるって素晴らしいこと。たしかに多くの人は「その道」では頭角をあらわせないことがわかり挫折を感じそしてまた別の道を探す。でもさ、それ塾講師がやっていいことか?11歳が夢中になってやってることをへし折るなよ、その後の人生に責任持てない他人が。

 

とまあ、前半は「中受、そして有名校合格こそ価値がある」と言わんばかりだった黒木が、スターフィッシュ編以降なんだか変なことになっているわけです。メインキャラはバンバン第一志望落ちているし、そもそもちゃんと指導した形跡が少なくとも漫画からは読み取れない。とうとう「第一志望には3割しか受からない」とか、中受関係者はみんな知ってることをドヤ顔で言い出した。

このままだと、まさにインタビューでお三方が仰っていた

「思い通りにはいかないことが多いけど、それでも中受って素敵だね♪♪」

というお花畑な結末になりそうな予感がしています。

これについては、かなり以前予想されていた方がいらして、慧眼だなと思います。

wagahaiblog.hatenablog.com

 

人生に挫折は不可避だし、かつ成長のために必要だとは思う。

でもそれは武田くんのように、加藤くんのように他者からまだ不必要な時期に強制的に与えられるものではないと思っている。親が勝手に目指させて。届かなくて子供が泣いて。子供が泣いたら「本気になった証拠だ」と喜んで。大人同士で「親は悪くない」と言い合う構図は、やっぱり私にはグロテスクですね。

なぜなら、武田くんも加藤くんも、12歳でなくとも十分「間に合う」子だからです。

 

漫画論、エンターテインメント論に発展してしまいそうなのでまた別記事にしようと思いますが、「作品」として考えると黒木に何もかも背負わせて黒木をスーパースターにしてしまったのが作品の失速の一番の原因だと感じます。

高瀬氏はブラックジャックをやりたかったのかもしれないが、だったら黒木は「一見悪者」を一貫して演じなければならなかった。ブラックジャックがなぜ輝くかといえば、世間からは守銭奴だと思われているが実は優しく熱い人間で、でもそれを自分からはアピールしないからだ。スターフィッシュ編で「手の届く範囲に手を差し伸べるだけ(助けられるとは言ってない)」と逃げを打ってしまったために、かえって黒木の輝きは減じてしまった。「やり方が汚いと言われようと、私は関わった子は全員助ける!!」と言い切ってこそのアンチヒーローの魅力だろうに。

黒木の方針に異を唱える講師がいないのも、かえって黒木の魅力を減じている。

かろうじて桂先生が距離をとったスタンスだが、他の講師陣が全員「黒木スゲー」の礼賛要員だ。ガラスの仮面のモブ観客だ。高瀬氏は受験マンガを書いているつもりはなく「お仕事漫画」だと仰っているが、だったらなおさら講師同士の意見の相違やつばぜりあいがないとつまらない。たとえば花恋が海浜を落とした時に「黒木さんが3冠取らせるとか無茶なこと言うからですよ、これで桜蔭落としたらどうするんですか」と誰かが詰め寄る場面はあってしかるべしだろう。これがドラゴン桜だと、しょっちゅう桜木にたてつく井野や、是々非々ではあるが学歴偏重に対し批判的な高原の存在がいいスパイスになっているのだが。灰谷も活かしきれていないしなあ。そのへんは、明らかにサピをモデルにしてしまったことで自縄自縛に陥っている気がする。

 

高瀬氏が読者に黒木をすごいと思わせたくてサブキャラに褒め上げさせていることが逆効果になってしまっていてもったいない。本来なら、青臭い佐倉が「でもそれって〇〇くんの気持ちを無視していると思います!」とか反発してバランスをとる役どころだったのだろうが、佐倉もすっかり黒木の信者だ。もはや佐倉の存在価値がわからない。

まあ、前回も書いたように購買層は親なので、「親」たちが満足するオチになるんだろう。いろいろあったけど、中受やってよかったね、と。

そういえば、今井の母親があそこまで闇落ちしていながら個別も家庭教師も頼まなかったのは不思議だな。

 

 

「二月の勝者」の迷走とおおたとしまさ氏(3)

前2回の記事はこちら。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

mikoto2020.hatenablog.com

「二月の勝者」とはややズレるのですが、くだんのインタビューに関連しておおた氏の著作に対し冷静に分析されているブログを見つけました。

www.yuuki-sennsei.com

ご自身が過去お勤めになられた塾を名指しで批判されてもここまで冷静に分析されている姿勢に脱帽です。そう、ユウキ先生が非常にマイルドに言葉を選んで指摘されているように「子供や保護者が本当のことを言っているとは限らない」ことを忘れてこの本を読むのは危険だと思います。この話は非常に長くなるのでまた別記事で書きますが、端的に言って、人は思い通りにならなかったときや自分が恥をかいたとき、事実を歪曲してでも他人のせいにすることがあります。というか多いです。私も駆け出しのころは何度か遭遇しました。(十年以上前の話になりますが、毎回毎回見え見えのウソ(宿題やったけど忘れた、時計が壊れていたから塾に遅れた、など)をつく子にそれを指摘したり、授業中下着の中に手を入れる子にさりげなく注意をしたら、それまで「ミコト先生は神!」だった親御さんが速攻で手のひら返して授業中止になったことを思い出しました。。。生徒本人は自分がウソをついたことや下着の中に手を入れていたことは当然親には言わず別のウソをつき、親はそのウソを信じたということです)

 

おおた氏の本に書かれているエピソードに関して本人と親がウソを言っていると断じたいわけではありません、念のため。相手の話も聞かないとわからないというだけです。ただ、下位クラスは放置というのは親の方が望みすぎかなという印象がありますね。前回も書いたように、そしてユウキ先生も書かれているように、下位クラスになればなるほど労力が比例して大きくなります。以前も書きましたが、なぜか教育関係に関しては「タダ働きでもそこまで(=親が納得するまで)やるのが教師だろう」という世間の思い込みが強いですね。特別扱いを望んで、特別扱いがされなかったから放置ととらえる親御さんも少なくないですが、それは集団塾では無理。。。

 

前置きが長くなりました。

ツッコミどころ満載のインタビューなので今回でも終わりそうにないですが、とりあえず今日は3つくらい突っ込んでみます。

 

 

5)「自分にはわからない」と切り捨てる人に教育を語ってほしくない

 

「〇〇な××生がいる」と「××生はみんな○○」が同値でないことは、必要条件と十分条件を学んでいる高校生はもちろんほとんどの方は理解できると思う。でも、お三方のインタビューを読む限り、みなさん「××生はみんな○○」という考え方をされるように感じました。

 

「翼の翼」を書かれた朝比奈あすかさんがこう言われています。

朝比奈:私もそういう話を聞いたことがあります。東大の文科Ⅰ類に行ってしまうと、さらにその先に、ここの省庁よりあの省庁が上といった序列があるとかで。わからないんですけど、意味が……。(引用終わり)

 

うん、わからないのは貴方の身内に東大生や官僚がいないから、でしょう。

そりゃあわかんないよね。

他者から見たらその価値観はアホに見えるかもしれない。

でも、どんなジャンルでもそこで高みを目指している人間には同種の苦しみがありますよ。それを他人がバカにする資格はない。

宇野昌磨くんに「金にこだわるとか意味わかんない」と言いますか?

朝比奈氏、おおた氏、高瀬氏。みなさん野心を持ったことはないんですか。

部数を気にしたことはないですか。

世間の評価が気になりませんか。

もし「作家になろうするとか意味わかんない」「〇〇賞が欲しいとか意味わかんない笑」と言われたらどう答えますか。

 

誰だって、自分のいるジャンルで必死なんですよ。

「東大行ったんだから(省庁なんてどこでも)いいじゃない」というのは「小説で/漫画で食えてるんだからナンバーワンになれなくてもいいじゃない」というくらい乱暴です。だからこそ、私は競争意識でつぶれるくらいなら競争から身を遠ざけたら楽になる、とこのブログで書いているわけです。逆に言うと、過去記事でも書いた通り「集団」に身を置く以上、人は勝手に序列を感じてしまう。もうこれは仕方のないことなんです。だからそこから離れると楽になるよ、と書いている。ランキングのつく集団に身を置きながら気にするなというのは無理。

 

何度もこのブログで書いています。

「順位をモノサシにすると人生苦しいよ」と。

私だって、東大行ってさらに官庁の序列を気にする人生は辛いだろうとは思う。

 

でもね。

朝比奈氏のこの言い方はないでしょう。

ご自分の知らない世界で序列があることを「意味が分からない」と切り捨てている。

どんなジャンルであれ、そのジャンルの中で高みを目指すなら苦しみがあるんです。

ただ、その「高み」が「人と比べて」なのか「自分がどこまで真理に近づけるか」なのかで苦しさの質が変わる。人と比べて、だと勝ってる間はいいけど負けが認められなくなって自分を追い詰めるというのを嫌というほど知っている。

でも、そんなことも結局は年をとったから言えること。

渦中の本人にとっては、そんな第三者の言葉なんて慰めとしか思えない。

だって、本人は「一位」が欲しかったんだから。

「本人」が夢中になっている間は、その本人が諦めがつくまでやるしかない。

今、本人が欲しいのはそれでしかないんだから。

いわば恋してるのと一緒なんですよ。

意中の彼に彼女に振り向いてもらえなくて苦しんでいる人に「相手はいくらだっている、一人の人に拘るなんて意味がわからない」と突き放しますか?

 

私がこのブログでくどいほど言っているのは、本人ではなく「周り(親)が高みを目指させること」についての危険性。本人が目指す以上、(肩をぽんとたたいてあげたい気持ちはあるものの)諦めがつくまでやればいいと思う。

でも、親がやらせるのはNG。

それは一貫してこのブログで言ってること。

高瀬氏も朝比奈氏も、親と子がごっちゃになってる。

本人が自分で望んで闘っている場合と、親が自分のリベンジでやらせている場合は切り分けないと(でも、なぜかみなさん「親」には甘いんですよね)

 

自分には理解できない価値観を「わからない」と切り捨てる方たちに教育を語ってほしくないなあと正直思いました。

 

高瀬氏はそれにこう答えています。

高瀬:ある親御さんは、通っているのとは別の大手塾に相談に行ったら、マンツーマンで教えてもらえることになって、早慶も御三家も合格したって喜んでいました。喜んでいるその方を批判するわけではないですけど、「ええっ」って思いませんか? 

おおたさんが「解説」で指摘しているとおり、「灘ツアー」とか「塾代がタダになる」とかそういう特典は、他の子たちからもらったものですよね。それを大の大人が、「うちの子優秀だから、コスパが良かったわ」っていう話で終わらせちゃいけない。なんでこの話を持ち出したかというと、その行く末が先ほどの省庁同士で馬鹿にするみたいな話にもつながるなと思ったからです。(引用終わり)

 

すみません、何がどうつながるのかわかりません。

「他の子たちからもらったもの」という考えがまずわかりません。

先に紹介したユウキ先生のブログでも書かれていましたが、経営ってそういう「あっちで浮いたお金をこっちに回そう」じゃないですよ?実務を知らないんですかね。大企業になればなるほど、(もちろん最終決算では部署ごとの赤字黒字をまとめて穴を埋めまますが)「あっちで儲かってるからこっちにお金使えるよね♪♪」というやり方では経営は成り立たないです。また、十年先を見越して赤字覚悟でやる部署もあります。これは推測でしかないですが、早稲アカは赤字だろうと黒字だろうと灘ツアーや特待生はやめないと思いますよ。それが企業信念だから。

「うちの子優秀だから、コスパが良かったわ」というのは本当に本人から聞いた話なんでしょうか?そう思っているに違いないという思い込みではないでしょうか。

 

6)「東京」しか見えていない人が「広い視野を」という矛盾

以前も書きましたが、そもそも中学受験の異常な加熱って東京&大阪近郊つまり大都市の話ですよね?

お三方とも「それでも中受はいい」という結論ですし、おおた氏は「高校受験のほうが失うものが大きい」とまで断言されておいでですが、だったら私立中学のほとんどない地方の小中学生は、もうスタートラインにすら立てていないということなんですかね。

私はそんなことないと思いますけどね。

何度も書いてくどいですけど、家の周りの東西南北もわからず、北極星を見つけられない子が理科の問題解けても「賢い」とは私には思えないんですよね。サピの「席取り」で小学校2年生からサピに通わせて、5年になっても速さの基礎問題が解けない子や割合がわからない子は少なくとも中受には向いてないと思います。挨拶もできず、ゲーミングチェアにふんぞり返って、親に「水!」という子が「はじき」で答えを出してとりあえずなんとか私立中に入っていく。そういう側面が、東京の中受にはたしかに存在します。そういう歪さを内包したまま、「東京の」中受は過熱している。

 

私は「経験」と「机上の勉強」がリンクしてこそ学びの面白さがあるし、それが学びの真髄だと信じているのですが、現在の東京の中受では残念ながら机上の勉強のみが先行していると日々感じている。

 

まあそれは置くとして。

お三方、「東京」しか見えてませんね?

高瀬:何が言いたいかというと、見えてない世界を、見ないで過ごせる人たちが、見ないままで過ごして、はたして社会全体がよくなるのかということです。(引用終わり)

中学受験の超過熱自体が、東京特有の話なわけです。

「中受した方がいい」「高受より中受のほうが豊かな思春期を過ごせる」という方たちの目には、地方の人は見えていませんね。

いや、それ自体はいいんです。

人は、結局自分の視点でモノをみるわけだから。

でも、日本の教育全体を見ずに「東京の中受」だけ見ている方が上から目線でこういうことを仰るのはどうなんだろうか。

高瀬氏は、以前も書きましたが埼玉や千葉を「前受け」と言い切り「2月1日の東京の勝者こそ勝者」と思い込んでいるようですね。タイトルを「東京の二月の勝者」にしたらいいのに。

 

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これを言うと重箱の隅と言われそうですが、個人的には「開墾中」とか「高縄中」という茶化したネーミングが好きではないんですよね。ギャグとしてもちょっと寒いんだけど、ご本人は面白いと思っておいでのようで。なんというか、高瀬氏の中に「中下位校は茶化していい」という潜在意識があるように感じます。実際、連載初期にあるキャラがある学校を実名でdisったことで炎上もしたようですが、おそらくご本人はご自分の中の無意識の差別意識に気づくことはないんだろうなと思う。

それはそれでいいんだけど、そういう意識の人が「上」に対しては「下を差別しているんだろう」と言うのは「酸っぱい葡萄」といいますか、ご自分の立ち位置でしかモノが見られないんだなと残念に思う。

 

7)人のせいにするな

私は、くどいほどこのブログで書いているように

・本人が望むなら無謀な挑戦もしたらいい

・でも、親が自分の人生のリベンジに子供を使うな

がポリシーです。

イヤというほど見てきました。

「二月の勝者」の武田母、あるいは今井母のような親。

自分の人生が不幸(人と比べて)なのは学歴がないからだと思い込み、勉強嫌いな子供に勉強を強いる武田母。

他人にマウントを取りたいからわが子を高偏差値校に押し込みたい今井母。

これって「人のせい」なんですかね?

高瀬氏は「親のせいじゃない」と言っておいでです。

高瀬:私の漫画の登場人物についても、「親が悪い」なんて批判を聞きますけど、その親が囲まれてる環境も、100例あったら100通りあります。実際はお姑さんとかがみんなで圧力かけているわけで、親の責任だけが強調される風潮にも問題があります。『翼の翼』(光文社)でも描かれていましたよね。夫の親からのプレッシャーもあったりして。

もう、本当に「親は親をかばうんだな」でしかない。

これについては過去記事で書きました。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

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私の経験上でしかないですが、わが子に偏差値にして10~20ギャップある学校へ受からせろと狂気の沙汰だったのはだいたい母親で、旦那さんは無関心だったり「そこまでしなくても」と引き気味だったことが多いです。たしかに最近は暇な「エクセル親父」もいますけどね。

母親が狂気=受験ジャンキーに陥って子供を追い詰めるのを、「親のせいじゃない」って言うのはどうなんですかね。以前も書きましたが、武田母が泣いたときに「お母さんのせいじゃない」は関係者の本音ではないですよ。明らかに武田母のせいなんですよ。本人が勉強嫌いなのに「付属に行けば人生バラ色」と黒木の言葉に騙されたのが発端ですからね。

で、その根っこはというと。

やっぱり「人よりいい暮らしをしたい」なんじゃないかな。

三者から見たら、(賃貸か持ち家かでだいぶ違うけど)吉祥寺に住めて普通に暮らせている(塾にも通えるしゲームもできる)生活水準というのは日本全体から見たら相当いい暮らしだと思うけどね。

それでも満足できなくて本人の望まない競争を強いたんだよね。

それは武田母の願望だよね。

旦那さん反対してたよね。

それも「人のせい」「お姑さんのせい」「社会のせい」ですか?

「社会」なんていう「自分とは別の生き物」はいないんですよ。自分が望んだことなんですよ。

 

朝比奈氏も高瀬氏も「東大生が省庁の序列を気にするのはおかしい」と言っておいでですが、だったら「日本の平均からしたら裕福な暮らしの武田母が『もっと』を目指すのはおかしい」と思わないんですかね。その線引きは誰がするんですか。あなた方の立ち位置で勝手に線を引いているんじゃないんですかね。

 

まあ、「翼の翼」も「二月の勝者」もそうだけど、購買層は中受「親」だからね。

「親のせいじゃない」と言わないと買ってもらえないんだろうね。

前回も書いたけど、本当に「当人不在」な感じがたまらなく嫌だわ。

お三方が「親は悪くない」「社会が悪い」「不合格でも中受は素晴らしい」と言えるのは、【現場】にいないからだと思う。【現場】で「親の狂気に潰される子供たち」を実際に見ていたら、幸せな中受だの気軽に言えないです。

 

続きます。

「二月の勝者」の迷走とおおたとしまさ氏(2)

前回の続きです。

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前回も書きましたが「塾の特待生は【搾取】をしている」という言葉がショッキング過ぎてまだモヤモヤしています苦笑

そもそも、自分が払ったお金を相手がどう使うかに文句をつけるのってとても浅ましいと思うんですけどね。ある塾が優秀な子を無料にするのは、無料にすることでその子たちに来て欲しいからでしょう?目的は合格実績だけではなくて集団としての底上げや他生徒への刺激などいろいろあるでしょう。それってその塾の勝手ですよね。特待生制度があるかないかは、特待生じゃない子からの月謝の高低となんら関係ないと思います。税金なら使途に何か言いたくなるのはわかりますが、自分たちが塾に行きたいと考えて自発的に払ったお金を特待生に使われたら【搾取】だというのはさもしい以外の感想がありません。もし仮に、世の男性が「レディースデーは俺たちの払った金を搾取して成り立っている!」と言い出したら高瀬氏はどう答えるのか興味があります。

 

さて、今日は少し話を進めます。

 

3)教育虐待から目をそらしている

教育虐待が一番起きやすいのが中学受験です。中高生になると親のほうもわが子の実力がどれくらいか受容ができていることが多いから無茶振りも起きにくいし、子供の方も親に反発する力を持っている。高校生ともなると親自身がとうてい解けない問題が出てくるのでそうそう強いことも言えない。

翻って、中学受験では誰も「適正レベル」を言ってくれないのでとんでもない高望みをしがち。ひたすら勉強させれば何とかなる気がしてしまう。

私は実体験として数々の悲劇を見てきました。

前回ご紹介したインタビューでは、肝心の被害者(子供)の視点がばっさり欠けているところにゾッとしました。これは、以前「翼の翼」の感想でも書いたことですが。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

くだんのインタビューの中では3人とも、「親が自分の中の怪物に気づいて飼いならせればいいですね」などとノー天気に仰っているんですが、飼いならせる人が少ないから悲劇が起きるんでしょうが!私が再々その危険性を訴えているのは、「あとで気づいて反省したからいいじゃないの」では取り返せない傷が子供に残るからです。

「二月の勝者」でいえば、里依紗の母親が後でいくら悔いたところで里依紗が10~12歳で受けた傷は今後長く取り返しがつかないと思いますよ下手したら一生。里依紗母が反省したらそれで良し、なんですかね。

 

おおたとしまさ氏は、以前こんな記事を書いておいでです。

bunshun.jp

氏の意見としては、

・思春期に受験をするのはよくない

・なぜならその6年間は「ぼーっと過ごし」「たくさんの人に出会える」時期だから

・中受は偏差値にこだわらなければ「全入」なので、無理せず入れるところに入って中高一貫の6年間を有意義に過ごせばよい

ということのようです。

ツッコミどころだらけな気がするのは私だけでしょうか。

たしかに、多感な時期の受験は苦しいことも多いでしょう。異性に興味も出てくるし、部活や趣味に本気で打ち込みたい子たちもいるでしょう。でも、だからこそ自分をコントロールする力を育てるチャンスともなりうる。

結局、小受だろうと中受だろうと高受だろうと大受だろうと、自分の実力より難しいところを目指せばハードな道になるのは変わらない。どっちがマシか論争でしかないかもしれない。それがいつならいいのか、は個人差が大きいでしょう。でもやはり私は生物として本能的に、まだ身体のできあがっていない弱弱しい10~12歳の子供を数年間「ランキング」の中に放り込むのはかわいそうだと感じる(本人が勉強大好き競争大好きな場合のぞく。そういう子は好きなだけやったらいい。スポ小と一緒)。

おおた氏が中受における教育虐待から目をそらしているのは意識的なのか無意識なのか。「全入」状態だからと言って、今のまま無理せず入れるところでいいという親がいると本気で思ってるんでしょうか。おめでたいな。

中受塾に入るということは、イコール3年間絶え間ないランキングのストレスに身を投じることなのに。

 

3人とも親を啓蒙しようとされているようですが、啓蒙でなんとかなるような甘い話じゃないんですよ、闇落ちするタイプの親の承認欲求というのは。ましてや、現代というのは「親」という立場の人を叱れない世の中です。たとえば昔なら、親の不注意で子供がけがをしたら医者が叱ってくれました。今や、そんなことしたらSNSで即拡散。

 

高瀬氏は「万人がモンスター化するときがある」と仰ってましたが、それもまた違う。うちの親もそうでしたけど、子供がどの学校に行くかということに左右されない親御さんも、割合としては少ないとしても確実にいる。あるいは、内心ではヤキモキしていても子供に対してはきちんと一線を引ける親御さんも多い(現在担当している生徒さんの親御さんはほとんどそうです)。

 

前回も書きましたが、子供の受験に過度に振り回されて闇落ちするタイプの方は、ギャンブルやったらまず破滅するタイプ。そういうタイプにまで中受を薦めておきながら「ほどほどにね」などと言うのは、例えは悪いですがカイジに借金させてギャンブルさせる遠藤のとっつぁんみたいなもんだと感じます。ギャンブルなら金がなくなるだけで済みますが、親が受験ジャンキー化した場合「被害者」が生まれますよ。

 

「6年間ぼーっとするため」に、人格形成される非常に貴重な10~12歳の時期を教育虐待下におくのをよしとするのは本末転倒だと思う。

さらにツッコむと、おおた氏は「海外には高校受験はない」と言ってましたがそれを言うなら海外には日本のような苛烈な中学受験塾はないですよ笑

 

4)いわゆる「意識高い系」の意見

「お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中ではな」という名セリフがあります。

インタビューの印象は、まさにそんな感じ。

3名とも、目線が今の自分の立ち位置でしかない。

だから「(自分より)優秀な人たちは下を見下しているに違いない」「(自分より)優秀な人たちは貧困層に興味がないに違いない」と思い込む一方で、自分たちの中の差別意識には無自覚。おおた氏は「全入」だから学力に合ったところに入れればいいと提唱していますが、だったらなぜ公立中ではダメなんでしょうか。無意識に私立中のほうが「環境」がいいと考えているからではないのでしょうか。全入状態の私立中に行くことは、「金がない家の子のいる集団」「学力の低い子のいる集団」から「イチ抜け」することなんじゃないでしょうか。

 

誤解のないように念を押しますが、私はそういう「環境買い」を否定しません。価値観は人それぞれ。ただ、そういう意識がありながらキレイゴトを言うのはみっともないなと感じます。自分たちもそうだったことを他人がやると批判するのはダブルバインドですね。それともご自分たちは「そのまま」で入れる中学にお子さんを入れたんでしょうか。

 

前回の繰り返しになりますが、高瀬氏は「(アゴアシ付きで)灘ツアーをする子たちは自分たちが【搾取】していることに気づかず大人になっていく」と仰っていますが、それは「年間100万前後の塾代」を払い「貧しい子のいない世界=私立中」に行く子も同様ではないんですか。偏差値が低いと貧しい子に思いやりを持てるんですか?下剋上を目指して勉強嫌いな我が子に課金上等と啖呵を切った武田母は、貧困層への思いやりを持っていますか?

 

いろんな人と接することが大事だと言うなら、なおさら「似通った環境の人間が集まるところ」を目指すのは矛盾していませんか。たとえば貧困家庭の子や低学力の子。小学校の頃って、あまりそういう事情はわかりません。多様性が大事、思いやりが大事というならば、それなりに世の中が見え大人の世界の話も少しわかる中学時代に「いろんな子」がいる環境にいることが大事なんじゃないのかなあ。それに背を向けて口だけで思いやりだの多様性だの言われましても、という感じ。

 

「意識高い系」の方の意見が苦手なところ。

それは、自分の失敗談は隠す、あるいはそもそも自分(だけ)はうまくやっていると思い込んでいるところです。そんなことは子供本人に聞いてみないとわからないのに。

「自分もそう褒められた親じゃない」と謙遜はしてみせつつ、実際に何をやってしまったかは明言しない。「しくじり先生」のように「私は渦中にいるとき鬼になってしまった」とでも言ってくれれば説得力があろうものを。

 

 

それにしても、「二月の勝者」は連載当初に比べてかなり変節したなあと感じます。

高校受験を否定し、サッカー少年の三浦くんに大人げなくリフティング勝負を挑んでまで「お前はプロにはなれないよ」と引導を渡し中受をさせた黒木。その黒木の立ち位置は、決してブラックジャックにおけるキリコのような「否定されるべき信念」ではなく作中でずっと礼賛されてきた。

私自身は現在の行き過ぎた中受には懐疑的ではありますが、黒木の考え方は考え方としてありというか、もろ手をあげて賛成はできないけどそういう信念の持ち主としては小気味いいなくらいに思っていたのですが。

黒木がいまさら「いいひと」になろうとしているなら、三浦くんの夢を打ち砕いたことは作中で否定されなければいけないと思うが。

 

続きます。

「二月の勝者」の迷走と、おおたとしまさ氏(1)

久しぶりにビッグコミックスピリッツを読んだら、なんだか「二月の勝者」が「あれれ?」な方向に進んでいた。

その理由が、作者を含む三者のインタビューでわかった気がする。

toyokeizai.net

正直、怒りと呆れを禁じ得ない。

以前も書いたが、私は特定の記事やブログに対する反論記事を書くのはやめようと自分を戒めている。なぜなら、「この人こんなこと言ってますけど間違ってますよね」というエントリーを書くのはとても簡単だけれども、それは欠席裁判のようでちょっと恥ずかしい行為かなと(個人的に)感じているからだ。

でも、今回の関係者三者のインタビューは東洋経済オンラインの記事なので、公共性も高いうえに、何より内容がちょっと看過できないものだったので私見を書いてみようと思う。思うところが多すぎて、一回では終わらないだろうし内容が重複する部分もあろうかと思うが、ご容赦願いたい。

 

1)なぜその結論になるのか

2)特待生は「搾取」ではない

3)「教育虐待」から目をそらしている点

4)「自分の立ち位置」からしかモノを見ていない点

5)「意識高い人」が陥りがちな落とし穴

6)「結論ありき」の「取材」

7)自分を棚にあげている点

8)二月の「笑者」が理想なら、黒木の行動は矛盾だらけ

 

ざっと思いついただけでも、これだけの違和感がある。

ひとつひとつ書いていこう。

 

1)なぜその結論になるのか

これが一番言いたいことだ。

過熱しすぎた中学受験の闇については、このブログでも散々書いている。

私の出した結論は

・中受は「浮きこぼれ」レベルの子向き(つまり、そうじゃないならやめておけ)

・ギャンブルにハマりやすい人は中受に参入するな

つまり

君子危うきに近寄らず

だ。

 

いったん入ったが最後、降りられないジェットコースターが中受。

(ごくまれに、冷静かつ客観的に考えて降りられる人もいる)

 

高瀬氏、おおたとしまさ氏、朝比奈氏の御三方は「中受は怖い面がある」と言いながら、最終的には

「みんながハッピーな中受」

とやらを提唱している。

もうね、脱力を通り越して何と言っていいのかわかりません。

 

たしかに、このブログでもくどいほど

・親は自分を省みろ

・子供の受験でリベンジするな

・わが子は自分の鏡

というようなことを再三書いてきました。

書いてきましたが。

それで納得できて、子供に対する教育虐待を辞めるような人はほとんどいません。

残念ながら。

 

中受の闇に飲み込まれてしまうかどうかは、もうこれは本人の持って生まれた気質だなと最近思うようになりました。

人はね、結局自分の聞きたい話しか聞かないです。

教育虐待になってしまっているご家庭にどれほど言葉を尽くして話したところで、「ああ、私が間違ってたな、あらためよう」となるご父兄はほとんどいませんでした、残念ながら。

「中受の闇」を避けたければ、中受しない、これ一択です。

やや話は逸れますが、たとえばTwitterやれば「いいね」の数が気になるのが人情。

「いいね」の数に振り回されて実生活がおかしくなる人はたくさんいる。

それを避けたければ、

Twitterをやりながら自分を戒める」より「やらない」のが一番。

そういうことです。

 

これまた何度も書いてますが、高受は割と健全です。

おおたとしまさ氏は「反抗期が来てからの高校受験より中受が良い」と言われていましたが、これってものすごく怖い話じゃないでしょうか。

要は、「親のいうこと聞かせられる間に」「子供が社会のことをわかる前に」受験させてより良い(笑)環境に入れてしまおう、という話ですよね。

 

そもそも、中学受験がなぜあそこまで過熱してしまうかと言いますとね。

それは「進路指導」がないからなんですよ。

高校受験であれば、中学校の先生が生徒の実力を鑑みて進路指導をし、受験校が決まっていきます。それを「輪切り」と批判する向きも多いですが、じゃあ中学受験は「輪切り」じゃないんですか?そんなことないですよね?明らかに「このヘンサチならここ」という流れができていますよね?でも、高校受験と違って中学受験では「親と本人が望めばどこまででも高望みしてよい」ので、目を覆うような教育虐待が起きるわけです。

誰も「そこは無理です」って言ってくれないから。

余談ながら、世間では非常に評判の悪い公立中の進路指導、私は意外と価値があると思っています。なぜなら、中受ギョーカイは「無理です」とは絶対に言いませんので親も子供も諦められませんが、公立中の進路指導では先生が悪者になって「引導を渡す」ことをしてくれるからです。

 

もちろん、公立中&高校受験がすべてハッピーだと言うつもりはありません。

ですが、現在の中受ギョーカイは「一発逆転を狙って金を注ぎ込み続けるギャンブラー」に引導を渡さない(なぜならば引導を渡さなければ2月1日まで金を出し続けてくれるから)という点で非常にいびつです。

 

そこから抜け出すには、「いったん中受をやめてみる」という選択しかないと私は思っているのですが、お三方はなぜか「それでもハッピーな中受を」という結論。

ごめんなさい、意味がわかりません。

 

「親がモンスターにならなければ良い」と言っていましたが、中受に巻き込まれてモンスター化している親がそれで治まると思っているのか。おおた氏は「適正校」への受験を勧めていたが、みなが闘っている中で「自分はここでいいや」と思える親はそもそもモンスター化しません。

これも以前書きましたが「自分だけはうまくいく」「人を出し抜きたい」という思いが、モンスター化する親の根底にあるからです。

 

過去記事でも書きましたが、「競争の場」に身を置いてなおかつ巻き込まれないようにするのは至難の業です。その競争が歪んでいると思ったら、離れるのが最善です。

お三方とも、「中受が無くなったら困る」んでしょうな。

 

高瀬氏はこうも言っておられます。

(以下引用)

東大卒の人が「東大を出るとなんでも職業が選べると思ってた。だけど、逆に東大に行ったことで就けない職業ができた」って言っていました。「えっ?」って聞き返したら、ある職業名を出されて「○○とかってなれないじゃないですか?」って言われました。悪い意味ではなくて、東大を出たからには、東大を出たからこそ行ける道を選ばなきゃいけないって思っているんですよね。

(引用終わり)

これは以前私がこのブログで書いたことで、まあ大作家さまがここを見ているとは思えませんので高瀬氏の身近な人が言ったんだと思いますが。

これもまた「n=1」で言っちゃってるなあ、という感じです。

「東大を出たからには〇〇にならなければ」と思う学生はたしかにいます。

でも、一方で「勉強が楽しいから東大来たけど、仕事はこだわらない」学生も同じくらい多いんです、あそこは。

「〇〇に行ったから××じゃなきゃ」と考えるのは、そもそもそういう考え、つまり他人のモノサシで生きていた人間だったからであって、〇〇に行く人間が全員そういう考えなわけではない。この辺り、こう言ってはなんですが高瀬氏が真のトップ層をまるで知らないことからそう思い込んでおいでなのではと思います。

 

2)特待生は「搾取」ではない

これ、目を疑いました。

「二月の勝者」の作者、高瀬氏は以下のように言っています。

 

(以下、引用)

おおたさんが「解説」で指摘しているとおり、「灘ツアー」とか「塾代がタダになる」とかそういう特典は、他の子たちからもらったものですよね。それを大の大人が、「うちの子優秀だから、コスパが良かったわ」っていう話で終わらせちゃいけない。なんでこの話を持ち出したかというと、その行く末が先ほどの省庁同士で馬鹿にするみたいな話にもつながるなと思ったからです。

(中略)
おそらく搾取っていう自覚もないですね。この「解説」を読んだ時に、搾取してるとかされているとか、その想像も意識もせずに、搾取する側に回っていく世の中の構造が、こんな塾みたいな小さな場所で行われてるんだと思って、背筋が寒くなりました。

(引用ここまで)

 

背筋が寒くなる、とまでおっしゃいますか。

驚愕です。

あのですね。

トップ層はタダでもいいのは「下から金をもらっているから」ではないんです。

トップ層は、「教えていて楽しい」し「教えるのが楽」だからなんです。

一を言えば十を知る。

 

学力が低い子からお金をいただくのは、搾取ではないです、断じて。

ここでも再々書いていますが、私自身は教えるのが非常に大変な生徒の場合、ギャラを倍欲しいと感じていますし、実際そうしています(倍とまではいきませんが)。

躾けが出来ていない、話を聞いていない、何度教えても同じミスをする。エトセトラ。

それでいて親からは「結果」を求められるわけですから、これは上位クラスより多くもらわないと正直やっていられません。

で、ですね。

もし高瀬氏の言う通り、トップ層からも同料金を取ることにしたとして。

その分、下位層の値段が下がることはないです。

それとこれとは別の理論で動いているからです。

 

受験マンガを描いている人が、「搾取」などと言う言葉を使うとは思わなかった。

 

どうも、お三方とも「自分たちは【搾取】などしていない」と思い込んでいるご様子。

何をもって【搾取】という非常に強い言葉を使われているのかわかりませんが。

じゃあ、どこからが【搾取】なんでしょうか。

「中くらい」の生徒は「下位」の生徒から搾取していないんでしょうか?

多くの塾では、下位層はテキストのすべてを教えてはもらえません。

それ自体は、それぞれに合った問題を解くのが適切ですから問題ありませんが、同じ受講料を払っていて教わる内容が違うとしたら、(高瀬氏の基準で言えば)それも【搾取】ではないのでしょうか。

 

どうやら、お三方とも

「富裕層や上位層は悪いことをしている」

という思い込みがおありのようで。

私の知る限りではありますが、本当のトップ層は「下を見下し」などしませんよ。

トップ同士の熾烈な(そして健全な)争いがあり、だからこそ「思いあがる」余地がさほどないからです。

以前も書きましたが、小学校で塾の話を持ち出し、先生を馬鹿にし、塾の下位層を馬鹿にして学級崩壊させるのは「中くらい」の子が多かったです。

 

そもそも、「塾に通わせて中受をできる」ということ自体が、かなり恵まれた境遇なわけです。塾には、公立小や公立中と違って「貧しい子」はいないでしょう。驚くほど巨額の金銭を、今、東京の中受参戦組の親御さんは子供に払っています。

高瀬氏は、「【搾取】している子は貧しい子の存在を知らずに大人になっていく。それが怖い」と仰っていますが、「中くらい」の子なら貧困層の存在を知ると言いたいのでしょうか。それは、「東大生はみんな性格が悪い」と同じくらい間違った思い込みなのではないですか?

 

そもそも、貧困層含めいろんな人がいるのを知ってほしいならば、なぜ「塾」に行かせ「私立中」に行かせるのですか?

偏差値にかかわらず、「私立中」に貧しい子はいませんよ。

自分たちと同程度の学力の子、そしてそれなりにお金がある家の子が集まるのが「私立中」ですよ?

 

トップ層が塾代タダになるのを【搾取】と言うなら、成績優秀者への奨学金はどうなんでしょうか。多くの私立中学が、トップ層は学費無料にしてますが。それも【搾取】ですか。そもそも、学力が高ければ塾代をタダにしてくれることで、貧困だけど塾に通える子がいるかもしれないじゃないですか。

このあたりに、残念ながら高瀬氏の「思い込み」があるように感じられてなりません。

 

案の定、長くなりましたので続きは次回。

 

 

 

雑記:「幸せを感じられる」のも能力のひとつだと思う。

ちょっと前ですが「世界幸福度ランキング」なるものが発表されていましたね。

 

まあ、なんていうか「国連って暇なのね…」と。

 

どんどん肥大化して下部組織ができて、予算使うためなのかな?とか穿ってしまう。

(そのくせロシアの件では何もできないのが露見したわけで。)

 

GDPや寿命は数字が高ければ幸せというわけでもないうえに、そういう客観的なデータと主観的なデータを混在させて「ランキング」とやらを作ることに何の意味があるんだろう? むしろ弊害すらあるでしょう、こういうのは(純真な人が真に受けてネガティブになってしまう、とかね)。

 

「幸せと感じるかどうか」について各国で1000件ずつほどのアンケートを取っているらしいけど、全然信ぴょう性感じないですよね苦笑。

 

と、まあ私はこのランキングは眉唾で見ているんだけれども。

また、「日本人は」とかn=1で主語でかくする話し方もしないように心がけてはいるんだけれども。

ただ、たしかに1つ2つ思い当たるフシがある、日本人が「幸せを感じない」理由。

 

ひとつめは、「他人のミスへの厳しさ」が回りまわって自分の首を絞めている点。

列車は時間通り来て当たり前。

店員は完璧な接客をして当たり前。

公務員やバスの運転手が勤務時間にジュース飲むのを許さない。

エトセトラ。

ちょっとでも自分の気に入らない対応をされると、鬼の首を取ったようにSNSで晒上げる。

特に、日本人は「相手の契約外・時間外サービス」がタダだと思っているフシがあるね。教育関係もそう。私なんかの仕事はまだマシだけど学校の先生は本当にかわいそう。教員不足が叫ばれて久しいけど当たり前だわ。

でも、そうやって誰かを晒上げるということは、自分も晒上げられる恐怖とバーター。

そうやってお互いの首を絞めあって窮屈な世の中にしているところは否定できないように思う。

ちなみに、店員さんは客と対等でいいと思ってる。日本の過剰なお辞儀や敬語はカタチだけだと寒々しくなるし、コンビニで深々とお辞儀されるくらいならニコッと笑ってくれたほうがよっぽどいいよ。

ついでに言うと、Twitterとかで「(他人に)寛容になれ!」とか言ってる人ほど普段は上記のような「絶対許さないマン」だったりするんだよね…。

 

ふたつめは、欲望に際限がない点。

まあ、それは私がこういう仕事をしているからよけいにそういう人に出会う確率が高いということはわかっているけれども。

いくらお金があっても、家の空気がギスギスして逃げ出したくなるくらいの御宅、笑顔がまったくないご家庭が一定の割合で存在する。「〇〇がない」「足りない」と、「ないもの」に目を向ければいくらでも不幸になれる。

 

私は今、毎日が実に楽しいんだけれども、その理由はわかっている。

「人と自分を比べなくて済む環境」を選んだからだ。

いくら「人のモノサシで生きるな」とキレイゴトを言われても、実際目に入ってしまったら心がモヤモヤするのが人間のサガだろう。

だから私は一人でできる仕事を選んだし、人と人が言い争ったり、みなが人より目立とうとギラギラしている場所(Twitterとか)には近寄らないようにしている。

かといって、向上心をなくして現状に甘んじているわけではない。

自分の能力は死ぬまでずっと高めていきたいし、もっと勉強したい。

毎日本を読み、自分のための勉強も欠かさない。

「知ること」がとても楽しい。

また、若い時は疎かにしがちだったご近所とのご縁も大切にするよう心がけている。

幸せと感じるかどうかは文字通り自分次第だ。

「人より〇〇」で感じる優越感は劣等感の裏返しでしかないし、自分より優れた人が現れたらあっという間にひっくり返る。

日本のように人口密度が高くて人間関係から逃れにくい国では、「人と比べない」ことは難しいかもしれないけれど、自分から進んでそういう情報を見に行かなければ(たとえばTwitterとか学校ランキングとか)だいぶ楽に生きられるんじゃないかな。

「二月の勝者」に覚える違和感。~子供を泣かせて「本気になった」と喜ぶ大人たち~

一か月以上空いてしまった…。

実生活でいろいろあったわけですが、毎日何かしら思うところはあるわけで、そういうのを気軽に書けるようになりたいとも思う。

自分の場合、まだブログ慣れしていないのか(笑)、ある程度考えがまとまってから書くべきなんではないかとか思い込んでいて、モヤモヤの段階では書けないクセがあるわけです、はい。

 

そんなことは置いておいて。

久しぶりに書くブログのネタがこれでいいのかと言う気もするけど逆にこれでなければならないというか、この一か月モヤモヤとずっと感じていたことなわけで、なので書きます。

 

漫画「二月の勝者」のネタバレ入りますので、ネタバレ嫌な方はブラウザバックお願いします。念のため行間空けますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二月の勝者」、ようやく受験本番になって合否も出てきました。

その中で、私が強烈に違和感を覚えたのが

 

のエピソードです。

・武田勇人の場合

1日の結果は不合格。

勇人号泣→母、反省→黒木、「お母さまは自分を責めないで」発言。

うん、それが間違ってる。

勇人の場合は、子供自身が全然本気にならないのに、母親が自分の人生を重ねて「自分の人生のリベンジ」のために勇人を中受に駆り立てていたんです。

もうね、この時点で大間違いでしょ!?

勇人のママ、全然本人と向き合ってないよね。

勇人が何が好きか、どうなりたいのか。

そういったこと、全然本人と話し合ってない。

ていうか、子供本人を見ていない。

ただ、自分が今職場で不幸せなのは高卒のせいだと思い込み、勇人に高ヘンサチを望んでいるだけ。まあぶっちゃけ母親失格ですよね。

あの母親に必要なのは、夫に対して「課金ゲー上等!」と啖呵を切ることではなくて、子供と話し合うことだったと思いますね。

もうね、中受やってるとこういう親が多すぎて…(溜息)。

 

子供はね、別に自分が本気で望んでいないことでも、「『お前は不合格だ』と言われて」「周りの雰囲気につられて」泣きますよ、そりゃあ。

以前書いた、「翼の翼」と全く同じなんです(レベルは違うけど)。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

子供本人が望んでいない競争をさせて、そこでお前はダメだと烙印を押されて、それで子供が傷ついたらそれは競争をさせた人間の責任以外の何物でもないでしょう?

こういうとき、「中受ギョーカイ」は「お母さまは悪くない」と必ず言います。

それは、スポンサーだから(苦笑)。

勇人が「12歳で」そんな号泣をする羽目になったのは、間違いなく受験が「課金ゲー」だと勘違いした大バカ者の母親のせいです。なんでそれをかばうのか。

「翼の翼」でもおおいに感じたことですけど、

大人たちが子供を競争に駆り立て

子供がそれで傷つき

そのとき、大人たちが「私たちは悪くないよね」と言い合っている

非常に気持ち悪い構図なんです、これは。

 

誤解のないように念を押しておきますが、子供が泣いたから悪いと言っているわけではないのです。花恋や順のように、本人が競争を望んでいる場合は、オリンピックを目指すアスリートとなんら変わりないですから。泣いて、笑って、チカラを伸ばしていけばいい。

 

でも、勇人タイプの場合は違います。

あのタイプは、中受レースに身を投じなくても「(自分が)それなりに幸せだ」と感じられる人生は歩める。

母親が自分の劣等感から中受に駆り立て、さりとて学習のサポートひとつできず、勉強を「課金ゲー」だと考えた罪は非常に大きい。

ここは、大人としてまず反省しないといけないわけです。

何を「お母さまは悪くない」とか傷をなめあっているんだか。

 

・加藤匠の場合

加藤匠が1日を「落とした」ことで、黒木は彼をなんと22時すぎに塾に呼び出します。

その目的は「悔しがって泣かせること」。

はあ???

加藤匠くんは、ジャイアントキリング的に伸びてきた子ではありますが、本人も親も「そこそこでいい」と考えているタイプ。つまり、「幸せ」の尺度が黒木とは違う。

人が幸せを感じる状況は、人それぞれ。

黒木は(つまり作者は)、そこまで踏み込んでいる。

三浦くんにサッカーを諦めさせたように。

そこに、私は違和感どころか軽い憤りを感じますね。

 

そして、黒木の語る「中受は第一志望合格が三割の『からくり』」とやらも、正直私は大嫌いです。

本当の第一志望に受かるために、さらに偏差値の高い志望校を「第一志望」にするって、どう考えてもおかしくないですか?

入試問題は、学校によって傾向がまったく違います。

偏差値だけでは絶対に語れない。

大学受験では、そんなアホな話にはなりません。

たとえば「明治切望だけど、それだと甘くなるから第一志望を慶應にしよう」っていうのは(受験年度後半になったら)アホの極みです。

たしかに、ベースの力を溜める時期には目標は高いほうがいいのは事実。

でも、受験間際になったら「熱望校」の研究が最優先ですよ。

黒木の考える中受のスタイルが「無理めな『第一志望』を目指させ、『着地』は本来の第一志望」だとしたら、それは違うと声を大にしていいたい。

なぜならば、「不合格」というのはたとえそれが「かりそめの第一志望」だったとしても、本人にものすごいショックを与えるからです。

ましてや、相手は12歳の子供。

 

本来であれば、「熱望校」を目指して勉強して合格するのが一番ハッピーですよね?

実際、私の担当生徒もそのケースがほとんどです。

「熱望校に合格するため」に、よりヘンサチの高い学校を目指させ受けさせるというのは、私は当の本人にトラウマを与えるだけで無駄だと思っていますのでさせません。それでみんな「本来の第一志望」に受かってます。「より高いヘンサチの学校を目指させないと緩んで落ちる」なんていうのは、2流3流の講師の言うことですね。

 

私は、黒木が「そのあとの責任もとれないくせに」小学生の「人生の進路変更」を強いているのが気持ち悪いのです。

 

たしかに、私もそういうことを生徒に言うことはあります。

「このまま生きていくと、将来Twitterとかで『私が不幸せなのは〇〇のせいだ』と言って生きる人生になるよ」

というようなことです。

ただそれは、「ヘンサチが高い学校を目指させるため」ではなく「今のままのナメた態度では、将来こうなるよと知らせるため」だけであって、それで生徒の人生への態度が変わっても変わらなくても、別にいいです。大人として、「そのままだとこうなるよ」というのを「知らせない」のは大人の罪だと思うので知らせているだけ。

つまり、どうするかは本人が選べばいい。

黒木は違います。

高校受験はクソだと言い放ち、中受をする方向に子供を誘導する。

中受をするなら、偏差値の高い方に誘導する。

これ、黒木が以前フェニックスでやらかして後悔して桜花に転職する前にやってたこととまったく同じですよね。だったらなぜ桜花に転職したんだろう?

 

加藤くんを夜中に呼び出して泣かせることが、加藤くんの幸せにつながるんですかね。

鋼の錬金術師」のパクリの「何かを手にするには何かを手放さなければいけない」とかドヤ顔で言ってましたが、それはたかが塾講師が踏み込んでいい部分ではないと私は言いたい。

以前、私も書きました。

中受は修羅の道で、「甘やかな少年時代」に決別しないと勝てない、と。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

でもそれは、本人が望んでこそだと私は思うんですよ。

加藤くんのように、ふんわりと中学生になって鉄オタが続けられればいいと思っていた子供に、「そんな甘いことを言うな」と言えるのは親だけだと思います。

あるいは、講師の立場で言うとすれば

・ポリシーをはっきり打ち出している個人塾

・同様の個人講師

なら言ってもいいでしょう。

 

・黒木と桜木の違い

なんどか書いておりますが、私は「ドラゴン桜」が好きです。

たしかに、桜木も相当無茶なことを言っています。

でも、一番の違いがあります。

それは、「桜木は『東大に行け!』と言った自分についてき生徒にしか無茶を言わないという点です。

 

「12歳の子供が泣く」ことを喜ぶのは、私にはやはりきついですね。

なぜなら、彼ら(12歳の子供たち)は、自分で望んでそのレースに参加したわけではないからです。

以前も書きましたが、「二月の勝者」で言えば花恋や順などのように本人が上を目指してやっている受験じゃない限り、中受は「競馬」と同じです。競馬馬自身には、「次のレースで〇〇に勝ちたい」などという意志はない。それを、馬主と厩舎が走らせる。

大人がレースに参加させ、泣かせ、本気になったと喜ぶ。

グロテスクだと感じるのは私だけでしょうか。

なぜ、わが子に満足できないんだろう

近年、発達障害のお子さんの依頼が増えています。

mikoto2020.hatenablog.com

 

低学年の場合は「その前にやることがあるだろう」とお断りしておりますが、切羽詰まった高学年や中高生の場合は受ける場合もあります。それは、ひとえに「こども本人のため」です。発達障害なのに親が「とにかくヘンサチ!」の場合は子供が潰れかけているorすでに潰れているので、見ていられず手を差し伸べるわけです。

 

結果、ほとんどは好転します。

・パニックがなくなる

・学力も好転する

・穏やかになる

などなど。

これはなにも私が神講師だからではなく、親御さんが子供に絶え間なく与えていたプレッシャーを取り除いたことで本来の力が発揮できるようになったからだと思います。

 

でも、そこからが問題。

私がついて、その子がMax力を発揮できるようになって。

それで「今の偏差値」なのに。

のど元過ぎればなんとやら。

ほとんどの親御さんが「次、次!」とさらなる高い目標を子供に押し付けます。

 

発達障害の子が、たとえば私とリラックスして学んでいるときにパフォーマンスが高くても、彼らは「外」ではものすごく疲弊してきます。そもそも「外」とうまくやれないから発達障害という診断がくだるわけで。

「めいっぱいやって今の結果」なのに、なんでさらに次!次!となるんだろう。

私が付く前とは見違えて成長しているのに、なぜそれを認めてあげられないんだろう。

なぜ、我が子にいつまでも満足できないんだろう。

 

自分が小学生~高校生のときにできなかったことを、なぜ子供に求めるんだろう。

もちろん、「願う」のは自由です。

所詮は遺伝だ、と自分を超えることを願わなければ進歩も発展もないわけですからね。

でも、「願う」のと「義務にする」のは違いますよね。

 

GMARCHは上位3パーセント、なんて話、よく聞きますね。

上京して私学に通えるかどうかという背景もありますから、GMARCHがその同学年の学力上位3パーセントだとは私は全く思いませんが、それはそれとして。

中受に熱狂している親御さんが目指しているのは、たぶんその上位3パーセント。

でも、ご自身はどうなんですかね。

小学生に「上位3パーセントに入れ」と尻を叩いている親御さんは決してその上位3パーセントじゃないと思う(苦笑)。

 

上位云々、というのは偏差値の話だけじゃない。

子供のもって生まれた能力をはるかに超えるオーダーを出すということは。

逆に言ってみれば

・お父さん/お母さん、年収今の倍になって

・お父さん/お母さん、せめて都内で50坪の家建てて

・お父さん/お母さん、料理プロ並みになって(今のメシまずい)

・お父さん/お母さん、俳優さん並みの容姿になって

というくらい無茶振りなんじゃないかな。

子供が小さいうちは騙せますけどね。

高校大学くらいになると、「よく自分はあんなスペックで子供にばかり高スペック要求したな」と思われることでしょう。

 

わが子やパートナーに「満足」できない人って、「自分だけはちゃんとやってる!」と思ってる人が多いんだよな。だから家族に満足できない。でも、おそらく家族からしたら言いたい不満はたくさんあると思うです。

あくまで私の狭い経験上ですが、家族に不満たらたらのお母さんほど汚部屋だったり連絡がとっちらかって何が言いたいかわからなかったりすることが多くて、子供からは不満に思われていましたね。

 

少なくとも、「今めいっぱい頑張ってそれが上限」の発達障害の児童に「さらにそれ以上」を押し付けるのだけはやめて欲しいなあ。